Tag: IT教育

269月

子どものiPhone・iPad利用を制限しても何も問題は解決しない

久々に頭にきたので、ちょっと記事を書こうと思います。

中高生のためのシンガポール留学: スティーブ・ジョブズが子どもにiPhone やiPadを使わせなかった理由

ちなみに、翻訳した新美真理子さんは、一緒にイベントをやったり、キャンプに行ったり、という知り合いです。新美さんが言いたいこと、問題意識はわかるし、記事の内容も、対処療法としては妥当だと思います。

頭にくるのは、この記事を読んだ人たちが、私が見た限り誰一人として、「親が子育てに限られた時間しか使えない(あるいは使おうとしない)」ことが問題だ、と指摘していないからなんです。

日本という国、我々が暮らす社会の置かれている状況に、「ふざけんな」と思います。親が子どもにたっぷり向き合えれば、ゲームなんか無制限でなんの問題もないんです。

もっとも個人的には、スティーブ・ジョブズの子育て論を、持論の補強に使うのは、長い目で見れば得策とは思いません。彼は早死にしました。精神的な世界に傾倒し、科学的に誤った偏食を続け、医学治療を拒否し、結果として膵臓がんに屈しました。伝記を読む限り、家族を顧みることのできない人でもありました。

ジョブズは確かに天才だったけれど、完璧な人間ではありませんでした。思い込みが激しく、激情家で、無数の失敗や間違いを繰り返しました。むしろ、欠点だらけだからこそ美しい、というタイプの人間です。

 

ゲームを悪者にしても根本的にはなにも解決しない

ゲームは、世の中にあふれる娯楽の一つでしかありません。特別に危険視する必要はないんです。なぜ世の中の親は、これほどにゲームを恐れるんだろう? と私はしばしば思います。

無制限に与えたって、本来、何の問題もありません。

うちの子たちは、iPadと3DSを使い放題です。でも、そればかりをずっとやっていることはなく、飽きれば別のことで遊び始めます(きちんと躾けているので、用事があればすぐに中断もできます)。

うちの子たちは、探究心が旺盛で、やりたいことはすぐにやってみます。高いところにのぼったり、さかさまになったり、駆け回ったり、常にアグレッシブです。おまけに、誰とでもすぐに仲良くなれてしまいます。

ゲームを悪者にする人たちは、とりあえず、うちの子たちと遊んでみるといいと思います。自分の考えに、疑問を抱かざるをえなくなるはずです。

 

私たちは花粉症の薬を飲み続けたいわけではない

「ゲームを制限する」という子育ては、けっして間違いではないと私は思います。

ただ、対処療法なんです。花粉症で言えば、炎症を抑える薬を飲んで、症状を抑制するだけ。どんなに薬を飲んでも、治癒するわけではありません。

私たちは本当は、眠くなったり、喉が渇いたりという副作用のある薬を延々と飲み続けたいわけではないですよね。花粉症が治るものなら、治したいんです。

なぜ、子どもにゲームを与えると、子どもの社交性が育たなかったり、ゲームばかりしている子どもになってしまったり、という事態が起こるんでしょうか。

答はシンプルで、親が、子どもに、ゲーム以上の楽しみを提供できないからなんです。

親に意識が足りないのか、物理的に子どもと向き合う時間がないのか、様々な経験をさせようにもお金がないのか、理由はさまざまだと思います。

 

世の中にはゲーム以上に楽しいものが無数にある

ゲームは、ものによっては、中毒になるほど楽しいものです。が、世の中には、ゲームと同等か、それ以上に楽しいことも、無数にあります。

いま5歳の娘は、今年の夏は5〜6回ほどキャンプをしました。夢中で火遊びをし、テントに入らずに星空を眺めながら眠っていました。

キャンプもそうだし、キャンプ以外の旅行でも、様々なおじさん、おばさんに面倒を見てもらったり、個性の違った子どもたちやそのファミリーと遊びました。

さすがに数えていないですけど、この夏にお世話になった方々は、総勢100人は軽く越えていると思います(人づきあいの苦手な私が、よくもまあこんなに、と自分自身で思うんですが、これにはコツがあります。別記事にします)。

また来月には、はじめて会う親子とカヤックに行く予定です。地元のおじさんに、いろいろ手配してもらっています。

※あ、もちろん東京ディズニーリゾートにも行っているし、トーマスランドにも行っています。5歳の娘は(100%自分の意思で)プールと体操にも通っています

 

私たちは仕方なくゲームを制限せざるをえない

我が家のように、子どもに、日常的と言えるレベルで、ゲーム以上の楽しみを提供できていれば、iPadや3DSを制限する必要なんかありません。

繰り返しますが問題は、親が、子どもに、ゲーム以上の楽しみを提供できない何かしらの理由があることなんです。

仕事が忙しく、時間がない。薄給で、お金がない。社会が子どもとたっぷり向き合う余裕を持たせてくれない。などなど。

子どもと向き合える時間は、貴重なんです。だから仕方なく、子どもと向き合える貴重な時間くらいは、ゲームを制限せざるを得ない。

我々は、本当は制限する必要なんかないのに、何かしらの要因によって制限しなくちゃいけない状況に置かれているんですよ。

でも、それでいいんでしょうか。

抗アレルギー薬を飲み続けて、症状を抑えるだけでいいんでしょうか。花粉症を根本的に治したいとは思いませんか。

 

「現状を変えることはできない」と思い込んでいないか

課題ははっきりしています。自分の日常を思い浮かべてみてください。子どもとたっぷり向き合い、世の中を広く見せ、いろいろな人と会わせ、多様な経験をさせる、ということができないのは、なぜですか?

仕事が忙しいから? 旦那が仕事で忙しくて子どもを遠くには連れ出せないから?

課題が明白であれば、根本的に解決することも可能です。

子どものために時間を確保できないのなら、ライフスタイルを変えてもいいんです。仕事を変えてもいいんです。旦那さんが原因なら、腹を割って話し合うべきでしょう。

どうしてもムリ、という状況もあります。それは仕方がありません。我が家も、どうしても動かせない事情はあります。

でも、中には「現状を変えることはできない」と何の根拠もなく思い込んでいる方もいるはずです。

ぜひ立ち止まって、考えてみてください。

本当に、ゲームを制限すれば解決するんでしょうか。あるいは、本当にゲームを制限しなければならないんでしょうか。

 

“興味の赴くままに世界を広げていける” という武器

たぶんうちの子たちは、小学生のあいだには、インターネットとクラウドの仕組み、ポータブルデバイスの本質をマスターしてしまうでしょう。

世の中が、LINE禁止とかゲーム禁止とか言っているうちに、「覚える」から次のステージに進んで、「ネットとポータブルデバイスを使って何ができるか?」を考えているでしょうね。

何の制約も受けずに、興味の赴くままに世界を広げていけるというのは、凄まじい武器です。

うちの子たちを見ていて、親の私自身が、驚かずにはいられません。

ゲームを制限する、というやり方は、本当に子どもたちに必要なんでしょうか。私は、あえて疑問を投げかけたいと思います。

 

ちなみに、我が家が子どもたちに電子機器を積極的に使わせている理由は、こちらの記事に書いています。

こどもにゲームをやらせている言い訳を探す必要はない

  1. ゲームは優れた娯楽だから
  2. 制限すればより欲求が強くなるから
  3. 時代への適応
  4. の3つです。

74月

こどもにゲームをやらせている言い訳を探す必要はない

子育て・育児ライターの狩野さやかさんの記事を、いつも楽しみにしています。

狩野さんは、母親が抱えるモヤモヤを解きほぐして、わかりやすく描写する感性に長けておりまして(と、私は感じています)、つい先日も、とても興味深い記事がUPされていました。

子どもとゲームをめぐる悩み ――いつから?どうする? : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 

こどもとゲームについて、親が抱えるモヤモヤが的確に表現されている

記事を楽しみにしている、とは言っても、必ずしも全面的に論旨に同意するわけではありません。賛同する部分もあれば、考え方が違うと感じる部分もあります。

見解・価値観の相違は、言わばどうでもいいことであり、特に話題にするつもりはありません。言うまでもありませんが、いろいろな考え方の人が共存するのが社会というものだからです。

今回のこどもとゲームについての記事も、親が抱えるモヤモヤを実に的確に表現していまして、あくまでも一般論として、このように考える親は少なからずいるだろう、と感じました。

そして、個人的に思うところがありました。

 

前向き思考の得手・不得手

私は比較的、強い自己肯定感を抱いている人間だと感じています。迷っているときは弱さがあるものの、いったんこうと決めたら、物事をポジティブに考えることを、一切ためらいません。

見方によっては「自信過剰で危うい……」と感じる人も、きっといるだろうと思います。

これは本当に、自分の親に感謝しなければいけないんですが、誰もが自分と同じようにポジティブになれるわけではない、ということは、何となく今までの経験から理解しています。

だから、これから書く内容について、「これが正解だ」と言うつもりはありません。あくまでも「こういう考え方もある」というスタンスにとどまるものです。

 

完璧主義すぎると、都会に住んで保育園に預けることすら否定しなければいけなくなる

今回の狩野さんの記事『子どもとゲームをめぐる悩み ――いつから?どうする?』を読んでいて、私が最も発言をしたくなったのは、以下の部分についてでした。

■大切なことがほかにある
幼児のうちにこそ経験した方がいい大切なことは、ほかにたくさんある。

色々なものを触り、自分の足で歩き、耳を澄まし臭いを嗅ぎ、周りのあらゆるものをよく見て観察する。寒い、暑い、痛い、たくさんの感覚を体で知る。人と手をつなぎ、人と会話をして、喧嘩もする……。やっぱりそういうことは、絶対に必要。

そういうことが大切な時期に、まだ知らなくても困らないゲームにばかり心が向くのはもったいない。

せめて、時間感覚が身につき日常のルールを守れる精神年齢くらいまでは、ゲームとの付き合いを待ちたい気はする。子どもが幼いほど、ゲームをめぐる親子の攻防ストレスは大きい。

これは一見、同意する方も多いかもしれません。

ただ私は個人的に、あまりこのように、完璧主義的な方向で考えるのは、得策だとは思わないのです。

“幼児のうちにこそ経験した方がいい大切なこと”

確かにそれはあります。山ほど存在します。

でも現実には、それぞれの環境、仕事、能力などによって、どこかで割り切らなければいけません。

もし妥協をしないとすれば、都会の狭いアパートの一室に住んで、保育園に預けながら働くということすら、とんでもない!という話になるはずです。

 

我が家では無制限にiPadで遊ばせている

参考までに、我が家のゲーム事情を紹介しておきます。

我が家には5歳と2歳半のこどもがいますが、ふたりとも自由にiPadで遊ばせています。むしろ、積極的に与えました(理由は後述します)。

ルールは1つだけ設けています。

他に優先すべき用事(たとえば、歯を磨いたり、着替えをしたり、ご飯の時間になったり、出かける時間になったり)がある場合は、ただちに中断して、先に用事を片付けてしまうこと。

モバイル機器の特徴は、細切れの時間でも充分に実用的である点です。ゲームをやっていても、YouTubeを観ていても、すぐに中断でき、いつでも再開できます。

こどもたちは、時間が許せばいつでも好きなだけ遊べると体験的に分かっているため、大抵はルールを守ります。

2歳半ではまだグズるケースがありますが、5歳になればしっかり守れています。ルールを守れないときは絶対に妥協せず、根気強く一貫して叱っているのも、効果的なのかもしれません。

 

積極的にiPadを与えた理由1:ゲームは優れた娯楽である

こどもたちに積極的にiPadをやらせている理由は、大きく3つあります。異論も反論もあるとは思いますが、私は以下のように考えています。

第一に、「ゲームはおもしろい」という揺るぎない事実があります。

私自身、スーパーファミコンはよくやりましたし、メガドライブやセガサターン、学生時代にはパソコンのオンラインゲームにのめり込みました。今はさすがに、遊ぶのにまとまった時間が必要なゲームはやっていませんが、iPhoneで少し前はパズドラ、今はディズニー ツムツムなどで、ちまちま遊んでいます。

これだけゲームで遊んでいれば、「良質なゲームは、優れた娯楽である」と知っています(すべてのゲームが、とは言いません)。単純に、これを我が子に教えないのはありえない、と感じています。

これは、ディズニー・ピクサーやドリームワークス、ジブリのアニメーション映画でも一緒だし、東京ディズニーリゾートのショーやパレードでも一緒だし、あるいはキャンプやスノーレジャー、あるいは仕事(これとか、これとか)に連れ出して、「ほら、楽しいんだぜ!」というのとも完全に同じです。

ゲームをするとバカになる、と信じているのであれば話は別ですが、私は昭和の迷信だと考えているため、気にしていません。ゲームだけをことさら差別的に扱う理由などないと感じています。

 

積極的にiPadを与えた理由2:制限すれば欲求が強くなる

現実問題として、こどもをゲームから遠ざけておくのは不可能です。前段のとおり、優れた娯楽であるからです。

そして制限すればするほど、欲求が強くなり、結果的に依存しやすくなります。たとえば、「不確実な報酬は依存性が高い」という事実は、依存症の研究で証明されています(その意味では、最悪な状況は、ゲームを制限する場合に、親に一貫性がないことです)。

[依存症の研究]親に一貫性がないと、こどもの「あれ買って」「これ買って」は激しくなる
こうした依存症の解明を目的とした動物実験のなかで、不確実あるいは不定期の報酬は依存性が高い、という結果が出ているそうです。 …

我が家のこどもたちは、「いつでもできる」という感覚があるからこそ、“優先すべき用事があるときは、すぐに中断する” というルールを守れています。

そして、意外かもしれませんが、好きなだけ遊んで飽きれば、別のことを始めます。無制限に与えたら延々とそればかりをやっているかというと、通常はまずそんなことはありえません。

iPadが好きなだけできる環境でも、本を読んだり、おままごとをしたり、プラレールで遊んだり、そのときに本当にしたいことを自分で見つけて遊んでいます。

幼少期にゲームを制限されれば、自分で自由にできるようになったときに、逆にゲームにのめり込み、依存してしまう可能性が高くなるはずです。むしろ、ゲームを日常的なものにしておくことで、相対的に優先度が低くなる、というのが、我が家で見られている現実です。

 

積極的にiPadを与えた理由3:時代への適応

モバイル&インターネットが当たり前のように隣にある、というのが、これからのスタンダードになると私は考えています。

ご存じのとおり、インターネットは使いようです。

一般家庭にインターネットが普及し始めたのは、おおよそ2000年前後です。このとき50歳前後だったいわゆる団塊の世代は、(あくまで一般論ですが)思うようにインターネットを使いこなせていないように見えます。

私の場合、母親が先進的で、2000年よりもう少し早く(10代半ばくらい)から、パソコンに触れていました。おかげで苦にした経験がありません。

が、それでも、物心ついたときからインターネットが普及していた、一回り下の世代と比較すると、インターネットやSNSの捉え方が大きく違っているのを感じます。

モバイル、そしてインターネットが当たり前の環境にこどもたちを置いてあげることが、将来の利益になるはずだ、と直感しています。

もちろん、これが成長にどんな影響を与えるのか、未知数な部分も多くあります。親としては、今まで誰もやったことがない育児をしようとしているわけで、不安もあります。様々な要素を呑み込んだ上で、常にiPadが手元にある、という環境を選択しました。

 

「ゲームが日常のすべて」でなければ、何の問題もない

親である私たちは、こどもの頃からゲームをやっていたせいで、バカになったのでしょうか。

もちろん、ゲームが無かった昭和の時代と比べれば、失ったものもあるはずです。が、昭和の古風な子育てを理想としているのでなければ、現代にあった能力や感性が代わりに伸びている点を喜んでいいのではないでしょうか。

狩野さんの記事に、「ゲームに熱中するこどもを見て、親がイライラする」という描写があります。親はなぜか、ゲームをするこどもに後ろめたさを感じているように見えます。

でも、「ゲームが日常のすべて」という事態に陥っているのでなければ、なにも問題はないはずです。ゲームは別に、悪者ではありません。世の中にありふれている娯楽の一つでしかないのですから。

ゲームを制限するよりもむしろ、いっしょに夕飯を作ったり、おもちゃで遊んだり、謎の踊りをしたり、寝る前に本を読んだりと、しっかりこどもたちと向き合う時間を作るほうが、後ろめたさを感じなくなるケースがあるかもしれません。

あるいは、ゲーム以外にも様々な体験をさせてあげられている(我が家で言えば、プール&体操教室だとか、asobi基地だとか、地方の古民家に泊まるだとか、アウトドアだとか、一緒に仕事に行くだとか)という自信が持てれば、こどもがゲームに熱中していても、イライラしないのではないでしょうか。

こどもにゲームをやらせている言い訳なんか、探す必要はない。

私はそう考えています。

283月

[依存症の研究]親に一貫性がないと、こどもの「あれ買って」「これ買って」は激しくなる

ただいま、糖質制限に絡めて、炭水化物の中毒性について調べるため、依存症の研究書を読んでいます。

溺れる脳: 人はなぜ依存症になるのか

M. クーハー 東京化学同人 2014-01-14
売り上げランキング : 66609

by ヨメレバ

炭水化物に中毒性なんかあるの?と疑問に感じるかもしれませんが、過食症も依存症の一種だし、そこまで極端でなくとも、丼飯を腹一杯に食べたときの陶酔感ってありますよね。

あとは、「甘い物がどうしても止められない」とか。糖質制限について発信していると「米やパンや麺を食べない生活なんて考えられない!」という反応もあります。

これ、ただ好きだというだけなら、トレードオフで冷静に考えられると思うんですよ。本を読むのは好きだけど、お金がないから今月は我慢しておこう、というように。

でも、これがタバコになると、今月は我慢しておこうという喫煙者はまずいない。アルコールも同様です。

理屈でなく、体が欲してしまうというか、無意識に求めてしまう。

冷静に考えるとどんなに割に合わない状況でも、理屈がねじ曲げられ、たとえば食費を削ってでも買ってしまうというふうになる。

こうなると依存症です。

脳内を見てみると、依存症というのは、脳内における神経伝達物質のやりとりに異常が発生してしまう状態を指します。

脳内のやりとりとして見ると、炭水化物は、コカインと同様にドーパミンの放出量を増やすとあるんですよ。

炭水化物の依存症になったとして、いったいどんな問題があるのかについては、たとえばこちらをご覧ください。

糖質制限の仕組み | 炭水化物は嗜好品

また、糖尿病という致命的な病気の原因にもなります。私も以前のままだったら危険だったな、と感じています。

 

ヒトの依存症の治療法を探る優秀な動物実験モデル

で、この『溺れる脳』を読んでいたら、たいへん興味深い実験が記載されていました。

“薬物自己投与の動物モデル” というものがあります。外科的手術によって頸静脈にカテーテルを繋ぎ、レバーを押せば薬物を摂取できる状態にしておくと、動物は喜んでレバーを押すようになるそうです。

IMG_1793

薬物自己投与の動物モデルは、薬物依存の研究において、ますます重要となっている。興味深いことに、モデルの評価方法も変化し続けている。モデルの評価方法をさらに開発し、綿密に精査することによって、薬物依存の別の側面である依存形成の各段階を研究することができる。それにはつぎの事項が含まれる。

①薬物摂取の開始および動物が薬物を自己投与することを学習する初期段階
②レバーを押すことを学習して、レバーを押す行為が安定的または比較的変化しない、薬物摂取の維持段階
③レバーを押しても薬物報酬が得られなくなり、徐々にレバー押しをやめるときに起こる薬物摂取の消去段階
④ストレス、引き金もしくは薬物に誘発され、薬物をやめた被験動物が再び薬物を求め始めるときに起こる薬物摂取の再発段階

M・クーハー『溺れる脳: 人はなぜ依存症になるのか』より

これはかなり優秀な実験モデルだそうで、ヒトの依存症の治療法を探る大きなヒントになっているとのことです。

 

不確実あるいは不定期の報酬は依存性が高い

こうした依存症の解明を目的とした動物実験のなかで、不確実あるいは不定期の報酬は依存性が高い、という結果が出ているそうです。

“薬物自己投与の動物モデル” よりももっとシンプルに、通路を通ったら餌を与えるという実験です。

実験ではラットを二群に分け、一方の群には、通路を下向するたびに報酬として餌を与えた。もう一方の群には、通路を下向したときの約三〇%のみ報酬を与えた。両群とも報酬を期待して、通路を下向することを学習した。つぎに、両群について食物報酬をやめたが、ラットが食物を探して通路を下向できるようにしておいた。

(中略)

毎回報酬が得られたラットよりも、下向時の三〇%しか報酬が得られなかったラットのほうが、長時間餌を探索するために通路を下向する行動を持続したのである。

M・クーハー『溺れる脳: 人はなぜ依存症になるのか』より

 

子育ての観点で考える

これには興味深い話が添えられています。

たとえば、ペットの行動をコントロールしたいと思う場合がある。犬が食卓の食べ物を欲しがると考えてみてほしい。あなたは自制しようとするものの、しばしば与えてしまうだろう。

あなたは、自分自身にいつもそうするわけではないと言い聞かせ、自分は上手くやっていると思うが、実際は、犬が欲しがらないようにすることをかえって難しくしているのである。

子どもや学生などの場合も、似た状況を容易に想像することができる。

M・クーハー『溺れる脳: 人はなぜ依存症になるのか』より

5歳と2歳の子を持つ親として、正直なところ読んでギクッとしました。

「いつもそうしているわけではないから」という自分への言い訳は、私もかなり身に覚えがあります。

そして、それで自分がうまくやっているつもりになっているというのも、正にその通りなんですよね。

 

親に一貫性がないと問題が起こりやすい

たとえば、こどもが「あれ買って」「これ買って」とキリがない。親の気分次第で買い与えるのが、いちばん問題をややこしくするわけです。

スマホやDSで遊ばせるのも同様です。親の都合で、今は食事中で静かにしていてほしいからと遊ばせるが、普段はゲームばかりするなと叱っていれば、よりゲームがやりたくてたまらなくなると推測できます。

100%与えるか、100%与えないか。あるいは、定期的にルールを決めて与えるか。

「あれ買って」「これ買って」なら、基本的に買わないか、「日曜に1個だけ」などルールを決めて買う、という方針がよさそうです。我が家では、先日記事にしたとおり、基本的に買い与えず、自分のお給料で買わせています

ゲームやYoutubeなら、我が家の方針では、自由に好きなだけやらせています。ただ、他に優先すべきことがある場合は(挨拶する、着替える、歯を磨く、出かける、などなど)必ずすぐに中断するというルールを設けています。

ただ、欲求が強くなるのが必ずしも悪いとは、私は思いません。

滅多にないからこそ嬉しい、というのは、人間として素敵な感情ではないでしょうか。

「子育てはルールで縛ればいい」という短絡的な話ではないのが、親としては難しいところですね。

溺れる脳: 人はなぜ依存症になるのか

M. クーハー 東京化学同人 2014-01-14
売り上げランキング : 66609

by ヨメレバ

183月

「こども21時でスマホ禁止」では絶対に問題は解決しない

だから私は、“義務教育だけが正解” だと過信・盲信できないのだと思いました。

責任を押し付け合って、こどものためにベストを尽くさないように見える教育現場で、自分のこどもに育ってほしいと思う親なんか、いるんでしょうか?

 

愛知県刈谷市の「こども21時でスマホ禁止」概要

愛知県刈谷市の全小中学校で、生徒・児童による夜21時以降のスマートフォン・携帯電話の利用が禁止されることになりました。

子ども21時でスマホ禁止、刈谷市が大胆な試み。LINE既読スルー問題、保護者責任を校長が明かす – Engadget Japanese

現在生徒らのコミュニケーションにおいて、LINEやメールのメッセージにすぐに返答をしなければ、翌日学校で「無視した」「スルーした」などと、攻められるそうです。大橋校長は「ごく普通の子どもの中には、無視やスルーが嫌で常にスマートフォンを身近なところに置いている子がいます。そこまでやりたくないのにって子どももいるんです。そうした子どもたちに、21時以降は親にスマホを取り上げられるから、と言い訳ができる状況を作りたいんです」と述べています。

スマートフォンやSNS特有の問題から生徒・児童を守るため、というのが建前のようです。

 

生徒や児童にとってベストだとは思わない

上記『Engadget Japanese』のライターHiromu Tsuda氏は、

もしかするとこの取り組み、生徒や児童にとって良い結果になるのかもしれません。

と書いています。

対処療法としては、ベターな結果になる可能性はあるかもしれません。私はまだ小学生のこどもがいる当事者ではないので(上の子が再来年に小学生になる)、想像力を上手く働かせられません。

が、ベストな結果には絶対にならない事実だけは、はっきりとわかります。なぜなら、問題の本質を見て見ないフリしているからです。

すなわち、「こども21時でスマホ禁止」は、花粉症による炎症を、強力な薬で押さえ込もうとしているだけでしかありません。

花粉症の人は、本当は、副作用で眠気が出たり、倦怠感が出たりするような薬を飲み続けたいのではなく、花粉症を根治したいんです。

花粉症で言えば、アレルギー体質そのものを解消できるかどうかが、問題の本質です。

 

これはスマホの問題でなく、家庭と教育現場のすれ違いの問題

「こども21時でスマホ禁止」の問題の本質は、校長の言葉に集約されています。

「保護者は自分で子どものために契約しておきながら、トラブルがあれば問題を学校に持ち込みます。子どもに持たせるために契約したのは保護者でありながら学校にです。これでは責任の所在が本末転倒です」

『Engadget Japanese』の記事が正確であると仮定すれば、「こども21時でスマホ禁止」は、家庭に責任を持たせる目的で生まれたことになります。

これを見て「もっともな言い分だ」という意見は、私にはよくわかりません。

親と教育現場が責任を擦り付け合っているだけでしかないからです。これはスマホの利用法の問題でなく、家庭と教育現場の関係性の問題です。本質は大人同士の責任の押し付け合いの問題でしかありません。

私は率直に「こどもを育てる責任はどこに存在しているんだろうか」と感じました。こんなふうに責任を擦り付け合うなかで、こどもを育てたいと思う親なんかいるんでしょうか。

スマホやLINEの問題は、家庭が悪いのでしょうか。それとも、教師や教育現場が悪いのでしょうか。

答は明確で、どちらも悪くないんです。

家庭は家庭で、教師は教師で、置かれた状況で精一杯に取り組んでいるはずです。

でも、それでもどうしてもうまくいかずに、「義務教育なんだから学校でやれ」「ここからこっちは家庭の責任だろ」と軋轢が生まれてしまっています。

 

問題が解決しないのは関係ができていないから

互いにうまくいっていないのであれば、助け合えばいいのに、罵り合ってしまうのはなぜか。

家庭と教育現場の間に壁があるからです。コミュニケーション不足と言い換えてもいい。

ダイアローグ、ワールドカフェ、あるいはフューチャーセッションといった方法論があります。

行政でも企業でもそうですが、なにか物事を前に進めようとするときに足かせになるのは、実は外的要因というよりも、利害関係者同士の冷えきった関係や無関心です。

Aさんの技術力と、Bさんの調整力があれば、物事は100倍早く前進するのに、別々に活動する。そして当然のごとく、Aさんは調整がうまくいかず、Bさんは技術不足で、遅々として進まない。

なぜ足りない要素を補おうとしないのか。しかも、同じ志を持っていて、同じ活動をしている他人が存在するとわかっているのに。

単に、人間関係がない、昔からそうしている、テリトリーが違う(縄張り意識が邪魔をする)。酷いときはプライドといった程度のバカげた理由なんです。

 

地域に開かれた学校を目指す、町田市の小学校の事例

ではどうすればいいか。同じ志を持った人を一か所に集めて、対話を重ねて、お互いの内に秘めた思いを知り合う。信頼関係を築く。

これだけで、嘘のようにすべてが好転します。

教育をより良くしよう、こどもたちを大切に育てよう、という思いでは、家庭も教育現場も実は同じ。コミュニケーションがとれれば、「なんだ、ぼくもそう思っていたんだよ。じゃあ一緒にやろうよ。こうしたらいいんじゃない?」という空気が生まれるからです。

実際に、そういう試みがなされている例があります。

「子ども× I’m OK!」in Child Future Session Week レポート | FutureCenterNEWS JAPAN

「子ども× I’m OK!」では、町田市の小学校の先生と、地域の人々が集まって、こどもが自己肯定感を持つためにはどうしたらいいのか?というテーマで対話がなされました。

 

家庭と教育現場が一丸となれば問題は解決したも同じ

主催の中村美央さん(小学校の先生)は近い将来、このような対話をクラスの保護者の方たちとしたい、と言っていました。

これは、同職業の方からも「勇気がある」と驚きの声が上がっていたほどで、対話によって育まれる空気、生まれる成果を知っていてこそです。

たとえば会社の同僚でも、一見近寄りがたい人だけど飲み会で同席したら印象が変わった、というケースは珍しくないはずです。互いに理解しあっていれば、モンスターペアレントだ、問題教師だ、と罵り合うケースは間違いなく激減します。

さらに、なにか問題や課題が発生したときには、家庭と教育現場が一丸となって、解決策を考えていく。

スマホの利用法で問題が発生したのなら、一方的に「こうしてください」と押し付けるのでなく、家庭と学校の事情や、お互いの考えを共有しつつ、一緒に対応方法を考えていく。

家庭も教育現場も、互いに責任を引き受け合う形で、学校をつくっていく。

 

理想が明確でなければ複雑な問題は解決できない

もちろんこれは理想です。

でも、理想を明確にしなければ、このように根が深い問題は、根本的な解決が不可能なのもまた事実。延々と不満を募らせながら、互いに責任を擦り付け合う道しか残されていません。

私が義務教育以外のオルタナティブ教育に魅力を感じるのは、単に画一的な教育ではないという魅力の他に、教育者も家庭も「こどもを育てる」に本気で取り組んでいる雰囲気を感じるからなのだと、ふと気づきました。

どうでもいいような理由で、こどもたちを二の次にしてしまう義務教育なら、こっちから願い下げです。

312月

スマホをこどもに使わせていいのか自信がない親たち

「スマホに子守させないで」というニュースを見て、反発したくなる気持ちはわかります。親にとっては、こどもにスマートフォンを使わせて本当に問題がないのか、不安だからです。

がしかし、落ち着いて記事を読んでみれば、スマートフォンの適正な利用を呼びかけているだけの内容です。我が子をスマホ奴隷にしているのでなければ、反応する必要はありません。

 

日本小児科医会はスマートフォンの適正な利用を呼びかけている

「スマホに子守させないで」というNHKのニュースが、賛否両論を巻き起こしています。

“スマホに子守させないで” NHKニュース

※2013/12/12追記。上記記事は削除され、かぶんブログに転載されていました
“スマホに子守させないで” | NHK「かぶん」ブログ:NHK

これは冷静に読めば、日本小児科医会が、スマートフォンの適正な利用を呼びかけている内容です。

乳幼児は、親とふれ合ったり、五感を使った遊びをすることで、健全な発育が促されるということですが、スマートフォンなどの普及に伴い、長時間、絵本や歌のアプリで遊ばせたり、アニメの動画を見せたりするケースが増えているということです。

このため日本小児科医会では、子どもの健全な発育を妨げるおそれがあるとして、1日の理事会でポスターを作って注意を呼びかけることを決めました。

「スマホに子守をさせないで!」と書かれたこのポスターでは、本の読み聞かせや屋外での遊びを勧める一方、子どもにスマートフォンなどを渡して長時間遊ばせる行為に注意を呼びかける絵が描かれています。

大前提として、日本小児科医会の論旨に、とくに危うさは感じられません。

例えば、引用の冒頭ですが、

乳幼児は、親とふれ合ったり、五感を使った遊びをすることで、健全な発育が促される

という内容に、異論のある方はいないでしょう。

「健全とはなんだ」という指摘も見られましたが、気になる方は発達心理学の育児本でもかじれば、すぐに理解できるはずです。

なにか基準を設定して、健全とはこうである、としているのではありません。

また、日本小児科医会が注意を促しているのは、

長時間、絵本や歌のアプリで遊ばせたり、アニメの動画を見せたりするケース

です。

すなわち、適正な利用を呼びかけているだけであって、「スマートフォンを使ってはいけない」というニュアンスは、一切感じられません。

例えば、

これらを無自覚に行ってしまっているような、深刻な事例への啓発であると考えられます。

つまり、もしあなたが、自分のこどもをスマホ奴隷にしているのでなければ、何ら気にする必要のないニュースであるというわけです。

 

過剰なまでに反発する親たち

しかし親の一部は、まるで自分が名指しで批判されているかのように、過剰なまでの反発を見せます。

なぜこのように反発するのでしょうか。

これらの方々は、「長時間、絵本や歌のアプリで遊ばせたり、アニメの動画を見せたり」しているのでしょうか。

たぶん、違うでしょう。

おそらく、記事内容を歪曲して受け取り、ドン・キホーテのように存在しない敵に拳を振り上げているんです。

 

反発は親の不安の現れである

僕は、4歳と2歳のこどもたちに、積極的にスマートフォンを使わせています。情報爆発の時代に適応するために、モバイルに親しんで育つ必然性があると考えているからです。

そんな親としての実感から言えば、親たちの大半は、本当に幼いこどもにスマートフォンを使わせて大丈夫なのか、不安なんです。

それはそうでしょう、スマホが普及したのはここ数年の出来事であり、スマートフォンがどんな影響になるのか、誰にも正確に予測することはできません。

覚悟を持って、慎重に使わせているつもりの僕でも、「スマホに子守させないで」という見出しをみれば、一度立ち止まって考えてみなければという強迫観念に襲われるくらいには、不安があります。

例えば、こちらの方なんかは、とても素直だと感じます。

子育ては、未知の体験の連続です。我が家では、特に1人目のときは本当に精一杯だったのを覚えています。

人間、余裕を持てなければ、冷静に考えれば判断できそうなことでも、迷ってしまったり、不安になったりするものです。

ましてや今までに誰もやったことがない、スマホがある環境での子育て。親が自信を持てなくて当然です。

不安だからこそ、まるで自分が批判されているかのように、歪曲して受け取ってしまいます。

 

覚悟をもってやるしかない

素直と言えば、こういった本音を見せる方々もいます。

たとえスマートフォンを節度をもって使わせていたとしても、世間や親以上の世代から白い目で見られる可能性が高くなるから、こういった啓発はしてほしくない、という思いが感じ取れます。

もうこれは、親が覚悟を持ってやるしかないでしょう。

意図して適正に「使わせて」いる自信があるのなら、なにも気にする必要はないはずです。

これは僕自身に言い聞かせているようなところもありますが、例えば、

「スマホなんかやらせるな」

と余所さまに言われたら、

「さんざん公園で遊んで疲れたから、ちょっとスマホで気分転換をしているだけですよ^^」

くらいに、笑って返せるようにしたいですね。

TOPページ サイトマップ 更新履歴