日本人が「社蓄」であることより、日本が平気で餓死者を出す社会であることのほうが “世界びっくりニュース” である

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英国在住の保育士・ライターのブレイディみかこさんが、(日本人にとって)目から鱗の問題提起をしています。

THE BRADY BLOG:餓死する人を出さない社会

日本人は国際的評価を異様なほど気にする民族だが、英国人から見れば、日本国民が「社蓄」とかであることよりも、平気で餓死者を出す社会であることのほうが、「ひゃー、何それ(Fucking hell!)」な世界びっくりニュースだ。

ケン・ローチは、レフト・ユニティーという政党を設立した理由について、

「ヒューマニティーの揺れ戻しが必要な時代だからだ。これほどキャピタリズムに傾いている社会には、ゴリゴリの極左政党が必要だ」

と語っているが、日本のほうがよっぽどそれを必要としているように思う。

外国から見てトンデモだ、と言われるのは、確かに気にせずにはいられない感覚があります。

と同時に、ブレイディみかこさんの発言の真意を汲むには、英国の状況を適切に把握する必要があります。

 

戦後に社会主義に傾いた英国

ブレイディみかこさんは、上記のブログ記事の中で、日本人は、ケン・ローチのドキュメンタリー『The Spirit of ’45』を見るべきだ、と語っています。

その『The Spirit of ’45』について、ブレイディみかこさんが書いているのが、こちらです。

アナキズム・イン・ザ・UK 第15回:キャピタリズムと鐘の音 | ele-king

 終戦で帰国した兵士たちは、空襲で破壊された街や、戦前よりいっそう荒廃したスラムを見て切実に思ったそうだ。「こりゃいかん。俺ら、別に対外的な強国とかにはならんでいいから、一人ひとりの人間の生活を立て直さな」と。

 それは「ピープルズ・パワー」としか言いようのない下から突き上げるモメンタムだったという。

 戦勝国の名首相(チャーチルは英国で「史上最高の首相」投票があるたびに不動の1位だ)が、戦争で勝った年に選挙で大敗したのである。それは、当時は純然たる社会主義政党であった労働党が、「ゆりかごから墓場まで」と言われた福祉国家の建設を謳い、企業を国営化してスラムの貧民に仕事を与えることを約束し、子供や老人が餓死する必要のない社会をつくると公約して戦ったからだ。労働党にはスター党首などいなかった。彼らは本当にその理念だけで勝ったのだ。

 UKの公営住宅地は、現代では暴力と犯罪の代名詞になっているが、もともとは1945年に政権を握った労働党が建設した貧民のための住宅地だ。あるスラム出身の老人は、死ぬまで財布の中に「あなたに公営住宅をオファーします」という地方自治体からの手紙を入れてお守り代わりにしていたという。浴室やトイレがある清潔な家に住めるようになったということは、彼らにとっては一生お守りにしたくなるほどの福音だったのだ。

1930年代には無職だったスラム住民も、鉄道、炭坑、製鉄業などの国営化によって仕事をゲットし、戦時中に兵士として戦った勢いで働いた。

 「ワーキング・クラスの人間は強欲ではないんです。各人が仕事に就けて、清潔な家に住めて、年に2回旅行ができればそれ以上は望まないんです」

 と、ある北部の女性が『The Spirit of 45』で語っている。

キャピタリズムが「それ以上」を望む人間たちが動かす社会だとすれば、ソーシャリズムとは「それ以下」に落ちている人間たちを引き上げる社会なのだ。

 

資本主義に染まった英国人にでさえ、日本社会はトンデモに見える

“社会主義国だったとしか言いようのない時代があった” イギリスも、もちろん資本主義(キャピタリズム)へと突き進みます。

「キャピタリズムはアナキズムだ」と左翼の人びとはよく言う。

 政治が計画を行わず、インディヴィジュアルの競争に任せれば、優れた者だけが残り、ダメなものは無くなって自然淘汰されて行く。という行き当たりばったりのDOG-EAT-DOGな思想は、たしかにアナキーであり、究極の無政府主義とも言える。

(中略)

わたしは保育園に勤めているが、大人が幼児に最初に教え込まねばならぬのは排泄と「SHARING」である。英国の保育施設に行くと、保育士が「You must share!」と5分おきに叫んでいるのを聞くだろう。つまり、人間というものは本質的に分け合うことが大嫌いなのであり、独り占めにしたいという本能を持って生まれて来るのだ。そう思えば、キャピタリズムというのは人間の本能にもっとも忠実な思想である。本能に任せて生きる人間の社会が、「You must share!」と叫ぶ保育士がいなくなった保育園のようにアナキーになるのは当然のことだ。

つまり、ブレイディみかこさんの発言は、英国は社会保障第一の国で、英国人にはソーシャリズムが浸透している、という前提に立ったものではないんです。

むしろ逆です。

英国では、ゴリゴリの資本主義に支配されていて、日本とは比較にならないほど貧富の差が激しく、社会保障はどんどん切り捨てられていっている。

にもかかわらず、その英国人から見たって、「餓死者が出ても、国民が一切無関心で、識者もほんとんど問題にしないような日本社会は、トンデモだ」と言っているのです。

 

本当に自己責任でいいのか

私たちは、ソーシャリズム(社会主義)だとか、左翼だとかを、トンデモ思想だと(ほとんど無思考に)切り捨てがちです。

僕自身も、今回の話題に直面するまで、真面目に考えようとはしていませんでした。

が、餓死者が出る状況に無関心な社会も、外から見れば、よほどトンデモであるわけです。

本当に自己責任でいいんでしょうか。

外国人に言われたから焦って、というより、冷静に立ち止まって考えてみたら、確かにこれはおかしい気がするんですよ。

資本主義を否定する気はありません。が、個人的には、社会保障のあり方について考え直すべきだ、とあらためて思いました。

 

日本のソーシャリズム勢力が残念な問題など

確かに、共産党や社民党には期待できない、という風潮はあるのではと思います。

私たちが求めているのは、自民党はこんなにダメだとネガティブキャンペーンをはったり、「消費増税阻止!」など飛び道具ばかりを前面に出したりすることではないと思うんですよね。

社会保障制度を変える法案で、自民党案ではこうなっていたのを、「交渉の積み重ねで、ここまで歩み寄らせることができました」と地道な積み重ねをアピールするほうが、国民の支持を得られるはずです。

口でいくらデカいことを言っても、何も現実を動かさない(ように見える)のでは、極左クラスタ以外には支持を広げられないですから。