政治には人並みに関心を持っているつもりの私ですが、正直なところ、今回の都知事選からは目を背けたくなっています。
私は都民ではなく、隣の神奈川県民なので、実際に他人事ではあるのですが、「他人事で良かった」という気すらしてしまうんですよね。もし、当事者だったとしたら、投票先に悩んだ挙げ句、棄権していたかもしれない。
なぜ、(副知事時代から)ここ10年 5・6年の東京を支えた、最も有能な都知事が、都政のうえでは何の瑕疵もないまま、辞める事態になってしまったのか。
都民は、こんなどうしようもない選挙に臨むくらいなら、猪瀬直樹を辞めさせるなと運動をするべきだったんじゃないのか、とまあ、お隣の神奈川県民ながら思うんです。
猪瀬さんが、お金の問題をしっかり説明できなかったのは、だから痛恨でした。仕方ないですね。
選挙後、インターネット空間は焼け野原になる
都知事選にあたり、様々な人が、色々な意見を表明しています。
私がざっと見渡した限りでは、今回は東浩紀さんの意見にシンパシーを感じました。思いの根本にあるものは全く違うはずなんですけど、ただ結論は似ているように思うんです。
日本のネットは、金儲けはできるけど、社会は変えられない。むろんそれでいいわけないけど、これはいまのところどうしようもない事実だと思うんだよね・・・
— 東浩紀 (@hazuma) 2014, 1月 23
そしてそれがぜんぶ「年寄りが若いやつを抑圧しているからだ」で説明できるかといえば、それもぜんぜんそんなことないというか・・・・
— 東浩紀 (@hazuma) 2014, 1月 23
ネット元年と言われた1995年、いまから19年後でも新聞とテレビはまったく死んでいないどころか、連ドラと紅白歌合戦が話題で、エンタメのトップは秋元康で、渡邉恒雄も現役で、自民党は大勝利で細川護煕が都知事選に出ようとしていると大学院生のぼくに言ったら、どれほど脱力したことだろうか。
— 東浩紀 (@hazuma) 2014, 1月 23
要は、そういうこの20年の日本の歴史をいっさい無視して、いまさら「ネットと若者が世界を変える」とか言っているのは、老害とかなんとか以前にアホだろうということですよ。少しは真剣に考えないとね。
— 東浩紀 (@hazuma) 2014, 1月 23
インターネット上の一部で話題になっているのが、家入一真さんの都知事選出馬です。立候補を賞賛したり、歓迎したりする声を、たくさん耳にしました。
ただこれは、若い世代を中心に、「選挙だとか政治だとかは、自分には場違いだ」と思っていたところに、よく知っている、やはり場違いな人が出てきたので、ちょっと興奮して、神輿を担いでいるだけなんですよね(家入さん本人も、それを自覚している)。
でも、祭りが終われば、あの高揚感はいったいなんだったんだろうか、というほどの静寂が訪れて、そこにあるのはいつもと変わらぬ、寂れた公園なんです。
いや、単に静寂が戻って来るだけだったら、まだいい。
たぶん、都知事選のあと、家入一真さんを熱狂的に支持した(一部の)インターネット空間は、焼け野原になります。
あれだけ盛り上がったのに、結局は何の意味もなかった、これしか票が取れなかった、という絶望感。猫じゃらし一本残らないでしょう。
家入一真は選挙に勝とうとしていない
たとえば、こんなグラフを作成している方がいました。
都知事選のグラフ作りました。東京都の人口ピラミッド/前都知事選の年代別推定投票率/候補者の年齢 @hbkr pic.twitter.com/As7jnI61xR
— Shu Uesugi (@chibicode) 2014, 1月 23
これを見て、妄想たくましく、盛り上がる人はいるでしょうね。
でも、ちょっと立ち止まってみてください。たぶんあなたの家族に、家入一真を知っている人はいないんじゃないでしょうか。
イケダハヤトさんは、自分のことを知っているのは日本中で1,000人に1人くらいだ(から炎上を恐れずに発言するべきだ)と言っていますが、これは感覚値としてそんなに間違っていないだろうと思います。
家入さんが、仮にイケダハヤトさんより10倍有名だとしても、100人に1人です。彼を知っている人が1人いたら、知らない人が99人いるんです。
もし、本気で人口ピラミッドを活かそうとするのなら、家入一真さんが真っ先にやるべきなのは、マスメディアへの露出であり、知名度を高める作業です。
が、家入さんに、そんな気はないでしょう。
そもそも、短期決戦の都知事選では、のんきに知名度を高めているような余裕はないわけです。元から知名度が高い候補を擁立して、人気投票合戦を制する。これが仕組み上の王道にならざるを得ない。
圧倒的大多数の家入一真を知らない人が、家入一真をどう見るか。常識を知らず、場違いな、キワモノの泡沫候補以外の何者でもない。
得票数は、過去の投票結果を見る限り、5桁が現実的な目標で、せいいっぱい背伸びをして6桁を目指すと言ったところでしょうか。
仮に6桁(10万票)に届いたとして、得票率はおおよそ2%前後です。
落選にともなうマイナスを軽視するべきでない
前回の参議院選挙で、佐々木俊尚さんをはじめ、インフルエンサーが投票を呼びかけたのにもかかわらず、鈴木寛氏は落選しました。インターネット空間では、これ以上はなかなか考えられない規模のキャンペーンだった印象を受けたのにもかかわらず、です。
インターネットは、選挙で現実を動かすには、無力。
だからと言って、家入一真さんの立候補が無意味だとは思わないんですよ。
たぶん彼がやろうとしているのは、小さいけれど無数に聞こえてくる声に応える、ということ。その声が、中二病の延長であったり、無知蒙昧の極みであったとしても、問題ではない。
出馬に何か具体的な意味があるとか、物事を実際に動かせるのかとか、一切考えていないに違いないと思います。
彼の行動によって、政治という空間にも居場所を得るということを、身体的に理解する人が出て来るわけです。
なぜぼくが家入一真を応援するのか? – トークのイチロー就活日誌
だからこそ家入一真の都知事選出馬には意味がある、という意見もあるでしょう。
が、同時に、落選にともなうマイナスを軽視するべきでもないとも思うんです。
盛り上がれば盛り上がるほど、「当落にかかわらず出馬した意味があった」と口では言っていても、“結局、自分たちの投票は政治には何の影響も与えられなかった” という事実は、重くのしかかります。
必ず。
絶対に。
家入一真が出馬し、たくさんの人を巻き込んだからこそ、本当の意味で政治に絶望する人が続出するんです。
焼け野原から “本物” が芽吹くかもしれない
そして、私はそれでいいと思っています。だって、近代民主主義は限界なんだから。
インターネットが世界にあまねく浸透したからといって、家入一真のようなカリスマが登場したからといって、その程度の変化で修復できてしまうような、簡単な話ではない。
近代民主主義の次はどうするんだ、と、そういう根本的な話をしなきゃいけない。
心ある人は、とっくの昔に政治に期待するのをやめ、自分なりの関わり方で、物事を前に進めようとしているわけです。
だから、焼け野原でいいと思う。
いったん灰燼に帰してこそ、太陽が差し込む余地が生まれ、今まで人目に触れることがなかった雑草が芽吹くはず。
政治のせいにしても、無駄だ。
絶対数は少ないかもしれないけれど、焼け野が原からそんな「気づき」が芽生えたとき、家入一真の都知事選出馬も成功だったと言えるのかもしれない、と、複雑な気持ちを抱きつつ、お隣の県から見ているところです。