一般に、飽きっぽかったり、落ち着きがなかったりするのは、悪い素養だと考えられていますが、私は長所だと捉えています。
短所と考えてしまうとしたら、親の了見が狭いから以外のどんな理由もありません。
こどもを型にはめようとする行為には2つの危険がある
約5年、こどもたちを最優先に毎日を過ごしてきて、子育ての最大の秘訣は、こどもの個性を認めることではないかと感じています。
素人目に見ても、ああしなさい、こうしなさいと型にはめようとするのには、2つの大きな問題があります。
1. 親の考えが正解であるとは限らない
たとえば「もっと一つのものに集中しなさい」と要求するのは、親の経験上そのほうが一般的なキャリアを歩むのに有利だからです。
が、経験則であるというのが、そのまま落とし穴になります。
“一般的” とは親が育った20年前や30年前(もし親が、自分の親のしつけを受け継いでいるとしたら40年前、50年前)の “一般的” であり、これからの時代も通用するとは限りません。
終身雇用が崩壊しつつある現状、新卒一括採用に苦しむ学生などを見れば、一昔前の “一般的” は、もはや最適なやり方でないのは明白であるように見えます。
2. 自己肯定感が育まれない
飽きっぽいからダメ、落ち着きがないからダメ、などと否定すれば、こどもは世界を広げられません。
ありのままの自分でいていい、と安心できなければ、生きることに強いストレスを感じ、酷いときには適応障害などの症状に現れます。
その子の個性を無視して、親の価値観を押し付けるのは、百害あって一利無しなんです。
個性の正反対な姉弟
我が家には、春に5歳になる娘と、2歳の息子がいます。
これが、見事なまでに正反対の個性を持っています。
たとえばiPadを渡すと、姉は、様々なアプリを次々に起動して、ほとんど無節操に遊びます。
ケリ姫スイーツをやっていたかと思えば、ディズニーの『シュガーラッシュ』を見て、YouTubeに移り、モンストをやって……と、本当にめまぐるしいんですよ。
大人から見れば、「なんて飽きっぽい子なんだろう」と誰もが思うはずです。
一方で弟のほうは、iPadを渡したら、徹底的にYouTubeしか見ません。
しかも、アンパンマンのおもちゃレビューか、トーマスの「じこはおこるさ」か、どちらかです。
もうほんっっっとうにトーマスしか見ません。
iPadを見ないときも、しょっちゅう「じこはおこるさ」を(2歳のくせにw)口ずさみながら、お気に入りのジェームスを持って遊んでいるくらいです。
例えば、キドキドのような、おもちゃや遊具が無数にある場所へ行っても、ひたすら自分が気に入ったおもちゃだけを熱心に遊び続けます。
大人は「こんなに色々あるのに、それでしか遊ばないの?」と思うわけです。
短所ではない、個性である
私は、姉が、ご飯中にしばしば立ち歩くほど飽きっぽい(あるいは落ち着きがない)からといって、全然心配していません。
短所ではなく、個性だと考えているからです。
だって、短所ではないでしょう。
ずっと座っていられないからと言って、どんな害がありますか?(さすがに食事のマナーは教えているけれど)
小学校に行けない?
なら行かないでいいよって言って、サドベリースクールでもなんでも、本人にとって能力を発揮しやすい環境を用意しますよ。
短所と考えてしまうとしたら、親の了見が狭いから以外のどんな理由もない、と私は思うんですよね。
飽きっぽいのは立派な長所
あまりに個性の違う弟がいるからこそよく分かるんですが、飽きっぽいからこそのメリットもしっかり存在します。
たとえばiPadを前にして、好奇心の向くままに節操なく手を出していくと、どんなアプリでも、大抵は操作方法が分かるようになります。
ユーザ・インターフェースなんて、それほどパターンがあるわけではないですから(しかも、優れたものはどんどん真似される)、漢字やアルファベットの意味が分からなくても、経験則で使いこなせてしまうようになるんです。
おかげで、ものすごいスピードで世界を広げていける。
これなんだろう?と思ったらすぐにやってみる、ということができるわけです。
飽きっぽい人にしかない3つの長所
こうして猛烈なスピードで引き出しを増やしていける素養は、将来、必ず武器になります。
豊かな選択肢を持てる
人生とは基本的に、可能性を限定していく作業です。
こどもは宇宙飛行士や総理大臣になりたいと臆面もなく言うわけですけど、現実には向き不向き、環境の有利不利があります。
現実に直面して、一つひとつ絞り込んでいくことになります。
この際、選択肢は多ければ多いほど良いわけです。
3つから1つを選ぶのと、100から1つを選ぶのでは、結果は必ず違ってきます。
好きでもない仕事を我慢しながらするハメになるか、天職と思えるような仕事に巡り会えるか、というぐらい決定的に。
自分に合わないものを即座に切り捨てていける
我々は、自分に合っているかどうかを判断するとき、物事を相対的に捉えるしか手段がありません。
たとえば「自分にはどんな仕事が合っているのかわからない」という人は多いですが、自分に合っているかどうか判断できないのは、比較材料がないからです。
でも、飽きっぽい人は、ものすごいスピードで世界を広げていくため、比較材料をたくさん持っています。
自分に合っているかどうかを、瞬時に判断できます。
「やっぱり営業系の仕事は合わないな、でも文章を書くのは苦にしないからライターの仕事で勝負しよう」というふうに。
私のことですが。
しかも、無数の選択肢を持っているので、切り捨てる作業に躊躇しません。
可能性を限定していったら何も残らなかった、という心配とは無縁というわけです。
好きなことを仕事にしやすい
実は、好きなことを仕事にするのは、一般的に考えられているほど困難な作業ではありません。
一つは、一定レベルのスキルや知識があること。
これは、好きであれば自然と理解が深まり、身につくので、問題ではないでしょう。
もう一つは、そのスキルや知識を必要としている人がどれだけいて、その人たちにどうやってお金を出して買ってもらうのかというマーケティングの視点。
こればかりは、ある程度、運任せになります。
仮に世界No.1のスキルだとしても、買う人がいなければ仕事にできないからです。
けれども、好きなことが多種多様であれば、可能性は大きく広がります。
好奇心の赴くまま、無節操に世界を広げていける人ほど、好きなことを仕事にしやすいんです。
こどもの個性を愛でよう
もちろん、弟の個性も長所です。
一つのものに熱中すると、たとえば『きかんしゃトーマス』の脇役キャラの名前を、いつの間にか覚えているんです。
家にあるどの本にもビルとベンなんて出てこないのに、お出かけ先で偶然手にした本で「ビル!」「ベン!」と嬉しそうに読み上げたときにはびっくりしたよ(ちなみに文字はまだ読めないし、名前も書いてなかった)。
たぶん、YouTubeでトーマス関連の動画を見ていて覚えたんでしょうね。
こんな素養が、スペシャリストを育てるのは言うまでもありません。
浅い知識はGoogle検索をすればすぐに見つけられる時代ですが、物事を体系的に語るには、深くしっかりとした知識が必要。
スペシャリストにしかできない役割は、きっと10年後20年後にも存在します。
「なんて飽きっぽい子なんだろう」
「こんなに色々あるのに、それでしか遊ばないの?」
は、親の姿勢によって、否定的なニュアンスにもなるし、賞賛にもなります。
もちろん我が家は、苦笑しながら賞賛しています。いやぁすごいなぁと。
こどもたちを賞賛しながら見ていると、(どう育つかということよりも)すっごく幸せな気分になれるのが良いんですよね。
親バカでけっこう!