【夏休みの宿題】読書感想文を “上手に” 書く必要は一切ない、というお話

夏休みの宿題の定番のひとつと言えば、読書感想文。

うちの小学2年生の娘が、上手に読書感想文を書こうとして、1行も書けなくなったので、その理由と対処法について考察したいと思います。

作文が得意な(はずの)娘

毎日、朝食を食べてから、午前10時頃までは、夏休みの宿題をこなす時間にしています。

ドリルが一通り終わって、次に読書感想文に手を付け始めました。

うちの娘は、親バカを差っ引いても、一目見てわかるほど、個性的な言葉の選び方をする子なので、できあがりをとてもとても楽しみにしていました。

何を書きたいのか意味不明

ところが、終わったよ、と言って、そのまま隠すようにしまおうとする。

本人も、うまくできていないとわかっていたんですね。

ピンときて、中身を確認すると、予想通り……いや、予想を遙かにこえて、まったく意味不明な文章ができあがっていました。

言葉の選び方がどうの、という話ではなく、何を書きたいのか、意図すらさっぱり理解できない状態だったんです。

なんでこうなった……と思って、よくよく確認してみると、どうやら小学校からもらってきた、「読書かんそう文の書き方 Q & A 2年」というプリントを見ながら書いたようでした。

プリントそのものは、決して間違った内容が書かれているわけではありません。

文章を仕事にしている私から見ても、作文の書き方を極めて論理的に説明していて、うまくできているな、との感想を持つくらいです。

ところが、うちの娘は、これを見ながら、今までありえなかった、意味不明な作文を書き上げました。

何を書いたらいいかわからないと号泣

念のため、プリントの内容に添って、

「最初(書き出し)は、いちばんおもしろかった場面について書いたら」
「その次に、その場面がどういう状況だったか、本を読んでいない人にもわかるように説明しないとね」

などなど言ってみたのですが、娘は「何を書いたらいいのかわからない」と号泣しはじめ、「どうせ私にはうまく書けないんだ」などブツくさ言い始めて収拾が付かなくなったので、きっぱり方針転換しました。

上手な読書感想文なんて私は読みたいと思わない

なぜか娘は、“上手に” 読書感想文を書かなければいけない、という強迫観念に囚われていたんです。

そこで私は、「読書かんそう文の書き方 Q & A 2年」プリントを一切見ずに、書きたいことを書いたら、と提案しました。

それでもまだ「それじゃダメなんだ」「どうせ上手に書けない」とグチグチ言うので、

「上手な読書感想文なんて、つまらなくて、ちっとも読みたいと思わない。ああ、あなたが書いた文章だね、って一目でわかるような作文が読みたいんだよ」

ということを、あの手この手で表現を変えて、根気よく伝えました。

実際のところ、上手に書いて、学校で褒められて、ちょっと成績が上がったって、大して意味はないわけです。

こちとら、偏差値の高い学校へ進学するよりも、自分の手でお金を稼ぐスキルを身に付けるほうが、圧倒的に大切だと思っているわけでして。

上手に書くよりも大切なこと

あなたが書いた文章だね、って一目でわかるような作文が読みたい” という物言いは、完全なる親バカのようですよね。

でも、意外かもしれませんが、文章を書くうえで、とても重要な考え方なんです。

実は私、これでも、日本最大のディズニーWebメディアのディレクターでして、未経験者を中心に、ライター陣のWebライティングを指導を一手に担っています。

レクチャーするときに、きれいな文章を書きなさい、とは一言も伝えません。

なぜなら、どんなに端正で論理的な文章を書いたところで、読みたいと思う人が誰もいなかったら、何の意味もないからです。

世の中には情報が溢れていて、ただ文章を書いても、99%以上が無視される。

(世の中に無数にある、テレビ、新聞、本、Webメディアからブログまで、すべてを網羅どころか、全体の1%をチェックすることすら、不可能ですよね)

印象に残る文章を書けるやつが凄い

情報爆発の世の中で、何が重要かというと、第一に、読者のニーズを推測して適切な形に “調理” するマーケティング視点、そして第二に、読者にとって印象に残る文章を書く才能です。

読んでもらえる記事を作る前提で、読んだ人にファンになってもらい、次もまた、選んでもらえる理由を作っていく。

食べきれないほどのご馳走があるブッフェだったら、どうでもいいような料理ではなく、自分が好きな料理から選んで食べていくわけで、メディアのファンを作っていくということは、とてもとても重要です。

メディア以外でも、作文、小論文、コピーライティング、チラシの訴求文……等なんでもいいですが、受け手の印象に残る文章を書けるというのは、とても素晴らしい個性であり、メリットです。

で、こうした “印象に残る文章” というのは、技術もちろんありますが、感性や、思い入れ(愛)、個性的な視点・洞察力があると、鬼に金棒になります。

息を吐くように、個性的な文章をさらさらと生み出せる人は、本当にすごい。私はそうした素養に欠けるので、正直なところ、羨むほどです。

文章を書くことが楽しくなければNG

さて、そんな感覚で日々仕事をしている私ですが、娘の “印象に残る文章” を書く才能は、凄いものがある、と感じています。

これは絶対、この先、超強力な武器になるので、神童も大人になれば凡人、なんて事態にならないように、バリケードを築いてでも守って、グングン伸ばしていかないとな、とはっきり意識しています。

書くことは楽しい、と思い出してもらう

どんな状況でもそうですが、飛躍的な成長を生むのは「やりたい」「楽しい」など、溢れんばかりの意欲が湧き出ているときです。

「読書かんそう文の書き方 Q & A 2年」の問題点は、文章の書き方の理屈がどうのというよりも(繰り返しますが、内容は極めて真っ当)、まずは “楽しくなかった” という致命的事実にあります。

そりゃそうなんですよ、上手に書くには書き出しでこう書いて、と決められてしまったら、その後に続く文章は限られ、圧倒的に世界が狭まります。

目の前にあらん限りの芝生が広がっているのに、迷子になって危ないからと、ロープで区切ってコースを決めてしまったら、つまらないったらありゃしない。

まずは、書くことって楽しいよね、と思い出してもらわなければいけません。

ロープはぜんぶ切って、ほら好きに遊んでいいよ、と促してあげることが大切です。

書き方を学んでも文章力は向上しない

また、もう一つ、身も蓋もない事実を申し上げますと、書き方をいくら学んだって、基礎的な文章力は向上しません。

ガーン!と、ショックを受けたパパ・ママもいますか?

私自身の体験からもそうですし、Webライティング講師としてアマチュアを指導していても、例外なくそうです。

(だから「読書かんそう文の書き方 Q & A 2年」プリントは、もともと発達の度合いが充分で、論理的に作文する準備ができている子が、頭を整理するには良いと思いますが、そうでない子にとっては、ほぼ意味がなく、苦痛でしかないと想像します)

文章力を向上させる、唯一の方法は、読んで、書くことです。

大人の文章力は、大学生くらいまでにあらかた完成し、その時点で読み書きの量が少なかった人は、その後にどんなに書き方を学んでも、文章が目に見えてうまくなることはない、というのが経験的事実です。

(読み書きをしても成長しないのか、その時点で習慣がついていないので読み書きをしないから成長しないのかは、定かではないですが)

読み書きの量をこなす以外に、一般的には成長の方法はないんです。

つまるところ、読書が楽しい、作文が楽しい、という感覚を持ってもらうのが、何よりも文章力の向上に繋がるんですよね。

もし、読書感想文が書けなくて、苦しんでいる子がいたら、ぜひ楽しみながら書く方法を見つけてあげてください。

“書き方” なんて、いまは未熟で全然問題ないんです。

作法がなっていなくても、多少文法がおかしくても、一目で “あなたらしい” とわかる文章が書けるほうが、遙かに重要なんですから。