Tag: 社会教育

66月

僕が子供を仕事に連れて行きたい5つの理由

子供を仕事に連れて行きたいんです。特に取材の仕事に。理由は5つあります。

 

1. 大学を出てから社会を知るのでは無駄が多い

1つめの理由は、広く世の中を見せたいから。ただ学校と家を往復して、たまにレジャーに出るだけでは、社会を学べないんです。学生になってバイトをしても、その程度ではほとんど意味がない。

これは僕自身の経験からきています。もっと早くから、世の中ってどういうものなのかを知っていれば、20代をもっと有効に使えただろうと思います。親に恨みつらみはありませんし、20代を後悔もしていませんけど、もし学生時代に社会の仕組みを理解できていたら、可能性が遙かに広がっていたのは間違いありません。

ふつうは、大学を出てから、身をもって社会を学び始めます。でも、社会の仕組みを学ぶのって、別に3歳から始めたってなんの問題もないですよね。

最初は、親の傘の下からちょっと覗くくらいでいいんです。小学生や中学生になったら、失敗が許される環境のもと、自分の手で何かをやってみる。徐々にステップアップして、20歳になったら、もう自分がやりたい活動を自由にやれるようになっているのが個人的な理想です。

世の中にはいろいろな人がいて、小さな無数の事象が絡み合って社会は動いていて、自分も自分なりのやり方で社会の中に入っていけるんだという事実を、子供たちには知ってほしいなと思います。人生の最高の楽しみって、学校を卒業してから始まるんです。誰かの庇護から卒業して、自分の手で社会を泳ぐようになってからが本番なんです。

 

2. “嫌だけど我慢して働く”でなく“価値を提供する”が仕事だと知ってほしい

2つめの理由は、仕事ってどういうことなのかを実感してほしいから。

特にサラリーマン家庭の場合、子供は、ただ疲れて家に帰ってくる親の顔しか知りません。どんな仕事をしているのか見たり、その仕事が社会をどう動かしているのか知ったりする機会がないのが一般的なはずです。普通に生活して学校を卒業して、いざ就職するとなったときにネガティブな気持ちにしかなれないのは、

仕事=よくわからないけど大変で、毎日疲れて、嫌だけど生活するためにやらなくちゃいけないもの

という認識になるケースが多いからです。マイナスの一面だけで仕事を理解するのは、不幸でしかないと僕は思うんです。毎日疲れて帰ってくる仕事でも、達成感はあるのかもしれないし、世の中を大きく動かしているのかもしれない。

また、企業の社員として働くだけが仕事ではないとも知ってほしい。価値を提供でき、価値をお金に換える方法を知っていれば、どこからでもお金は稼げるんです。「嫌だけど我慢して働く」が仕事ではないんです。

世の中には、個性的な活動をしている人が山ほどいます。僕の仕事の半分は、個性的な彼らを取材して、広くステークホルダーと繋げ、新たな価値を生み出すことだと思っています。都内、被災地、地方……個性的な彼らを取材するときは、どこへだって子供たちを連れていきたいと思っています。

たとえば、子供たちがもう少し大きくなって、「小学校へ行きたくない」と言い出したら、僕は喜んで全国各地へ引っ張り回すつもりでいます。僕自身の仕事を見せるのもそうですし、世の中の多様な仕事のあり方を見せたいと思っています。

 

3. いろいろな人に会うことに慣れてほしい

「これはいい機会かもしれない」「チャンスかもしれない」と感じたときに、躊躇なくコミュニティに入っていける人になってほしいと思います。

僕自身、それほど人付き合いの良いほうではないのですが、それとは別に、おもしろそうな場所へポンポン飛び込んでいくフットワークの軽さがあります。体感してみなければわからないことって多いと思うからです。期待外れだったら遠ざかればいいだけです。

不安で一歩を踏み出せないとか、そもそも人と会う行動を特別に感じるようだと、多くの可能性を失います。日常的に多くの人に触れる経験をさせてあげたいと考えています。もっとも、これは親の勝手な希望ではあるのですが。

 

4. 他人とは違う経験をさせたい

つくづく子育ては、「いかに他人と違う体験をさせられるか」なんだと実感しています。型にはまらず個性的な活動をしている学生や若者は、話を聞くと、ことごとく一般的とは言い難い環境で育ってきているからです。

両親がともに起業家だった。子供の頃から大人とゴルフに行っていた。学校に行かなくても誰も文句を言わなかった。などなど。

一般的に必要とされるスキルを、ある程度の水準で習得すれば、確かに就職はしやすいかもしれません。でも、そんなどこにでもあるスキルは、いくらでも交換できます。

これからの時代に強味になるのは、ちょっとこういう人材はいないよね、と認識してもらえるような個性です。なぜなら、「人と違う」という強味さえあれば、いくらでも価値を生み出せるからです。雇用されるにしろ、自営するにしろ、必ず武器になります。

 

5. 単純に楽しい

最後の理由は、子供と一緒だと、単純に僕が楽しいからです。

先日はじめて、取材に4歳の娘を連れていきました。

7つのテーマが羽ばたく!『子ども達にいい社会をつくるためのChild Future Session vol.4』レポート | FutureCenterNEWS JAPAN

好きでやっている仕事にもかかわらず、でもやっぱり5倍くらい楽しい実感がありました。

ちなみに、Child Future Sessionに集った人たちは、もちろん、こどもに理解のある人ばかりです。するとおもしろいことに、娘ほか数人の子供たちは、イベントの妨害も、仕事の邪魔もしませんでした。周囲を飛び回っても、ゲストスピーカーの椅子に座っても、なぜか付箋を配りはじめても、みんな笑って見ているだけで、誰も叱らなかったからです。

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「この場に受け入れられている」とさえ感じれば、ちゃんと大人しくしているんです。正直、4歳ではまだ早いかな、という懸念がゼロではなかったんですけど、いい大人たちに恵まれたおかげで問題ありませんでした。

子連れ取材の一発目に、Child Future Sessionを選んで、本当に良かったです。これからもどんどん子供を連れて取材へ行くぞ、という思いを強くしました。

224月

ペットの死に際して子供たちに伝えたかったこと

子供に「死」の概念を教える機会は、そうそうありません。

ペットの死は、「ずっと続くように見える日常が、実はいつ終わってもおかしくないんだ」という、生きる上でとても重要な認識を育みます。

幼児には刺激が強すぎるという意見もあるかもしれません。が、私は「死」と向き合う機会を作るのも、親の重要な役割だと思っています。
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ペットがもたらしてくれるものは、抱えきれないくらい大きい

先週末、家族だったキャバリア・キングチャールズ・スパニエルが亡くなりました。11歳でした。

ソファーから落ちそうになると、「誰か受け止めてー」とそのまま無防備に落ちていくような、純真無垢な犬でした。

子供の頃、3歳で初めて犬を買ってもらってから、この子で3頭目の犬でしたが、いちばん忘れられない犬です。

子供が生まれてからは、なかなか相手をする時間を作れませんでした。キャバリアは心疾患の多い犬なので、運動不足もたたったのかもしれません。

以前のように元気に一緒に散歩をするのが夢というか、目標としてあったのですが、叶いませんでした。

あと1〜2年したら、下の子の手がそれほどかからなくなるから、それまで……と思っていましたが、待ってはくれませんでしたね。素直に悔しいです。

ペットは、いろいろなことを教えてくれます。人と違って決して裏切らないので、どんなに辛いときでも精神的な支えになってくれます。その賢さや人なつこさには、僕も、家族も、さんざん助けられてきました。

個人的には、もし犬を飼う経験がなかったら、僕は子育てでもっと苦悩していただろうし、大きな失敗もしていただろうと考えているほどです。

長い間、一緒に過ごすなかで、様々なことがあります。そのすべてが、人間にとっては学びになります。

ペットがもたらしてくれるものは、抱えきれないくらいに大きいんです。もちろん「死」も、大きなものをもたらしれくれます。

 

子供に「死」と向き合わせるべきか否か

朝4時半すぎにいつもどおり起床して、愛犬の死に気づいた僕は、しばらく自分だけの時間を過ごしました。今になって考えれば、ゆっくり思いにふける時間もあったので、早朝でよかったと思っています。

ひと段落してから、真っ先に思ったのは、4歳の娘にちゃんと「死」を伝えようということでした。愛犬に、最後の大仕事をしてもらおうと、ほとんど反射的に思いました。

こういうとき、みなさんはどうするでしょうか? 幼児には刺激が強すぎるという意見もあるかもしれません。

実際、同居している(子供たちにとっての)祖父はそのタイプなようで、葬式があるたびに、子供たちを「死」から遠ざけようとしているように見えます。

そのやり方は間違っている、とはまで言いませんが、僕個人としては反対です。

なぜなら、生きる上でとても大切な、ある一つのことを知らないまま大人になるのは、リスクが大きすぎると思うからです。

それは「ずっと続くように見える日常が、実はいつ終わってもおかしくないんだ」という認識です。

 

ずっと続くように見える日常は、実はいつ終わってもおかしくない

僕は、愛犬の死を確認したとき、すぐに昨晩のことを思い出しました。一昨日まではふつうだった愛犬が、昨晩は「はぁはぁ」息をして、歩くのもつらい、といった様子だったのです。

もともと暑さに極度に弱い犬で、なおかつ急に気温が上がったタイミングだったので、単にバテているだけなんだろうと判断しました。

でも、いつもは来ない寝室まで来て、座り込んでいたのが、普段とは違いました。きっと「もうダメだよ」って、言いに来てくれていたんだと思います。なんてえらい犬なんだろう。

でも、僕はそのサインに気づけませんでした。いつもどおり、暑くなってきたからバテているとしか思わなかったんです。

ちょうど子供たちの寝かし付けの時間だったのもあって、完全に意識が子供たちに向いていました。もう少し愛犬に意識を向けられていたら、最後のサインに気づけていたはずだと思うと、本当にやりきれない思いです。

僕自身も、最後の最後に教えてもらいました。今のあなたは、本当に後悔しない生き方ができているの? 惰性で怠けて、ゆるんでいるところがあるんじゃないの、と。

「まさか●●だとは思わなかった」

人が後悔するときの台詞は決まっています。日常に流されて、それが実は、いつ途切れてもおかしくない、とてもとても脆いものだという事実を忘れてしまうんです。

後悔しない生き方、というのは、人生において何にも代えがたいものだと僕は思っています。子供たちにも、しっかりと伝えていきたいんです。

 

しっかりと「死」を受け入れた4歳の娘

4歳の娘を、冷たくなった愛犬と対面させました。最初はやはり、事態が飲み込めないようでした。しんみり、ぽつんと「今まで遊んでくれてありがとうね」と呟きました。

朝食後、姿が見えないと思っていたら、遺体を納めた箱に、ひとりでお気に入りのぬいぐるみを入れたり、妻のストールを飾り付けたりしていました。

その後、保育園へ行き、帰ってきてから、火葬後の遺骨を見せました。そこではじめて、本当の意味で「死」を理解したようでした。昨日は存在した愛犬が、今日はもうどこにもいないのだと。

半日くらいは、寂しいと言って泣いたり、どうして死んだの? と繰り返し尋ねてきたりしました。その都度、丁寧に、言葉を尽くして会話しました。次第に、自分事として消化していく様子が見て取れました。

手前味噌なんですけど、本当に我が娘は、優しくて、感受性の強い良い子です。

 

きちんとフォローすれば早過ぎるなんてことはない

今回の経験を経て、「死」の概念に触れさせるのに、早過ぎるなんてことはないと確信を持てました。

さすがに1歳半の長男は、まだ滅多に会話が成立しないような段階なので、事態を飲み込めなかったようです。

が、言葉で説明して理解できる年齢であれば、きちんとフォローさえすれば大丈夫です。子供の適応力や、強さは、大人の想像をこえているのだと実感します。

なにより「死」は、世の中に溢れている、当然の事象です。隠し通すことはできないし、また怖がるのも筋違いなように思います。

今まさに目の前で、「死」の概念を自分事として吸収し、一回り大きくなったような娘を見て、死と向き合えるようになることが人生にとっては重要なのだな、と改めて思っています。

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