オピニオン

249月

『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが凄くおもしろいので、絶対読んだほうがいいよ。

ペティ民子さんの『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが、すごくおもしろいです。

旦那さんと、4人の子どもを連れて、「家」も「子どもたちの学校」も離れて、車で放浪に出たんです。

特に、義務教育に疑問を感じている子育て中の親は、必見。

絶対に読んだほうがいいですよ。

 

13,000いいね!記事の著者、ペティ民子さん

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。という記事が、少し前に4万PVほど読まれました。約5,000いいね!。

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

実はこの記事を書くきっかけになったのは、記事内にもリンクがあるんですけど、

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと』という、ペティ民子さんの記事です。

これが、ふと気がついたら、13,000いいね!を越えていました。

多くの人に読まれるべき記事だと思っていたので、当然の結果だと思います。Twitterやはてブでは話題にならないのに、Facebookでバズったということで、届くべきところへ届いた、という感じですね。

いやー、良かった良かった(私が紹介したのがどんな影響だったかは分からないですけどね)。

 

『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが凄くおもしろい

実は、もう1シリーズ、読んでほしい記事があるんです。

ペティ民子さんは熊本県出身、米国在住、4人の男の子の子どもを持つ母親。旦那さんはアメリカ人です。

私は、ちょっとしたことからペティ民子さんとWeb上で知り合いました。すごく子育ての考え方や、価値観に、共感する部分が多いんですよね。

私にとっては、道なき道をゆく先駆者というか、先輩のような存在です。ペティ民子さんの子どもたちのほうが年長なので、我が家の子どもたちのこれからを考えるのに、すごく示唆をもらっているんです。

で、そのペティ民子さんが近頃なにをしていたかというと、自宅を手放して、車での放浪の旅ときています(今はサンディエゴにとりあえず落ち着いているとのこと)。

なにしろ、子どもたち4人を連れての旅。若者の冒険や、老夫婦の余暇とは訳が違うわけですよ。

この旅行記『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが、おもしろいのなんのって。

もともと私は旅行記が好きなのもあると思うんですけど、むさぼるように読んでしまいました。おすすめ。

ホームレス初日の気持ち in オレゴン

子連れ貧乏のノマドライフは難しい - 障害編

子連れ貧乏のノマドライフは難しい - ベイエリア編

子連れ貧乏のノマドライフは難しい - 南カリフォルニア編

以降は、記事の末尾にあるリンクをたどって、シリーズを読破できると思います。

ね、読み出したら止まらないでしょう?

やっぱり、実体験に勝るものはないというか。リアリティを感じられるルポはたまらないですよね。

しかも波乱&トラブルの連続で、「この先どうなるんだろう」というドキドキ感がたまらない、というオマケ付き。

家も定職も離れて、気ままな放浪の旅に出る。しかも、子どもたちと一緒に。

こんなシチュエーションにそそられるのは、私だけ?

308月

3歳〜の幼児連れでカヤックデビューできちゃうイベントを企画しました。

■日程
2014年10月12日(日)〜13日(月・祝)

■場所(カヤック)
静岡県榛原郡川根本町 長島ダム(接阻湖)
大井川鐵道井川線 ひらんだ駅周辺
奥大井接岨湖カヌー競技場

■スケジュール
【1日目】
集合 川根温泉笹間渡駅 10:00(遅れてもOK)
古駅舎を改装したカフェ『ひぐらし』
珈琲と手作りパン&ピザ。カフェ内からSLを見る!

千頭駅へ移動 11:30

千頭駅発 12:28
大井川鐵道井川線(あぷとライン)で南アルプスユネスコエコパークの自然を満喫!

閑蔵駅着 14:00
(バスに乗換)
閑蔵駅発 14:10

千頭駅着 14:40

宿泊場所に移動

【2日目】
朝食

カヤック 10:00ひらんだ駅前

温泉であたたまる!&昼食
『もりのいずみ』

お茶農家さんで、特産品の川根茶をお土産に!

解散

■参加料金
カヤック代金(カヤック・備品レンタル、保険料を含む)
大人4,000円
3歳〜小学生3,500円

宿泊代金
空き家:数千円程度(調整中ですが、格安です)

■持ち物
濡れてもいい服装、帽子、着替えなど
※カヤックの道具や、ライフジャケットは、持参不要です

イベント詳細、申込みは、こちらから。

幼児3歳〜OK! ファミリーでカヤック遊びデビュー&奥大井の豊かな自然を満喫しよう

締め切りは9/10(水)です。

198月

「子どもの頃もっと●●しておけばよかった」という人に足りないのは努力ではない。

「子どもの頃、もっと●●しておけばよかった」と言う人が、世の中には少なくないようです。

でも、このような方々は、仮に勉強や部活にもっと打ち込んでいたとしても、同じことを言っていたはずだ、と私は思います。

足りないのは、努力ではなく、自己肯定感だからです。

 

論点は「勉強をするか、しないか」ではない

現時点で、3,000いいね! 以上をいただいています。

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

必ずしも、肯定的な意見ばかりではありません。

実は、この話の論点は、「勉強をするか、しないか」ではありません。

当然ながら子どもは、多かれ少なかれ、勉強をするものです。

問題は、親が先回りして子どもに必要なものを勝手に決めてしまい、勉強を強制するかどうかです。

上記の記事を書くきっかけになった、ペティ民子さんからメールがきて、

時期がくればトイレトレーニングと同じように出来るようになるものを
時期がきてない子に一生懸命出来るようにさせようとする先生の苦労は
相当なものだと思います。

という文面に、なるほど的を射た表現だな、と感心しました。

どちらが正しいというわけではなく、“子どもが本来持つ能力を信用する” という考え方を肯定するか、否定的に捉えるか、という、価値観の違いなんでしょう。

 

そもそも「いま幸せです」と答えられる人が少ない

上記記事へのFacebookコメントで、

どんな質問をしたとしても、今幸せです、と答える人が少ないのでは?と思いました。

という見解を見かけました。

実はこれが、本質をついていると私は思います。

私はいま幸せです。あんまりこういうことを言うのは、自己啓発セミナーや宗教みたいで嫌なんですけど、断言できます。

人生に不可欠なものはすでに揃っていて、ストレスは皆無といっていい日常で、さらに予想のつかない未来にワクワクしています。

欲を言えば、もう少しお金があったほうが、行動範囲を広げられるので嬉しいですけど、でも際限のない欲だと割り切れます。

でも、人生をこんなふうにポジティブに捉えられている人って、すごく少ないんですよね。

 

私は我が子に「幸せです」と言い切れる大人になってほしい

経済的、社会的成功は、必ずしも幸福感と結びつきません。

お金持ちになっても、高い役職についても、満ち足りていると感じるかどうかは別問題です。

ここは完全にそれぞれの価値観なので、それぞれのポリシーに従えばいいのだと思いますが、私は我が子には、第一に、幸福を感じられる大人になってほしいと思っています。

経済的成功も、社会的成功も、あればもちろんいいけれど、それよりもなによりも、人生に満ち足りていることが重要だという考えです。

幸せですか? と尋ねられたら、幸せですよ、とさりげなく回答できる大人になってほしいんです。

 

「幸せです」と言い切るには、自己肯定感が必要

では、満ち足りた人生を送るために必要なものは何か、というと、自己肯定感です。

モノでも、お金でも、ステータスでもありません。

あるいは幼少期の努力や、何かに打ち込む経験でもありません(努力が自己肯定感の源泉になるケースもあるとは思いますが、短絡的に、努力=幸福、満ち足りた人生、というわけではないはずです)。

「幸せです」と言い切るために必要なのは、自己肯定感なんです。

もちろん、お金がなかったり、人間関係がうまくいかなければ、幸福とは思えないでしょう。

でも、自己肯定感さえあれば、芯が折れません。ギリギリのところで踏みとどまって、チャレンジを続けられます。

 

勉強を強制しつつ自己肯定感を育む方法はあるのか?

だから私は、勉強の強制に否定的です。

どうしても、子どもの感情を無視したり、個性を否定したり、枠にはめようとしたり、という行為に繋がってしまうと思うからです。

勉強を毛嫌いしているというより、自己肯定感を潰してしまうのが怖くて、勉強の強制なんかできない、というほうが近いですね。

勉強を強制しつつ、自己肯定感を育む方法があるのであれば、そのやり方もアリだと私は思います。

ただ私には、ほとんどムリゲーに思えるんですよ。

 

“ありのまま” でいればいい

私は、自分の親(特に母親)からもらった宝物に感謝しなければいけない、と常々思っています。

他人は他人。自分は自分。あなたは特別な存在なんだから、“ありのまま” でいればいい。

言葉だけでなく、態度でもそれを伝えてくれたから、私はこんなにも人生を楽しむことができるんだと思います。

私も我が子に、同じメッセージを伝えていきたいと思います。

 

子どもに勉強を強制しないやり方は、究極のスパルタ

蛇足ですけど、子どもに勉強を強制しないやり方が「ゆとり」だと思っている人がいるとしたら、これは、大間違いなんですよね。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

でも書きましたが、尋常でないくらいのスパルタです。

だって、なにもかもが自己責任なんですから。失敗しても、教育機関や教師のせいにはできない。

それから、学歴がなければやりたいことができない、充分にお金が稼げない、という見方は、(公務員など、ごく一部の職種になりたいケースを除けば)、都市伝説でしかないというのが、フリーランスとして生きている私の意見です。

フリーランスなんてただの下請け、と思っている人、多いみたいですね。

でも私は、嫌な仕事はすべて断って、やりたいことしかやっていないですよ。

自らの個性を知り、社会の中での居場所を見つけ、スキルをお金に換えるマーケティング感覚さえ見つけられれば、不自由しないだけのお金を稼ぎながら、世の中を自由に泳ぎ回れるんです。

158月

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

とある知り合いが、「子どもに学校で良い成績を取らせようとするのが、一番してはいけない」と記事を書いていました。

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと

一番してはいけないと思うのが、
子供が好きなことがあるのに、
「そんなことでは食べていけない」
といって、学校の勉強を一生懸命頑張らせて
良い成績を取るように促すこと。
ここに精力を出しはじめると
人生が狂ってくる。

これ、完全に同意なんですよね。

“勉強を頑張らせる” という子育ては、使い古されて限界が見えている方法論の一つでしかありません。

少なくとも、良い成績を取らせておけば、将来の不安が少なくなるという考え方には、なんの根拠もないと私は考えています。

 

勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い

むしろ、成績最優先の環境に置かれるために犠牲にしてしまう、その子の個性や、社会の多様性を広く見て回る経験や、無数の人々との出会いの機会、といったものが、大人になってからの幸福感を生む可能性の高い要素です。

私は、「子どものころ、死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」なんて人に、会った経験がありません。

みなさんは、いかがですか? 会った経験がありますか。

中には存在するのかもしれませんが、多数派ではないはずです。

つまり、「勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い」というのが、客観的事実ではないでしょうか。

 

文字を書こうとしなかった5歳の娘

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5歳の娘のゆいが、急に、文字入りの手紙を書くようになりました。

それまでは、どんなに、ひらがなの書き方を教えようとしても、ちっとも学ぼうとしなかったんです。

本人の中には、「うまく書けないから、やりたくない」という思いがあったようです。

誰でも初めはうまく書けないわけで、とにかくやってみないことには始まらないのになー、と思いつつ、無理強いはしないでいました。

 

きっかけは、同年代の女の子からの手紙

きかっけは、同年代の女の子からもらった手紙でした。

ひらがなで、文章が書いてあったんです。

ゆいは、書けないけれど、読むことはできるので、それを(キャンプ中だったので)キャンピングベッドの下に持ち込んで、独り、まじまじと眺めていました。

家に帰ってから、幼児向けのひらがな練習帳で、なにやらひとりで遊んでいたので、ためしに「お手紙のお返事を書いてみたら?」と言ってみたんです。

そうしたら、A4の紙にハートをいっぱい書き、さらに相手の名前まで書きました。

まだ音と文字が一致していないので、どうやって書いたかというと、50音の積み木を、一つ一つ探してきたんです。

「ふ」「う」「か」と、積み木の文字を見ながら、(初めてにしては)上手に写して見せました。

 

人間、必要に迫られれば学ぶ

積み木を見て書くという方法は、100%ゆいのアイデアです。親は何も言っていません。

いや、驚きましたね。

人間、必要に迫られれば、学ぶんです。

そして、未熟であれば工夫して、見事にモノにしてみせる。

手紙は、iPhoneで撮影して、すぐにLINEで送りました。

「ありがとう♡ だいすき」という返事を見て、ゆいは自信がついたようで、今度は保育園の彼氏の名前を書き始めました。

「か」「ま」「だ」「り」「ゅ」「う」「せ」「い」と、フルネームで、かなり難易度は高いと思うんですが、投げ出さずによく書くんですよ。

 

本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番

実際、「本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番」という教育方針を貫く学校もあります。

サドベリースクールです。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

東京サドベリースクールのスタッフ・杉山まさるさんとの一問一答がおもしろいので、一部再掲します。

 
Q. 小学校時代を思い返してみると、彫刻刀セットだとか、裁縫セットだとか、みんな一律に買わされたのが、今になって思うと不思議です。サドベリースクールは正反対の考え方ですよね。

人はそれぞれ違います。興味を持つ対象も、どういうタイミングで学びたいと思うかもそれぞれ違うので、そのときに必要なことを本人が選んでいけばいい、という考え方です。

 
Q. これからの時代、現在の画一的な教育のあり方に疑問の声を挙げる人が増えてくるのではないかと感じているのですが、いかがでしょうか。

サドベリースクールは、すべての子に合う学校ではないと思っています。ただ、今ある一つの教育システムだけではなくて、いろいろな教育が近所にあって、あなたはシュタイナーなんだね、あなたはモンテッソーリなんだね、あなたは一般的な学校なんだね、みんな違うけどどれもOKだよね、というふうに、それぞれに合った教育を選択するのが当たり前な社会になれば、それが一番健全なのではないかな、とは思います。

 
Q. 「読み書き算数など、最低限の教育だけでもやったほうがいいのではないか」という意見もあると思いますが。

すべてこどもたちに任せています。本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。それ以外のタイミングでやらせようとすると、むしろ嫌いになってしまったり、「これが必要だ」と自分で考える力を奪ってしまう可能性がある、という考え方です。

 
Q. 一度も通常の小学校などに通った経験のない子の事例はありますか?

東京サドベリースクールは生まれてまだ5年、もうすぐ6年ですが、小学生からアメリカのサドベリースクールに通っていた15歳の女の子が在籍しています。読み書きや計算もできますし、敬語も使えます。マンガを読んでいるとわからない字が出てくるのでお父さんお母さんに聞いたり、スーパーやコンビニで買い物をするのに計算ができないと困るので学んだり。彼女は学ぶことにストレスがないですね。

 

サドベリースクールに通うことを決めた親子と出会う

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偶然なんですが、この夏の福井県滞在中に、サドベリースクールに通うことを決めた親子と知り合うことができました。

ゆいと、この少年(もう小学生で、ゆいよりはかなりお兄ちゃん)は、同じ部屋に足を踏み入れた瞬間から、なんの違和感もなく遊び始めました。

もう、子犬の兄妹か、と思うほどじゃれ合って、見ている親は唖然とするしかありませんでした。

人見知りしないとか、そういうレベルじゃないんですよ。

彼らはああやって、何の制約も抑圧も受けずに、興味の赴くまま、ものすごいスピードで世界を広げて行くんだな、と思わずにはいられませんでした。

 

人生の楽しみ方を知っている子に育てよう

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

もっとも、我が家の子育てがこれからどうなっていくのか、細かいことについては、まったく予想がつきません。

サドベリースクールに行くのか、小学校をぶっ壊すのか、海外へ行ってしまうのか。

親として、ただ一つだけ言えるのは、人生の楽しみ方を知っている子に育てよう、ということなんです。

ゆいは、たとえば、芝生があればとりあえず寝転んでみるし、川へ遊びに行けば浮き輪で流れてみるし、海へ行けば波打ち際で漂ってみるし、キャンプへ行けば星空を見ながら外で眠るし。

良いことばっかりじゃなくて、他人のオモチャや本でも平気で遊び出すので相手をびっくりさせてしまったり、店の陳列物を手当たり次第にいたずたしたり。

どっちにしても、あんた、ほんとに楽しそうねえ。(^^;;

こういう我が子の個性を、なるべく殺さないようにいきたいなーと、未熟な親ながら思っている次第です。

47月

陰謀論以外で語ってほしい。目の前の問題をどう解決したらいいだろう?

自分の子どもが理屈の通じない相手に襲われたときに誰が助けるのか?

集団的自衛権の話は、実は、すごくシンプルだと私は思っています。

もちろん、陰謀論を持ち出さなければ、という条件付きですが。

そもそも、政府は、議論を始める前に、なんと言っていたでしょうか。

安倍総理を持ち出すと、アレルギー反応を示す人もいるかもしれないので、政府のスポークスマンたる、菅義偉官房長官の言葉で確認しましょうか。

集団的自衛権:国の平和と安全を守るために|すが義偉の「意志あれば道あり」 Powered by Ameba

総理は会見で、国民の命が危険にさらされている時に守ることができない事態が起きることを、二つの事例を挙げて説明しました。

一つは、紛争が起きた地域から、日本人を米国の艦船が救助、輸送している時に日本近海で攻撃を受けるというケースです。
現在は、日本自身が攻撃を受けていなければ、日本人を救助、輸送している米国の艦船を自衛隊は守ることができません。

もう一つは、アジア・アフリカなどで地域の平和や発展のために、活動している日本の若者や、国連の平和維持活動(PKO)をしている国連の要員が、突然武装集団に襲われるケースです。
現在は、現地で活動している自衛隊は、この日本人やPKOの要員を助けにいくことができません。

我々一人ひとりにとっては、自分の子どもが理屈の通じない相手に襲われたときに、誰が助けるんだろう? 成り行きに任せるの? 諦めるの? という話であるわけです。

“国” という枠組みの維持・発展を第一に考える立場からすれば、たとえば、尖閣諸島で中国がやたらちょっかい出してくるけど、どうするの? という話。

 

政府は一つの提案をした

集団的自衛権について議論するには、目の前にある、この問題を、じゃあどうするんだという課題に対して、回答が必要なんです。

政府は、一つの回答を提示しました。再び、官房長官の言葉を引用します。

今回、総理が示した基本的方向性は明確です。
我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある時に、限定的に集団的自衛権の行使が許されるという考え方について、さらに研究を進めるというものです。
この考え方は、自国の平和と安全を維持するための必要最小限度の武力行使は許容されるという、従来の政府の基本的立場を踏まえたものです。

国民の生命や財産、国の安全を守るために、あらゆる事態に対処できるように切れ目なく法整備をする必要があると思います。
結果的には日米同盟を中心に抑止力を高めることによって、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなると考えます。

最後の一文が、結論ですね。

日米同盟を中心に抑止力を高めることによって、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなると考えます

 

国民の多くは、政府の提案に全面的に賛成しているわけではない

もちろんこれは、一つの提案にすぎません。

集団的自衛権の世論調査、各社で違い 選択肢数など影響:朝日新聞デジタル

各社の世論調査結果を総合的に見ると、国民の多くは、積極的に改憲したいと思っているわけではないし、現政権の提案に全面的に賛成というわけでもないようだ、とわかります。

政府の提案からは、(根拠はないけれど)どこか不穏な印象を受けます。「もっと平和的な、いいやり方はないんだろうか?」と感じている方は、きっと少なくないでしょう。

 

どこにも対案が見当たらない

中国の動き。独裁的な国の存在。テロリスト。

近年の世界情勢を見ていれば、危機感は覚えるわけで、どうにかする必要があるとは感じる。

でも、周囲を見渡しても、どうも対案が見つからないんですよ。

政府が出した「日米同盟を中心に抑止力を高めることによって、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなる」という提案以外に、「なるほど」と思えるような、現実的な対案がない。

護憲派の多くは、陰謀論と感情論に覆い尽くされています。

「自分の子どもが理屈の通じない相手に襲われたときに、誰が助けんの?」という問題提起に対して、安倍は戦争がしたいんだ! とか言われてもね、そりゃ(゜Д゜)ポカーンなわけです。

今まで九条のおかげで平和だったから、このままがベスト、とか言われても、え?ニュース見てないの??としか感じないですよね。

 

陰謀論以外で語ってほしい。目の前の問題をどう解決したらいいだろう?

日本人の圧倒的大多数は、護憲派ではないし、積極改憲派でもありません。

ぶっちゃけ、世の中の中心的な立場は、「この問題は難しくてよくわからん」なんだと思います。外交や安全保障みたいな複雑すぎる問題に、唯一の正答は存在しないわけだから、当然です。

だから、現実的で、平和的な、よりよい提案があれば、耳を傾ける準備はできている。

にもかかわらず、陰謀論や感情論を持ち出して、自らコミュニケーションを放棄してしまうのは、愚策もいいところだと私は思います。たとえば、先般の都知事選、どんな結果になりましたか?

以下のような、いま目の前にある具体的な問題を、どうやって解決したらいいでしょうね?

細谷雄一の研究室から:集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定 – livedoor Blog(ブログ)

日本の自衛隊のPKOに参加する隊員は、助けを求めに来た目の前でレイプされている現地の少女を助けてることも、武装集団に襲われて助けを求めるNGOボランティアの人を助けることも、現行の内閣法制局が判断した憲法解釈ではできません。

(中略)

また侵略を受けて多くの犠牲者が出ている国に、医療品を提供することもできません。

(中略)

平和主義の精神は、今後も日本の安全保障の根幹に位置づけられるはずですし、そうするべきです。72年以降の硬直的な内閣法制局の憲法解釈を変更することで、上記のような場面で、より人道的な、そして国際協調主義的な対応が可能となるのです。これらを行わないことは、国際社会における利己主義であり、また人道主義への裏切りです。

これらをすべて無視して、今回の政府の抑制的な決定を見て、「これで立憲主義が死んだ」あるいは「これで日本は戦争のできる国になってしまう」」というのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。むしろ「死んだ」のは、現実の安全保障課題に真摯に向き合って、あるべき政策や法制度を考える姿勢や、苦しんでいる他国や、襲われ、レイプされ、助けを求める人々に手をさしのべるという当然ながらの国際社会における人道的な精神ではないでしょうか。

護憲派からの提案も、あるのであれば「ぜひ聞いてみたい」と思っている国民は、実は少なくないと思うんですよ。私もそうです。

ぜひ、陰謀論と感情論以外で、語ってほしいと思います。目の前の問題を、どう解決したらいいんでしょうか。

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