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241月

家入一真・都知事選出馬について| “焼け野原” の向こう側にあるもの。

政治には人並みに関心を持っているつもりの私ですが、正直なところ、今回の都知事選からは目を背けたくなっています。

私は都民ではなく、隣の神奈川県民なので、実際に他人事ではあるのですが、「他人事で良かった」という気すらしてしまうんですよね。もし、当事者だったとしたら、投票先に悩んだ挙げ句、棄権していたかもしれない。

なぜ、(副知事時代から)ここ10年 5・6年の東京を支えた、最も有能な都知事が、都政のうえでは何の瑕疵もないまま、辞める事態になってしまったのか。

都民は、こんなどうしようもない選挙に臨むくらいなら、猪瀬直樹を辞めさせるなと運動をするべきだったんじゃないのか、とまあ、お隣の神奈川県民ながら思うんです。

猪瀬さんが、お金の問題をしっかり説明できなかったのは、だから痛恨でした。仕方ないですね。

 

選挙後、インターネット空間は焼け野原になる

都知事選にあたり、様々な人が、色々な意見を表明しています。

私がざっと見渡した限りでは、今回は東浩紀さんの意見にシンパシーを感じました。思いの根本にあるものは全く違うはずなんですけど、ただ結論は似ているように思うんです。

インターネット上の一部で話題になっているのが、家入一真さんの都知事選出馬です。立候補を賞賛したり、歓迎したりする声を、たくさん耳にしました。

ただこれは、若い世代を中心に、「選挙だとか政治だとかは、自分には場違いだ」と思っていたところに、よく知っている、やはり場違いな人が出てきたので、ちょっと興奮して、神輿を担いでいるだけなんですよね(家入さん本人も、それを自覚している)。

でも、祭りが終われば、あの高揚感はいったいなんだったんだろうか、というほどの静寂が訪れて、そこにあるのはいつもと変わらぬ、寂れた公園なんです。

いや、単に静寂が戻って来るだけだったら、まだいい。

たぶん、都知事選のあと、家入一真さんを熱狂的に支持した(一部の)インターネット空間は、焼け野原になります。

あれだけ盛り上がったのに、結局は何の意味もなかった、これしか票が取れなかった、という絶望感。猫じゃらし一本残らないでしょう。

 

家入一真は選挙に勝とうとしていない

たとえば、こんなグラフを作成している方がいました。

これを見て、妄想たくましく、盛り上がる人はいるでしょうね。

でも、ちょっと立ち止まってみてください。たぶんあなたの家族に、家入一真を知っている人はいないんじゃないでしょうか。

イケダハヤトさんは、自分のことを知っているのは日本中で1,000人に1人くらいだ(から炎上を恐れずに発言するべきだ)と言っていますが、これは感覚値としてそんなに間違っていないだろうと思います。

家入さんが、仮にイケダハヤトさんより10倍有名だとしても、100人に1人です。彼を知っている人が1人いたら、知らない人が99人いるんです。

もし、本気で人口ピラミッドを活かそうとするのなら、家入一真さんが真っ先にやるべきなのは、マスメディアへの露出であり、知名度を高める作業です。

が、家入さんに、そんな気はないでしょう。

そもそも、短期決戦の都知事選では、のんきに知名度を高めているような余裕はないわけです。元から知名度が高い候補を擁立して、人気投票合戦を制する。これが仕組み上の王道にならざるを得ない。

圧倒的大多数の家入一真を知らない人が、家入一真をどう見るか。常識を知らず、場違いな、キワモノの泡沫候補以外の何者でもない。

得票数は、過去の投票結果を見る限り、5桁が現実的な目標で、せいいっぱい背伸びをして6桁を目指すと言ったところでしょうか。

平成24年 東京都知事選挙 開票結果

平成19年 東京都知事選挙 開票結果

仮に6桁(10万票)に届いたとして、得票率はおおよそ2%前後です。

 

落選にともなうマイナスを軽視するべきでない

前回の参議院選挙で、佐々木俊尚さんをはじめ、インフルエンサーが投票を呼びかけたのにもかかわらず、鈴木寛氏は落選しました。インターネット空間では、これ以上はなかなか考えられない規模のキャンペーンだった印象を受けたのにもかかわらず、です。

インターネットは、選挙で現実を動かすには、無力。

だからと言って、家入一真さんの立候補が無意味だとは思わないんですよ。

たぶん彼がやろうとしているのは、小さいけれど無数に聞こえてくる声に応える、ということ。その声が、中二病の延長であったり、無知蒙昧の極みであったとしても、問題ではない。

出馬に何か具体的な意味があるとか、物事を実際に動かせるのかとか、一切考えていないに違いないと思います。

彼の行動によって、政治という空間にも居場所を得るということを、身体的に理解する人が出て来るわけです。

なぜぼくが家入一真を応援するのか? – トークのイチロー就活日誌

だからこそ家入一真の都知事選出馬には意味がある、という意見もあるでしょう。

が、同時に、落選にともなうマイナスを軽視するべきでもないとも思うんです。

盛り上がれば盛り上がるほど、「当落にかかわらず出馬した意味があった」と口では言っていても、“結局、自分たちの投票は政治には何の影響も与えられなかった” という事実は、重くのしかかります。

必ず。

絶対に。

家入一真が出馬し、たくさんの人を巻き込んだからこそ、本当の意味で政治に絶望する人が続出するんです。

 

焼け野原から “本物” が芽吹くかもしれない

そして、私はそれでいいと思っています。だって、近代民主主義は限界なんだから。

インターネットが世界にあまねく浸透したからといって、家入一真のようなカリスマが登場したからといって、その程度の変化で修復できてしまうような、簡単な話ではない。

近代民主主義の次はどうするんだ、と、そういう根本的な話をしなきゃいけない。

心ある人は、とっくの昔に政治に期待するのをやめ、自分なりの関わり方で、物事を前に進めようとしているわけです。

だから、焼け野原でいいと思う。

いったん灰燼に帰してこそ、太陽が差し込む余地が生まれ、今まで人目に触れることがなかった雑草が芽吹くはず。

政治のせいにしても、無駄だ。

絶対数は少ないかもしれないけれど、焼け野が原からそんな「気づき」が芽生えたとき、家入一真の都知事選出馬も成功だったと言えるのかもしれない、と、複雑な気持ちを抱きつつ、お隣の県から見ているところです。

1012月

僕は若者に「選挙に行け」とは言えない。

ウェブで政治を動かす![Kindle版]

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  • 作者:津田 大介
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 発売日: 2012-11-13

読みました。朧気ながら考えていたことを整理するのに、とても役立ちました。思いを率直に言葉にするのなら、

選挙に行こう、と呼び掛けるのは簡単。でも僕は、特に20代の若者に対しては、「選挙に行こう」とは言えない。

ということです。もちろん「行くな」とは言いませんよ。自分で試行錯誤して、とりあえず結論を出せる人たちはいい。

問題は、それまで政治や選挙に関心がなかった人たちです。彼らはきっと、選挙に行ったところで、間違った(後で不満を覚えるような)選択をするに決まっているからです。

もちろん、今まで政治に無関心だった人に、政治に興味をもってもらう入り口としては、「選挙に行こう」以外に言いようが無いのは理解できます。

それはそれとして、僕は今の仕組みでは民意を正確に反映できない、と考えています。別の言い方をすれば、納得した投票をするにはあまりにハードルが高すぎると思っています。

不完全なシステムなのに、まるで「投票さえすれば世の中を変えられる」かのように偽るのは、フェアじゃない(その点、本書は中立ですね)。

 

「正しい選択」なんかできるのか

いよいよ衆議院解散総選挙が今週末に迫ってきました。

みなさんは、どうやって「誰に投票するか」を決めますか。もう答は出ましたか。その答には満足していますか。その答は正しいんでしょうか。

僕は選挙権を得て13年経つんですけど、今までに一度も心から納得して投票できた経験がないし、その投票が正しかったと信じられたこともありません。

そもそも、「正しい選択」なんて可能ですか?

 

政策を判断基準にはできない

政策で投票先を決める人は、

その政策は実現されるんですか?

という問いに答える必要がありますよね。

民主党政権が教えてくれたのは、“公約として掲げている内容は、できるかどうかわからないのに言っている” という事実。根拠もなく、未来の党ならできるでしょ、みんなの党ならできるでしょ、というのは思考停止です。

かと言って、政策を細かく検証して、僕ら素人が実現できるかどうか判断するんでしょうか。一部の人には可能でも、誰にでも判断できるとは思えません。

それが国民の義務だろ、というのは簡単。ですけど、そんなにハードルが高いんじゃ、いつまでたっても政治や選挙は国民から遠い存在のままです。

民主党のマニフェストは例外にしてもいいですよ。他党も民主党の惨状を見て学んだだろう、と期待するのも悪くはないかも。でも自民党は、小泉政権に変わって、それまでの政策をガラッと変えました。民主党も、野田政権になって、全然別の政策に取り組み始めました。党の代表が誰になるか、どんな考え方の人間が主導権を握るかによって、やることは全く別になるというのが現実です。

自民党の安倍総裁は、自民党の中では改革派の勢力です。だから安倍総理なら期待できる部分はあるかもしれません。でも、何かが起きて、派閥長老の傀儡が総裁になれば、旧態依然とした自民党がひょっこり出てくるかもしれないわけです。

一つの党内に正反対の政策を持った人間がいるのが日本のスタンダード。将来は分からないですけど、少なくとも現時点では、日本では政党政治が機能していません。政策を基準には判断できないんです。

 

人を基準に判断するには情報が少なすぎる

ならば……と考えられるのが、信頼できる政治家かどうかで判断しようという考え方ですよね。政策が実現されるか確証はないにしても、日和見で考え方を変えるのではなく、実現のためにとことん尽力してくれる人ならば「投票した甲斐がある」と思えるかもしれません(僕はどちらかというと、こっち派です)。

このタイプの人は、

本当にその政治家は信頼できるんですか

という問いに答える必要があります。

単純に、情報を取るのが難しい。信頼できるかどうかって、一朝一夕じゃ判断できませんよね。いい人に見えたのに、数ヶ月付き合ってみたら最悪だった、なんてケースは世の中ザラです。

だから、政治家の行動をある程度の期間、見続ける必要があります。実感としては、3年くらいは必要だと思います。

でも、例えば自分の選挙区の民主党議員が、代表選挙のときに誰に投票したか、その理由はなぜか、答えられます?

ちなみに僕のところは、前々回が前原支持で、前回が細野擁立を果たせず結局は野田支持に回ってます。前々回のときは、前原支持の理由を聞きましたが、納得できませんでした。前原氏の場合は「言うだけ番長」のレッテルがあるんですから、それを覆すような納得できる理由を発信してください、と直接言いましたが、今までに発信されていません。

じゃあ、TPPの時はどうだった? あるいは震災直後数ヶ月は何をしていた? 自民党議員でも見るポイントは同じです。

政治家の真価は、決断を迫られたときや、緊急事態に置かれたときに、どう考えてどう行動するかに表れると思っています。本当に曲げられない政策は党の方針に反しても反対し、例え自分の党であっても良いところは良い、悪いところは悪い、とはっきり発言する議員なら、信頼に足ると僕は思います。

ところが、じっくり行動を見続けた結果、信頼に足る議員がいない、という結論だってあるはずなんです。また信頼できる議員がいたとしても、その政治家の政策が自分に合っているとは限らない。しょせん、一つの選挙区で3人とか5人しか候補者がいないわけで。

どちらにしても、信頼できるかどうかを判断するのも、やっぱりもの凄くハードルが高い。前提条件が厳しいし、例え率直に考えを発信する政治家でも、それが選挙区住民の大多数に届くような仕組みにはなっていないんですよ。私たちの多くにとって、人を基準に判断するには情報が少なすぎるんです。

 

どんなに若者が投票したところでシニア世代の意見は覆せない

こうすれば正しい(満足できる)投票ができるよ、という方法論を持っている人は、ぜひ教えてください。ぜひぜひ知りたいです!

しかもね、各所で話題になってますが、

若者の投票率の低さがどれだけヤバイかが一目でわかるグラフ みんな選挙に行こう!!!:ハムスター速報

「選挙で若者が大損する」—投票者の平均年齢は57歳(AERAより) | ihayato.news

今はまだ、60歳以上の投票率が60%程度に下がり、20代・30代の投票率が90%くらいになれば、影響力を上回れる可能性はあるかも。でも、これからは若者の割合がどんどん減っていきます。そうすれば、若者がどんなに投票したとしても、実際に国を動かすのはシニア世代ということになります。

財団法人明るい選挙推進協会ホームページより。

やっぱり、「投票さえすれば世の中を変えられる」かのように偽るのは詐欺だと思います。

 

解決方法はあります

もちろん、お手上げ、というわけじゃないんです。政党政治が機能していないのは、もしかしたら(根拠はありませんが)時間が解決してくれるかもしれません。20年前の日本政治は未熟だったね、と笑っていられるかも。

信頼できる政治家かどうかで判断する方法も、情報が取りにくいというだけで、言ってみれば情報インフラの問題です。環境を整え、政治家の意識が変わってくれば(若手や、やり手政治家を中心にその兆しはある。あるいは国民にとって必要な情報なんだから発信を義務づけたっていいと思う)、現在よりも圧倒的に人で判断できる環境になるかもしれない。

世代間不均衡の問題も、若い世代のほうがこれからの社会の影響を長く受けるんだから、余命に応じて議席配分すればいいじゃん、とか。あるいは、0歳から19歳まで切り捨てられているのはおかしいよね、ということで親権者が子供の分も投票できるようにするとか。やりようによってはいくらでも可能性があります。

 

重要なのは、一人ひとりが役割を見つけること

ネット選挙解禁もそうだけど、重要なのは問題が起きている原因をしっかり見極めること。どうすれば解決するのかをよく見定めること。そして一歩ずつでも前進すること。困難でもやるしかないんですよね。だって社会主義国家や独裁国家は嫌でしょ? 近代民主主義だけが正解じゃないんだから、試行錯誤すればいいんです。

やっぱり僕は「選挙に行こう」は言えません。少なくとも僕の役割じゃないですね。選挙に行こうと言えばすべてが解決する “環境をつくる” ほうに、興味があります。

今回の選挙で、13年を経てやっと、自分自身の判断に納得して投票できるかもしれない、という予感があります。もし満足できたら、その方法で誰もが投票できるような仕組みを考えていきたいと思っています。

 

さて、政治の仕組みを理解し、自分の役割を整理するのに、『WEBで政治を動かす!』は最適な一冊。それこそ一度も選挙に行った経験のない若者から、政治制度の問題の複雑さに「何から手を付けりゃいいのか」と感じ始めた人まで、豊富な情報量で要望に応えてくれると思います。

スマホがあれば今すぐ読める(しかも安い)Kindle版がおすすめです。

 

1211月

近代民主主義の次、を考えた経験がありますか? 東浩紀『一般意志2.0』より

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東浩紀 講談社 2012-10-26
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私たちは政治を誤解しているのかもしれない

本書はエッセイの形をした社会思想書です。日本社会を見渡せば明らかなように、私たちの政治、そして民主主義は、長らく機能不全を起こしたままでいます。著者は、ジャン = ジャック・ルソーの『社会契約論』に記されている理念《一般意志》を、あらゆる活動をネット上に記録しつつある「総記録社会」の現実に即してアップデートした《一般意志2.0》という概念によって解決しようとします。

導かれるのは、ビッグデータから抽出された(我々自身も気づかないかもしれない)無意識を政治の拘束力とするという驚きの結論です。

もちろん思想家として実績のある著者ですから、常識的には荒唐無稽と認識されるような本論を、きちんと体系的に語りきっています。何より本書は、近代的民主主義を疑うきっかけを与えてくれます。

 

現在のやり方の一部にインターネットを導入したからといって、根本的な解決になるはずがない

私は、著者が何よりも訴えたかったのは、次の一文に集約されているのではないかと感じました。

本書のルソーの解釈はかなり自由である。本書が提示した読解は、『社会契約論』の新解釈というより、むしろそのテクストを素材とした「二次創作」のようなものだと理解したほうがいい。そのような蛮勇は、一般に学問の世界では許されない。
にもかかわらず、著者が本書でその蛮勇をあえて奮ったのは、ネットが政治を変える、ソーシャルメディアが政治を変えると喧しく言われている、その光景の底の浅さにいささかうんざりしたからである。ネットは政治を変える。確かにそうだろう。というよりもそうでなくてはならない。しかしそれはおそらく、単純に電子選挙だとかネット政党だとかいった話ではない、そこよりもさらに深く、そもそも政治とはなにか、あるいは国家とはなにか統治とはなにか、その定義そのものラディカルに変える可能性に繋がっているのだ。
東浩紀『一般意志2.0』第一五章 P.250より

私たちは「政治や政策に正解がある」という幻想に囚われていませんか? 物事を熟議の上に決めるべきだという価値観も、政治家の失政に文句を言う人々も、すべては正しい道を選び取るという前提に立っています。

インターネットの普及とテクノロジーの進化により、物事は複雑になりすぎ、分散化しすぎました。ましてやそこに利害関係が入り込み、私たちの誰もが「自分たちの利益」へ誘導しようとします。政治家がいかに優れた人間であったとしても、一人の人間が全てを的確に把握し、コントロールするのは、もはや不可能なのかもしれません。それどころか、実は正解など存在しないのではないでしょうか。

だとしたら、そもそも民主主義のシステムそのものを見直す必要があります。現在のやり方の一部にインターネットを導入したからといって、根本的な解決になるはずがないと私は思います。

 

インターネットの政治活用をゼロベースで考えよう

蛇足ですが、私は本書を読んで、やっとはっきり意識できました。インターネットやソーシャルメディアの政治活用は、大きく二つの方向性を明確に見定めて進むべきですよね。

一つは、民主主義の限界を踏まえた上で、(とは言え明日からいきなり新理念に移行できるわけではないので)現状の不都合を不完全ながら少しでも解消しようという方向性。

もう一つはもちろん、『一般意志2.0』に語られるような、インターネットやソーシャルメディアの可能性を追求した、近代民主主義に代わる新たな理念を模索する方向性です。

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