ソーシャルイノベーション

222月

森喜朗のパラリンピック発言を問題視する人は、自らの差別意識に気づいていない

森喜朗・元総理/東京五輪組織委員会会長の、パラリンピックに関する発言が、差別的であると批判されているようです。

森氏そのものの是非、好き嫌いはともかく、私はむしろ、批判者の側にひそむ差別意識のほうを話題にしたいと感じました。

 

森喜朗です。少し寝不足ですが私も。一昨昨日ですか、ソチから帰ってきたばかりでもあります。ソチというのは、とても良いとこです。しかし、足の回りが非常に悪いんですね。ロシアっていう国は、サービス精神がよくない国なんですね。もともと長い間社会主義国ですから。来たけりゃ来いよという感じです。モスクワから飛行機で2時間もちょっとすればソチへ行くんですけど、モスクワに着いても、モスクワからの接続便がないんですね。サンクトペテルブルク行ったり、あるいはいくつかの都市を通って行ったり、なかなかその日のうちに着かないんですね。計画的にわざと時間を接続させてないんじゃないかなと。そこに皆で泊まれば、そちらでお金が落ちますから。そうしてんじゃないかなということを思うぐらい、連絡の便がとても悪いですね。悪いんです。まあ、うまく乗り合わせても、27時間ぐらいかかりますね。東京からソチに着くまで。

私は5日の日に行きまして、開会式臨んで、いくつかの会議をやって。何しろオリンピックの役員になって、新参者でありますので、ご挨拶が多かったんですが、あちらこちらみなさんにご挨拶をして帰ってきました。もう一遍、またこれ3月に入りますと、パラリンピックがあります。このほうも行けという命令なんです。オリンピックだけ行ってますと、組織委員会の会長は健常者の競技だけ行ってて、障害者のほうをおろそかにしてるんだと。こういう風に言われるといけませんので。ソチへまた行けと言うんですね。今また、その日程組んでおるんですけど、「ああ、また20何時間以上も時間かけて行くのかな」と思うと、ほんとに暗いですね。

森喜朗 元総理・東京五輪組織委員会会長の発言 書き起し

 

森喜朗はロシアの交通の便の悪さを嘆いている

全文を読めばわかるとおり、「あまりにロシア国内の交通の便が悪く、時間がかかり過ぎるので、もう一度行くのは億劫だ」というのが、批判されているパラリンピック発言の主旨です。

東京五輪組織委員会会長の立場から言って、他国に対してネガティブな発言をしたり、五輪に行くのを面倒がったりするのはいかがなものか、という指摘はあるでしょうが、今回の記事の本旨からは外れるので、脇においておきます。

多くの人が「差別的だ」と批判しているのは、次の一節です。

もう一遍、またこれ3月に入りますと、パラリンピックがあります。このほうも行けという命令なんです。オリンピックだけ行ってますと、組織委員会の会長は健常者の競技だけ行ってて、障害者のほうをおろそかにしてるんだと。こういう風に言われるといけませんので。ソチへまた行けと言うんですね。今また、その日程組んでおるんですけど、「ああ、また20何時間以上も時間かけて行くのかな」と思うと、ほんとに暗いですね。

 

差別的だと判断しているのは、批判者の差別意識である

森喜朗氏が、障害者に対して、どんな価値観を持っているのかは、ご本人が話さなければわかりません。少なくとも、この書き起こしを見る限りでは、

オリンピックだけ行ってますと、組織委員会の会長は健常者の競技だけ行ってて、障害者のほうをおろそかにしてるんだと。こういう風に言われるといけませんので。ソチへまた行けと言うんですね。

森喜朗氏自身の意見ではなく、そういうふうに誰かに言われた、あるいは他人の手によって予定が組まれた、という状況しかわかりません。もちろん、自分の考えを、他人の責任に転嫁した可能性もあるかもしれないですが、断定できる要素はどこにもありません。

にもかかわらず、これを森喜朗の人間的資質に基づく失言である、と歪曲して捉える方が少なからずいらっしゃいます。

なぜ歪曲してしまうのか。

何しろ、「神の国」発言をきっかけに総理を辞職した方ですから、先入観は一つの理由としてあるでしょう。あいつなら差別的な発言もするだろう、と。

そしてもう一つ無視できないのは、パラリンピック発言を批判する人の内側に、無意識に存在している、障害者への差別意識です。

 

特別扱いする限り、障害者差別はなくならない

「パラリンピック発言を批判する人は、パラリンピックが障害者の祭典であるからこそ、批判した」という見解に、異論はないはずです。

しかし、これは変ではないでしょうか。

たとえば、順番が逆で、パラリンピックが先に開催されていたらどうでしょうか。次にオリンピックに行く予定になっているんだけれども、ロシアの交通の便が悪いので、億劫だ、という発言だったとしたら。

差別発言だと問題にする人はいなかったはずです(前述のとおり、東京五輪組織委員会会長の立場から言って、五輪に行くのを面倒がるのはとんでもない、という批判はあるでしょうが)。

なぜ、障害者の祭典であるパラリンピックは、特別な配慮がされなければいけないのでしょうか?

“特別だ” と考えている時点で、そこには “障害者は別である” という意識が、必ず存在しています。

私たちが「障害者には特別な配慮をしなければいけない」と考えている限り、日本社会から障害者差別がなくなることはありません(もちろん、福祉の制度や設備を充実させるべき、という見解に異論はありません。ただ日本は、お金でできることに偏りすぎている)。

たとえば、会社でも同じでしょう。新人だから教えてあげて、ミスしても大目に見てあげて、と特別扱いされているうちは、なんだか同じ職場で働く本当の仲間になれた気がしない。

 

日本は「障害者は私たちとは違う」という認識が自然に育つ国

ちょうど先日、

車いすを見て「手伝えない理由」を探す私たち

という記事を書いたところでした。

小学校の特殊学級(特別支援学級)をはじめ、ハンディを持つ人を一か所に集め、特別に扱う仕組みだけしか存在しないような日本社会では、「あ、彼らは自分たちとは違うんだ」という認識が、こどもの頃から自然に育っていきます。

結果として私たちは、「車いすを押すのは駅員さんの仕事であって、私たちの仕事じゃない。」と、欧米諸国からみれば、野蛮としか言いようがない、ガラパゴス的な福祉の価値観を、普通だと思い込むようになっています。

私は、差別してはいけない、差別的な人は悪い、と良い子ぶって批判するつもりはありません。私自身、差別意識を自然に持ちながら育った一人です。

パラリンピック発言の批判者を否定したいのではなく、「社会の仕組みそのものが、「障害者は別」という意識を自然に育み、マイノリティが排除される結果になってしまっているんじゃないですか?」と問いかけたいと思って、この記事を書きました。

前段の記事でも引用しているんですが、「ピープルデザイン研究所」須藤シンジさんの言葉をもう一度、紹介します。

駅のホームで、車いすの人を、駅員さんが3人がかりで電車に乗せている風景を、ご覧になったことがあると思います。

僕、いいことだと思っていたんです。

ところが、あんなことをやっている国は、実は日本ぐらいなんですよね。

車いすの人がいたら、車いすを押すのは駅員さんの仕事であって、私たちの仕事じゃない。私がなんかやっちゃって、クレームでも受けたらどうしようとか、頭が働いちゃうじゃないですか。あるいは、白い杖をついた人が、交差点にいる。声を掛けたいんだけど、ちょっとどうしようかな、とモジモジ感があるじゃないですか。

(中略)

結論を言えば、困っている人がいたら、手伝えばいいんですよ。でも、その一言が出ない。出ない理由を探し始めるんです。

※『こどもみらいdesignフォーラム 2014』須藤シンジさんによるオープニングトークより

 

マイノリティを排除しない

解決するには、障害者を始めとするマイノリティを、どこかに押し込めようとしないことです。

身の回りにいない、目の前にいないからこそ、「彼らは私たちとは違う」と感じ、特別な配慮が必要だという強迫観念に晒されます。

自分では差別意識を持っていないと思っていても、気がつかないうちにマイノリティを排除してしまいます。いつまでも差別はなくなりません。

たとえば、こどもみらいdesignフォーラム 2014で、矢野デイビッドさんが言っていたのですが、ガーナでは、自然に助け合い、面倒を見られる者が面倒を見るので、こどもたちが集団でいると、障害児が混じっていても、しばらくは気づかないほどだそうです。

日本ではどうでしょうか。障害児がいて、存在に気づかないなど、まずあり得ません。きっと彼らは、大勢の中にいても、浮いて見えてしまうのではないでしょうか。

 

“誰でも一緒にいていい社会” がいい

なぜ、福祉関係の活動をしているわけでもない私が、これを声に出して言いたいのか。

答はシンプルで、誰でも一緒にいていい社会のほうが、居心地のいい社会だと思うからです。

マイノリティとは、なにも、障害や、セクシュアリティや、皮膚の色だけではないんです。

趣味や、教育に対する考え方や、働き方の価値観。自分の考え方や、価値観が、ちょっと他人と違うからと言って、生きにくくなってしまうのは、嫌だと思いませんか?

多様性のある社会。自分らしく生きられる社会。障害者に対する意識も、そこに繋がる一つの要素だと考えています。

212月

車いすを見て「手伝えない理由」を探す私たち

「ピープルデザイン研究所」須藤シンジさんの話がとても興味深かったので、共有します。

“困っている人がいれば、手伝ってあげればいい。でも我々は、「下手に手伝って迷惑をかけてしまったらどうしよう」など、できない理由を探してしまう” という指摘は、目から鱗が落ちる思いでした。

 

車いすを見て「手伝えない理由」を探す私たち

2月11日に、こどもみらい探求社(共同代表:小笠原舞、小竹めぐみ)によるイベント、『こどもみらいdesignフォーラム 2014』の取材に行ってきました。

スピーカーの面々が魅力的で、本当におもしろかったのですが、中でも個人的にインパクトを感じたのが、特定非営利活動法人「ピープルデザイン研究所」須藤シンジさんの話でした。

ピープルデザイン研究所

『こどもみらいdesignフォーラム 2014 〜人権って何だろう?〜』レポート

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駅のホームで、車いすの人を、駅員さんが3人がかりで電車に乗せている風景を、ご覧になったことがあると思います。

僕、いいことだと思っていたんです。

ところが、あんなことをやっている国は、実は日本ぐらいなんですよね。

車いすの人がいたら、車いすを押すのは駅員さんの仕事であって、私たちの仕事じゃない。私がなんかやっちゃって、クレームでも受けたらどうしようとか、頭が働いちゃうじゃないですか。あるいは、白い杖をついた人が、交差点にいる。声を掛けたいんだけど、ちょっとどうしようかな、とモジモジ感があるじゃないですか。

(中略)

結論を言えば、困っている人がいたら、手伝えばいいんですよ。でも、その一言が出ない。出ない理由を探し始めるんです。

※『こどもみらいdesignフォーラム 2014』須藤シンジさんによるオープニングトークより

私自身、まさに思い当たります。「なるほど……!」以外の言葉が浮かびませんでした。

 

障害者は私たちとは違う、という認識が自然に育つ日本

これも須藤シンジさんが言及していた話題なのですが、小学校にあった “特殊学級” を覚えているでしょうか。2006年からは、特別支援学級と名を変えています。学校教育法では、

・知的障害者
・肢体不自由者
・身体虚弱者
・弱視者
・難聴者
・その他障害のある者で、特別支援学級において教育を行うことが適当なもの

のために設置できるもの、と規定されています。

特殊学級だろうが、特別支援学級だろうが、共通しているのは、“障害者など、ハンディを抱えている人は特別である” という強烈なイメージです。

彼らは健常者とは別であり、専門家による特別なサポートを必要としている。だから、独立した学級を作ってあげなければならない、と。

誰もが教育を受けられるという意味では、平等な仕組みかもしれません。ハンディに添って、パーソナライズされた教育が提供されるのだとしたら素晴らしいし(実態は知りません)、経済的に豊かな国だからこそできるとも言えます。

一方で、こうしてハンディを持つ人を一か所に集め、特別に扱う仕組みを見れば、小学校に通うこどもたちは「あ、彼らは自分たちとは違うんだ」という認識を持ちます。

誰かが差別意識を刷り込んでいるわけでもなく、自然と「腫れ物をさわるように」接するようになるんです。

 

ハンディは個性でしかない

私は特別に福祉に関わってきた人間ではありません。が、ただ一つ接点があったのは、小学生から大学生のあいだ行っていたキャンプでした。季節ごとのイベントもいくつかありました。

大人こども含め30〜40名ほどのコミュニティの中で、障害者(主に知的障害者)が占める割合は、1割か2割くらいだったでしょうか。障害者ばかりというわけでもなく、内閣府による平成25年版障害者白書によると、人口の6%がなんらかの障害を有しているそうなので、構成としてはおおよそ世の中の状況を反映していたコミュニティだったのかな、と思っています。

キャンプに参加していて、障害者を特別扱いする、あるいは腫れ物をさわるように接する空気は、まったくありませんでした。

もちろん、川で遊んでいて溺れないように注意するだとか、電車で移動する際には、はぐれないように気をつけるだとか、他人に過度に迷惑をかけないように監督するだとか、ということはあります。

が、これって、健常者のこどもでも同じなんですよね。

キャンプなので、まずは自分が楽しむのが大前提。その中で、必要な助け合いをする。年長者は年下の面倒を見る。知的障害者は、たとえば集団行動をするときに、健常者の小学生よりは多少手がかかったりはするわけですが、でもそれだけの話でした。

 

障害者がこわいのは、障害者が目の前にいないから

障害者ってなんだかこわい、というイメージを持つ人は少なくありません。

知的障害者は特に、言語による意思の疎通を苦手とするケースがありますし、奇声を発したり、独り言をつぶやき続けたり、という行動をする人もいます。

それでも、キャンプに行っていたコミュニティで、共存の空気が育まれていた理由は、単に、常に障害者が目の前にいたからです。たったそれだけの理由です。

構成メンバーは、福祉関係で活動している人もいましたけど、一部です。普段は障害者とかかわる機会がなく、「障害者? あんまりかかわりたくないな」と感じている人もいたはずです。

私自身、障害者と積極的に関わりたいという意識は、特にありませんでした。キャンプが楽しいから参加していたんです。こどもや若者は特に、同じ感覚の人が多かったはずです。

人間、“わからない” ということがすごく怖い、という事実があります。障害者が隔離されているに等しい社会では、表面上からは窺い知れない、あるいは見た目が大きく違う彼らの存在は、未開の地で出くわした原住民と同じです。「何をされるかわからない」という偏見につながります。

でも、障害者が目の前にいて、日常的に接していれば、未知の恐怖にもとづく偏見は消えてなくなります。

もちろん、こどもが嫌いな人がいるのと同じで、知的障害者を相手にするのが面倒だという人はいるでしょうが、それは尊重されるべきで、問題ではありません。

 

誰でも一緒にいられる環境を作ってこそ

私たちは、障害者を差別しているというより、障害者は私たちとは別であり、見ず知らずの(あるいは、専門職でない)自分たちは関わるべきではない、という感覚を、無意識のうちに育んでいます。

原因は、目の前に障害者がいないからです。

障害者用・高齢者用の設備を整える、だけをやっていては、いつまでも変わらない。

誰でも一緒にいられる環境を作ってこそ、多様性の豊かな社会が実現するのだと感じました。

 

蛇足:ベビーカー問題も似た構造がある

先日、みなとフューチャーセンターの『港区を子育てを楽しめる街No.1に』セッションの取材に行ったところ、赤ちゃん連れやベビーカーでの移動が大変だという話題になり、ある方が、

日本に住んでいる外国人が口を揃えて不満を訴えるのは、日本の男性なんです。外国では、女性が重いスーツケースを持って、階段を一人で降りるなんて状況は、まずあり得ないんです。周囲の男性が、わざわざ走って駆けつけて助けてくれるんですよ。でも、日本の男性はまったく何もしない。

と憤っていました。つまり、階段があっても、誰もベビーカーを一緒に持ってくれる人がいない、と。これも、車いすを見て手伝えない理由を探すのと、構造的に似ています。

日本社会には、男性が育児に主体的にかかわりにくい仕組みがあります。育児当事者(ここでは多くの場合、母親)以外は、子育てに目を向けない。

だからこそ、ひとりで赤ちゃんを連れて出歩く大変さだったり、ベビーカーでの移動の不便さに思い至らず、手伝ってあげようという発想が出てこない。

バリアフリーだなんだと、いくらスロープやエレベータを整備していったところで、税金は無限ではありません。大都市はできても、地方都市では手が回りきらないかもしれない。大都市でも、細かいすべてを網羅するのは不可能。

困っている人がいるからと短絡的に対処療法を施しても、ほとんど意味がないわけです。社会全体でこどもを大切にする風潮が育ってこそ、解決できる。力の注ぎどころを間違えないようにしなければいけないですね。

132月

こどもの立場になって世界を見てみたら何が見えてくるだろう。『こどもみらいdesignフォーラム 2014』レポート

小笠原舞さん、小竹めぐみさんが共同代表を務める「こどもみらい探求社」による『こどもみらいdesignフォーラム 2014 〜人権って何だろう?〜』(2014年2月11日開催)を取材してきましたので、レポートします。

「人権」はともすると堅苦しく感じられてしまうテーマですが、集ったスピーカーが多様性にあふれ、また “フォーラム” といいながらも対話をベースにしていたため、とても豊かで興味深い場となっていました。

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大人のみなさん。今日はみなさんに質問があります。

『こどもみらいdesignフォーラム』とは、

既にこども達の未来をデザインしている人同士が思いや考えを知り合い、学び合う日。

毎年、こどもに関わる社会課題の中から1つをテーマに掲げ、新しい気づきを得ることにより、こどもにとって、さらによりよい未来を一緒につくっていく場。

と、こどもみらい探求社のホームページに説明があります。

第1回のテーマに選ばれたのは、「人権」。なぜ、わざわざ堅苦しい「人権」というテーマを選んだのか。

想像するに、小笠原舞さん、小竹めぐみさんの思いを突き詰めていくと、結局はすべてが「こどもの人権」からスタートしているからではないでしょうか。

二人の共同代表の思いを端的に表しているのが、『こどもみらいdesignフォーラム』のために制作した、わずか100秒少しのこちらのPVです。

大人のみなさん。今日はみなさんに質問があります。

大人とこどもの違いはなんですか?

なぜ、個性は大事なんですか?

どうしたら、個性は見つかりますか?

どうしたら、楽しい人生を送れますか?

大人になれば、人生は楽しくなりますか?

私たちは将来、笑顔でいられますか?

きっと、人によって受け取り方は千差万別でしょう。私は、普段は隠れている、心の中にあるいちばん大切なものが浮かび上がってくるような感覚がありました。ジンときますね。

 

カタリストBAに集った「こどもの未来をデザインする」多士済々

会場は二子玉川のカタリストBA。噂には聞いていて、初めて足を踏み入れましたが、とても居心地のいい場所でした。

カタリストBA | Creative City Consortium

「既にこども達の未来をデザインしている人同士が思いや考えを知り合い、学び合う」という目的のとおり、保育士、小学校教諭、市会議員、NPO代表など、こどもに関わる多士済々が集いました。

また、スピーカーも、障害などのハンディについて(須藤シンジさん)、セクシュアルマイノリティの孤独感について(前田健太さん)、マイノリティを排除している現実について(東ちづるさん)、グローバル視点でのこどもの人権について(山下瑛梨奈さん)、ハーフやミックスというマイノリティについて(矢野デイビッドさん)と、非常に多様性を実感できる面々でした。
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こどもと一緒に参加した方も多く、会場内にはこども自由に遊び回っていました。
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asobi基地も併設されていて、こどもたちはのびのび過ごせる環境が用意されています。
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こどもみらい探求社の共同代表、小笠原舞さん(左)、小竹めぐみさん(右)。協賛をいただいたという、フェイス・ペイントとして利用できる天然ゴムラテックスを原料とした絵の具『ハガレックス』を試しているシーンです。
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「違いは、個性。ハンディは、可能性」(須藤シンジさん)

じっくり時間をかけ、参加者同士が互いを知り合ったのち、オープニングトークへと移ります。

スピーカーは、特定非営利活動法人「ピープルデザイン研究所」の須藤シンジさん。
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次男が脳性麻痺で出生し、障害児の親となったのをきっかけとして、障害者を特別扱いし、一般の健常者を分けて扱う福祉の世界に疑問を持ち、様々な活動を展開しています。

■バリアフリーの “バリア” は、ハード(物)ではなくて、心(ハート)のバリア

■田中、佐藤、鈴木、高橋、渡辺の姓を持つ人と、障害者の数はほぼ同数(姓は2013年末の明治安田生命調べ)。五つの姓の友人がいる人は大半だが、障害者の友人がいる人は少ない

■学校でクラスが分かれているなど、障害者は分けられており、幼少期から「障害者は違う」と刷り込まれていく

■駅員さんが車いすを誘導する、なんてやっているのは日本だけ。外国では乗客が手伝うのが自然

■誰もが持っている「思いやり」を “動き” に変えていくスイッチを、ファッション、スポーツ、エンターテイメント等を通して発信していきたい(=ピープルデザイン)

印象的だったのは、「困っている人がいれば、手伝ってあげればいい。でも我々は、「下手に手伝って迷惑をかけてしまったらどうしよう」など、できない理由を探してしまう」という指摘でした。

私自身もまさに思い当たります。日本人は差別意識を持っているというよりも、健常者以外は別である、自分の役割でなく専属の人の役割、と分けて考えてしまう環境にあるのだと認識できました。

 

傾聴のあとは対話

対話を重視する『こどもみらいdesignフォーラム』では、以上のような話をただ傾聴するだけではなく、思ったこと、感じたことを3人程度のグループを作って共有し、参加者がさまざまに気づきを得てゆきます。
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さらに、気づきを全体で共有します。
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世界から学ぶ子どもの「人権」(山下瑛梨奈さん)

続いて、こどもの権利について知り、考えるパートへと移ります。

登壇者は、NGOアムネスティインターナショナルジャパンの山下瑛梨奈さんです。専門家の立場から、グローバル基準での人権についてレクチャーがありました。
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■世界で最も広く支持されている「児童に関する権利条約」(こどもの権利条約)には、「生きる」「育つ」「守られる」「参加する」という4つの権利が明記されている。4つの権利を守るために、国や家族や個人の義務と責任が明記されている

■理念は「差別のない処遇」「こどもの最善の利益」「生命、生存、発達の権利」「こどもの意見の尊重」の4つ

■193カ国が批准しているが、実態は様々。世界中のこどもの7人に1人が労働せざるを得ない環境にあり、19カ国25万人がこども兵士として徴用されているなど

■日本のこどもでは、社会において当たり前とされる生活が困難な「相対貧困」の割合が約15%という問題等がある

日本人が考えている「人権」は、世界基準での「人権」と乖離している、という指摘が印象に残りました。

須藤シンジさんの話とも通じますが、日本は経済や文化では先進国となれたのに、人権や福祉の価値観では世界とは隔絶してしまっている問題点があります。
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まぜこぜ社会がおもしろい(東ちづるさん)

お昼休みを挟み、様々なこどもを知り、考える時間へと移ります。

午後最初の登壇者は、TVでおなじみの女優・東ちづるさん。骨髄バンク、ドイツ平和村、アールブリュットの活動支援等のボランティア活動を20年以上続けており、現在は一般社団法人「Get in touch」の理事長でもあります。
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東ちづるさんの全身から滲み出ていたのは、「おかしいものはおかしい」という意志の強さです。さまざまな活動を展開するなか、「Get in touch」を立ち上げるきっかけになったのは、東日本大震災だったそうです。

震災で壊れたのは、建物など物理的なものだけではありません。町の機能などソフト面も停止しました。すると避難所では、普段は交わる機会のない人たちが交わる結果になりました。車いすの人、発達障害の人、セクシュアルマイノリティの人、高齢者、病人、外国人などなど。

当時、報道では、「絆」など希望ばかりが取り上げられていたのは、記憶に新しいところです。が、現実には、これら少数派の人が結果的に社会的弱者になり、被災によってさらに追いつめられてしまっていました。

これもやはり、須藤シンジさんの「心のバリアフリー」に通じるところがあります。我々は意図的に排除しようとしているわけではないけれど、普段から分断されてしまっているので、(特に余裕のない状態では)マイノリティに気を配るという概念が抜け落ちてしまうわけです。

東ちづるさんは、誰も排除しない「まぜこぜ」社会を実現するために、一般社団法人「Get in touch」を立ち上げるに至ります。「Get in touch」の活動そのものがとてもクールで興味深いものですが、詳細に説明していると記事が丸々一本出来上がってしまうので、別途紹介します。
Get in touch! PROJECT | getintouch.or.jp

今回、私は初めて東ちづるさんのトークを目の当たりにしたのですが、会場をアグレッシブに引っ張ってゆく力強さがあり、話の内容も興味深い事例が多く、とてもおもしろい時間を過ごさせていただきました。また、参加者からは、「大笑いして涙して、心に染みる言葉をたくさん頂きました」などの声も聞かれました。
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セクシュアルマイノリティの孤独感を涙ながらに語る(前田健太さん)

続いての登壇者は、男性同性愛者の立場から、LGBTについて語り、セクシュアルマイノリティの人々の居場所をつくろうと活動する “はる” (前田健太)さんです。
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自らのセクシャリティについて、自らの意志で他人に伝える “カミングアウト” についての、はるさん自身の比喩が印象的でした。

すなわち、底の見えない中でロープが垂らしてあって、今の安全を守るために、必死にロープにしがみついている状態であると。しがみついているので、自由は奪われているわけです。

未来を切り開くためには、ロープから手を離して飛び降りなくてはいけないように思う。けれども、底が見えないので、そのまま死んでしまうかもしれないし、大けがをしてしまうかもしれない。底知れぬ不安がある。

もし、底から、「ここは大丈夫だよ」「安心してこっちへきて」という声が聞こえてくれば、どんなに勇気づけられるかわからない、と、何度も感極まりながら、はるさんは訴えます。

 

世界中でシェアしあうことで、世界は幸せになる(矢野デイビッドさん)

最後の登壇者は、矢野デイビッドさん。父が日本人、母がガーナ人のハーフであり、波乱万丈の半生の経験から、存在自体がマイノリティであるハーフやミックスという存在について語ります。

軽妙なトークで会場に笑顔をもたらし、自分が殺されるかどうかという深刻な場面の描写でも、常にジョークを交えて笑わせる人柄が、とても印象に残りました。私も、何回声を出して笑ったかわかりません。
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6歳で日本に来て以来、ガーナを一切知らずに育ったデイビッドさんは、常に自分のアイデンティティについて悩まされたと言います。

日本でサッカーをやっていると、あのチームには外人がいるぞ、と言われる。目立つのは嫌だと、ガーナへ行ってみると「君は一瞬でガーナ人じゃないとわかるよ」と言われる。ならば自分は何者なのか。

結局、「自分はどこの国の人間か、肌の色はどうか」ということよりも、「これからどういう人間になろうか、ということを積み重ねて行こう」という結論に達します。

自らの経験を振り返って「難しい」と感じるのは、存在そのものがマイノリティであるハーフやミックスは、周囲の大人をロールモデルにできないことだ、とデイビッドさんは語ります。

また、日本とガーナの両方を知って、必ずしも資本主義の物差しだけで優劣は決められないと実感したといいます。例えばガーナでは、障害者がいても自然に助け合うので、すぐには障害がある子だとは気づかないほど。

経済的に発展しているからと言って、日本からガーナに持っていくばかりではなくて、ガーナ(ほか外国)から分けてもらう要素もあるのではないか、それこそが個人の幸せにつながるのではないか、という指摘は、新鮮な驚きに満ちていて、とても共感できました。
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対話〜チェックアウト

ブレイクタイムを挟み、『こどもみらいdesignフォーラム 2014 〜人権って何だろう?〜』はクライマックスへと向かいます。

①こどもの自由な権利:大人がこどもを保護する権利。どこまでが、こどもの為となるのだろう?
②こどもの人権が、守られていない現実の根本原因は何だろう?
③そもそも人権って何だろう?
④人権における、日本ならではの難しさ・可能性って何だろう?
⑤一番近くのこども とても遠くのこども それぞれの人権を大切にするために出来ることは何だろう?

以上の5つのテーマに分かれ、4人程度のグループでの対話の時間です。
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ゆっくりと対話を重ねたのち、全体でシェア。
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全員で大きなサークルをつくり、この日に得られた気づきや、生まれた思いを、

「人権とは●●、私の役割は●●」

という一文にまとめ、共有します。
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以上で『こどもみらいdesignフォーラム 2014 〜人権って何だろう?〜』は終了しました。10:00〜18:00の長丁場でしたが、非常に濃密で、多様性に溢れ、充実した時間でした。

 

一緒に活動するあなたとつながる

『こどもみらいdesignフォーラム』は、2014年を皮切りに、テーマを変えて毎年開催予定とのことです。

なお、主催の「こどもみらい探求社」とともに活動したい方は、

いろいろな方と手をつなぎたいと思っています。手をつなぎたいなーと思った方は、ぜひ連絡をください。(小竹めぐみ)

ということでしたので、ぜひ連絡をしてみてください。
こどもみらい探求社 | 子ども達にとって本当にいい未来を探求し続ける

また、東ちづるさんの「Get in touch」も、あらゆるマイノリティ団体や関連活動とつながり、ムーブメントを起こそうとしています。誰も排除しないで一緒にいる「まぜこぜ」な社会に賛同する方は、ぜひコンタクトしてみてください。
Get in touch! PROJECT | getintouch.or.jp

32月

「日本の食は安全である」という認識は遥か昔の神話にすぎない

農薬混入で大変な騒ぎとなっている株式会社マルハニチロホールディングスですが、先日このような記事が上がっていました。

【冷凍食品に農薬】製造ラインに複数の死角、施錠されていなかった急速冷凍庫 – MSN産経ニュース

読んで、あれ? と思ったんですよね。製造ラインに死角があるとか、施錠をしていたとかしていなかったとか、そんなレベルなのかと。

 

社内の人間でも大半が入れないほどの厳格な管理をするCPフーズ(タイ)

実はまったく別件で調べものをしていて、タイの世界的食品メーカー『CPフーズ』について知ったところでした。

飢えと無縁の国で飛躍する食品メーカー:日経ビジネスオンライン

儀式を経た後、完全冷房のそれぞれの部屋が独立し、行き来のできない4つの工程に進む。第1の工程では、内臓を取り除き、血抜きをする工程である。この工程では無数の鶏肉がフックにかかったままでそれぞれの工程を進む。ここから鶏肉が通過できる大きさの穴のあいた壁を通って、次の工程へと進む

(中略)

まず、緑の線の入った帽子の作業員が鶏肉を受け取り、手で中に骨や異物がないかを確認して、白い帽子のラインに流す。白い帽子の人々はこれを丁寧により分け、形を整える。この形が整った鶏肉をまた、別の緑の線入り帽子をかぶった作業員たちが再び手で骨や異物がないかを確認して次の工程へ流す。オレンジの監督者はこの作業を後ろからしっかりと見守っている。

逆には進めないベルトコンベアで、壁に仕切られて行き来できない次の部屋に移り、揚げる、焼く、味をつけるなどの工程に分けられる。この工程は注文に応じて様々な体制が組めるようになっており、筆者が見学した時には1ラインは日本向けの照り焼きチキンを作っているところだった。

 さらに同じように壁で仕切られた次の工程に移り、袋詰めの際には、センサーで加工ミス、異物などがないかチェックされ、さらにそれをパスしたものを、人が一つひとつ目視によって確認したうえで行う。そして冷凍室、冷蔵室、出荷場へと運ばれるのである。

 この過程で驚かされるのはまず、その品質管理、衛生管理の厳しさと厳格さだ。各部屋を行き来させない、決して逆回りできない加工工程、徹底したチェック体制。まさに昨今、日本で話題になる食の安全を満たす工場となっている。

太字は私の手によります。これ、2008年の記事なんですよね。5年以上も昔の時点で、これだけの品質管理をしている。

しかも、生産管理についても、

さらにCPFは豚、鳥、魚、エビなどをすべて自社で養殖している。その養鶏場などの見学を申し出るとはっきりと断られた。

 「外部の人間が病原体を持ち込むことを避けるため、CPF社内の人間でも大半が養鶏場には入ることを禁じている。それぐらい徹底した安全管理をして初めて、CPFの食品は安全だと言える」と工場を案内してくれたナムチップ・チュンポルクルオン博士は言う。

という具合で、食品メーカーも大変だなあと思っていたところでした。

ところが、マルハニチロの農薬混入事件では、鍵をしていたとか、していないとかでニュースになっている。

 

マルハニチロの安全基準は低レベルと言わざるをえない

もちろん、マルハニチロも、安全管理をしていないわけではないんです。

安心・安全への取り組み|会社情報|株式会社マルハニチロ食品

でも、CPフーズと比べてしまうと、あまりに低レベルと言わざるをえませんよね。今回、実際に生産したのはアグリフーズですが、認定しているのはマルハニチロであるわけで、「自社工場ではない」なんて言い訳は通用しません。

日本の食は安全だと考える人は多いですが(私もそう思い込んでいました)、必ずしもそうとは言えない時代のようです。印象で判断せずに、しっかりとメーカーごとの取り組みに注目するようにしたいと思いました。

ちなみにCPフーズの食品は、激安なうえにかなり美味しくてびっくりします。前段の記事(2008年)だと、セブンイレブンなどにおろしているそうですが、おすすめなのはコストコで売られている直輸入品ですね。

CPチキンナゲット | コストコ通 コストコおすすめ商品の紹介ブログ

291月

これはダメなビッグデータの使い方

日本経済新聞、Web上では記事内容を差し替えたのかー。感心、感心。

 
昨今、ビッグデータが注目されています。私は基本的には、ビッグデータには賛成派です。Amazonのレコメンド機能とか、重宝していますし。個人情報がどうのという問題も、個人的にはまったく気になりません。

が、ビッグデータも使いようであり、資本主義の原理に呑まれてしまってるような利用法には反対です。

つまり、「売れるものならなんでも売る」には賛成できないというお話です。

 

これはダメなビッグデータの使い方

先日、自宅に転がっていた日本経済新聞を読んでいたところ、「ゲッ」と驚いた記事がありました。

ヤフーとアスクル、12社とビッグデータ共有し新商品  :日本経済新聞

問題は、この部分なんです。

例えば花粉症の季節に「子供」「マスク」の単語の検索が増えてきた場合、小さなサイズのマスクの需要が高まっていることがわかる。消費者は自分が検索したデータを基につくられた新商品を手にする可能性がある。

実はこれ、Webでは差し替えられているようで、紙面ではこうなっています。

例えば「おむつ」「小学生」の単語の検索が増えてきた場合、大きなサイズのオムツの需要が高まっていることがわかる。消費者は自分が検索したデータを元につくられた新商品をその後手にする可能性がある。

太字部分が差分です。

 

“「自殺」というワードが増えたら自殺幇助商品を売るのか” 問題

社会の問題がなかなか解決に向かっていかないのには、様々な理由があるわけですけど、一つ大きいのは、資本主義の原理に引っ張られすぎている企業が多すぎるからだと私は思っています。

「儲かるから売る」は資本主義の金科玉条のようなもの。でもこれ、行き過ぎるとちょっと面倒なことになります。

例えば、自殺したい人が多いからと、楽に自殺できる道具を商品化して売ったらどうですか?

人それぞれ感じ方はあると思いますが、少なくとも歓迎する人はいないんじゃないでしょうか(あなたが自殺志願者であれば別ですけど)。もしその道具で、あなたの親兄弟やこどもが自殺してしまったとしたら、恨んでも恨みきれないと思うんです、たとえ八つ当たりだとしても。

 

資本主義には越えるべきではない一線がある

自覚ある企業であれば、「自殺したい人が多い」という情報から、自殺を減少させられる商品やサービスを開発します。

もちろん、「これがあればあなたは自殺しません」なんて言っても売れはしないでしょうから(見せ方次第かもしれませんが)、自殺幇助道具に比べたら儲からないでしょうね。

でも、資本主義には、越えるべきではない一線があるんです。

その一線をどこに置くかで、社会における企業の価値が決まるんだと私は思います。

 

“儲かるから売る” から “社会にとって必要だから売る” へ

ビッグデータを分析したら、「おむつ」「小学生」の単語の検索が増えてきたから、小学生用おむつに注力するなんて、最悪のビッグデータ活用です。

消費者は、小学生用のオムツが欲しいのではなく、小学生の我が子がオムツをはかなくて済む状況を手に入れたい。オムツを使う小学生が減るような商品開発をするほうが、こどもも親も喜ぶんじゃないんでしょうか。しかも、競合がいないんだから、利益にも繋がるわけです。

今や、あからさまに “儲かるから売る” 的な企業は、イメージ悪いですよね。利益を維持するのは当然としても、“社会にとって必要だから売る” という視点を打ち出せてこそ、一目置かれるようなブランド力を持った企業となれるんじゃないでしょうか。

 
日本経済新聞がWeb上では修正してきたのは、クレームがあったからなんですかね。それとも内部で不適当と判断したのか。どちらにせよ、的を射たビックデータ活用の事例ではなかったのは事実だと感じるので、修正してきたのは評価したいと思います。

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