235月

フリーランスが天職だと感じる瞬間


こんにちは。寄金です。今朝、子供たちと妻を送り出してから、どうにも煮詰まったようになってしまって、ちっとも頭が動きませんでした。僕の仕事は、「何をやるか」からして自分ですべてを決めるフリーダムな職業なので、思考停止状態に陥ると「とりあえず目の前の作業を淡々とこなす」すら不可能になります。何をやるかがそもそも決められないわけですね。

実際、用もないのにFacebookのニュースフィードを見たりとか、「おー、昨日書いた記事がGunosyからガンガン流入してる」なんてGoogle Analyticsと睨めっこしたりとか、今やるべき作業ではないなーと薄々感づいていながら、時間だけが過ぎ去っていく有り様でした。

で。

すっぱり仕事を中断して、外出の用事を片付けることにしました。銀行の口座開設のための書類を集めたりとか、お金をおろして支払いをしたりとか、切らしている調味料を買ったりとか、それなりにやらなきゃいけないことが溜まってはいたんですよね。

フラフラと初夏の住宅街を歩いていて、とは言っても、お昼前にこんなにのんびり外出できるなんて、フリーランスになったからこそだよなぁと、しみじみと幸せを感じました。天職ってこういうことなんだろうなぁと。

 

嫌になったら投げ出せる

僕も数年前まで会社勤めでした。実感から言えば、一般的な企業では、身の回りの雑務のために午前中に外出なんてできません。「午前中の分の仕事は、後でちゃんとやりますから」と言ったところで、認めてはもらえないでしょう。仕事をちゃんとやるかどうかという以前の問題で、会社というコミュニティの規律を破る結果になるからです。理解ある上司でも、「わかるけど、そこそこにしとけよ」が限界でしょう。

僕の仕事は、ブログ記事や寄稿記事の執筆が7割8割を占めます。どちらも締め切りが存在せず(幸い、後者も、ある程度好きに書かせてもらっています)、そのかわり書かなければ収益が発生しないスタイルです。当然ながら、取材アポや講師依頼等はすっぽかせませんけど、割合としては僅かでしかありません。

嫌になったら「いつでも」「瞬時に」投げ出せます。もちろん仕事の進捗は自己責任であるわけですけど、自己責任でまったく問題ありません。それがどうした、と言いたい。

 

我慢せずに自分らしく働けている実感

人間、誰だって、肉体的・精神的に、調子の波があります。どんなにセルフマネジメントをしていても、コントロールできない部分は存在します。調子が悪いときに、無理して仕事をしても、効率が良くないし、失敗も増えます。特に僕は、校正者から総務、課のマネジメントまで、事務・デスクワーク歴が長いので、こういった無理が致命傷になる事実を、嫌というほど知っています。

例えば企業では、昼食後に睡魔が襲ってきても、昼寝ができません。数分でも仮眠を取るだけで、劇的に能率が上がるのがわかっているのに、堂々と突っ伏して眠るのは抵抗があります。説明して理解してくれる同僚や上司ばかりならいいですけど、誰に「あいつはサボっている」と思われる結果になるかわからないので、リスクがあります。

書いていてウンザリするくらい、ほんとくだらない理由なんですけど……。

今朝、僕が、頭が回らないからと仕事を止めて外出したのは、無理して続けるより効率がいいと解っているからです。誰の目も気にすることなく、合理的・生産的な手段を選べるのは、最高です。やっぱり僕には、個人で仕事をするのが向いていたんだなぁと思います。

 

仕事と生活を同時に“自分らしさ”と一致させる

加えて、天職にはもう一つ条件があると感じます。生活や人生も自分らしくあることです。僕自身、人生における最優先事項である子供たちとの時間を確保できているからこそ、現在の仕事を天職だと言い切れます。どんなに仕事が楽しくても、子育てができなかったら天職とは思いません。逆に、子育てが充分にできたとしても、クソつまらない仕事を天職と言うには抵抗があります。

もう1つ言うと、僕はワーク・ライフ・バランスという言葉が、いまいち好きになれません。バランスをとるということは、トレードオフで考える前提だからです。仕事と生活を調和させるために、両方を少しずつ犠牲にする前提に聞こえます。自分らしい真の理想の将来像を、「現実的には」という、さももっともらしい台詞で、殺す可能性を秘めています。

本当はみんな、仕事と生活のバランスを取りたいんじゃなくて、自分に向かない事象を可能な限り排除して、徹底的に自分らしく生きたいんだと思います。ワーク・ライフ・バランスではなく、仕事と生活が同時に自分らしさと一致する“ワーク・ライフ・マッチ”こそが天職なのだと思います。

仕事と生活が同時に自分らしくあるのは、かなり困難な条件に見えます。少なくともモデルケースを見つけるのが困難なので、多くは自分で切り拓かなければいけませんし。ただ、理想の将来像さえ意識できれば、あとは目標へ至るまでの解決策を考えるだけというのも事実なんですよね。理想像が見えていれば、犠牲を払うのが苦にならないわけでもありますし。

僕自身のケースを言うと、今の環境を手に入れられたのは、偶然の要素が大きいのは事実です。ただ、「作家のような生活がしたい」という理想のワークスタイル、ライフスタイルだけは、学生の頃から首尾一貫していました。いつの間にかそのとおりになっていました。自分でも不思議ですが、遠回りをして辿り着いたところは、結局、理想像だったんです。

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