子育て支援や保育行政を語る際に、三歳児神話が問題になるケースがあります。
母親は子供を三歳までは手元で育てるべきである、そうしなければ成長に悪影響が出る、という考え方です。
三歳児神話には根拠がないが、嘘だと断定もできない
三歳児神話の問題点は、統計的に事実関係を証明できないことです。
将来的に子供が問題行動を起こしたとして、要因は一つではありません。
保育園を利用せず一つ屋根の下にいたとしても、子供との接し方がわからずに年中怒鳴りつけていたり、無視してしまったりというケースも考えられます。
家庭環境が悪かったり、教育方針が不適切だったりすれば、悪影響になるかもしれません。
そういった家庭ごとの細かな状況を、統計に組み込むのは不可能です。
一方で、成長に悪影響が出ないと断定することもできません。
いま、2人目のこどもである息子が1歳半です。
1人目(いま4歳になっている娘)のときは精神的余裕がなかったのですが、2人目ともなるとじっくり向き合えるので、いろいろなことが見えます。
実際に子育てをしている親である私の直感では、こどもには(母親に限らず)絶対的な庇護者としての “親” が必要だと感じます。
喜怒哀楽の感情を真っ向からぶつけて、無条件に受け止めてくれる存在があってはじめて、こどもは行動範囲を広げていけるのだと実感しています。
例えば、12時間以上も保育園に預けて、こどもと接する時間(睡眠中はのぞく)が2時間程度しかなかったら、こどもは心の拠り所を見つけられるのか、私にはわかりません。
仕事が終わって帰宅後は、食事や風呂はもちろん、家事を片付けなければいけないので、2時間まるまるこどもと向き合えるわけでもありません。
もちろん、土日祝日で補えるのかもしれませんし、補えないかもしれません。
もし我が家で、平日に接する時間が2時間しかなかったら、私には、こどもたちを安心させられる自信はありません。
三歳児神話の正否はどうでもいいから、我が子に聞いてみよう。
三歳児神話を支持する人は、例えば20時までの延長保育はこどもを潰すから止めるべきだと主張します。
逆に保育サービスの拡大を希望する親や、サービス提供事業者は、三歳児神話には根拠がないのだから、イデオロギーにすぎないと反発します。
私はどちらも無意味な主張だと思います。
成否を断定できない三歳児神話を盾に議論を展開しても、水掛け論になり、対立を深めるだけで、何も生み出さないからです。
個人的には、どんなサービスが生まれようといいと思います。ワークライフスタイルの自由は保障されるべきです。
一方で、子供の気持ちを無視するべきではないとも思います。
子供も一人の人間なので、言うまでもなく心があります。
しかし、子供は自分の環境を自分で選べません。私たち親以外に、子供の心を汲んであげられる存在はいないんですよね。
簡単なことです。我が子に、
「保育園にいるのがいい? 家にいるのがいい?」
と尋ねればいいんです。
0歳児では難しいかもしれませんが、1歳にもなればYES or NOの意思表示ができるようになります。
2歳、3歳となれば、言葉でしっかり語ってくれます。
我が家で子供たちに尋ねたところ、4歳の娘は「家がいい」と回答、1歳半の息子は「かか(母親)がいい」という可愛らしい回答でした。
子供たちに納得してもらって保育サービスを利用したい
私自身は予想通りで「そりゃそうだよな」という感想でしたが、同時に、妻にも子供たちの本音を聞いてもらうことができました。
親はまず子供たちの本音を知ることが大切だと思うんです。
何となく見た目で判断するのではなく、きちんと真正面から尋ねる。
そのうえで、各家庭の事情によって「父ちゃん母ちゃんは仕事があるから、あなたたちは保育園でたくさん遊んできてね」としっかり伝える。
さらに、毎日「今日はプール遊び楽しかった?」「誰と遊んだの?」という会話をしたり、ときにストレートに「保育園は楽しい?」と尋ねたりして、保育園へ行くことが負担になっていないかを確認しています。
ちなみに我が家では、8:30過ぎに家を出て保育園へ向かい、18:00過ぎには家に帰ってきます。
基本的に在宅勤務の僕が夕飯をつくって待っているので、平日でも朝晩6時間ほど子供たちと接する時間があります。
個人的にはこれで、「仕事」と「子供たちの気持ち」の折り合いをつけるギリギリという感覚です。
蛇足ですが、もし子供たちが「保育園より家がいい」ではなく「保育園に行きたくない」と言い出したら、すぐにでも「行かなくていいよ」と言います。
そのために会社づとめを止めました。
僕には仕事よりもはるかに子供たちとの時間のほうが重要だったからです。
みなさんは三歳児神話をどう考えますか? ぜひ意見を聞かせてください。