14月

【3】第50回文藝賞受賞作家・桜井晴也インタビュー「あの人たちが売れていないんだったら、僕の小説なんて売れるわけがない」


記念すべき第50回の文藝賞を受賞した作家、桜井晴也さんへのインタビュー第3弾。

最後のテーマは、「桜井晴也はなぜ書くのか」についてです。

ここ10年20年で人々はどんどん小説を読まなくなり、出版業界は急速に縮小しつつあります。今や、村上春樹でさえ100万部程度しか売れない時代です。

この状況に桜井晴也は何を感じているのでしょうか。メジャー志向である私は、たくさんの人に読まれてこそ意味があるという感覚が強いのですが、彼はまったく別のことを考えていました。

 

読みにくい小説

——受賞作『世界泥棒』は、とにかく読みにくい。

桜井:そうなんですかね、やっぱり。

 

——うん。改行がない、一文が長い、物語も意味がわからない。これだけ揃っていれば充分でしょう。

桜井:いやー。

 

——『世界泥棒』は、句読点すらも常識外れ。これって誤植?句点と読点を間違ってるんじゃないの?校正・校閲なにしてんの?みたいに思う人すらいるでしょう。

桜井:そうですね。

 

——たとえば、僕は今、仕事でメディアのコンテンツの制作総指揮をしたり、ライターをやったりしているんだけど、これは文学とは違うので、当然ながら読み手にとってわかりやすくなければいけないわけですよ。

すると正反対のことをする。

適切な位置に改行を入れる、意味を取りやすくするために一文を短くする、速読(あるいは流し読み)に耐えられるように句読点を使う、というふうに。

では、桜井晴也は何を考えて、小説を書いている?

桜井:いや、別に意味とかはどうでも良くって……そんな考えているわけじゃないですからね。

 

——感覚で書いている?

桜井:まあそうですね。

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小説を書く “意味” なんて、別にない

——まず、人に読んでほしかったら、ああいう書き方はしないよね。

桜井:文章には目的があるわけじゃないですか。ライターの仕事だったら、人に伝えるために書く、とか。

でも、小説はそういうものじゃないんです。小説には目的がない。だからわかりやすく書くものでもないじゃないですか。



——エンターテイメント小説ならばもちろん目的はあるけれど、純文学であれば目的はない(という考え方もある)、と。

桜井:何かを伝えたいから、こういう物語にする。こういう物語にするんなら、登場人物はこうで、物語に沿って登場人物を動かして、物語自体も伝えたいことのメタファーにする。

でも、そういう基本的なやり方はもう、こう言ってはなんですけど、何百年前の話であるわけで。

今、そんなことをやってもどうしようもないんですよね。

わかるからいいとか、わからないからダメとか、そういう価値観が問題にされないような “場所” で、何かを書かないといけないんです。

 

——なるほど。桜井くんは文学の立場から話しているわけだけど、実は僕も、別の立場から共感できる部分がある。伝えるために小説を書くというのは、もう死に体になっているという構造的な問題があるわけですよ。

現代の日本は、わかりやすい小説を書いたところで、売れて10万部そこそこなわけじゃないですか。

唯一、村上春樹だけが100万部。いや、村上春樹ですら100万部に過ぎない。

20年前、30年前なら300万部売れていたものが、もはやそれすらもありえない。でも、ブログを書いたりメディアに寄稿しているだけで、僕レベルですら年間200万人に読んでもらえる。

わかりやすい小説を書くことを本当に最優先にすべきなのか?というのは考えなきゃいけない。

桜井:だから、小説を書く “意味” なんて、別にないですよ。

 

『世界泥棒』を受賞させた河出書房新社の “骨太” ぶり

——どんどん人が小説を読まなくなってきていて、文学をやる人たち、あるいは出版業界は、どうするんだろう?

桜井:どうするんですかね。

 

——そういう意味では、『世界泥棒』を受賞させた河出書房新社は、「やるな……」と思ったけど。だって、売れないでしょ。

(二人で爆笑)

桜井:間違いなく売れないでしょうね。

 

——たとえば綿矢りさのような話題性はないし、何度も言及してきているとおり、一般人にはとても読めないほど難解。たとえば、極論を言えば、『世界泥棒』はどこから読んだっていいわけじゃない。

桜井:そうですね。

 

——最初から最後まで読んだところで、意味がわからないんだから。途中から読んだって、読める人は違和感なく読んでしまう。

それくらい、難解な小説。売れるか売れないかで言ったら、明らかに売れない。

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「あの人たちが売れていないんだったら、僕の小説なんて売れるわけがない」

——話を戻すけれど、たとえば10年前だったら、まだ今よりは純文学ファンがいた。30年前だったら、もっともっと多かった。

でも今は、1000部しか売れない。だったら自費出版と何が違うんだと。

そういう状況の中で、新人賞を受賞して、小説を書くということに、何か思うところはありますか?

桜井:それは、微妙な話ですよね。

そもそも、『世界泥棒』が売れるとは誰も思っていないわけで。

『世界泥棒』は読みにくいは読みにくいんです。でも、セカイ系だし、中二病だし、舞城王太郎だし、というところがあって、今書くなら普通のやり方をしてもどうしようもないわけで、結果的にこうなっていて。

 

——「純文学の9割は書き方だ」という話も僕は理解できるんだけど、一方で、純文学を読む人はすごく少ない。Yahoo! JAPANを見る人が何千万人いるとしたら、純文学ファンはもう数万人しかいないかもしれない。

その中で桜井晴也の小説を読む人は、数えられるほどかもしれない。これはもう、しょうがないな、という感じなの?

桜井:僕が最近思っているのは、僕の小説が売れないということが問題なのではない、ということなんです。

僕の小説よりも、すごい小説を書いている人、すごい映画を撮っている人だのがいる中で、その人たちがたかだか1000部くらいしか売れていないわけです。

むしろ問題なのはそっちの状況で、僕の小説がその中でどうあろうと、別に大したことではない。

そりゃ、あの人たちが売れていないんだったら、僕の小説なんて売れるわけがないよね、と。

 

文学を楽しむためには、こどもの頃から本を読むしかない

——いま、スマホがなぜ必要とされているかというと、通勤しながらだとか、“●●しながら” でないと、なかなか人々は時間を確保できなくなっているからと言われている。

情報収集をしたり、何かを楽しんだりできる時間が、細切れになっているから、尺は短いほうがいい。

スマホのゲームは1回1分や5分で遊べる。Web記事も読了に1分〜2分がスタンダード。映画や小説のように楽しむのに●時間必要と決まっているものは、敬遠されつつある。

他にも、インターネットの普及にともなう娯楽の多様化や、細分化という影響もある。つまり「みんなと同じもの」ではなく「自分にあったもの」で楽しむようになってきている。もうこれは、ライフスタイルの変化なので、仕方がない部分がある。

桜井:小説を読まない人に対して、僕らから何も言えないじゃないですか。

言うこともなんにもないし、読まないなら読まないでしょうがない。

敷居が高いっちゃ、高いですよね。今ある現代文学を、いきなりすらっと読んで、おもしろいですか?と言われたら、それはおもしろくないわけですよ。

結局、今ある文学をおもしろく読むためにはどうしたらいいかと言ったら、やっぱりある程度、修行が必要なんです。

古典を読んで、古典から近代文学に至る流れを読んで、こんなのがあるんだ、という中での、文学なんです。

今やっている文学というのは、ぜんぶ過去の文学をひっくるめての形でしかないんですよね。でも、読む人に、過去のひっくるめて読めとは言えないし……という微妙な話なんですよね。

『世界泥棒』をおもしろく読むためにはどうしたらいいですか?と聞かれたら、僕としては過去のあの作品とあの作品を読んでください、としか言えないんですよね。

『世界泥棒』のどこがどうなってどこがおもしろいですか、というところを、僕から読む人に説明しても何の意味もないんですよね。

時間をかけて、これがおもしろい、あれがおもしろい、と何年単位でやっていくしかないわけで。

 

——もう、そうすると、こどもの頃から本を読んでもらうしかないよね。

桜井:読んでもらうしかないですね。

 

*****

私が今回、桜井晴也といちばん話してみたかったのは、本が売れない、ほとんど誰も作品を読まない、という状況のなかで、あえて小説を書くというのは、いったいどういうことなのか、についてだった。

彼は表面上は、「作品を他人に理解されなくてもいい」と言うが、額面通りに受け取るのは少し違う気がしている。読み手が存在しなくとも小説は成り立つが、それは必ずしも、“読み手が存在しないほうがいい” ということを意味しない。評価を受けるために書くわけではないが、評価を拒絶しているわけではない。

文学は、存在そのものが、古典芸能になりつつある。たとえば、歌舞伎や落語のように、本当に文学が好きな、一部の好事家だけの楽しみとなりつつある。これは時代の流れであり、もはや覆せないだろう。

ただ、だからと言って、文学が消えてなくなるわけではない。歴史の評価に耐えてきた、膨大な量の古典文学、近代文学の価値はけっして揺るがない。

彼は「本を読めば読むほど、文学はおもしろくなるんだよ」と言っているように、僕には見えた。いったん文学に足を踏み入れれば、そこにはおびただしい数の作家たちの作品があり、多種多様な世界が広がっている。

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