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269月

子どものiPhone・iPad利用を制限しても何も問題は解決しない

久々に頭にきたので、ちょっと記事を書こうと思います。

中高生のためのシンガポール留学: スティーブ・ジョブズが子どもにiPhone やiPadを使わせなかった理由

ちなみに、翻訳した新美真理子さんは、一緒にイベントをやったり、キャンプに行ったり、という知り合いです。新美さんが言いたいこと、問題意識はわかるし、記事の内容も、対処療法としては妥当だと思います。

頭にくるのは、この記事を読んだ人たちが、私が見た限り誰一人として、「親が子育てに限られた時間しか使えない(あるいは使おうとしない)」ことが問題だ、と指摘していないからなんです。

日本という国、我々が暮らす社会の置かれている状況に、「ふざけんな」と思います。親が子どもにたっぷり向き合えれば、ゲームなんか無制限でなんの問題もないんです。

もっとも個人的には、スティーブ・ジョブズの子育て論を、持論の補強に使うのは、長い目で見れば得策とは思いません。彼は早死にしました。精神的な世界に傾倒し、科学的に誤った偏食を続け、医学治療を拒否し、結果として膵臓がんに屈しました。伝記を読む限り、家族を顧みることのできない人でもありました。

ジョブズは確かに天才だったけれど、完璧な人間ではありませんでした。思い込みが激しく、激情家で、無数の失敗や間違いを繰り返しました。むしろ、欠点だらけだからこそ美しい、というタイプの人間です。

 

ゲームを悪者にしても根本的にはなにも解決しない

ゲームは、世の中にあふれる娯楽の一つでしかありません。特別に危険視する必要はないんです。なぜ世の中の親は、これほどにゲームを恐れるんだろう? と私はしばしば思います。

無制限に与えたって、本来、何の問題もありません。

うちの子たちは、iPadと3DSを使い放題です。でも、そればかりをずっとやっていることはなく、飽きれば別のことで遊び始めます(きちんと躾けているので、用事があればすぐに中断もできます)。

うちの子たちは、探究心が旺盛で、やりたいことはすぐにやってみます。高いところにのぼったり、さかさまになったり、駆け回ったり、常にアグレッシブです。おまけに、誰とでもすぐに仲良くなれてしまいます。

ゲームを悪者にする人たちは、とりあえず、うちの子たちと遊んでみるといいと思います。自分の考えに、疑問を抱かざるをえなくなるはずです。

 

私たちは花粉症の薬を飲み続けたいわけではない

「ゲームを制限する」という子育ては、けっして間違いではないと私は思います。

ただ、対処療法なんです。花粉症で言えば、炎症を抑える薬を飲んで、症状を抑制するだけ。どんなに薬を飲んでも、治癒するわけではありません。

私たちは本当は、眠くなったり、喉が渇いたりという副作用のある薬を延々と飲み続けたいわけではないですよね。花粉症が治るものなら、治したいんです。

なぜ、子どもにゲームを与えると、子どもの社交性が育たなかったり、ゲームばかりしている子どもになってしまったり、という事態が起こるんでしょうか。

答はシンプルで、親が、子どもに、ゲーム以上の楽しみを提供できないからなんです。

親に意識が足りないのか、物理的に子どもと向き合う時間がないのか、様々な経験をさせようにもお金がないのか、理由はさまざまだと思います。

 

世の中にはゲーム以上に楽しいものが無数にある

ゲームは、ものによっては、中毒になるほど楽しいものです。が、世の中には、ゲームと同等か、それ以上に楽しいことも、無数にあります。

いま5歳の娘は、今年の夏は5〜6回ほどキャンプをしました。夢中で火遊びをし、テントに入らずに星空を眺めながら眠っていました。

キャンプもそうだし、キャンプ以外の旅行でも、様々なおじさん、おばさんに面倒を見てもらったり、個性の違った子どもたちやそのファミリーと遊びました。

さすがに数えていないですけど、この夏にお世話になった方々は、総勢100人は軽く越えていると思います(人づきあいの苦手な私が、よくもまあこんなに、と自分自身で思うんですが、これにはコツがあります。別記事にします)。

また来月には、はじめて会う親子とカヤックに行く予定です。地元のおじさんに、いろいろ手配してもらっています。

※あ、もちろん東京ディズニーリゾートにも行っているし、トーマスランドにも行っています。5歳の娘は(100%自分の意思で)プールと体操にも通っています

 

私たちは仕方なくゲームを制限せざるをえない

我が家のように、子どもに、日常的と言えるレベルで、ゲーム以上の楽しみを提供できていれば、iPadや3DSを制限する必要なんかありません。

繰り返しますが問題は、親が、子どもに、ゲーム以上の楽しみを提供できない何かしらの理由があることなんです。

仕事が忙しく、時間がない。薄給で、お金がない。社会が子どもとたっぷり向き合う余裕を持たせてくれない。などなど。

子どもと向き合える時間は、貴重なんです。だから仕方なく、子どもと向き合える貴重な時間くらいは、ゲームを制限せざるを得ない。

我々は、本当は制限する必要なんかないのに、何かしらの要因によって制限しなくちゃいけない状況に置かれているんですよ。

でも、それでいいんでしょうか。

抗アレルギー薬を飲み続けて、症状を抑えるだけでいいんでしょうか。花粉症を根本的に治したいとは思いませんか。

 

「現状を変えることはできない」と思い込んでいないか

課題ははっきりしています。自分の日常を思い浮かべてみてください。子どもとたっぷり向き合い、世の中を広く見せ、いろいろな人と会わせ、多様な経験をさせる、ということができないのは、なぜですか?

仕事が忙しいから? 旦那が仕事で忙しくて子どもを遠くには連れ出せないから?

課題が明白であれば、根本的に解決することも可能です。

子どものために時間を確保できないのなら、ライフスタイルを変えてもいいんです。仕事を変えてもいいんです。旦那さんが原因なら、腹を割って話し合うべきでしょう。

どうしてもムリ、という状況もあります。それは仕方がありません。我が家も、どうしても動かせない事情はあります。

でも、中には「現状を変えることはできない」と何の根拠もなく思い込んでいる方もいるはずです。

ぜひ立ち止まって、考えてみてください。

本当に、ゲームを制限すれば解決するんでしょうか。あるいは、本当にゲームを制限しなければならないんでしょうか。

 

“興味の赴くままに世界を広げていける” という武器

たぶんうちの子たちは、小学生のあいだには、インターネットとクラウドの仕組み、ポータブルデバイスの本質をマスターしてしまうでしょう。

世の中が、LINE禁止とかゲーム禁止とか言っているうちに、「覚える」から次のステージに進んで、「ネットとポータブルデバイスを使って何ができるか?」を考えているでしょうね。

何の制約も受けずに、興味の赴くままに世界を広げていけるというのは、凄まじい武器です。

うちの子たちを見ていて、親の私自身が、驚かずにはいられません。

ゲームを制限する、というやり方は、本当に子どもたちに必要なんでしょうか。私は、あえて疑問を投げかけたいと思います。

 

ちなみに、我が家が子どもたちに電子機器を積極的に使わせている理由は、こちらの記事に書いています。

こどもにゲームをやらせている言い訳を探す必要はない

  1. ゲームは優れた娯楽だから
  2. 制限すればより欲求が強くなるから
  3. 時代への適応
  4. の3つです。

158月

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

とある知り合いが、「子どもに学校で良い成績を取らせようとするのが、一番してはいけない」と記事を書いていました。

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと

一番してはいけないと思うのが、
子供が好きなことがあるのに、
「そんなことでは食べていけない」
といって、学校の勉強を一生懸命頑張らせて
良い成績を取るように促すこと。
ここに精力を出しはじめると
人生が狂ってくる。

これ、完全に同意なんですよね。

“勉強を頑張らせる” という子育ては、使い古されて限界が見えている方法論の一つでしかありません。

少なくとも、良い成績を取らせておけば、将来の不安が少なくなるという考え方には、なんの根拠もないと私は考えています。

 

勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い

むしろ、成績最優先の環境に置かれるために犠牲にしてしまう、その子の個性や、社会の多様性を広く見て回る経験や、無数の人々との出会いの機会、といったものが、大人になってからの幸福感を生む可能性の高い要素です。

私は、「子どものころ、死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」なんて人に、会った経験がありません。

みなさんは、いかがですか? 会った経験がありますか。

中には存在するのかもしれませんが、多数派ではないはずです。

つまり、「勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い」というのが、客観的事実ではないでしょうか。

 

文字を書こうとしなかった5歳の娘

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5歳の娘のゆいが、急に、文字入りの手紙を書くようになりました。

それまでは、どんなに、ひらがなの書き方を教えようとしても、ちっとも学ぼうとしなかったんです。

本人の中には、「うまく書けないから、やりたくない」という思いがあったようです。

誰でも初めはうまく書けないわけで、とにかくやってみないことには始まらないのになー、と思いつつ、無理強いはしないでいました。

 

きっかけは、同年代の女の子からの手紙

きかっけは、同年代の女の子からもらった手紙でした。

ひらがなで、文章が書いてあったんです。

ゆいは、書けないけれど、読むことはできるので、それを(キャンプ中だったので)キャンピングベッドの下に持ち込んで、独り、まじまじと眺めていました。

家に帰ってから、幼児向けのひらがな練習帳で、なにやらひとりで遊んでいたので、ためしに「お手紙のお返事を書いてみたら?」と言ってみたんです。

そうしたら、A4の紙にハートをいっぱい書き、さらに相手の名前まで書きました。

まだ音と文字が一致していないので、どうやって書いたかというと、50音の積み木を、一つ一つ探してきたんです。

「ふ」「う」「か」と、積み木の文字を見ながら、(初めてにしては)上手に写して見せました。

 

人間、必要に迫られれば学ぶ

積み木を見て書くという方法は、100%ゆいのアイデアです。親は何も言っていません。

いや、驚きましたね。

人間、必要に迫られれば、学ぶんです。

そして、未熟であれば工夫して、見事にモノにしてみせる。

手紙は、iPhoneで撮影して、すぐにLINEで送りました。

「ありがとう♡ だいすき」という返事を見て、ゆいは自信がついたようで、今度は保育園の彼氏の名前を書き始めました。

「か」「ま」「だ」「り」「ゅ」「う」「せ」「い」と、フルネームで、かなり難易度は高いと思うんですが、投げ出さずによく書くんですよ。

 

本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番

実際、「本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番」という教育方針を貫く学校もあります。

サドベリースクールです。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

東京サドベリースクールのスタッフ・杉山まさるさんとの一問一答がおもしろいので、一部再掲します。

 
Q. 小学校時代を思い返してみると、彫刻刀セットだとか、裁縫セットだとか、みんな一律に買わされたのが、今になって思うと不思議です。サドベリースクールは正反対の考え方ですよね。

人はそれぞれ違います。興味を持つ対象も、どういうタイミングで学びたいと思うかもそれぞれ違うので、そのときに必要なことを本人が選んでいけばいい、という考え方です。

 
Q. これからの時代、現在の画一的な教育のあり方に疑問の声を挙げる人が増えてくるのではないかと感じているのですが、いかがでしょうか。

サドベリースクールは、すべての子に合う学校ではないと思っています。ただ、今ある一つの教育システムだけではなくて、いろいろな教育が近所にあって、あなたはシュタイナーなんだね、あなたはモンテッソーリなんだね、あなたは一般的な学校なんだね、みんな違うけどどれもOKだよね、というふうに、それぞれに合った教育を選択するのが当たり前な社会になれば、それが一番健全なのではないかな、とは思います。

 
Q. 「読み書き算数など、最低限の教育だけでもやったほうがいいのではないか」という意見もあると思いますが。

すべてこどもたちに任せています。本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。それ以外のタイミングでやらせようとすると、むしろ嫌いになってしまったり、「これが必要だ」と自分で考える力を奪ってしまう可能性がある、という考え方です。

 
Q. 一度も通常の小学校などに通った経験のない子の事例はありますか?

東京サドベリースクールは生まれてまだ5年、もうすぐ6年ですが、小学生からアメリカのサドベリースクールに通っていた15歳の女の子が在籍しています。読み書きや計算もできますし、敬語も使えます。マンガを読んでいるとわからない字が出てくるのでお父さんお母さんに聞いたり、スーパーやコンビニで買い物をするのに計算ができないと困るので学んだり。彼女は学ぶことにストレスがないですね。

 

サドベリースクールに通うことを決めた親子と出会う

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偶然なんですが、この夏の福井県滞在中に、サドベリースクールに通うことを決めた親子と知り合うことができました。

ゆいと、この少年(もう小学生で、ゆいよりはかなりお兄ちゃん)は、同じ部屋に足を踏み入れた瞬間から、なんの違和感もなく遊び始めました。

もう、子犬の兄妹か、と思うほどじゃれ合って、見ている親は唖然とするしかありませんでした。

人見知りしないとか、そういうレベルじゃないんですよ。

彼らはああやって、何の制約も抑圧も受けずに、興味の赴くまま、ものすごいスピードで世界を広げて行くんだな、と思わずにはいられませんでした。

 

人生の楽しみ方を知っている子に育てよう

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

もっとも、我が家の子育てがこれからどうなっていくのか、細かいことについては、まったく予想がつきません。

サドベリースクールに行くのか、小学校をぶっ壊すのか、海外へ行ってしまうのか。

親として、ただ一つだけ言えるのは、人生の楽しみ方を知っている子に育てよう、ということなんです。

ゆいは、たとえば、芝生があればとりあえず寝転んでみるし、川へ遊びに行けば浮き輪で流れてみるし、海へ行けば波打ち際で漂ってみるし、キャンプへ行けば星空を見ながら外で眠るし。

良いことばっかりじゃなくて、他人のオモチャや本でも平気で遊び出すので相手をびっくりさせてしまったり、店の陳列物を手当たり次第にいたずたしたり。

どっちにしても、あんた、ほんとに楽しそうねえ。(^^;;

こういう我が子の個性を、なるべく殺さないようにいきたいなーと、未熟な親ながら思っている次第です。

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