113月

[子育て]「みんなと同じにできない」ではなく「やらない」という個性


先月ですが、我が息子(2歳)が保育園で傑作をつくってきました。

じゃーん。
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見てのとおり、保育園では雪だるまを作らせようとしたと思うんですけど、完全にオタフク。見事なまでにオタフク。

なんでそこに目を貼った!?

見れば見るほどジワジワくるのは、単なる親バカでしょうか。

こどもって固定観念がないから、いくらでもこういう、大人からするとびっくりするような創作ができるんですね。

 

我が子の個性を見るのはむちゃくちゃ嬉しい

息子の作品を見て、ほんと嬉しかったんです。

保育園が雪だるまを作らせようとしているのに、オタフクを作ってきちゃう個性、頑固さが。

「うまくシールが貼れなくて目がちょっとズレちゃってる」とかではなくて、明らかに(きっとあったであろう)お手本や、保育士の声を無視して、超頑固に我流で貼っているわけですよ。

お遊戯会があると、舞台上でヘソを曲げて、絶対に一歩も動かない頑固さを、遺憾なく発揮してくれたな、と。

もう、おかしくてしょうがない。妻と一緒に、この絵を見るたびにニヤニヤして、ブッと吹き出しています。最高だよおまえ!と。

我が家の家宝です。

 

「他人と同じじゃない」と嘆く親

実は、これを見たとき、保育園がよくこういう貼り方を許したなー、と思ったんです。もしかしたら保育士の目が届かないところで貼ってしまったのかもしれませんが。

たまに保育園にお迎えに行くと、こどもたちの作品が並べられています。ただ、以前にも書いたことがありますけど、どれを見ても同じに見える。お正月に凧を作るなら凧のフォーマットが決まっていて、せいぜいクレヨンで模様を付ける自由が与えられているくらい。

私は、凧どころか、独楽や羽子板を作ったっていいし、まったくお正月に関係ない、お好み焼きや、ミッキーマウスや、動物園のキリンを作ったっていいという考えです。

ただこれは、保育園側の経費や手間の問題という理由が一つと、そして親への配慮も理由としてあるんじゃないかと思っています。

大多数が凧を作るなかで、ひとりだけキリンを作っていたら、嘆く親がいるだろうことは、想像に難くありません。

「なんであんた、こんなの作ったの」
「ひとりだけ●●じゃない」

他人と同じでないのが、まるで悪いことであるかのように感じてしまうんです。

 

日本の教育=“みんなで同じことをする”

先日、娘のスイミングスクールを待っているあいだ、近くにいた小学生のお母さんたちが、裁縫セットの話をしていました。あれを買わなきゃいけない、これを揃えなきゃいけない、と。

それでふと思い出したんですけど、小学校って、お道具箱や体操着にはじまり、裁縫セットやら、彫刻刀セットやら、書道セットやら、みんな同じものを買わされ、同じことをさせられるんですよね。

だから保育園も、小学校以上を踏まえて、“みんなで同じことをする” ということを重視しがちです。立ち歩けば注意するし、みんなと違うことを始めれば「今はなんの時間ですかー?」となる。

実際、年長になるとこどもたちは驚くほどしっかりして、何事もタイミングよくそろえて行動でき、「なるほど小学校に入学する準備ができた」という感じに成長します。

日本の教育そのものが、“みんなで同じことをする” という仕組みになっています。

だから、他人と同じことができないのを、悪い要素であるかのように感じてしまう親が存在するのは、当然なんです。

 

「みんなと同じにできない」ではなく「やらない」という個性

雪だるまの創作も、うちの子みたいなオタフクを作ってきたら、嘆いたり、内心で心配したりする親も、中にはいるかもしれません。

そんなこともできないの、みんなできているのにあなただけできないの、と。

でも、お手本どおりに作る作業に、どんなタイミングで興味を向けるかは、人それぞれです。

興味を向けて、それがおもしろいと思いさえすれば、こどもはグングン上達します。

うちの2歳の息子は、お手本どおりに雪だるまは作らないけれど、きかんしゃトーマスのキャラは、マイナーなのも含めて、図鑑にのっているのをほとんど覚えてしまいました。文字はまだ読めないのに、みんな名前を言えるんです。

楽しい行為であれば、促さずとも積極的に取り組もうとするし、いつまでもずーっとやっています。

 

こどもの能力を信頼する教育方法もある

先日遊びに行ってきた東京サドベリースクールでは、小学生から18歳までの生徒が、ひたすら自分自身の責任において「何をするか」「何をしないか」を決めていました。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

授業もカリキュラムもチャイムもなく、興味が向いた対象にだけ取り組んでいました。

読み書きや足し算・引き算すら、教えないんです。

必要性を感じた段階で、学ぶ気になれば、サポートをするのが、スクールの役割。

サドベリースクールの生徒は、学ぶことにストレスがないそうです。

 

「周囲と比べて劣っている」という視点こそ子育ての敵

だからと言って天才が育つ保証があるわけではないので、サドベリースクールを賞賛するつもりはありません。

でも、ただ一つだけ確実なのは、親がこどもの個性を受け入れ、愛でたほうが、こどもは自己肯定感を抱きやすいということです。

また、親も幸せな気分で子育てと向き合えます。

たとえば、生まれたての赤ちゃんの成長を目の当たりにすると、それがどんなに些細な事であっても(はじめて笑ったとか、寝返りができたとか)、親は例外なく幸せな気分になれますよね。

なぜかと言えば、この時点では、「周囲の子と比べて何が劣っている」という視点が存在しないからです。

ひとたび比較をするようになると、親の心は曇ります。

たとえば、身長が伸びないだとか、大人しすぎるだとか、オモチャで遊ばないだとか、言葉が出るのが遅いだとか。

これは成長してからも同じで、「同年齢の子と比べて何ができない」という物差しで見る限りは、不安がつきまといます。

一方のこどもも、親から「あんたはあれができない、これができない」と言われ続ければ、自己肯定感を持てないのは、言うまでもない。

 

我が子の個性を愛すべし

私は親から一度だって「あんたは●●ができない」と言われた経験がありません。むしろ、長所を指摘された記憶しか残っていません(頻度はそれほど多くないので、褒められて育てられたという感じでもない)。

思い返してみると、だからこそ私は自分が大好きでいられるのだと思います。

いやー、うちの親は偉大だわ!

これからも、赤ちゃんの成長を目の当たりにした幸福感いっぱいの気持ちそのままに、こどもたちの個性を愛していきます!

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