Facebookが成し遂げたのは、“社会的アイデンティティをインターネット上に持ち込む” という偉業でした。社会的アイデンティティが確立されていない10代が、Facebookを好んで使わないのは、当然と言えば当然です。
社会的アイデンティティを持ち込める場としての、脅威となる競合が出てきていない現状、Facebookの終わりを語るのはまだ早い、というのが個人的な実感です。
10代で勢いが衰えるFacebook
Facebookはなぜ衰退したのか?そしてこれからのSNSとは? – GIGAZINE
確かにFACEBOOKが終わっていってるな: やまもといちろうBLOG(ブログ)
先日、Facebookで10代のアクティブユーザーが減少している、衰退の兆候ではないか、と話題になりました。
10代の間でメッセンジャー系のクローズドSNSがトレンドになっているのは事実です。
Facebookは、20代以上でまだまだ伸びしろがあるので、短期的にはアクティブユーザーを増やして行くでしょうが、5年後にどうなっているかは誰にもわかりません。凋落している可能性も充分にあるでしょう。
が、これをトレンドだけの話と見てしまうと、大切な部分を見落としてしまう気がします。
Facebook以前とFacebook以後
Facebookが日本で話題になり始めた2010年ごろを覚えているでしょうか。
当時、私たちは、「インターネット=匿名という意識の強い日本人には、実名性のFacebookは合わない」「Facebookは日本では普及しない」とドヤ顔で語っていました。
でも、アメリカが実名主義だったなんて事実はまったくなく、実際には、実名制への抵抗感以上のメリットを付与することに成功したからこそ、Facebookは(アメリカで)普及したんです。
このあたりについては、僕もむかし、書いています。
Ceron.jp – 好い加減に「Facebookの普及が遅れているのは日本人の匿名意識のせい」と言うのは止めよう – Leopard LAB
※記事を書いたのは2011年10月。以前運営していたはてなブログでのものなので、記事への反応は見られますが、記事そのものは読めなくなっています
「実名制への抵抗感以上のメリット」とはつまり、社会的アイデンティティをそのままインターネット上に持ち込める、ということです。
ちょっと元ネタを見つけられなかったんですけど、「Facebookでは偉い人は偉いままで、下克上は基本的に起きない」という内容をツイートしていた方がいました。これはまさに言い得て妙だと思うんですよね。
Facebook以前とFacebook以後では、世界中のインターネットで、大きな変化が起きました。
それまでは非常識と見なされていた、実名や社会的地位をそのままインターネットに持ち込む、ということが、当たり前になったんです。
これがFacebookが成し遂げた偉業です。
この点を忘れて、トレンドだけでFacebookを語ると、いろいろと見誤ることになる可能性があります。
Facebookの終わりを語るのはまだ早い
10代がFacebookを好んで使おうとしないのは、当然です。
なぜなら、彼らはまだ、社会的アイデンティティを確立していないからです。ただの学生か、どこの馬の骨かもわからない一人の若者にすぎず、社会では何も成し遂げていない人が圧倒的に多いでしょう。
一方で、社会に出てしばらく経った大人は、社会での居場所を獲得していきます。それをそのまま持ち込める場所は、今のところFacebookしかありません。
とすれば、10代が敬遠しているという理由だけで、Facebookが衰退すると考えるのは、早計でしょう。
もしFacebookが衰退するとしたら、Facebookの代わりになる、社会的アイデンティティを持ち込めるSNSが登場したときではないでしょうか。
個人的には、まだ、Facebookの終わりを語るのは早いという実感です。社会的アイデンティティを持ち込める場としての、脅威となる競合が出てきているようには見えないからです。
もっとも、栄枯盛衰の激しいWEB界隈ですから、半年後には状況が激変している、なんて事態も容易に考えられるのですが。