一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル[Kindle版] | ||||
|
私たちは政治を誤解しているのかもしれない
本書はエッセイの形をした社会思想書です。日本社会を見渡せば明らかなように、私たちの政治、そして民主主義は、長らく機能不全を起こしたままでいます。著者は、ジャン = ジャック・ルソーの『社会契約論』に記されている理念《一般意志》を、あらゆる活動をネット上に記録しつつある「総記録社会」の現実に即してアップデートした《一般意志2.0》という概念によって解決しようとします。
導かれるのは、ビッグデータから抽出された(我々自身も気づかないかもしれない)無意識を政治の拘束力とするという驚きの結論です。
もちろん思想家として実績のある著者ですから、常識的には荒唐無稽と認識されるような本論を、きちんと体系的に語りきっています。何より本書は、近代的民主主義を疑うきっかけを与えてくれます。
現在のやり方の一部にインターネットを導入したからといって、根本的な解決になるはずがない
私は、著者が何よりも訴えたかったのは、次の一文に集約されているのではないかと感じました。
本書のルソーの解釈はかなり自由である。本書が提示した読解は、『社会契約論』の新解釈というより、むしろそのテクストを素材とした「二次創作」のようなものだと理解したほうがいい。そのような蛮勇は、一般に学問の世界では許されない。
にもかかわらず、著者が本書でその蛮勇をあえて奮ったのは、ネットが政治を変える、ソーシャルメディアが政治を変えると喧しく言われている、その光景の底の浅さにいささかうんざりしたからである。ネットは政治を変える。確かにそうだろう。というよりもそうでなくてはならない。しかしそれはおそらく、単純に電子選挙だとかネット政党だとかいった話ではない、そこよりもさらに深く、そもそも政治とはなにか、あるいは国家とはなにか統治とはなにか、その定義そのものラディカルに変える可能性に繋がっているのだ。
東浩紀『一般意志2.0』第一五章 P.250より
私たちは「政治や政策に正解がある」という幻想に囚われていませんか? 物事を熟議の上に決めるべきだという価値観も、政治家の失政に文句を言う人々も、すべては正しい道を選び取るという前提に立っています。
インターネットの普及とテクノロジーの進化により、物事は複雑になりすぎ、分散化しすぎました。ましてやそこに利害関係が入り込み、私たちの誰もが「自分たちの利益」へ誘導しようとします。政治家がいかに優れた人間であったとしても、一人の人間が全てを的確に把握し、コントロールするのは、もはや不可能なのかもしれません。それどころか、実は正解など存在しないのではないでしょうか。
だとしたら、そもそも民主主義のシステムそのものを見直す必要があります。現在のやり方の一部にインターネットを導入したからといって、根本的な解決になるはずがないと私は思います。
インターネットの政治活用をゼロベースで考えよう
蛇足ですが、私は本書を読んで、やっとはっきり意識できました。インターネットやソーシャルメディアの政治活用は、大きく二つの方向性を明確に見定めて進むべきですよね。
一つは、民主主義の限界を踏まえた上で、(とは言え明日からいきなり新理念に移行できるわけではないので)現状の不都合を不完全ながら少しでも解消しようという方向性。
もう一つはもちろん、『一般意志2.0』に語られるような、インターネットやソーシャルメディアの可能性を追求した、近代民主主義に代わる新たな理念を模索する方向性です。