待機児童解消を訴える親は自己肯定感が不足している、という視点

炎上しそうなタイトルですが、ひと呼吸おいてからお読みください。

2014年2月8日〜15日の日程で、Child Future Session Weekが開催されました。私は取材でいくつかのセッションに顔を出しました。

フューチャーセッションは、多様性こそ宝、という価値観を持つため、ほんとうに色々な人が集まる場です。ハッとさせられるアイデア・価値観に遭遇したり、「なるほどそういう発想もあるか」と目の覚めるような思いをしたり、驚きがたくさんありました。

そのうちの一つが、「待機児童解消を訴える親は、自己肯定感が不足している」という視点です。

一個人、あるいはセッション中に偶然にできたグループ内で話された内容なので、発言者は伏せます(取材中はあちこち歩き回るので、複数のグループができている中で、具体的にどなたの発言なのか認識していない、という事情もあります)。

 

議論することそのものが悪いわけではない

待機児童問題は、行政が一方的に批判されるケースが多く、親の責任を論じる言説はほぼ目にしません。

もちろん、今まさに追い込まれている人に向かって、「あなたに責任がある」と指摘するのは、うまいやり方ではないと私も思います。

ただ、今困っている人を対象にするのではなくて、「近い将来において同じような状況に追い込まれる親を増やさないために」という視点で、ゼロベースで議論するのはアリだ、と感じました。

たとえば、重病でふせっている人に対して、「偏った食生活をおくっていたおまえが悪い」と叩くのは厳しい対応ですが、かと言って、健康と食生活の関係について議論することそのものが悪いわけではありません。

正直なところ私も、無意識のうちに、親の責任は話題にしないほうが賢明と判断していたところがあったので、あえて話題にしようという姿勢は、すごく新鮮でした。

 

些細なことを自ら解決できず悩んでしまう親

具体的にどんな親を問題にしているのかというと、

・「いないないばあ」はどっちからやればいいんですか
・こどもが段ボールを齧るんですが、止めさせたほうがいいでしょうか

など、本当に些細なことを真剣に質問してくるなど、自ら問題解決ができないケースです(おそらく、保育関係者の談だと思います)。

原因としては、それまで、テストは何点だった、どんな大学を出た、こんなブランド物を持っているなど、他者からの評価で動いてきたため、自らのアイデンティティが形成されておらず、自分そのものの価値を受け止められていないからだろう、という話でした(こちらはおそらく、キャリアカウンセラー的立場の方の談)

すなわち、自己肯定感が育まれていないため、他人から「それで正解ですよ」と評価をもらえなければ、何をするにも自信が持てないというわけです。

 

“ないない尽くし”

ある人は母子家庭で苦労して育ったけれど、人生を豊かにしようとさまざまに工夫をしながら日々をおくっている。

一方で、「預けるところがないからできない」「これがないからできない」と、責任を外側に求め、“ないない尽くし” の親がいる。

「企業でも、できないできない言いながら、改善しようともせず給料をもらっている人もいるが、同じようなものではないか」

という話も出ていました。

もちろん、すべてのケースに当てはまるわけではないですが、「そういう視点もあったか」と目から鱗が落ちる思いでした。

 

課題を認識できてこそ、解決できる

繰り返しますが、だから親が悪い、という話ではありません。保育園なんか作らなくてもいい、という話でもありません。

子育てに自信が持てない親が、自信を持てるようにするにはどうしたらいいか? あるいは自信が無いなりに、腰を据えて子育てをするにはどうしたらいいか?

「現在は右肩上がりの社会ではなく、国や行政にあれをしてくれこれをしてくれとは望めない。縁のある人同士や地域の中で、何ができるかな、とアイデアを出して実現していきたい」

課題を認識したうえで解決策を考えて実行していこう、自分にも活動の中でできることがありそうだ、というのがフューチャーセッションに参加した方々の対話でした。

 

原因の根本を想定できなければ、伝わらない

個人的にも、課題を深掘りして整理する良いきっかけになりました。

私自身、たとえば待機児童問題で言えば、保育園に預けられないなら預けられないなりに、いくらでもやりようはあるよね、という考えでいます。事実、いま保育園から追い出されたとしても、(短期的に困りはするけれど)絶望はしないと思います。

当サイトなどでは、行政に文句を言うよりも効率のいい解決策があるはずだ、というスタンスで、発信を続けていきたいと考えています。

が、なぜ行政に文句を言うという発想になるのか、なぜ保育園に預けられないことで追いつめられてしまうのか、については、深く考えていなかったと気づきました。

原因の根本を想定できなければ、効率よく伝えることはできませんよね。「なんでやらないの? こうすればいいだけじゃん」では、誰にも届かないですから。