Tag: 自己肯定感

198月

「子どもの頃もっと●●しておけばよかった」という人に足りないのは努力ではない。

「子どもの頃、もっと●●しておけばよかった」と言う人が、世の中には少なくないようです。

でも、このような方々は、仮に勉強や部活にもっと打ち込んでいたとしても、同じことを言っていたはずだ、と私は思います。

足りないのは、努力ではなく、自己肯定感だからです。

 

論点は「勉強をするか、しないか」ではない

現時点で、3,000いいね! 以上をいただいています。

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

必ずしも、肯定的な意見ばかりではありません。

実は、この話の論点は、「勉強をするか、しないか」ではありません。

当然ながら子どもは、多かれ少なかれ、勉強をするものです。

問題は、親が先回りして子どもに必要なものを勝手に決めてしまい、勉強を強制するかどうかです。

上記の記事を書くきっかけになった、ペティ民子さんからメールがきて、

時期がくればトイレトレーニングと同じように出来るようになるものを
時期がきてない子に一生懸命出来るようにさせようとする先生の苦労は
相当なものだと思います。

という文面に、なるほど的を射た表現だな、と感心しました。

どちらが正しいというわけではなく、“子どもが本来持つ能力を信用する” という考え方を肯定するか、否定的に捉えるか、という、価値観の違いなんでしょう。

 

そもそも「いま幸せです」と答えられる人が少ない

上記記事へのFacebookコメントで、

どんな質問をしたとしても、今幸せです、と答える人が少ないのでは?と思いました。

という見解を見かけました。

実はこれが、本質をついていると私は思います。

私はいま幸せです。あんまりこういうことを言うのは、自己啓発セミナーや宗教みたいで嫌なんですけど、断言できます。

人生に不可欠なものはすでに揃っていて、ストレスは皆無といっていい日常で、さらに予想のつかない未来にワクワクしています。

欲を言えば、もう少しお金があったほうが、行動範囲を広げられるので嬉しいですけど、でも際限のない欲だと割り切れます。

でも、人生をこんなふうにポジティブに捉えられている人って、すごく少ないんですよね。

 

私は我が子に「幸せです」と言い切れる大人になってほしい

経済的、社会的成功は、必ずしも幸福感と結びつきません。

お金持ちになっても、高い役職についても、満ち足りていると感じるかどうかは別問題です。

ここは完全にそれぞれの価値観なので、それぞれのポリシーに従えばいいのだと思いますが、私は我が子には、第一に、幸福を感じられる大人になってほしいと思っています。

経済的成功も、社会的成功も、あればもちろんいいけれど、それよりもなによりも、人生に満ち足りていることが重要だという考えです。

幸せですか? と尋ねられたら、幸せですよ、とさりげなく回答できる大人になってほしいんです。

 

「幸せです」と言い切るには、自己肯定感が必要

では、満ち足りた人生を送るために必要なものは何か、というと、自己肯定感です。

モノでも、お金でも、ステータスでもありません。

あるいは幼少期の努力や、何かに打ち込む経験でもありません(努力が自己肯定感の源泉になるケースもあるとは思いますが、短絡的に、努力=幸福、満ち足りた人生、というわけではないはずです)。

「幸せです」と言い切るために必要なのは、自己肯定感なんです。

もちろん、お金がなかったり、人間関係がうまくいかなければ、幸福とは思えないでしょう。

でも、自己肯定感さえあれば、芯が折れません。ギリギリのところで踏みとどまって、チャレンジを続けられます。

 

勉強を強制しつつ自己肯定感を育む方法はあるのか?

だから私は、勉強の強制に否定的です。

どうしても、子どもの感情を無視したり、個性を否定したり、枠にはめようとしたり、という行為に繋がってしまうと思うからです。

勉強を毛嫌いしているというより、自己肯定感を潰してしまうのが怖くて、勉強の強制なんかできない、というほうが近いですね。

勉強を強制しつつ、自己肯定感を育む方法があるのであれば、そのやり方もアリだと私は思います。

ただ私には、ほとんどムリゲーに思えるんですよ。

 

“ありのまま” でいればいい

私は、自分の親(特に母親)からもらった宝物に感謝しなければいけない、と常々思っています。

他人は他人。自分は自分。あなたは特別な存在なんだから、“ありのまま” でいればいい。

言葉だけでなく、態度でもそれを伝えてくれたから、私はこんなにも人生を楽しむことができるんだと思います。

私も我が子に、同じメッセージを伝えていきたいと思います。

 

子どもに勉強を強制しないやり方は、究極のスパルタ

蛇足ですけど、子どもに勉強を強制しないやり方が「ゆとり」だと思っている人がいるとしたら、これは、大間違いなんですよね。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

でも書きましたが、尋常でないくらいのスパルタです。

だって、なにもかもが自己責任なんですから。失敗しても、教育機関や教師のせいにはできない。

それから、学歴がなければやりたいことができない、充分にお金が稼げない、という見方は、(公務員など、ごく一部の職種になりたいケースを除けば)、都市伝説でしかないというのが、フリーランスとして生きている私の意見です。

フリーランスなんてただの下請け、と思っている人、多いみたいですね。

でも私は、嫌な仕事はすべて断って、やりたいことしかやっていないですよ。

自らの個性を知り、社会の中での居場所を見つけ、スキルをお金に換えるマーケティング感覚さえ見つけられれば、不自由しないだけのお金を稼ぎながら、世の中を自由に泳ぎ回れるんです。

158月

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

とある知り合いが、「子どもに学校で良い成績を取らせようとするのが、一番してはいけない」と記事を書いていました。

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと

一番してはいけないと思うのが、
子供が好きなことがあるのに、
「そんなことでは食べていけない」
といって、学校の勉強を一生懸命頑張らせて
良い成績を取るように促すこと。
ここに精力を出しはじめると
人生が狂ってくる。

これ、完全に同意なんですよね。

“勉強を頑張らせる” という子育ては、使い古されて限界が見えている方法論の一つでしかありません。

少なくとも、良い成績を取らせておけば、将来の不安が少なくなるという考え方には、なんの根拠もないと私は考えています。

 

勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い

むしろ、成績最優先の環境に置かれるために犠牲にしてしまう、その子の個性や、社会の多様性を広く見て回る経験や、無数の人々との出会いの機会、といったものが、大人になってからの幸福感を生む可能性の高い要素です。

私は、「子どものころ、死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」なんて人に、会った経験がありません。

みなさんは、いかがですか? 会った経験がありますか。

中には存在するのかもしれませんが、多数派ではないはずです。

つまり、「勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い」というのが、客観的事実ではないでしょうか。

 

文字を書こうとしなかった5歳の娘

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5歳の娘のゆいが、急に、文字入りの手紙を書くようになりました。

それまでは、どんなに、ひらがなの書き方を教えようとしても、ちっとも学ぼうとしなかったんです。

本人の中には、「うまく書けないから、やりたくない」という思いがあったようです。

誰でも初めはうまく書けないわけで、とにかくやってみないことには始まらないのになー、と思いつつ、無理強いはしないでいました。

 

きっかけは、同年代の女の子からの手紙

きかっけは、同年代の女の子からもらった手紙でした。

ひらがなで、文章が書いてあったんです。

ゆいは、書けないけれど、読むことはできるので、それを(キャンプ中だったので)キャンピングベッドの下に持ち込んで、独り、まじまじと眺めていました。

家に帰ってから、幼児向けのひらがな練習帳で、なにやらひとりで遊んでいたので、ためしに「お手紙のお返事を書いてみたら?」と言ってみたんです。

そうしたら、A4の紙にハートをいっぱい書き、さらに相手の名前まで書きました。

まだ音と文字が一致していないので、どうやって書いたかというと、50音の積み木を、一つ一つ探してきたんです。

「ふ」「う」「か」と、積み木の文字を見ながら、(初めてにしては)上手に写して見せました。

 

人間、必要に迫られれば学ぶ

積み木を見て書くという方法は、100%ゆいのアイデアです。親は何も言っていません。

いや、驚きましたね。

人間、必要に迫られれば、学ぶんです。

そして、未熟であれば工夫して、見事にモノにしてみせる。

手紙は、iPhoneで撮影して、すぐにLINEで送りました。

「ありがとう♡ だいすき」という返事を見て、ゆいは自信がついたようで、今度は保育園の彼氏の名前を書き始めました。

「か」「ま」「だ」「り」「ゅ」「う」「せ」「い」と、フルネームで、かなり難易度は高いと思うんですが、投げ出さずによく書くんですよ。

 

本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番

実際、「本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番」という教育方針を貫く学校もあります。

サドベリースクールです。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

東京サドベリースクールのスタッフ・杉山まさるさんとの一問一答がおもしろいので、一部再掲します。

 
Q. 小学校時代を思い返してみると、彫刻刀セットだとか、裁縫セットだとか、みんな一律に買わされたのが、今になって思うと不思議です。サドベリースクールは正反対の考え方ですよね。

人はそれぞれ違います。興味を持つ対象も、どういうタイミングで学びたいと思うかもそれぞれ違うので、そのときに必要なことを本人が選んでいけばいい、という考え方です。

 
Q. これからの時代、現在の画一的な教育のあり方に疑問の声を挙げる人が増えてくるのではないかと感じているのですが、いかがでしょうか。

サドベリースクールは、すべての子に合う学校ではないと思っています。ただ、今ある一つの教育システムだけではなくて、いろいろな教育が近所にあって、あなたはシュタイナーなんだね、あなたはモンテッソーリなんだね、あなたは一般的な学校なんだね、みんな違うけどどれもOKだよね、というふうに、それぞれに合った教育を選択するのが当たり前な社会になれば、それが一番健全なのではないかな、とは思います。

 
Q. 「読み書き算数など、最低限の教育だけでもやったほうがいいのではないか」という意見もあると思いますが。

すべてこどもたちに任せています。本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。それ以外のタイミングでやらせようとすると、むしろ嫌いになってしまったり、「これが必要だ」と自分で考える力を奪ってしまう可能性がある、という考え方です。

 
Q. 一度も通常の小学校などに通った経験のない子の事例はありますか?

東京サドベリースクールは生まれてまだ5年、もうすぐ6年ですが、小学生からアメリカのサドベリースクールに通っていた15歳の女の子が在籍しています。読み書きや計算もできますし、敬語も使えます。マンガを読んでいるとわからない字が出てくるのでお父さんお母さんに聞いたり、スーパーやコンビニで買い物をするのに計算ができないと困るので学んだり。彼女は学ぶことにストレスがないですね。

 

サドベリースクールに通うことを決めた親子と出会う

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偶然なんですが、この夏の福井県滞在中に、サドベリースクールに通うことを決めた親子と知り合うことができました。

ゆいと、この少年(もう小学生で、ゆいよりはかなりお兄ちゃん)は、同じ部屋に足を踏み入れた瞬間から、なんの違和感もなく遊び始めました。

もう、子犬の兄妹か、と思うほどじゃれ合って、見ている親は唖然とするしかありませんでした。

人見知りしないとか、そういうレベルじゃないんですよ。

彼らはああやって、何の制約も抑圧も受けずに、興味の赴くまま、ものすごいスピードで世界を広げて行くんだな、と思わずにはいられませんでした。

 

人生の楽しみ方を知っている子に育てよう

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

もっとも、我が家の子育てがこれからどうなっていくのか、細かいことについては、まったく予想がつきません。

サドベリースクールに行くのか、小学校をぶっ壊すのか、海外へ行ってしまうのか。

親として、ただ一つだけ言えるのは、人生の楽しみ方を知っている子に育てよう、ということなんです。

ゆいは、たとえば、芝生があればとりあえず寝転んでみるし、川へ遊びに行けば浮き輪で流れてみるし、海へ行けば波打ち際で漂ってみるし、キャンプへ行けば星空を見ながら外で眠るし。

良いことばっかりじゃなくて、他人のオモチャや本でも平気で遊び出すので相手をびっくりさせてしまったり、店の陳列物を手当たり次第にいたずたしたり。

どっちにしても、あんた、ほんとに楽しそうねえ。(^^;;

こういう我が子の個性を、なるべく殺さないようにいきたいなーと、未熟な親ながら思っている次第です。

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