虐待なんてほんの紙一重。どの家庭にでも起こりうる

乳幼児の虐待を、滅多にない特殊な出来事だと考えていませんか?

私は、乳幼児の子育てを経験した親の大多数が、「自分が虐待しなかったのは運が良かった」「虐待が起きるかどうかは紙一重で、どの家庭にでも起こりうる」と実感しているはずだと考えています。

金子・八塩夫婦の子育てスタンスに親近感

日経DUALにこんな記事があがっておりました

金子達仁 子どもを揺さぶり、怒鳴りたくなった日 | トラの子、育ててます。 | 日経DUAL

スポーツライターの金子達仁さんが、奥さんの八塩圭子さんと交代で、子育てについて連載しています。

八塩さんは連載内で小笠原舞さんインタビュー記事言及してくださった過去があり、縁あって連載をちょくちょく読んでいるんですが、金子・八塩夫婦の子育てスタンスには、すごく共感しています。

“「育休3年、万歳」と言って何が悪い!?” という八塩さんの声もそうですし、上記の記事の「子育て頑張りますので、仕事、しなくてもいいでしょうか」という金子さんにも、いや僕もまったく同じ考えです、と声を大にして言いたいです。

仕事しないんでいいんなら、僕もしたくない! こどもたちが中学生になるくらいまでは、こどもたち最優先でいたいと、かなり本気で思っています。

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衝撃のタイトルだが、誰にでも訪れる「魔が通る」瞬間

前段の記事タイトル『子どもを揺さぶり、怒鳴りたくなった日』は、かなり過激なタイトルです。

なぜなら、衝動的にこどもを揺さぶれば、殺してしまうかもしれないからです。

ある程度に体が成長した児童では、多少揺すられた程度では、反射的に体をこわばらせるため、そう簡単に怪我をすることはないが、同じことを首が据わっておらず頭蓋骨も隙間の多い新生児で行うと、眼底出血や頭蓋内出血(クモ膜下出血など)・脳挫傷を伴う致命的な怪我を負わせかねない。また身体の組織が成長途上で柔らかく力も弱い幼児でも、過度に揺すられると程度の差こそあれ問題となる場合もあるとみなされる。

揺さぶられっ子症候群では、脳や神経に対して回復不能なダメージがあった場合、運動機能的な障害や発達障害、あるいは最悪の場合では死に至る危険性があることも示されており、こと新生児や乳幼児に対する扱いに注意が呼びかけられている。

揺さぶられっ子症候群 – Wikipedia

金子達仁さんは、こう書いています。

抱っこする。泣きやまない。揺らしてみる。効果なし。そうだ、これならば、と「高い高い」をやってみる。号泣にターボが掛かる。仕事は全く手に着かない。途方に暮れて、暮れまくって……そうこうしているうち、ビックリするような感情が自分の中から込み上げてきた。

「てんめえ泣きやまねえと頭ぐらんぐらんに揺さぶって脳髄かき出したるぞ、このクソボケーーーーっ!」

泣きやまないことなら何回もあった。かわいいな、としか思わなかった。泣き始めると大急ぎでビデオを回したことさえあった。

ただ、それはヨメがいるときだった。

虎蔵(仮)からすると、いつも通りに泣いているだけだったのだろう。だが、一人でそれに対処しなければならないわたしは、いつもと同じようには全く受け止められなかった。途方に暮れて、うろたえて、しかもそれを自分一人で処理しなければならなくなったわたしの中からは、自分でもびっくりするぐらい凶暴な衝動が込み上げてきたのである。

金子達仁 子どもを揺さぶり、怒鳴りたくなった日 | トラの子、育ててます。 | 日経DUAL

これを読んで、「親失格だ」と批判的に捉えるか、「そうなんだよね、わかるわかる」と共感するかは、乳児の子育てを経験しているかどうかで分かれるはずです。

あくまでも経験が重要で、単にこどもがいるだけではダメ。育児に当事者として関わっていなければ、わからない感覚です。

※蛇足ですけど、この感覚を共有できている夫婦は、産後クライシスにならなかったか、大した問題ではなかったはずです

虐待はどの家庭にでも起こりうる

我が家では、乳児の虐待死のニュースを見かけるたびに、夫婦でだいたいこんな話をします。

「虐待なんてほんの紙一重。どの家庭にでも起こりうるよね」

これには、我が家で同じことが起きなくて運が良かったという安堵と、ちょっとした掛け違いで虐待が起こってしまう現実へのある種の諦めと、とはいえどうにかならなかったんだろうかというモヤモヤが、ないまぜになっています。

人間、過剰なストレスと抱えると、こどもへの愛情とは別次元のところで、魔が通る瞬間があります。

たとえばこれは、人間は睡眠不足に陥ると、身体機能が低下する科学的事実と同じ。人間であれば避けられない影響で、愛情があるとかないとか、根性論でどうにかなるものではないわけです。

なぜか一人で相対していると追いつめられる

途方に暮れて、うろたえて、しかもそれを自分一人で処理しなければならなくなったわたしの中からは、自分でもびっくりするぐらい凶暴な衝動が込み上げてきたのである。

先ほどの引用ですけど、これ本当によくわかります。

特に一人目のこどもだと、「どうにかして泣き止ませなければいけない」と強迫観念に駆られるんです。

乳児の号泣には、明確な理由がある場合もありますし、他人には理解できない要因で泣いている場合もあります。

うちの娘は、夕方にお風呂から出てしばらくすると、なぜか号泣しました。これ、なにをやっても泣き止まず、放っておくしかないんです。

夫婦や親戚、友人など、誰か他人といれば「困ったねー」なんて言えるんですけど、一人だとこれは、得体の知れない過剰なストレスになってしまう。

自分でも気づかないうちに、精神的に追いつめられて、とんでもない情動がこみ上げてきてしまうんですよね。

夫婦で投げ出しあいたい

一人目のこどもである娘が生まれたとき、我が家は核家族で暮らしていました。

子育てをしたくて、残業の少ない仕事に転職してはいたのですが、それでも、家に乳児と二人きりで残された妻の憔悴ぶりは、想定を遥かに越えていました。

仕事をいったん辞めました。

このままじゃ、僕らはこどもを殺してしまうかもしれない。

冗談抜きで、そう感じたんですよね。

妻は「家で一人になるのがすごく嫌だった」と当時を述懐しています。

余裕を持って向き合えた二人目の子の経験も踏まえて、やはり一人で抱え込まないことが重要だと感じます。

二人目で精神的に余裕があっても、やっぱり泣き止まなくてイライラすることはありました。

そういうときは、限度を越えたら投げ出しました。妻に「ちょっと代わって」と。もちろん逆パターンもありました。

相方に頼れないのであれば、頼れる他人やコミュニティを見つけておくことが重要なんじゃないかと、今となっては強く思いますね。