久々に頭にきたので、ちょっと記事を書こうと思います。
中高生のためのシンガポール留学: スティーブ・ジョブズが子どもにiPhone やiPadを使わせなかった理由
ちなみに、翻訳した新美真理子さんは、一緒にイベントをやったり、キャンプに行ったり、という知り合いです。
新美さんが言いたいこと、問題意識はわかるし、記事の内容も、対処療法としては妥当だと思います。
頭にくるのは、この記事を読んだ人たちが、私が見た限り誰一人として、「親が子育てに限られた時間しか使えない(あるいは使おうとしない)」ことが問題だ、と指摘していないからなんです。
日本という国、我々が暮らす社会の置かれている状況に、「ふざけんな」と思います。
親が子どもにたっぷり向き合えれば、ゲームなんか無制限でなんの問題もないんです。
もっとも個人的には、スティーブ・ジョブズの子育て論を、持論の補強に使うのは、長い目で見れば得策とは思いません。彼は早死にしました。精神的な世界に傾倒し、科学的に誤った偏食を続け、医学治療を拒否し、結果として膵臓がんに屈しました。伝記を読む限り、家族を顧みることのできない人でもありました。
ジョブズは確かに天才だったけれど、完璧な人間ではありませんでした。思い込みが激しく、激情家で、無数の失敗や間違いを繰り返しました。むしろ、欠点だらけだからこそ美しい、というタイプの人間です。
ゲームを悪者にしても根本的にはなにも解決しない
ゲームは、世の中にあふれる娯楽の一つでしかありません。
特別に危険視する必要はないんです。
なぜ世の中の親は、これほどにゲームを恐れるんだろう? と私はしばしば思います。
無制限に与えたって、本来、何の問題もありません。
うちの子たちは、iPadと3DSを使い放題です。
でも、そればかりをずっとやっていることはなく、飽きれば別のことで遊び始めます(きちんと躾けているので、用事があればすぐに中断もできます)。
うちの子たちは、探究心が旺盛で、やりたいことはすぐにやってみます。
高いところにのぼったり、さかさまになったり、駆け回ったり、常にアグレッシブです。
おまけに、誰とでもすぐに仲良くなれてしまいます。
ゲームを悪者にする人たちは、とりあえず、うちの子たちと遊んでみるといいと思います。
自分の考えに、疑問を抱かざるをえなくなるはずです。
私たちは花粉症の薬を飲み続けたいわけではない
「ゲームを制限する」という子育ては、けっして間違いではないと私は思います。
ただ、対処療法なんです。
花粉症で言えば、炎症を抑える薬を飲んで、症状を抑制するだけ。
どんなに薬を飲んでも、治癒するわけではありません。
私たちは本当は、眠くなったり、喉が渇いたりという副作用のある薬を延々と飲み続けたいわけではないですよね。
花粉症が治るものなら、治したいんです。
なぜ、子どもにゲームを与えると、子どもの社交性が育たなかったり、ゲームばかりしている子どもになってしまったり、という事態が起こるんでしょうか。
答はシンプルで、親が、子どもに、ゲーム以上の楽しみを提供できないからなんです。
親に意識が足りないのか、物理的に子どもと向き合う時間がないのか、様々な経験をさせようにもお金がないのか、理由はさまざまだと思います。
世の中にはゲーム以上に楽しいものが無数にある
ゲームは、ものによっては、中毒になるほど楽しいものです。
が、世の中には、ゲームと同等か、それ以上に楽しいことも、無数にあります。
いま5歳の娘は、今年の夏は5〜6回ほどキャンプをしました。
夢中で火遊びをし、テントに入らずに星空を眺めながら眠っていました。
キャンプもそうだし、キャンプ以外の旅行でも、様々なおじさん、おばさんに面倒を見てもらったり、個性の違った子どもたちやそのファミリーと遊びました。
さすがに数えていないですけど、この夏にお世話になった方々は、総勢100人は軽く越えていると思います(人づきあいの苦手な私が、よくもまあこんなに、と自分自身で思うんですが、これにはコツがあります。別記事にします)。
また来月には、はじめて会う親子とカヤックに行く予定です。
地元のおじさんに、いろいろ手配してもらっています。
※あ、もちろん東京ディズニーリゾートにも行っているし、トーマスランドにも行っています。5歳の娘は(100%自分の意思で)プールと体操にも通っています
私たちは仕方なくゲームを制限せざるをえない
我が家のように、子どもに、日常的と言えるレベルで、ゲーム以上の楽しみを提供できていれば、iPadや3DSを制限する必要なんかありません。
繰り返しますが問題は、親が、子どもに、ゲーム以上の楽しみを提供できない何かしらの理由があることなんです。
仕事が忙しく、時間がない。
薄給で、お金がない。
社会が子どもとたっぷり向き合う余裕を持たせてくれない。
などなど。
子どもと向き合える時間は、貴重なんです。
だから仕方なく、子どもと向き合える貴重な時間くらいは、ゲームを制限せざるを得ない。
我々は、本当は制限する必要なんかないのに、何かしらの要因によって制限しなくちゃいけない状況に置かれているんですよ。
でも、それでいいんでしょうか。
抗アレルギー薬を飲み続けて、症状を抑えるだけでいいんでしょうか。
花粉症を根本的に治したいとは思いませんか。
「現状を変えることはできない」と思い込んでいないか
課題ははっきりしています。
自分の日常を思い浮かべてみてください。子どもとたっぷり向き合い、世の中を広く見せ、いろいろな人と会わせ、多様な経験をさせる、ということができないのは、なぜですか?
仕事が忙しいから? 旦那が仕事で忙しくて子どもを遠くには連れ出せないから?
課題が明白であれば、根本的に解決することも可能です。
子どものために時間を確保できないのなら、ライフスタイルを変えてもいいんです。
仕事を変えてもいいんです。旦那さんが原因なら、腹を割って話し合うべきでしょう。
どうしてもムリ、という状況もあります。
それは仕方がありません。
我が家も、どうしても動かせない事情はあります。
でも、中には「現状を変えることはできない」と何の根拠もなく思い込んでいる方もいるはずです。
ぜひ立ち止まって、考えてみてください。
本当に、ゲームを制限すれば解決するんでしょうか。
あるいは、本当にゲームを制限しなければならないんでしょうか。
“興味の赴くままに世界を広げていける” という武器
たぶんうちの子たちは、小学生のあいだには、インターネットとクラウドの仕組み、ポータブルデバイスの本質をマスターしてしまうでしょう。
世の中が、LINE禁止とかゲーム禁止とか言っているうちに、「覚える」から次のステージに進んで、「ネットとポータブルデバイスを使って何ができるか?」を考えているでしょうね。
何の制約も受けずに、興味の赴くままに世界を広げていけるというのは、凄まじい武器です。
うちの子たちを見ていて、親の私自身が、驚かずにはいられません。
ゲームを制限する、というやり方は、本当に子どもたちに必要なんでしょうか。私は、あえて疑問を投げかけたいと思います。
ちなみに、我が家が子どもたちに電子機器を積極的に使わせている理由は、こちらの記事に書いています。
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- ゲームは優れた娯楽だから
- 制限すればより欲求が強くなるから
- 時代への適応
の3つです。