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14月

【3】第50回文藝賞受賞作家・桜井晴也インタビュー「あの人たちが売れていないんだったら、僕の小説なんて売れるわけがない」

記念すべき第50回の文藝賞を受賞した作家、桜井晴也さんへのインタビュー第3弾。

最後のテーマは、「桜井晴也はなぜ書くのか」についてです。

ここ10年20年で人々はどんどん小説を読まなくなり、出版業界は急速に縮小しつつあります。今や、村上春樹でさえ100万部程度しか売れない時代です。

この状況に桜井晴也は何を感じているのでしょうか。メジャー志向である私は、たくさんの人に読まれてこそ意味があるという感覚が強いのですが、彼はまったく別のことを考えていました。

 

読みにくい小説

——受賞作『世界泥棒』は、とにかく読みにくい。

桜井:そうなんですかね、やっぱり。

 

——うん。改行がない、一文が長い、物語も意味がわからない。これだけ揃っていれば充分でしょう。

桜井:いやー。

 

——『世界泥棒』は、句読点すらも常識外れ。これって誤植?句点と読点を間違ってるんじゃないの?校正・校閲なにしてんの?みたいに思う人すらいるでしょう。

桜井:そうですね。

 

——たとえば、僕は今、仕事でメディアのコンテンツの制作総指揮をしたり、ライターをやったりしているんだけど、これは文学とは違うので、当然ながら読み手にとってわかりやすくなければいけないわけですよ。

すると正反対のことをする。

適切な位置に改行を入れる、意味を取りやすくするために一文を短くする、速読(あるいは流し読み)に耐えられるように句読点を使う、というふうに。

では、桜井晴也は何を考えて、小説を書いている?

桜井:いや、別に意味とかはどうでも良くって……そんな考えているわけじゃないですからね。

 

——感覚で書いている?

桜井:まあそうですね。

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小説を書く “意味” なんて、別にない

——まず、人に読んでほしかったら、ああいう書き方はしないよね。

桜井:文章には目的があるわけじゃないですか。ライターの仕事だったら、人に伝えるために書く、とか。

でも、小説はそういうものじゃないんです。小説には目的がない。だからわかりやすく書くものでもないじゃないですか。



——エンターテイメント小説ならばもちろん目的はあるけれど、純文学であれば目的はない(という考え方もある)、と。

桜井:何かを伝えたいから、こういう物語にする。こういう物語にするんなら、登場人物はこうで、物語に沿って登場人物を動かして、物語自体も伝えたいことのメタファーにする。

でも、そういう基本的なやり方はもう、こう言ってはなんですけど、何百年前の話であるわけで。

今、そんなことをやってもどうしようもないんですよね。

わかるからいいとか、わからないからダメとか、そういう価値観が問題にされないような “場所” で、何かを書かないといけないんです。

 

——なるほど。桜井くんは文学の立場から話しているわけだけど、実は僕も、別の立場から共感できる部分がある。伝えるために小説を書くというのは、もう死に体になっているという構造的な問題があるわけですよ。

現代の日本は、わかりやすい小説を書いたところで、売れて10万部そこそこなわけじゃないですか。

唯一、村上春樹だけが100万部。いや、村上春樹ですら100万部に過ぎない。

20年前、30年前なら300万部売れていたものが、もはやそれすらもありえない。でも、ブログを書いたりメディアに寄稿しているだけで、僕レベルですら年間200万人に読んでもらえる。

わかりやすい小説を書くことを本当に最優先にすべきなのか?というのは考えなきゃいけない。

桜井:だから、小説を書く “意味” なんて、別にないですよ。

 

『世界泥棒』を受賞させた河出書房新社の “骨太” ぶり

——どんどん人が小説を読まなくなってきていて、文学をやる人たち、あるいは出版業界は、どうするんだろう?

桜井:どうするんですかね。

 

——そういう意味では、『世界泥棒』を受賞させた河出書房新社は、「やるな……」と思ったけど。だって、売れないでしょ。

(二人で爆笑)

桜井:間違いなく売れないでしょうね。

 

——たとえば綿矢りさのような話題性はないし、何度も言及してきているとおり、一般人にはとても読めないほど難解。たとえば、極論を言えば、『世界泥棒』はどこから読んだっていいわけじゃない。

桜井:そうですね。

 

——最初から最後まで読んだところで、意味がわからないんだから。途中から読んだって、読める人は違和感なく読んでしまう。

それくらい、難解な小説。売れるか売れないかで言ったら、明らかに売れない。

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「あの人たちが売れていないんだったら、僕の小説なんて売れるわけがない」

——話を戻すけれど、たとえば10年前だったら、まだ今よりは純文学ファンがいた。30年前だったら、もっともっと多かった。

でも今は、1000部しか売れない。だったら自費出版と何が違うんだと。

そういう状況の中で、新人賞を受賞して、小説を書くということに、何か思うところはありますか?

桜井:それは、微妙な話ですよね。

そもそも、『世界泥棒』が売れるとは誰も思っていないわけで。

『世界泥棒』は読みにくいは読みにくいんです。でも、セカイ系だし、中二病だし、舞城王太郎だし、というところがあって、今書くなら普通のやり方をしてもどうしようもないわけで、結果的にこうなっていて。

 

——「純文学の9割は書き方だ」という話も僕は理解できるんだけど、一方で、純文学を読む人はすごく少ない。Yahoo! JAPANを見る人が何千万人いるとしたら、純文学ファンはもう数万人しかいないかもしれない。

その中で桜井晴也の小説を読む人は、数えられるほどかもしれない。これはもう、しょうがないな、という感じなの?

桜井:僕が最近思っているのは、僕の小説が売れないということが問題なのではない、ということなんです。

僕の小説よりも、すごい小説を書いている人、すごい映画を撮っている人だのがいる中で、その人たちがたかだか1000部くらいしか売れていないわけです。

むしろ問題なのはそっちの状況で、僕の小説がその中でどうあろうと、別に大したことではない。

そりゃ、あの人たちが売れていないんだったら、僕の小説なんて売れるわけがないよね、と。

 

文学を楽しむためには、こどもの頃から本を読むしかない

——いま、スマホがなぜ必要とされているかというと、通勤しながらだとか、“●●しながら” でないと、なかなか人々は時間を確保できなくなっているからと言われている。

情報収集をしたり、何かを楽しんだりできる時間が、細切れになっているから、尺は短いほうがいい。

スマホのゲームは1回1分や5分で遊べる。Web記事も読了に1分〜2分がスタンダード。映画や小説のように楽しむのに●時間必要と決まっているものは、敬遠されつつある。

他にも、インターネットの普及にともなう娯楽の多様化や、細分化という影響もある。つまり「みんなと同じもの」ではなく「自分にあったもの」で楽しむようになってきている。もうこれは、ライフスタイルの変化なので、仕方がない部分がある。

桜井:小説を読まない人に対して、僕らから何も言えないじゃないですか。

言うこともなんにもないし、読まないなら読まないでしょうがない。

敷居が高いっちゃ、高いですよね。今ある現代文学を、いきなりすらっと読んで、おもしろいですか?と言われたら、それはおもしろくないわけですよ。

結局、今ある文学をおもしろく読むためにはどうしたらいいかと言ったら、やっぱりある程度、修行が必要なんです。

古典を読んで、古典から近代文学に至る流れを読んで、こんなのがあるんだ、という中での、文学なんです。

今やっている文学というのは、ぜんぶ過去の文学をひっくるめての形でしかないんですよね。でも、読む人に、過去のひっくるめて読めとは言えないし……という微妙な話なんですよね。

『世界泥棒』をおもしろく読むためにはどうしたらいいですか?と聞かれたら、僕としては過去のあの作品とあの作品を読んでください、としか言えないんですよね。

『世界泥棒』のどこがどうなってどこがおもしろいですか、というところを、僕から読む人に説明しても何の意味もないんですよね。

時間をかけて、これがおもしろい、あれがおもしろい、と何年単位でやっていくしかないわけで。

 

——もう、そうすると、こどもの頃から本を読んでもらうしかないよね。

桜井:読んでもらうしかないですね。

 

*****

私が今回、桜井晴也といちばん話してみたかったのは、本が売れない、ほとんど誰も作品を読まない、という状況のなかで、あえて小説を書くというのは、いったいどういうことなのか、についてだった。

彼は表面上は、「作品を他人に理解されなくてもいい」と言うが、額面通りに受け取るのは少し違う気がしている。読み手が存在しなくとも小説は成り立つが、それは必ずしも、“読み手が存在しないほうがいい” ということを意味しない。評価を受けるために書くわけではないが、評価を拒絶しているわけではない。

文学は、存在そのものが、古典芸能になりつつある。たとえば、歌舞伎や落語のように、本当に文学が好きな、一部の好事家だけの楽しみとなりつつある。これは時代の流れであり、もはや覆せないだろう。

ただ、だからと言って、文学が消えてなくなるわけではない。歴史の評価に耐えてきた、膨大な量の古典文学、近代文学の価値はけっして揺るがない。

彼は「本を読めば読むほど、文学はおもしろくなるんだよ」と言っているように、僕には見えた。いったん文学に足を踏み入れれば、そこにはおびただしい数の作家たちの作品があり、多種多様な世界が広がっている。

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【2】第50回文藝賞受賞作家・桜井晴也インタビュー「だってねえ……暇だし。そりゃ書かないと」

313月

【2】第50回文藝賞受賞作家・桜井晴也インタビュー「だってねえ……暇だし。そりゃ書かないと」

記念すべき第50回の文藝賞を受賞した作家、桜井晴也さんへのインタビュー第2弾。

今回のテーマは、「桜井晴也という人」についてです。

彼は、娯楽や情報が溢れる現代に珍しく、読書・映画観賞・舞台観賞・ゲームにすべてを費やしながら、日々を送っています。読書量は、学生時代には、1日1冊ペースで読書をしていたほど。

スペシャリストとも言えるし、マニアとも言えるし、不器用とも言える。彼にとって書くことは、これらの趣味と同じであるようです。新人作家の日常を掘り下げていきます。

 

桜井晴也の取扱説明書

——僕と桜井晴也は、2009年ごろからの知り合いだし、言ってみれば僕は桜井晴也のファンみたいなところがあるので、よく知っているんだけれども、文藝賞を受賞して初めて桜井晴也を知った一般の人々はそうではないんですよ。

今日も来る前に、Facebookで「文藝賞受賞作家に話を聞いてくるんだけれど、なにか知りたいことありますか?」と尋ねたら、たとえば「取材重視で書いているのか、プロット重視で書いているのかを知りたい」という話があったわけですよ。

桜井:ははは(と、申し訳なさそうに笑う)。そうですね、この「困る」感。半端ない。

 

——いわゆる、世の中における一般的な “小説” という概念は、実はすごく偏ったもの。

ただ、普通の人の感覚はそうだろうな、と実感したので、今日は「桜井晴也の取扱説明書」的な話から始めたいんだよね。

桜井:はい。

 

会社員として働きながら小説を書く

——最近、何してるんですか?

桜井:最近、仕事してます。

 

——作家のインタビューなのに、身も蓋もない。(笑)

桜井:もう、身も蓋もないですね。働き始めて4年経って中堅になって、いちばん忙しいですね。

 

——まあでも、給料はちゃんともらえるからいいよね。

桜井:そうですね。お金は、貯まる一方ですね。

 

学生時代は月に20〜30冊の読書

——仕事以外では何をしているんですか?

桜井:僕がやっていることなんて、本を読んで、映画を観に行って、舞台を見に行って、ときどきゲームをやって、もうそれだけですね。

 

——本は、いちばん読んでいるときで、どれくらい読んでいたんですか?

桜井:いちばん読んでいたときって、学生のころで、月20から30くらい。仕事をしている今は、月に10冊……くらいですかね。

 

——仕事をしながらでも、10冊は読めているんだ。

桜井:10冊はいけます。

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文学ではないはずの演劇が、今いちばん文学的なことをやっている

——映画や舞台はどうですか?

桜井:観ているときは、映画は週に3、4本。舞台は週に1本くらいですかね。

 

——映画は、流行の映画を観ているんじゃないんだよね。

桜井:そうですね。名画座へ行って、昔の映画をひたすら観る。

 

——舞台については、僕も小説を書いていたころは(つまり子供が生まれる以前)はちょこちょこ観に行っていたんだけど。

桜井晴也としては、舞台のどこがおもしろいと感じているんですか?

桜井:うーん、(言葉にするのは)難しいんですけど。

あれって結局、文学じゃないですよね。

にもかかわらず、今いちばん文学的なことをやっているのが演劇、特に小演劇系なんです。

 

——なるほど。言われてみればそうかもしれない。

桜井:今、社会的にこういう状況があります、その中で一人ひとりが何を感じるのか、というのを、今いちばん演劇がやろうとしていると感じるんです。

 

「だってねえ……暇だし。そりゃ書かないと。」

——仕事をしつつ、これだけいろいろ読んだり、観に行ったりしながら、さらに文章も書いているわけですよね。たとえば300枚をどれくらいのペースで書いているんですか?

桜井:なんだかんだ言って、半年はかかりますね。

 

——学生時代も同じくらいのペース?

桜井:学生時代はもっと早かったです。仕事の影響ですね。

 

——仕事をしながら書いている現状で、書く時間はどれくらい確保できているんですか?

桜井:週に10時間から20時間くらいですかね。土日も含めて。

 

——ということはもう、暇さえあれば書いているという感じだよね。

ふつうの人の感覚からすると、「なんでそんなに書けるの?」だと思うんだけど。

桜井:だってねえ……暇だし。そりゃ書かないと。(笑)

 

小説を書くという趣味に近い

——たとえば、「伝えたいことがあるから書きます、それがモチベーションになっています」みたいに、わかりやすいストーリーがあれば、一般の人でも納得しやすい。

でもそこで、まず「暇だから」とくると、ふつうは「???」となるよね。

桜井:でも、モチベーションを自分で頑張って上げないと書けない、とかだったら、そもそも続かないです。

逆に、そんなモチベーションを自分で頑張って上げてまで書きたいものなんて、あるかって言ったら、ないわけで。

僕は純文学を書いているわけですけど、小説だけで食べていきたいと思ったら、エンタメに行くしかないわけだから。

 

——じゃあ、ゲームが好きな人が、毎日ゲームをやっているようなもの?

桜井:基本的には同じラインですね。そんなに遠くないです。書いていたらたまたま、文藝賞に引っかかったというだけで。

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「結局、デビューしても何が変わるというわけでもない」

——もう一歩踏み込むと、小説家として食べていくつもりはなくても、新人賞を受賞してデビューはしたかったわけじゃないですか。

桜井:それはそうですね。

 

——なぜなんですかね。たとえば、自分の書いた小説を他人に読んでもらいたい、という感覚は強い?

桜井:……別に。(と言いつつ、苦笑)

 

——そこが本質ではないよね。メジャー志向の僕とは正反対な桜井晴也なので。

一つ言えるのは、デビューすればステージが上がるよね。

「この小説、意味わかんねー」レベルで終わるのではなく、普段から文学を読んでいる人が読んでくれるから、桜井晴也が何をしているのかわかってくれたり、あるいは理解しようとしてくれたりするわけじゃないですか。

桜井:それはまあ、いいところですよね。

 

——ということはつまり、受賞はコミュニケーションの手段、とでも言ったらいいのか。

桜井:うーん、なんですかね。結局、デビューしても何が変わるというわけでもないですからね。

 

——今のところ、何も変わらない?

桜井:変わらないですね。会社でバレたくらいです。

 

高橋源一郎氏とのトークショー

——文藝賞の選考委員だった、憧れ(?)の高橋源一郎さんとトークショーはできたよね。

桜井:まあそうですね。それぐらいですね。

 

——トークショーはどうでしたか?

桜井:何とか。基本的に高橋源一郎さんが質問してくれる感じだったので。

デビュー前の話が多かったです。どういう小説を書いてきて、どういう変遷をたどって、この小説(受賞作『世界泥棒』)になったのか。

 

——『世界泥棒』は、高橋源一郎には届いた感じですか?

※高橋源一郎はデビュー作『さようなら、ギャングたち』を吉本隆明に向けて書き、当の吉本隆明に批評で取り上げられたことで文壇で認知されるに至った過去があります

桜井:どうなんですかね。「おもしろい」って言ってましたけど、なんでも「おもしろい」って言いますからね。鵜呑みにはできないですね。(笑)

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203月

【1】第50回文藝賞受賞作家・桜井晴也に聞く「純文学の新人賞を受賞するには “読んで、書け” としか僕には言えない」

記念すべき第50回の文藝賞を受賞した作家、桜井晴也さんにインタビューしました。

桜井さんとは、数年前に、私が主催していた小説の勉強会で知り合いました。敬意を込めて言いますが、すごーく変なヤツで、当時から、紡ぎだす小説やブログの文章に共感しつつ、様々に言葉を交わしていました。

私にとってはこの上なく魅力的な人物です。

お祝いにワインを楽しみながら、たくさん話を聞いてきたので、いくつの記事に分けて紹介します。今回のテーマは、「新人賞を受賞するためにどうすべきか」についてです。

昔からの知り合いならではの、ざっくばらんな雰囲気でお届けします。

 

8年9年かけて20回近く応募して受賞

——いやー良かったね。安心した。昔、小説の勉強会をやっていたときも、参加者の半分くらいが桜井晴也ファンで、これはこどもの頃から小説をよく読んでいて、小説という体験が好きな人が多かった。

「意味が分からない」と言っていたもう半分は、エンタメ小説を書きたい人たちで、これは方法論が180度違うから当然。

だから個人的には、読む人が読めば評価されると思っていたし、あとはいかに下読みを突破できるか、みたいな。

桜井:(受賞したときは)意外に、あるんですね、と思って。「あ、きた」って。

 

——小説新人賞の仕組みを知らない方のために捕捉しておくと、まず応募が1,000本とかある。それを “下読み” と呼ばれる人たちがふるい落としていく。

第50回文藝賞の場合は、1,819本の応募があって、一次通過が76本。わずか4%。

以降、おそらく編集部のチェックが入って、二次通過が46本、三次通過が21本、四次通過が11本、最終候補作はたった3本。

最終選考に残って始めて、選考委員に読んでもらえる。結局、最終選考に残るかどうかだよね。

桜井:そうですね。

 

——やっぱりコツは、「数打ちゃ当たる」ですかね?

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桜井:コツは「数打ちゃ当たる」……ですね。(と、応じつつ、ちょっと言い淀む)

 

——今まで、どれくらい応募したんですか?

桜井:文藝賞は6回くらいです。他の新人賞を入れると、19歳から応募し始めて、8年9年で、20回いかないくらいです。

 

——20回近く落選して、それでもまだ応募する気になれるのはなぜ? ふつう、それだけ落選したら「駄目だ」とならない?

桜井:なります? 二次選考を通過したりすると、けっこうテンションはあがりますね。

そもそも、ヘコまないですね。だって、そんなに期待していないし、応募して半年後とかに結果が発表されても、そんなに興味ないじゃないですか。ふーん、みたいな。

 

——そうか、どちらかっていうと、自分が絶対に受賞すると思い込んでいるほうがおかしいか。僕も含め。

桜井:そうですね。(笑)

 

『世界泥棒』は会話と描写を変えた

——話を戻すけれど、20回近く応募して、『世界泥棒』は文藝賞を受賞できた。それ以外は落選した。

なにか自身の中で、「『世界泥棒』はここが違った」というのはあるの?

桜井:コツは「数打ちゃ当たる」と言いましたけど、今までの作品じゃダメだろうな、という感覚はあったんです。

『世界泥棒』は、会話の書き方を思い切り変えた、というのが違うところで、僕の中では大満足していたんです。

 

——それは受賞とは関係あるの?

桜井:今までは、会話文が少なかったんです。描写がダーっとあって、重要なところだけ会話文にして、というふうに。

『世界泥棒』では変えて、重要なところだけではなくて、全部会話でやろうと。

あとは時間の流れです。

 

——時間の流れ?

桜井:小説では、ある場面で1分間の時間が流れていたとしても、描写的には1分間もないんですよ。

『世界泥棒』では、1分間の場面があったら、1分間分の描写なり会話なりが必ず入ってくるようにしているんです。

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選考委員は “強度” を評価している

——あ、なるほど。じゃあ、関係あるかもしれないね。というのは、基本的に選考委員が絶賛しているんだけれど、どんな評価をしているかというと、

『世界泥棒』は、作品世界の創造においては文句のない強度を備えている。現実に拮抗するまでに作品は自立しており、細部にいたるまでしつこいほどにこの異様な世界の粘着質な空気が充満している。(星野智幸)

多くの新人賞の候補作によくある「小説とはこういうもの」を、軽々と超えている。(角田光代)

『文藝』2013年冬号より

というわけですよ。

エイミー(山田詠美さん)だけ、「〈柊くんが夕暮れを食べて嘔吐していた〉なんてフレーズにすっかりやられて」なんて言っているけど。(笑)

桜井:あの方は謎ですから。どこに引っかかるのか僕にはわかりません。(笑)

 

描写をしていても、状況を正確に伝えようとはしていない

——いやでも、描写や比喩の使い方で一つ思ったのは、たとえば「撃たれた男の子はまえにうしろにくらげのように揺れて」というフレーズがあるけれど、くらげって「まえにうしろに」なんて揺れないよね。

水族館に行けばわかるけど、漂う感じじゃないですか。

桜井:あ、そうなんですか?

(二人で爆笑)

 

——だから、描写をしていても、状況を正確に伝えようとはしていない。

読んでいると、「くらげ」という言葉から受ける “質感” みたいなものにガイドされながら、作品の世界の中を進んでいく感じがする。

桜井:いいこと言いますね。

 

——たぶん、エイミーはそのあたりに共感する部分があったんじゃないかな。「なんかこの感覚好き」みたいな。

桜井:そうですかね。(笑)

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「何を書くか」ではなく「どう書くか」

——で、状況を正確に伝えようとしない描写、ということもそうなんだけれど、『世界泥棒』は、いわゆる「新人賞を受賞したいならこうしろ」みたいなセオリーからは、かけ離れているよね。

読みにくい、一文が長い、意味がわからない、と三拍子揃っている(注:冗談だと思う方は原著をお読みください)。

桜井晴也が思うに、新人賞を受賞したいならどうすればいいですか?

桜井:うーん……僕が言えるのは「本を読んで、小説を書け」としか……。

よく、才能が無きゃ書けないとか、感性が無きゃ書けないとか言いますけど。

 

——読むのが重要だ、というのはわかる。凡人が、書き方を自分で発見できるわけがないんだから、どれだけ「こういう書き方をされている小説がある」と知っているかにかかってくる。

桜井:基本的に純文学は技術力勝負なんです。

小説を書くということは、取捨選択です。この文章を書くのか書かないのかという選択を常にする。

ある状況を描写する必要があるときに、どういうふうに描写するのか。あるいは一ページ丸々書くのか、二行で済ませてしまうのか。

一ページ丸々書くのなら、相応の文章が必要ですよね。二行でさらっと書くのなら、そんなの誰でも書けるわけだから、どういうスタイルを取っていくのか。

 

——なるほど。

桜井:純文学の場合、考えるのはそこからなんです。

物語がどうとか、テーマがどうとかは、後なんです。そこを考えてもどうしようもない。

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——たとえば、新人賞を狙うなら、一次選考の下読みを突破するためにわかりやすく書け、目新しいテーマを選べ、とか言うわけじゃないですか。

桜井:それがダメなんですよ。「下読みを突破するため」とか、「目新しいテーマ」だとか、スタート地点が違うんですよ。

そこを考えるのは、もっとあとの話なんですよ。

 

——あとって、いつ?

桜井:デビューしたあとに考えればいい話です。

いや、そもそも、そんなの考えなくていいんですよ。

「わかりやすく書け」だとか「目新しいものを書け」というのは、受賞作に結果的にそういう作品もあったというだけで。

純文学では、「何を書くか」じゃなくて、「どう書くか」についての話が90%以上を占めているんです。「どう書くか」が先にあって、「何を書くか」なんです。

 

——やっぱり結論は、「読んで、書け」になる。

桜井:「読んで、書け」ですね。

*****

桜井晴也は読書家だ。最も読んでいた学生時代には、月に20冊から30冊は小説を読んでいたそうだ。読書だけでなく、名画座にも通うし、舞台も観にいく。趣味の範囲はけっして広くない。だが、深い。

こうして、膨大な文学の歴史を踏まえているからこそ、現代の純文学において、次の一歩を、「朧げながら」かもしれないが、見つけることができた。今までに何が書かれてきているのかがわからなければ、次に何を書いたらいいのかがわかるはずがない。

小説家を目指す人にとって、何ら参考にならないと思うが、「新人賞を受賞するためにどうすべきか」への桜井晴也の回答は、「読んで、書け」となる。日本一役に立たない方法論になってしまったが、これが彼に取っての唯一の結論だ。

 

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首吊り芸人は首を吊らない。

 
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257月

何よりも命が大事だというのはおかしい – 佐野洋子『死ぬ気まんまん』に語られる死生観の凄味

日本文学史が誇る傑作絵本『100万回生きたねこ』の作者として知られる佐野洋子さん(2010年11月死去)。死後に出版されたエッセイ『死ぬ気まんまん』に語られる死生観が凄味を感じさせる内容で、たいへん素晴らしいので、紹介します。

 

“死” にフタをする現代の日本社会

人に死に触れる機会って、そうそうありませんよね。特に、命が消えていく様子を目の当たりにするようなことは稀です。病気の場合は病院で亡くなるのが一般的ということもあって、葬式で遺体に対面する程度でしょう。

これが戦中戦後では、大家族で兄弟が多く、栄養状態が悪いケースも多々。医療技術も制度も未発達。しかも死ぬのは自宅が一般的である時代でしたから、バタバタと身の回りで人が死んだといいます。

 私の家族は目の前で、スコンスコンと何人も死んだ。昔は皆、病人は家で死んだ。
 三歳の時、生まれて三十三日目の弟が、鼻からコーヒー豆のかすのようなものを二本流して、死んだ。あんまり小さかったので顔も覚えていない。

(中略)

 それから私の下の下の弟が大連から引き揚げて三ヶ月目に、またコロリと死んだ。
 名をタダシと言った。その時、家は子供が五人もいて、八歳の私は四歳のタダシの子守係だった。
 今でも私はタダシの柔々と丸っこい小さな手の感触がよみがえる。

(中略)

 次の年の六月の大雨の日に兄が死んだ。兄は一週間くらい寝た。母は半狂乱だった。
 あまり母が泣き続けるので、父は寺の坊さんの所に母を連れていった。今にして思うが、母は宗教心のまるでない人だったから、坊さんは何の役にもたたなかった。二度行ってやめ、そして泣き続けた。

佐野洋子『死ぬ気まんまん』 p.59〜p.62

子育てをしていて、やはり死はタブーというか、極端に遠ざけられ、隠されるモノになっているのを感じます。もし子供たちが、死を身近に感じないまま大人になって、突然誰か大切な人の死に直面したら、大変なショックを受けるんだろうと思うんです。

我が家では、子供たちに「目の前にある日常はいつ消え去ってもおかしくない」という事実を認識してほしいので、なるべく生き物の死に触れさせるようにしています。

ペットの死に際して子供たちに伝えたかったこと

人の死となるとなかなか難しいのですが、機会を見つけて、なるべく触れられるようにしたいと考えています。

 

何よりも命が大事だというのはおかしい

人の死は、もちろん大切に扱われるべきものです。が、一方で、必要以上に神聖視・タブー視されているようにも感じます。

平井 いま日本は、死ぬということをあんまり考えなくていいような世の中になってしまってますよね。

佐野 それで、死ぬということが悪いことのように考えられていますよね。

平井 そうですね。六十年前は赤紙が来たら戦争に行っていたわけですよ。家人も子供たちも死について真剣に考えていたわけです。ところが今は死ぬということを全然考えない。ガンになり突然、「あと一年で死ぬよ」と言われるもんだから、びっくりして焦るわけです。

   死の哲学的な問題はいろいろありますが、「デス・エデュケーション(死の準備期教育)」といって、子供のころから教えることが大事だと言われています。要するに動物が死んだりすれば、「死とは何だ?」とやるわけです。

佐野 でも、いまはそういうのを隠すようになっていますね。

平井 ええ。タブー化するんですね。

佐野洋子『死ぬ気まんまん』P.89〜P.90 佐野洋子×平井達夫(築地神経科クリニック理事長)対談より

そんななか、佐野洋子さんは、「何よりも命が大事だというのはおかしい」と言い切ります。

佐野 やっぱり嫌なのは脳卒中ですね。それから考えると、私、ガンってとってもいい病気だと思いました。

平井 本当にそうなんですよ。脳卒中も予防が大切で脳ドックは絶対に受けたほうがいい。我々の静岡県藤枝市の病院にも療養病棟というのがあって、重症脳卒中で寝たきりとか、胃を切ってチューブを入れて栄養をやっている。それを法律的、倫理的にもどうするかがなかなか難しいんですよ。

佐野 生きているということは何かというのがありますでしょ?

平井 そうですね。

佐野 ただ息をしていればいいのかというと、人生の質というものもあるじゃないですか。それを、何よりも命が大事だというのはおかしいですね。

平井 おかしいですよ。

佐野 そう思いますか。

平井 思います。

佐野 嬉しい!

平井 医者はほとんどそう思っています。

佐野洋子『死ぬ気まんまん』P.86〜P.87 佐野洋子×平井達夫(築地神経科クリニック理事長)対談より

平井 日本人の死の準備教育の一環として、もう少し佐野さんにいろいろ言ってただけると、医者としては非常にありがたいです。

佐野 そうですか。要するに、自分なんて大した物じゃないんですよね。同様に、誰が死んでも困らないわけ。例えば、いまオバマが死んでも、必ず代わりが出てくるから、誰が死んでも困らないわけですよ。

   だから、死ぬということをそう大げさに考える必要はない。自分が死んで自分の世界は死んだとしても、宇宙が消滅するわけでも何でもないんですよね。そうガタガタ騒ぐなという感じはする。

佐野洋子『死ぬ気まんまん』P.119〜P.120 佐野洋子×平井達夫(築地神経科クリニック理事長)対談より

普通の人が口にしたら、袋叩きにされるかもしれないような、かなり突っ込んだ発言です。でも、余命宣告をされた後の佐野洋子さんが言うのだから、説得力があります。

 

100万回生きたねこは、どうして生き返らなかったのか?

僕は佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』が大好きです。というか、絵本の中で一番好きかもしれません。

100万回生きたねこ – Wikipedia

読んだ経験のない方は、Wikipediaのあらすじを見ていただくか、本屋さんで立ち読みしてほしいと思います(きっと夢中で読んでしまって、欲しくなりますよ)。ひょうひょうと輪廻転生を繰り返すねこは、最後に、自分に興味を示さなかった白猫と一緒になります。白猫が寿命を迎えたとき、人生で初めて悲しみ、本当の意味で死を迎えます。

100万回の人生を、ねこはどんな気持ちで生きていたのか。どうして最後に生き返らなかったのか。豊かな読後感が素晴らしいんですよね。

なお、子供が読んでも理解できないという指摘もあるみたいですが、僕はその意見には反対です。子供を過小評価しないでほしいなぁと思います。僕自身、子供の頃に読んで、『百万回生きたねこ』から受けた印象は別格でした。感動するとか泣けるとかではなく、うまく言葉にできないのですが、静かな驚きに満ち溢れていたのを覚えています。

 

明日死んで後悔する人はいないか?

人は誰でも100%死にます。しかも、いつ誰が死ぬかもわかりません。親兄弟や親友はもちろん、我が子や自分自身だって、不慮の事故で明日突然消えてしまうかもしれないわけです。

僕自身、死から目を背けないようにしたいと常々思っています。なぜなら、死の可能性を考えずにいると、後悔を生む可能性が高くなるからです。「あのとき●●しておけば良かった」「もっと●●すべきだった」などなど。

この世から誰かが消えてしまうのは、とても喪失感のあることですが、絶対に避けられません。だとしたら、喪失感以外に悲しみを生まないよう、全力で生きたいものです。

僕はときどき立ち止まって、明日死んで後悔する人はいないか? を問いかけるようにしています。これは我が子に対しても同様です。今まで子供たちが無事に成長してくれているのは、単なる幸運に過ぎないという事実を忘れないようにしたいと考えています。

たまには死生観について思いを巡らせてみるのも悪くないと思いませんか。佐野洋子さんのエッセイ『死ぬ気まんまん』と絵本『100万回生きたねこ』。どちらも素晴らしい作品です。人生の余暇にいかがでしょうか。おすすめです。

 

13月

スマホですぐに読める芥川賞受賞作一覧(2000年〜)

阿部和重、川上未映子、綿矢りさ、朝吹真理子、西村賢太などで有名な芥川賞は、才気溢れる若手の純文学作家に与えられる傾向の賞です(直近の第148回では、例外的に75歳の新人が受賞して話題になりました)。

今回は、Kindle化されている芥川賞受賞作を紹介します。

なお、Kindle書籍は、Amazonの端末『Kindle Fire』等がなくても、無料のKindleアプリをダウンロードしたスマートフォンやタブレットがあれば読めます。必要なのはスマホとAmazonアカウントだけです。

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第148回芥川賞(2012年下半期) – 黒田 夏子『abさんご』

■内容紹介(Amazonより。以下全作品同様)

「途方もないものを読ませていただいた」──蓮實重彦・東大元総長の絶賛を浴びて早稲田文学新人賞を受賞した本作は、75歳の著者デビュー作。昭和の知的な家庭に生まれたひとりの幼子が成長し、両親を見送るまでの美しくしなやかな物語である。半世紀以上ひたむきに文学と向き合い、全文横書き、「固有名詞」や「かぎかっこ」「カタカナ」を一切使わない、日本語の限界に挑む超実験小説を完成させた。第148回芥川賞受賞作。小説集『abさんご』より表題作のみ収録。

■感想(Amazonカスタマーレビューより一部抜粋。以下全作品同様)

  • 読んでいて、まったく面白くない。読む意欲が生まれない。これが文学というものか、これが純文学なのかと、何度も溜息つきながら……
  • 意味わからん。面白くもない。まずい高級ラーメンをドヤ顔で……
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第147回芥川賞(2012年上半期) – 鹿島田真希『冥土めぐり』

■内容紹介

あの過去を確かめるため、私は夫と旅に出た――裕福だった過去に執着する母と弟。彼らから逃れたはずの奈津子だが、突然、夫が不治の病になる。だがそれは完き幸運だった……著者最高傑作!

■感想

  • 芥川賞受賞作、という情報以外は入っていないほとんど先入観のない状態で本書を読みました。まず、文章が読みやすく、描写が的確。流れるようにすらっと読めて……
  • 恵まれない家庭環境には同情するが、それに立ち向かうでも逃避するでもなく、延々と不満が語られる物語。始まりと終わりで主人公に何か変化が起きたのか、私には読み取る事が……
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第146回芥川賞(2011年下半期) – 円城塔『道化師の蝶』

■内容紹介

第146回芥川賞受賞作! 無活用ラテン語で記された小説『猫の下で読むに限る』。希代の多言語作家「友幸友幸」と、資産家A・A・エイブラムスの、言語をめぐって連環してゆく物語。SF、前衛、ユーモア、諧謔…すべての要素を持ちつつ、常に新しい文章の可能性を追いかけ続ける著者の新たな地平。

■感想

  • 美と智で織られた、捩れた織物に入り込むワクワクする体験だった。夢中になったのは芥川賞だったからか。この小説に魅せられ、のめり込み、行きつ戻りつし、その姿を眺め続けた……
  • では、この本は一体いつどこでどのように読むべきなのでしょうか 私には読めませんでした 何が言いたいのかが……
  • 他、詳細はこちら

 

第146回芥川賞(2011年下半期) – 田中 慎弥『共喰い』

■内容紹介

話題の芥川賞受賞作、文庫化! セックスのときに女を殴る父と右手が義手の母。自分は父とは違うと思えば思うほど、遠馬は血のしがらみに翻弄されて──。映画化が決定した、第146回芥川賞受賞作。瀬戸内寂聴氏との対談を新たに収録。

■感想

  • 思春期の頃の親や異性や自分に対する葛藤やうまく処理できない感情がズブズブ伝わってきた。ヘドロの臭いや酸い匂いがまとわりつく。純文学を味わうとはこういうことなんだと、鈍りつつあった嗅覚を……
  • 芥川賞は小説家としての文章表現力を競う賞なのか。それだったら合格だ。しかし小説として読む者の立場に立って書くのであれば、最低の……
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第144回芥川賞(2010年下半期) – 朝吹真理子『きことわ』

■内容紹介

葉山の高台にある別荘で、幼い日をともに過ごした貴子と永遠子。ある夏、とつぜん断ち切られた親密な時間が、25年後、別荘の解体を前にしてふたたび流れはじめる。ふいにあらわれては消えてゆく、幼年時代の記憶のディテール。やわらかく力づよい文体で、積み重なる時間の層を描きだす、読むことの快楽にみちた愛すべき小説。

■感想

  • 作品テーマでもあるでろう、まるで夢の中を読んでいるような文体。数多ある比喩表現の中から、選びに選んだ比喩、レトリック。ひらがなから漢字への移り変わっていく瞬間などなど、視覚的にも非常に計算されて作られた作品であり……
  • 読んでいて、疲れた。文章がすっと頭に入らない。美しい文章だと?わざと分かりにくくしてるのでは?芥川賞って…ほんと意味不明……
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第144回芥川賞(2010年下半期) – 西村賢太『苦役列車』

■内容紹介

劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞作。後年私小説家となった貫多の、無名作家たる諦観と八方破れの覚悟を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録。解説・石原慎太郎。

■感想

  • 読み終えて、ただただ圧倒され、出版社宛てに、初めてファンレターのようなものを書きました。「ようなもの」というのは、まだファンになったのかどうか自分でも定かでなく……
  • 父親が性犯罪を犯して逮捕され、いびつな性格になってしまった主人公が友人がほしいんだけど、わざとききょうな行動に走ってしまうというか、内容はそれだけ……
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第138回芥川賞(2008年上半期) – 楊 逸『時が滲む朝』

■内容紹介

梁浩遠と謝志強。2人の中国人大学生の成長を通して、現代中国と日本を描ききった力作。『ワンちゃん』に次ぐ期待の新鋭の第2作!

1988年夏、中国の名門大学に進学した2人の学生、梁浩遠(りょう・こうえん)と謝志強(しゃ・しきょう)。様々な地方から入学した学生たちと出会うなかで、2人は「愛国」「民主化」「アメリカ」などについて考え、天安門広場に行き着く――。大学のキャンパスで浩遠と志強が出会った「我愛中国」とは。同窓の友人たちとの議論や学生生活を通して、現代中国の実像を丹念に描きつつ、中国人の心情がリアルに伝わってくる力作です。物語の後半では日本も登場し、国境を越えるダイナミックな展開から目が離せません。衝撃の前作『ワンちゃん』から半年、スケールアップした新鋭の最新作です。

■感想

  • 「芥川賞を取るレベルの日本語ではない」という批判を聞いていたいので、どうかなと思いつつ読んだが立派なものだ。変にくだけて、それを独創性だと勘違いしている昨今の作家に、見習ってもらいたいぐらい……
  • 題材は面白いと思うが、人物描写が余りにもいい加減で、ストーリーに感情移入出来ないばかりか……
  • 他、詳細はこちら

 

第136回芥川賞(2006年下半期) – 青山七恵『ひとり日和』

■内容紹介

20歳の知寿が居候することになったのは、71歳の吟子さんの家。奇妙な同居生活の中、知寿はキオスクで働き、恋をし、吟子さんの恋にあてられ、成長していく。選考委員絶賛の第136回芥川賞受賞作!

■感想

  • 私は21歳だから主人公と同い年。それはもう共鳴してしまって、一気に読んだけれど三度も涙し……
  • いや~何が面白いのかわからない作品だった。退屈だった。主人公が美しくない……
  • 他、詳細はこちら

 

第135回芥川賞(2006年下半期) – 伊藤 たかみ『八月の路上に捨てる』

■内容紹介

暑い夏の一日。僕は30歳の誕生日を目前に離婚しようとしていた。愛していながらなぜずれてしまったのか。現代の若者の生活を覆う社会のひずみに目を向けながら、その生態を明るく軽やかに描く芥川賞受賞作!他一篇収録。

■感想

  • 全体がテンポよく進んで、とにかく文章にキレ味がある。帯にもあるような 『…一日をまとめた』というようなフレーズがここかしこに現れる。著者の感性と力量が……
  • まったく深みのない本と言っていいでしょう。作文として提出したら、小学校の先生にも駄目だし食らい……
  • 他、詳細はこちら

 

第129回芥川賞(2003年上半期) – 吉村 萬壱『ハリガネムシ』

■内容紹介

吉村萬壱はデビュー作『クチュクチュバーン』において、個体としての人間が他の生命や物質と同化・変態し、巨大な集合体の中に溶け込んでいくプロセスを通して、人類進化の壮大なビジョンを初期筒井康隆の作品世界を彷彿(ほうふつ)とさせるグロテスクかつドタバタふう筆致によって描き上げた。芥川賞受賞作『ハリガネムシ』において、吉村は物語の舞台を近未来から現代(1980年代後半)へ移すとともに、前作において顕著だった暴力と破壊のテーマをさらに発展させ、それらをひとりの人間の内に発する過剰な欲望のありようとしてリアルに表現することに成功している。

物語の主人公は、高校で倫理を教える25歳の平凡な教師中岡慎一。アパートで独り暮らしをする慎一の前に、半年前に知り合った23歳のソープ嬢サチコが現れる。サチコは慎一のアパートに入り浸り、昼間は遊び歩き、夜は情交と酒盛りの日々を送る。サチコの夫は刑務所に服役中で、ふたりの子どもは施設に預けたままだが、詳しい事情は明らかでない。慎一はサチコを伴い車で四国に旅立つが、幼稚な言葉を使い、見境なくはしゃぎまわり体を売るサチコへの欲情と嫌悪が入り交じった複雑な感情は、慎一の中で次第に暴力・殺人願望へと変容していく。慎一は、自身の中に潜在する破壊への思いを、カマキリに寄生するハリガネムシの姿に重ね合わせる。

カマキリの尻から悶(もだ)え出る真っ黒いハリガネムシ、風呂屋の洗い場でロゼワイン色の血尿を放つ男、奇っ怪な叫び声をあげる登場人物など、グロテスクな人物や不穏なイメージに彩られた本作は、すべての読者に平等に支持されるものではないかもしれない。しかし、人間の内に発する欲望や衝動をありのままに記述していこうとする吉村の作家としての姿勢は実直なものであり、倫理的であるとさえいえる。

人間の本性として備わる「欲望」の本質に鋭く迫った問題作である。(榎本正樹)

■感想

  • サチコがいい。サチコが面白い。サチコに泣けた。これはいい本。今年のベスト1かも……
  • 人間のゆがみを描いたつもりなのだろう。そこにセックスや暴力の描写を交え、新感覚で奇才という賞賛を得たかったのかも……
  • 他、詳細はこちら

 

第128回芥川賞(2002年下半期) – 大道 珠貴『しょっぱいドライブ』

■内容紹介

芥川賞受賞作の表題作を含む3つの作品を収めた本書は、『背く子』や『裸』など、九州を舞台にした作品によってみずからの文学世界を築きあげてきた大道珠貴にとって、新境地となる短編集である。

「しょっぱいドライブ」は海沿いにある小さな町を舞台に、34歳の実穂と60代前半の男性九十九さんの微妙な恋愛関係を、語り手である実穂の視点から描く。実穂は家族ともども、長年にわたって九十九さんの人の良さにつけ込み多大な世話を受けてきた。父が亡くなり実家で暮らす兄とも疎遠になる中で、実穂は隣町でアルバイトをしながら独りで生活する日々を送っていた。実穂は地方劇団の主宰者の遊さんと関係をもつが、気持ちは次第に九十九さんに傾いていく。九十九さんの運転する車に乗って、生まれ故郷の潮の匂いの漂う町でデートを重ねる実穂。実穂の揺れ動く感情の流れと九十九さんの関係の機微を、作者の筆は正確に描き出す。30代女性と60代男性の恋愛という枠組みの中に、性や介護や経済の問題が示唆される。読者は、タイトルに含まれる「しょっぱい」に込められた多重的な意味内容に注意を向けるべきだろう。

このほか、中学2年生の不登校の少女と26歳の相撲取りという不思議な組み合わせのカップルを描いた「富士額」、若い女性同士の密着感のある奇妙な主従関係をつづった「タンポポと流星」を収録。現代人のさまざまな関係の有り様を描いた、つまりは「人間」を描ききった短編集である。(榎本正樹)

■感想

  • この人の文章は非常に特徴があります。飄々としていてユーモアがあって温かくて。疲れた時にたまらなく好い。内容なんてどうでも……
  • 収録されている作品の女性の類似が閉口。受身で希望や意欲なく、でもセックスは……
  • 他、詳細はこちら

 

第127回芥川賞(2002年上半期) – 吉田 修一『パーク・ライフ』

■内容紹介

昼間の公園のベンチにひとりで座っていると、あなたは何が見えますか?スターバックスのコーヒーを片手に、春風に乱れる髪を押さえていたのは、地下鉄でぼくが話しかけてしまった女だった。なんとなく見えていた景色がせつないほどリアルに動きはじめる。『東京湾景』の吉田修一が、日比谷公園を舞台に男と女の微妙な距離感を描き、芥川賞を受賞した傑作小説。役者をめざす妻と上京し働き始めた僕が、職場で出会った奇妙な魅力をもつ男を描く「flowers」も収録。

■感想

  • 毎日同じようなライフスタイルをおくっていると、形骸化してくるような感覚になってくるが、この小説はそんな日常の形式化からある女性との偶然の出会いによって目を覚まさせてくれ、そして最後は前向きになれるような、さわやかな小説だと……
  • にかくダサいです。作者の地元の九州を描いた「悪人」の素晴らしさを考えれば、小説家としての力量は疑うまでもないはずなのですが、この芥川賞受賞作はもう耐え難いダサさと……
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第126回芥川賞(2001年下半期) – 長嶋 有『猛スピードで母は』

■内容紹介

文學界新人賞受賞作「サイドカーに犬」と芥川賞受賞作「猛スピードで母は」がカップリングされた長嶋有の第1作品集。

「サイドカーに犬」は、語り手の女性が小学4年生の夏休みに体験した、母親の家出に始まる父親の愛人との共同生活を回顧(懐古)する物語。ムギチョコや500円札、パックマンといったアイテムとともに描かれる1980年代初頭の時代風景が懐かしさをそそる。父の若い愛人である洋子さんの強烈な個性と存在感は、「猛スピードで母は」の母親の姿と相まって、自立的で自由な新しい女性のイメージを提示している。「サイドカーに犬」というタイトルには、大人と子どもの間の微妙な距離感がメタファー(暗喩)として込められている。大人と子どもの相互的なまなざしの交錯が、すぐれて文学的な「間」を演出している。

「猛スピードで母は」は、北海道で暮らす小学5年生の慎と母親の1年あまりの生活を描いた作品。大人の内面にはいっさい立ち入らず、慎の視線に寄り添う三人称体による語りが、子ども独特の皮膚感覚や時間感覚をうまく描き出している。さまざまな問題に直面しながらも、クールに現実に立ち向かう母親の姿を間近で見ることで、自らも自立へと誘われていく慎の姿が感動的だ。先行する車列を愛車シビックで「猛スピード」で追い抜いていく母親の疾走感覚は、この作品のテーマに直結している。物語の結末で示される国道のシーンは、読者の心に強く残るだろう。(榎本正樹)

■感想

  • 文庫になるまで読まなかったことが悔やまれる傑作。「人とのつながり」という手垢のついた言葉の意味を根底から……
  • 何にも中味がない。風雅や洗練さ、緊迫性を好む読者は、極力排除したいらしい「文壇」のお歴々は……
  • 他、詳細はこちら

 

第125回芥川賞(2001年上半期) – 玄侑 宗久『中陰の花』

■内容紹介

第125回芥川賞受賞作。予知能力を持つという「おがみや」ウメさんの臨終に際して、禅寺の住職則道とその妻圭子の織り成す会話から、「死とは何か」「魂とは何か」を見つめた作品。先に発表された第124回芥川賞候補作『水の舳先』では、死を間近に控えた人々がそれぞれに救いを求める様子を描いていたが、本作は肉体的な死を迎えた後、いわゆる「死後の世界」を主なテーマにおいている。

虫の知らせ、三途の川、憑依、そして成仏。それら、生きている者には確かめようのない民間信仰や仏教理念に、僧・則道が真摯に向き合っていく。ともすると、専門的、宗教的すぎてしまう題材ではあるが、「人は死んだらどうなんの」といった無邪気な言葉を発する妻の存在が、一般の読者にも身近な内容へと引き寄せてくれる。また、則道が、ネットサーフィンで「超能力」を検索する様子や、病院でエロ本を眺める場面など、自らが現役の僧侶である著者ならではの宗教人の等身大の姿が、物語に親近感を持たせていると言えよう。

表題『中陰の花』のイメージとして使われている妻が作る「紙縒タペストリー」の幻想的な華やかさが、いまひとつリアルに伝わってこないのが残念ではあるが、これまで追ってきた厳粛なテーマをすべて包み込むような関西弁の台詞でのエンディングが、読後にやわらかく、心地よい余韻を与えてくれる。(冷水修子)

■感想

  • 文章がすぐれていて、思想性が深い。芥川賞作家を読み続けてやっと本物の文学に辿りついた。オアシスに到着した遊牧民の境地……
  • 現役僧侶によって書かれた、生と死、そして成仏やあの世をテーマにした芥川賞受賞作。確かに丁寧に語られる文章には好感が持てるが、遥かな昔から考え続けられている主題に、現代的なインターネットや先端科学情報を交えて多少新しく見せているだけという印象を……
  • 他、詳細はこちら

 

第123回芥川賞(2000年上半期) – 町田 康『きれぎれ』

■内容紹介

「―― 大きい俺や小さい俺、青空に円形に展開、みな、くわっとした格好で中空に軽くわなないている ――」。親のすねをかじりながら無為の日々を送っていた「俺」はかつて、ともに芸術家を志し、その才能を軽視していた友人が画家として成功したことを知る。しかも、美貌と評判高い彼の妻は、「俺」が見合いをして断った女だという。よじれて歪んだ心が生むイメージが暴走した果てに「俺」が見たものは…。

著者は、パンク歌手であり詩人であり俳優であるという異色作家。『夫婦茶碗』 『へらへらぼっちゃん』など、独特のビート感あふれる作品を意欲的に発表し、個性派作家として注目を浴びている。若い世代を中心に「ストリート系」、「J文学」などともてはやされる一方で、ナンセンスなストーリー展開やメッセージ性の希薄さなどから「キワモノ」であるという冷ややかな評価も受けていた。ところが、一見、一貫性を欠いているようにも思われる言葉の連射の間隙に、透明感を与えることに成功した本作で芥川賞を受賞したことで評価は一変し、純文学の新たな地平を開く作家としての栄誉を得た。好悪の分かれる作家ではあるが、繰り出される言葉のリズムに身をまかせて一種のカタルシスを得ることができるか、違和感を抱くか、それは作品に触れて確かめてほしい。(梅村千恵)

■感想

  • 間の思考をぐるっとひっくり返したような文体です。考えてることなんて本当は小説みたいに整然としてなぞない。言葉や思考の色んなこまかい断片が集まると、整然とした文章よりも、かえってものすごく的確な……
  • 他、詳細はこちら

 
以上、2000年以降の受賞作でKindle化されているものは、29作品中15作(51.7 %)でした。

 

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