ペットの死に際して子供たちに伝えたかったこと


子供に「死」の概念を教える機会は、そうそうありません。

ペットの死は、「ずっと続くように見える日常が、実はいつ終わってもおかしくないんだ」という、生きる上でとても重要な認識を育みます。

幼児には刺激が強すぎるという意見もあるかもしれません。が、私は「死」と向き合う機会を作るのも、親の重要な役割だと思っています。
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ペットがもたらしてくれるものは、抱えきれないくらい大きい

先週末、家族だったキャバリア・キングチャールズ・スパニエルが亡くなりました。11歳でした。

ソファーから落ちそうになると、「誰か受け止めてー」とそのまま無防備に落ちていくような、純真無垢な犬でした。

子供の頃、3歳で初めて犬を買ってもらってから、この子で3頭目の犬でしたが、いちばん忘れられない犬です。

子供が生まれてからは、なかなか相手をする時間を作れませんでした。キャバリアは心疾患の多い犬なので、運動不足もたたったのかもしれません。

以前のように元気に一緒に散歩をするのが夢というか、目標としてあったのですが、叶いませんでした。

あと1〜2年したら、下の子の手がそれほどかからなくなるから、それまで……と思っていましたが、待ってはくれませんでしたね。素直に悔しいです。

ペットは、いろいろなことを教えてくれます。人と違って決して裏切らないので、どんなに辛いときでも精神的な支えになってくれます。その賢さや人なつこさには、僕も、家族も、さんざん助けられてきました。

個人的には、もし犬を飼う経験がなかったら、僕は子育てでもっと苦悩していただろうし、大きな失敗もしていただろうと考えているほどです。

長い間、一緒に過ごすなかで、様々なことがあります。そのすべてが、人間にとっては学びになります。

ペットがもたらしてくれるものは、抱えきれないくらいに大きいんです。もちろん「死」も、大きなものをもたらしれくれます。

 

子供に「死」と向き合わせるべきか否か

朝4時半すぎにいつもどおり起床して、愛犬の死に気づいた僕は、しばらく自分だけの時間を過ごしました。今になって考えれば、ゆっくり思いにふける時間もあったので、早朝でよかったと思っています。

ひと段落してから、真っ先に思ったのは、4歳の娘にちゃんと「死」を伝えようということでした。愛犬に、最後の大仕事をしてもらおうと、ほとんど反射的に思いました。

こういうとき、みなさんはどうするでしょうか? 幼児には刺激が強すぎるという意見もあるかもしれません。

実際、同居している(子供たちにとっての)祖父はそのタイプなようで、葬式があるたびに、子供たちを「死」から遠ざけようとしているように見えます。

そのやり方は間違っている、とはまで言いませんが、僕個人としては反対です。

なぜなら、生きる上でとても大切な、ある一つのことを知らないまま大人になるのは、リスクが大きすぎると思うからです。

それは「ずっと続くように見える日常が、実はいつ終わってもおかしくないんだ」という認識です。

 

ずっと続くように見える日常は、実はいつ終わってもおかしくない

僕は、愛犬の死を確認したとき、すぐに昨晩のことを思い出しました。一昨日まではふつうだった愛犬が、昨晩は「はぁはぁ」息をして、歩くのもつらい、といった様子だったのです。

もともと暑さに極度に弱い犬で、なおかつ急に気温が上がったタイミングだったので、単にバテているだけなんだろうと判断しました。

でも、いつもは来ない寝室まで来て、座り込んでいたのが、普段とは違いました。きっと「もうダメだよ」って、言いに来てくれていたんだと思います。なんてえらい犬なんだろう。

でも、僕はそのサインに気づけませんでした。いつもどおり、暑くなってきたからバテているとしか思わなかったんです。

ちょうど子供たちの寝かし付けの時間だったのもあって、完全に意識が子供たちに向いていました。もう少し愛犬に意識を向けられていたら、最後のサインに気づけていたはずだと思うと、本当にやりきれない思いです。

僕自身も、最後の最後に教えてもらいました。今のあなたは、本当に後悔しない生き方ができているの? 惰性で怠けて、ゆるんでいるところがあるんじゃないの、と。

「まさか●●だとは思わなかった」

人が後悔するときの台詞は決まっています。日常に流されて、それが実は、いつ途切れてもおかしくない、とてもとても脆いものだという事実を忘れてしまうんです。

後悔しない生き方、というのは、人生において何にも代えがたいものだと僕は思っています。子供たちにも、しっかりと伝えていきたいんです。

 

しっかりと「死」を受け入れた4歳の娘

4歳の娘を、冷たくなった愛犬と対面させました。最初はやはり、事態が飲み込めないようでした。しんみり、ぽつんと「今まで遊んでくれてありがとうね」と呟きました。

朝食後、姿が見えないと思っていたら、遺体を納めた箱に、ひとりでお気に入りのぬいぐるみを入れたり、妻のストールを飾り付けたりしていました。

その後、保育園へ行き、帰ってきてから、火葬後の遺骨を見せました。そこではじめて、本当の意味で「死」を理解したようでした。昨日は存在した愛犬が、今日はもうどこにもいないのだと。

半日くらいは、寂しいと言って泣いたり、どうして死んだの? と繰り返し尋ねてきたりしました。その都度、丁寧に、言葉を尽くして会話しました。次第に、自分事として消化していく様子が見て取れました。

手前味噌なんですけど、本当に我が娘は、優しくて、感受性の強い良い子です。

 

きちんとフォローすれば早過ぎるなんてことはない

今回の経験を経て、「死」の概念に触れさせるのに、早過ぎるなんてことはないと確信を持てました。

さすがに1歳半の長男は、まだ滅多に会話が成立しないような段階なので、事態を飲み込めなかったようです。

が、言葉で説明して理解できる年齢であれば、きちんとフォローさえすれば大丈夫です。子供の適応力や、強さは、大人の想像をこえているのだと実感します。

なにより「死」は、世の中に溢れている、当然の事象です。隠し通すことはできないし、また怖がるのも筋違いなように思います。

今まさに目の前で、「死」の概念を自分事として吸収し、一回り大きくなったような娘を見て、死と向き合えるようになることが人生にとっては重要なのだな、と改めて思っています。

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