子どもをどうやって育てていくべきか。
特に、義務教育となる小学校以降について、我が家の考え方と、方向性を紹介します。
もちろん、教育の方向性は、各家庭それぞれで、これが正解と言うわけではありません。
ただし、どのように考えるべきかについては、一定の道筋はあり、参考になるケースもあるのではないかと思います。
教育とは “時間” の投資である
大前提として、その子の生まれ持った個性や才能、家庭の所得水準は、様々です。
置かれた状況の中で、最善を尽くすしかありません。
ただし、どの家庭・どの子どもも、「平等に持っている」と言って(多くの場合)差し支えないのが、
“時間”
です。
個性や才能、お金が豊富であれば、教育の効果を高めることはできるはずですが、「何をするか」「何をしないか」の選択の質が悪ければ、宝の持ち腐れです。
すなわち、家庭における教育とは、限りある時間を、親の判断で何事かに投資して、子どもが自立する頃に、(子ども自身が)見返りを手にできるようにする戦略、と言えるでしょう。
言うまでもなく、部分的にせよ、子どもの代わりに決断して実行するわけですから、親の責任は重大です。
投資の結果として求める利益は何か
さて、投資をするからには、リターン(利益)を求めます。
この場合のリターンとは、もちろん、我が子の将来です。
「大企業へ就職できるくらいの学歴」
という親もいれば、
「どこへ出ても恥ずかしくないだけの知識・教養を身に付けること」
という親もいるでしょう。
求める結果を、明確にイメージできてこそ、少しでも理想に近づくために、絶え間ない判断、取捨選択ができます。
「とりあえずよい成績を取らせる」は愚策
ここで注意しなければならないのは、求めるリターンをイメージせずに、闇雲に投資してしまう間違いです。
肌感覚ですが、おそらく多いだろうなと予想できるのが、「とりあえず学校で勉強を頑張らせる」というケースです。
日本の教育システムは、あまりに硬直的なため、
「小学校、中学校、高等学校、大学……と進むのが唯一の正解で、このルートに乗れなかったら落ちこぼれ」
という価値観も、まだまだ根強いので、仕方がない面もあります。
が、よい成績を取ることで得られる結果は、私たち親世代が実証してきており、私たち自身が実感しているとおりで、それ以上でも、それ以下でもありません。
我が子に、自分のように育ち、自分のような大人になってほしいか?
自問自答すると、基本は同じ道がいいがここは改善したい、とか、根本的に別の道を歩ませたい、とか、考えが整理できるでしょう。
ここをきちんと整理して考えず、とりあえず学校で勉強を頑張らせよう、となっては、限りある貴重な時間の浪費に繋がりかねません。
個人的にはこう考えている
私は、我が子の教育において、ただ一つ、
「自分は幸せだ」と胸を張って言える大人に成長してほしい
と考えています。
資産や、社会的地位や、名誉は、あるに越したことはないでしょう。
ただし、お金や地位があれば幸福に生きられる、という単純な話ではありません。
幸せを実感するために不可欠な3つの要素
実は、私自身、まったくと言っていいほど、人生に不満を感じていません。
子どもの頃から、人並みかそれ以上に悩みましたが、今となっては(あまり声高に言うのも気恥ずかしいですが)はっきり幸せな人生だと思っています。
自分自身の経験から、明確にわかるのですが、人生に幸せを実感するために不可欠なのは、以下の3つの要素です。
- 揺るぎない自己肯定感
- 自分らしい生き方(社会における居場所)
- 生活に困らない程度の収入
よって、我が家の教育方針は、この3つの要素をどうやって身に付けさせるか、となります。
(学校の成績に代表される)相対的な評価ではなく、独自性を良しとし、我が子を信じるということ。
幅広く社会を見せて回り、様々な人に会わせ、世の中の仕組みを理解させること。
お金は(嫌な仕事を我慢してやるからではなく)価値を生み出すからこそ生まれ、具体的にどのようにすれば報酬が得られるのかを学ばせること。
これらさえ身に付けられれば、外的要因に左右されることなく、社会の荒波を乗りこなし、縦横無尽に生きていくことができます。
必要なスキルや学歴は予測不可能
なぜ私が、教育において、仕事のためのスキルや、学歴を重視しないかと言うと、第一に、将来なにをして生きるか、そのために何が必要かは、自分自身で決めるべきだ、と思うからです。
もちろん、将来困らないように、今のうちに勉強させておくんだ、という考え方もあります。
が、私は、子どもでも、しかるべき準備(上記2と3)をすれば、義務教育のうちから自ら必要なものを判断し、行動できる、と考えているため、馴染みません。
同時に、子どもたちが大人になる10年後、20年後に、どんな世の中になっているか、予測することは不可能だと考えています。
人工知能の進化・普及によって、多くの仕事がなくなるだろうという話を、耳にした経験があるでしょう。
オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」 – 週刊現代
これは現実的に言って眉唾だ、という見解もあります。
果たして、私たち親世代の(30年前の古くさい)常識で、未来を判断してしまっていいのでしょうか。
いかに他人とは違う経験をさせられるか
ただ、昭和・平成の時代とは違い、当たり前の作業を当たり前にこなせるだけの人の評価は、高くはならないだろう、とは言えるはずです。
人工知能に仕事を奪われるかどうかまではわかりませんが、いくらでも換えが利く人材に、高い報酬を支払う必然性がありません。
貴重な人材で、この人は換えが利かないから、これくらいの報酬を支払って当然だ、と評価されるには、「いかに他人と違うか」という独自性こそが価値になります。
これは、企業に就職しようが、フリーランスになろうが、起業しようが、まったく同じです。
私たち親や、子どもたちが持つ時間は、限られており、「何をするか」以上に、「何をしないか」が極めて重要になってきます。
「みんながやっているから」は、子どもにやらせる理由にはならず、むしろ本当に必要なのか懐疑的に見て、必要性を精査するべきでしょう。
個人的には、義務教育である小学校、中学校でさえ、単なる選択肢の一つでしかないとの認識で、うちの子たちに、いかに他人とは違う経験をさせてあげられるかを、常に考えています。