僕は自慢じゃないんですが、かなーりフリーに生きています。
いま思い返してみると、小学校や中学校はまだ、どこか窮屈だった記憶があります。
ああそうか、関東学院六浦高校にいたときが窮屈さのピークで、高校を中退してアルバイトを始めたときに、吹っ切れたのか。
別に、世の中の一般的なレールを外れたって、なんてことないじゃんと。
社会にはちゃんと居場所があったし、その後ちょっと勉強すれば大学にも入れたし。
説教一つせずに見守ってくれた親に感謝しないといけないね。
ともあれ、そんな一種の悟りというか、安心感というか、があったせいか、友達付き合いも一部の親友を除けば淡白。むしろ、邪険に扱っても離れない人とだけ付き合えばいいや、という感じで。
就職活動も数件やって「こりゃ違うな」と思ってすぐに止めてしまったし。
友人だとか、人と同じという安心感だとかにすがらなくても、へっちゃらだったんでしょうね。他人事のようですけど。
大学を卒業して働きだしてからは、それは紆余曲折あったけれど、結局いまは天職と思えるような仕事について、大好きなこどもたちとの日々を楽しんでる。
うん。
というようなことを、このクラウドファンディングを見て、延々と思い返していたんですよね。
対話の場から、自分らしく生きるオトナのセナカを増やしたい!(小竹めぐみ(フリーランス保育士)) – READYFOR?
小竹めぐみさんは、あの小笠原舞さんの同志だし、ファシリテーターをやっていたイベントの取材をした経験もあります。
持続可能なパートナーシップってなんだろう?|ワーキング・ペアレンツサミットvol.1 レポート
先日のasobi基地限定カフェでは、「高速バスの休憩中に、自分のバスがわからなくなって、周囲の人を巻き込んで大騒ぎした」というんで、話もしましたし。極度の方向音痴なんです。(笑)
じっくり話し込んだ経験はないですけど、よく知っている知人という感じでしょうか。
しかし実は、多くの大人たちが社会で必死に本来の自分を隠して生きていることに気づきました。
そんな小竹めぐみさんのクラウドファンディングですが。
突然なのですが、私は「超」がつくほどのおっちょこちょいです。
すぐ物をなくしたり、落としたり。
幼少期から「なんでそんなに注意力がないんだ!」と大人によく怒られ、その度に自分を責めていました。そんな私が保育士になり、園に務めた時。
こどもたちは、教えてくれたのです。
「人はそれぞれ違ったカタチを持っているよ」と。
お外が好きな子、中が好きな子。
一つのことに集中したい子もいれば、新しいことをすぐ試したい子もいる。
自分らしく輝くこどもたちの心は、私にこう言ってくれました。「めぐせんせいも、凸凹のままでいいんだよ」と。
多分ずっと、誰かにそう言って欲しかったのです。
オトナになるにつれ、MUST(〜しなければ)が増え「私は凸凹ではありません。みんなと同じですよ」と、本来のカタチを隠そうとしていました。
そんな私に「違いこそ、尊い価値」と彼らは教えてくれ「わたしだけのカタチ」を思い出させてくれました。私はそれから、凸凹を嘆くのではなく、持って生まれた私なりのギフトとして凸凹を活かして生きよう!と思い始めました。
肩の荷が降り、自分を丸ごと好きになれたことで、毎日がとても楽になりました。
しかし実は、多くの大人たちが社会で必死に本来の自分を隠して生きていることに気づきました。
「しかし実は、多くの大人たちが社会で必死に本来の自分を隠して生きていることに気づきました。」
僕自身も頭のどこかで気づいていました。
でも、解決するのは非常に難しい。
要因は一つではないし、指摘されたからと言って変わるもんじゃない。
ライター&ブロガーの僕にできるのはせいぜい、こういう生き方もあるよと記事にして提示するくらいだと思うんですが、効率は悪いでしょう。どうしていいかわからなかったんです。
小竹めぐみさんが、対話によって解きほぐしていると知って、これだ!と思いました。
ただ、僕には真似できません。「凸凹を活かして生きよう」の言葉通り、これは小竹めぐみさんの役割なんだと思います。
ということで、応援します。