181月

「学生は未熟」は間違いだ。自信を持つべし。


年末にパソコンを新しくして、データを移行するために整理していたら、学生時代の小論文がいくつか出てきました。

目を通していて感じたのが、

「変わってねーなー!」

もちろん10年以上昔に書いた文章なので、論理的に弱いところがあったり、若さゆえの無謀さが垣間見えたり、正直恥ずかしいんですが、目の付け所だったり、問題意識はブレてない。

意外ですねー。自分ではかなーりブレまくりながらやってきたつもりなのに。(読まなくていいんですけど)ちょっとだけ引用します。2001年の文章です。

何故“キレる”のか

序章

現代社会では凶悪犯罪が増え、その動機があまりにも短絡的になったと叫ばれて久しい。その代名詞ともいえるのが『キレる』という言葉である。

世論に反して殺人件数自体は増えてはおらず、むしろ昭和年間に比べれば半分近くにまで減ってきており、平成に入ってからはほとんど変化は無い。マスコミが凶悪犯罪を好んで大々的にとりあげるせいか、凶悪犯罪が増えたという思いを持つ人は多いだろう。実際の真偽は別として、人々は犯罪が凶悪化してきているという認識を持っている。

この凶悪化の意味は、単に犯罪の手段が残酷になったというわけではなく、犯罪の動機が理解できないという恐れが増している、ということである。

つまり『キレる』人たち特有の、理由が無い、もしくは理由が理解できない犯罪に対しては、身を守ることが難しいわけで、そういった犯罪を犯す人間は大きな脅威であり、恐れるべきものなのである。

理解できない凶悪な犯罪を犯す『キレる』人たち。彼らは何故『キレる』のだろうか。そのメカニズムを、現代特有の視点から探ってみたい。

第Ⅰ章 サイレントベビー

Ⅰ-1 サイレントベビーとはなにか

Ⅰ-1-1 静かな赤ちゃん

赤ちゃんは騒がしいものである。意思を伝える為に、ひたすら泣くからだ。お腹がすけば泣くし、オムツが気持ち悪ければ泣く、母親が側にいないことに気付き寂しがって泣く。赤ちゃんの一日は寝ているか泣いているかといっても過言ではない。

もちろん親の苦労も大変なものである。ところかまわず、時間もかまわずに、とにかく泣く。電車の中で泣かれれば乗客の注目を浴びてしまうし、夜中に泣かれれば近所迷惑にならないかと心配になる。赤ん坊はうるさいから嫌いだという人もいるだろう。いくら可愛い我が子だとは言っても、やはりストレスは溜まる。

ウチの子はおとなしいのよ、というようなことを育児経験のあるものが聞けば、それは楽でいい、などと思うに違いない。これは母親の本心だ。

だが一概におとなしい赤ちゃんは母親にストレスを与えない良い赤ちゃん、だといえるわけではない。もちろんその子の気質でおとなしい場合もあるが、そうでない場合や症状が極端な場合、さらに同じく意思のあらわれである表情が乏しい場合、その赤ちゃんは正常でない可能性があるのだ。

小児科医・柳澤慧は著書「サイレントベビー」の中でこう述べている。

『赤ちゃんが泣いたり、笑ったりする感情表出は、意思の表現であり、赤ちゃんの「言葉」である。逆に考えれば、赤ちゃんが泣かない、笑わないのは、自分の気持ちを表そうとしない、周りの大人とコミュニケーションをとろうとしない、つまり「言葉」を失っていることを意味している。サイレントベビーとは、何らかの理由で心を閉ざした赤ちゃんなのである。』
柳澤慧『サイレントベビー』クレスト社1998年p14

つまり、おとなしい赤ちゃんは心を閉ざした異常な状態にある可能性がある。

Ⅰ-1-2 何故泣かないのか

何故こういった症状がでてしまうのか。

実は、赤ちゃんと母親のコミュニケーションは一方通行ではない。赤ちゃんは自分の意志を伝え、それを母親が受け取り、母親はそれを行動に移し、赤ちゃんはそれを確認する。この一連の行動が赤ちゃんと母親の絆(ボンディング)を強めるのだ。

つまり、赤ちゃんが意思表示をして母親がそれに答えてくれる、ということに意味がある。

しかし母親が赤ちゃんの意思表示に気づかないか、あるいは意図的に無視し、行動に移さなかったらどうであろう。赤ちゃんは意思表示することの無駄を悟り、次第に意思表示をしなくなってしまう。

いやー、なんで学生の分際で、母親の本心なんか語れたんだろ(^^;) 育った環境の影響だろうか。

このOfficial blogの子育てカテゴリを見てもらえればわかるとおり、僕は子どもたちが大好きだし、割とはっきりした問題意識も持っています。

その問題意識は、子どもが生まれて完成したものだと思っていたけど、実は学生時代にほぼ完成していたんですね。

 

「学生は未熟」は間違いだ

僕は、学生に対して「使えない」「未熟」という言い方が好きじゃありません。単に、長所を見抜けていないだけだろと言いたくなります。

正確に言えば、学生は経験やスキルが不足しているので、年長者より実務能力に劣るケースが多いのは事実です。

でもそれは、経験やスキルさえ補えれば、相殺してしまえるものです。彼らが持つ感性であったり、問題意識であったり、強味は、もうほとんど完成しているのだと思います。いや、自分自身の小論文を読み返して、良くも悪くも、思い知らされずにはいられませんでした。

 

若者が社会へ出て行動し、学べる環境の大切さ

問題は、学生が社会経験を積み、スキルを磨ける環境が、大学には(ほとんど)ない事実。社会の中で行動する能力を身につけられる環境さえあれば、学生は充分に「使える」し「一人前」であることができるのに。

僕は正直、大学在学中〜卒業後数年は社会を学ぼうとしなかったので、時間を無駄にしたようなものだと思っています。もし大学が、もっと社会に関わりやすい環境だったら、もっともっと近道できたんじゃないか、惜しかったな、という感覚が拭えないんですよね。

学生は未熟だけど、未熟なのは経験やスキルだけ。それが補完できるのであれば、10年後の今とそう変わらない思考ができる。学生は自信を持っていい!

若者が社会に半歩踏み出して行動し、学び、失敗すればフォローできる環境を増やしたいなー。僕にも何かできないかなー。

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