Tag: 就職活動

125月

採用担当者が “本気度” を選考基準にしている限り、ミスマッチは大量に発生し続ける

就職活動において、応募者の “本気度” は、すべてが「ウソ」か「根拠がない」わけなので、採用担当者が “本気度” を選考基準にしている限り、ミスマッチは大量に発生し続けます。

採用担当者の責任逃れでしかない “本気度” で選ぶ採用活動なんか、企業の採用コストをあげ、新卒や転職者を不幸にするだけなので、滅べばいいのに。

(組織風土が掛け値なしに魅力的な企業をのぞく)

 

採用側からすると “本気度” での選考はスタンダードらしい

採用担当から見た就職活動で大事なたった3つのポイント – 人生やまあり

会社側で採用やってる側からすると、なぜうちの会社なのか、本気度はどのくらいなのか、会社のどのくらい知ってるのかなどが非常に重要である。

ご存知のように、採用には新卒・転職に関わらず何百万、多いと何千万という費用がかかる。だからこそここでいう本気度というのは非常に大事だ。この会社がどういう会社なのか(事業・勤務体系・激務度・会社の風土など)知ってもらってからじゃないと、会社としても、入社側としても不幸になる可能性が高いからだ。入社したあとにこんな「こんな会社とは知らなかった」となってしまうお互いの不一致を可能な限り無くしたいと会社側も思っている。

私、これを読んでも理解できないんですよね。

「採用には新卒・転職に関わらず何百万、多いと何千万という費用がかかる」だからこそ「本気度というのは非常に大事」って、論理的に破綻しているんじゃないでしょうか。

採用コストが問題なら、 “本気度” を選考基準にするのは一番やってはいけないことのように思うんですよ。

だって、応募者の “本気度” は、100%「ウソ」か「根拠がない」わけです。

前者は言うまでもないでしょう。後者については、就職・転職をいくつか経験してきた人なら誰もがわかるとおり、事前に会社の内実を知るのは不可能。実際に働いてみなければわからないことは必ず存在します。

もちろん、事前に応募する会社について調べないのは(働くに値する会社なのか判断する意味で)もってのほかではあるんですが。

ただ、“実際に働いてみなければわからないこと” は、事前にわかることよりも圧倒的に重要で、長い組織生活において決定的な影響となるものです。

結局、わからない情報があるにもかかわらず、「御社で働きたいんです!」と言い切れる学生や転職者は、うそつきか、夢見がちなだけに過ぎない。

 

採用担当者の責任逃れでしかない

“本気度” を選考基準にする限り、ミスマッチは大量に発生し続けます。もうこれは、現実が現しているとおりなんじゃないでしょうか。

それでも “本気度” を選考基準にする理由はなんなのか。

私にはほんとうによくわからないんですけど、わからないなりに思いつくのは、責任逃れなのではないか?という可能性です。

つまり、新入社員が辞めたときに、採用担当者が「アイツは本気で働きたいと言っていました。その熱意にはウソはありませんでした」と上司に言い訳できる。

ほかの理由があるんですかね?

私は企業で働けるタイプの人間じゃないんで、見落としている視点があるかもしれませんが。

 

魅力的な組織でさえあれば本気度なんかどうでもいい

企業はいつまで、“本気度” を選考基準にして、ミスマッチを大量に生みだし、採用コストを浪費し続けるんでしょうか。

採用担当者の責任逃れなんか、即刻やめさせるべきなんじゃないんでしょうか。

この方法が結局、大企業としては責任の所在を「なあなあ」にできて、総合的に見るとベターなやり方なんでしょうか。

だから、

入社したあとにこんな「こんな会社とは知らなかった」となってしまう

んだと思いますよ。

だって、組織への貢献意欲って、組織が魅力的でさえあれば、いくらでも後天的に育める性質のものだから。

多くは、労働条件の不一致なんかじゃないんですよ。

仕事内容がきつかったとしても、上司に理解があって、仕事を楽しめる環境なのであれば、そうそう辞めようとは思わないですからね。

 
まあ結局、私が企業の圧倒的大多数に苦言を呈したいのは、「本当に魅力的な組織風土を作ってから偉そうにモノを言え」ということですかね。

組織に従順かどうかよりも、組織に価値を提供できるかどうかのほうが圧倒的に重要なんだから、企業側が「こういう人材が欲しい」と明確に打ち出す採用活動がスタンダードになってほしいなーと、蚊帳の外の人間ながら思います。

224月

“10日で退職” 問題|ヨドバシカメラの販売は、どう足掻いたってつまらない

私が訴えたいのは、たった1つです。「ヨドバシカメラの販売は、どう足掻いたってつまらない」ということ。

「ゲームがつまらないんじゃなくて、自分がヘタなだけ」 10日で会社を辞めた社員への助言ブログが反響

もちろん、家電量販店の仕事が楽しくて仕方がないという人もいるでしょう。やり甲斐を感じているという人もいるでしょう。

そういう方にとってはカチンとくる記述になってしまうんですが(すみません)、でも、「家電量販店の販売なんかつまらない」と思う人も、確実に、しかも少なからず存在する。

“事実から目を背けてしまうから、こうした単純なミスマッチが生じてしまう” ということについて書きたいと思います。

 

ヨドバシカメラの販売の何がおもしろいんですか?

なぜ、家電量販店の仕事を、やってみたわけでもないのに「つまらない」と判断するのか。

今ではほぼAmazonですが、私もたまにはヨドバシカメラやビッグカメラやヤマダ電機へ買い物に行きます。こどもの頃から通算したら20年間くらいは足を運んでいます。

でも、“生き生きと仕事をしていて輝いて見える” なんて店員にあった経験がないんですよ。接客業にもかかわらず、です。

単純な話で、楽しそうに仕事をしているように見えないから、私の中では家電量販店の仕事=つまらない、なんです。やり甲斐があって、人に誇れる仕事なら、もっと輝いている店員に出会ってもいいと思う。東京ディズニーリゾートを見ろ、とまでは言わないけれど。

 

どちらかといえば「新入社員に非がある」という立場

でも、私は、10日で辞めた新入社員を擁護する気はありません。どちらかと言えば「非は新入社員の側にある」という立場です。

なぜなら、就職活動の段階で、つまらないものはつまらない、と認めなかったからです。

結局のところ、その仕事がおもしろいかおもしろくないかなんて、消費者として直に接する接客業なんて特に、判断材料は当たり前のように転がっているんですよ。

普段はまったく接する機会がない建設業だとか、製造業だったら、「中に入ってみなければわからなかった」という言い訳もわかるんです。

でも、ヨドバシカメラですからね。

アルバイトの延長のような仕事にしか思えない、と新入社員が言っているそうですが、そんなの入社してみなくても、誰でもわかる事実なんだから。仮に本社勤務だとしても、主戦場は販売なわけで、「アルバイトの延長のような仕事」とは、切っても切り離せない。

2週間の新人研修のうちの、わずか数日の販売体験で辞めるってどうなの、という意見もあるでしょうが、そこはむしろ私は評価します。しっかりと「おもしろくない」という事実を受け入れたからです。

 

根本的におもしろくないんだから、どう味付けしたって無駄

株式会社ヨドバシカメラ の人事ブログ:新入社員が退職した。(前編)| 【就活ならリクナビ2015】新卒・既卒の就職活動・採用情報サイト
辞めてどうするのか、Kさんに聞いてみた。 「公務員を目指します。」 まただ。採用や研修を担当していると、毎年必ずこういう若者と遭遇する。 「安定していて、楽そうだから」という、かつての私と同じ発想。 …

おもしろくないものは、どう足掻いたって、おもしろくないんです。「毎年必ずこういう若者と遭遇する」のは当然です。

会社の仕事の多くは、根本的におもしろくないものを、やり甲斐だとか、福利厚生だとか、高給だとか、人間関係だとかでカモフラージュして、なんとかおもしろく見せようとしているに過ぎないものなんです。

(個人的には、会社で働く限りは、ほぼすべての仕事がおもしろくないです。裁量権のある仕事も、責任のない仕事も、両方やってみて、よくわかりました。もっとも、私がそういう性質の人間だった、というだけなんでしょうけど)

やってみたら案外おもしろいのかもしれない、とか、クソみたいな期待はしても無駄です。

「楽しいチュートリアル」が必要だとか、教育システムを充実させないといけないとか、そういう問題じゃないんです。おもしろくないものは、おもしろくないんですよ。

 

こどものころから社会を見て回れるように

蛇足ですが、じゃあどうしたらいいのか、というのは、もう明らかな答が出ていて、教育現場において、いかに社会との接点を作るか、ということなんです。

現場ではすでに課題に取り組んでいる方々もいます。

学生を立派な社会人に育てあげている大学は存在するよ。

「アルバイトの延長のような仕事にしか思えない」という、それこそ子供でもわかる事実すら、就職してからでないと認識できないのは、学生にとって社会が未知の世界だからです。

実は向こう側へ行ってみたら超楽しいテーマパークがあるのかもしれない、と乙女チックな空想してしまう。

現在の教育システムは、ともすると社会との接点が一切ないまま、就職活動に臨まなければいけない仕組みになっています。必要なのは、社会の荒波から守りながらも、こどもや学生に社会をしっかり見せる、実感させる、ということなんです。

我が家では、教育現場には期待できないと考えているので、親が子を積極的に社会に連れ出そうと思って、いろいろ取り組みはじめています。

僕が子供を仕事に連れて行きたい5つの理由

[お金の教育]こどもに仕事を手伝ってもらってお給料を支給すると、お金でダダをこねなくなる

32月

“仕事はお金のために我慢してやるもの” という先入観を捨てよう

新卒一括採用には、「100社応募したけど、すべて落とされた。死にたい」というような話がつきまとうわけですが、とは言え、ごく一部の例外なのだろうと、さしたる根拠もなく思っていました。

が、この数字を見ると、100社に落とされるケースも、それほど珍しい事例でもないのかもしれません。

就活エントリー、1人平均44社 過去10年で最多:朝日新聞デジタル
1人平均44社 …

就職情報会社のマイナビは16日、昨年12月に解禁された2015年3月卒業予定の大学生と大学院生の就職活動状況調査を発表した。入社試験の応募資料を取り寄せるなど就職情報サイトや企業の採用ホームページからエントリー(登録)したのは、就活生1人当たり平均44・3社で、前年より3・3社増えた。

 

おかしいものはおかしい

以前、『17,200時間、地球約17周の無駄について。』という記事を書きました。

17,200時間、地球約17周の無駄について。

もし、往復2時間の通勤を年間200日、22歳から65歳まで続けたら、17,200時間(約2年間に相当)。仮に片道40kmだとしたら、688,000km(地球約17周)の移動距離になります。

もちろん、通勤する人をゼロにできるとは思いません。物理的に移動しなければならない立場・役割は存在するでしょう。

が、現在の状況は、企業に勤める大半の人間が、けっして短くはない時間をかけて通勤しているわけです。

“17,200時間、地球約17周” という数字を見たら、(現実問題としてどうしようもない、という事情はともかくとして)本当にこれでいいんだろうか? と感じるのが、素直な感性だろうと思うんです。

本当に、みんながみんな、これほどの労力をかけて通勤しなければならないんでしょうか。

 

主流なのは「就職できればどこでもいい」という就職活動

「就活で1人平均44社もエントリーしている」という事実からも、似た印象を受けます。

本当に、みんながみんな、こんなに大量にエントリーしなければいけないんでしょうか。

普通に考えて、どうしても入りたい会社が44社平均もあるわけがありません。

僕なんか、どうしても入りたい会社なんて、1社もありませんでしたからね。はは。

必然的に、世の中の就活生の多くは、「就職できればどこでもいい」という就職活動を展開していることになります。

 

「新卒で就職できれば勝ち組」は価値観の一つでしかない

当然と言えば当然なのかもしれないですね。私たちが子供のころから見てきた大人たちの多くは、楽しそうに働いているようには見えなかったですから。

実際、好きではない仕事でも、一家を養うために稼がなくてはならないからと、我慢して働いてきた大人は少なくなかったはずです。終身雇用という恩恵を考えれば、トレードオフで犠牲にするのもアリな選択肢だったのでしょう。

でも現在では、新卒で就職できれば勝ち組という考えは、ある一つの価値観でしかありません。「就職できなければ、のたれ死んでしまう」というなら話は別ですが、もっと世の中を広く俯瞰してみるのも、おもしろいと思います。

よーく見てみると、あちこちに楽しそうな仕事が転がっています。最初はそれがアルバイトだって、何の問題もないと個人的には思います。

そもそも、5社や10社ならまだしも、30社も50社も落とされたら「これは何かおかしいぞ」「自分にはこのやり方は合わないのかもしれない」と疑うのが、まともな感性というものではないでしょうか。

“仕事はお金のために我慢してやるもの” という先入観は捨てて、フラットな目で世の中を見てほしいなと思います。

1312月

心の奥底では誰も仕事と生活のバランスを取りたいなんて思っていない

本当は仕事なんかしたくないよね、というところから話を始めませんか。本当に大切なもの、譲れないものが認識できなければ、自分らしく生きられている実感が持てないからです。

 

女性リーダーを無理矢理つくる?

2013年11月、リクルートワークス研究所が、『提案 女性リーダーをめぐる日本企業の宿題』という文書を発表しています。

元も子もない言い方をすれば、企業側が女性を恣意的にコントロールして働かせよう、という戦略です(企業以外への提言も含まれていますが、本質はそう表現して差し支えないはずです)。

読みましたが、正直に言ってあまり好きではないですね。違和感の根源は、女性を無理矢理リーダーにする必要はない、という一点につきます。リーダーになりたい女性が、なれるようにすればいいだけです。

「なりたい人がなれるようにする」という意味では、上記の提言は、かなり逸脱しています(もちろん、なるほどと思わせる部分もありますが)。

結婚や子育てなどに対する想定不足から、合理的な人生選択ができないでいる女性に対し、企業側の論理に基づいた情報を積極的に提示して、働くことが当然であると誘導しようという印象が否めないからです(“女性をリーダーにするための企業への提言”なので、当然ではありますが)。

 

得られるものと失うものを同時に提示しなければフェアではない

子育て一つをとっても、育休は一年間を基本とし、その一年間という数字も世界的に見て長く、「アメリカでもアジアの多くの国でも、子どもを産んだ女性は3ヶ月以内に職場に戻ってくるものなのです」などと断定的に書いています。

しかしながら、3ヶ月で子どもから離れてしまえば、失われるものも当然あります。

直後に、長過ぎる労働時間を是正するために、8時間労働を目指すという提言がなされていますが、通勤を含め10時間も拘束されてしまっては、子どもとすごす時間は(眠っている時間を除いて)どれほどだと思いますか?

家事炊事の時間は、当然ながら子どもとべったりなんてわけにはいきません。下手したら、子どもをゆっくり抱っこしてあげる時間を3分しか取れない、という人もいるでしょう。

それを納得の上でやるんなら、いいんです。他人がとやかく言うべきことではありません。

が、それが当たり前と思い込んで、早くから子どもを預けて働きに出た人に限って、自身の子育てに後悔します。

得られるものと、失うものを同時に提示しなければ、まったくフェアではないというのが僕の意見です。

 

キャリアは子ども二の次にするほど大切なのか、という視点

それから、これは個人的な思いですが。上記提言には、子ども視点が一切含まれていない事実も、付け加えておきます。

3ヶ月や1歳で親から離れたいと思う子どもはいません(発達心理学の見地から、これは明らかです)。

キャリアって、子どもの気持ちを無視してまで守るべきものなんでしょうか。

成長に悪影響が出るとか、そんなことは気にする必要はないと思います。本当に仕事が好きだとか、一家が路頭に迷ってしまうとか、働くべき理由があるのなら働くべきでしょう。

が、何となくそうしなければいけない雰囲気だから、と確固たる理由もなく働きに出て、意図せず我が子の気持ちを無視する結果になってしまうのは、なんともやるせないですね。

おまけに、このときしか味わえない乳幼児期の成長にともなう感動や、子育ての楽しさを感じる機会も減ります。「いま、子どもの成長を一番目の当たりにしているのは保育士」という現職保育士の意見もあるくらいです。もったいないですね……。

育休が長くなれば、キャリアに悪影響が出る、と上記提言に書かれています。その分、収入も下がるんでしょう。

では一方で、キャリアを優先したとき、いったい何が失われるんでしょうか。言及しなければ、やはりフェアではありません。

 

ワーク・ライフ・バランスは妥協の思考である

もっともこれは、女性リーダーを増やすべきかどうか、女性労働力の活用は必要かどうか、という価値観の問題に集約されます。『提案 女性リーダーをめぐる日本企業の宿題』は、女性リーダーを増やすべきである、という信念に基づいて、発信されているわけです。

だから、是非は置いておこうと思います。

でも、たった一つだけ言っておきたいことがあります。

本当はみんな、心の奥底では、仕事と生活のバランスを取りたいなんて思っていない、という事実です。

そんなんじゃなく、自分に向かない事柄を可能な限り排除して、徹底的に自分らしく生きたいんです。

ワーク・ライフ・バランスって、なんだか格好いい言葉のように思われていますが、実際には妥協の思考でしかないと企業も社員も自覚するべきです。

 

妥協において切り捨てる部分を間違えてはいけない

人生において、ときに妥協が必要なのはもちろんです。

が、妥協というのは、最初から望むようなもんじゃありません。最初から妥協してしまうから、不満を抱えながら働き続けるハメになります。

企業が女性に何かをすべきだとしたら、体のいいマインドコントロールではないと僕は思います。

必要なのは、それぞれの心の奥底に潜む欲求としっかり向き合う機会を作ることです。

本当に大切なもの、譲れないものが認識できてはじめて、正しく妥協ができるようになります。切り捨てる部分を間違えてはいけないんです。

正しく妥協できれば、自分らしく生きられている実感が生まれ、心置きなく仕事に専念できるようになります。自ずとリーダーも生まれやすくなるでしょう(同時に、上記提言にあるように経験の積ませ方等を再考すればなおさら)。

 

企業は社員の「本当は仕事なんかしたくない」と向き合うべき

企業としては、社員の心の奥底に潜む欲求を見るのが怖いかもしれません。

それはそうでしょう。

だってみんな、本当は仕事なんかしたくないと思っているわけですから。

でも、だからと言って働かないという人はいません。

安心して、社員の「本当は仕事なんかしたくない」という根源から掘り起こして、社員それぞれが自身の欲求に気づけるように仕向けるべきです。

その結果、この会社では働けないという結論もあるかもしれません。が、それは社員にとってはもちろん、企業にとっても幸せな結論でしょう。

何より、社員の鼻先に人参をぶら下げて無理やり働かせる後ろめたさがなくなります。ロイヤリティの高いメンバーのみで構成される組織は、そうではない組織よりも生産性が高いはずであるわけで、採用・教育に関わる損失もすぐに埋められるでしょう。

みなさん、本当は仕事なんかしたくないよね、というところから話を始めませんか。

3011月

新卒で天職を見つけられなくても何も問題はない

天職を見つけるためには、

1. 環境に縛られず、自分の欲求に耳を傾ける
2. 広く社会を見渡して、世の中の多様性を知る
3. さまざまな可能性を消していき、自分の “玉” を見つける

という3つの手順を踏む必要があります。1はともかく、2と3は社会に出てから学ぶ結果となるのが一般的です。新卒で「天職を見つけなければ」と焦る必要は一切ありません。

 

新卒が天職を見つけられないのは当然

僕が新卒で就職活動をしたのは、もう10年以上も昔です。当時から、終身雇用の神話は崩れつつあり、また景気減退の影響で、売り手市場から買い手市場へとシフトしつつある状況でした。

ここ数年に比べれば、まだマシだとはいえ、就職活動に悩む同世代は少なくなかった印象があります。「こうするのが当然だ」と疑わない層と、「ホントにこれでいいのかな?」と自信を持てない層が、混在していた感じですね。

僕自身、会社が一生の居場所であるようには思えませんでした。周囲に流されるように、就職活動を少しはやってみたものの、違和感がありありで、すぐにやめてしまいました。

もっとも、卒業するのに単位がギリギリだったという影響もありますが。卒業が決まってもいないのに、悩むのはバカらしい、と。

僕は今では、自分らしく生きられています。

僕がフリーランスを天職だと感じるのは、我慢せずに自分らしく生きられている実感があるから

が、これが天職だと自信を持てたのは、30歳を過ぎてからです。つまり、大学を卒業してから10年前後ものあいだ、あーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返してきました。

振り返ってみれば、「新卒で天職など見つけられるはずがなかった」と断言できます。なぜなら、社会がどんな場所であるかわからないのに、自分の居場所を想像できるはずがないからです。

大学を卒業して社会に出て初めて、社会はどんな仕組みで回っているのか、どんな可能性があるのかを知り、自分らしく生きる方法にたどり着けたわけです。

 

環境に縛られず、自分の欲求に耳を傾ける

天職を見つけるには、大前提として、「自分がどうしたいのか」をしっかり意識する必要があります。

人間、“環境” や “常識” に、知らず知らず流されます。

新卒で就職するのが当たり前だから、と自分の内側に寄生している違和感を封殺するのではなく、しっかり真正面から向き合うんです。

僕自身は学生時代、作家になりたいと思っていました。より正確に言えば、作家みたいなワークライフスタイルが自分に合っている(自分にはこれしかできない)、と直感していたんです。

[就職活動]仕事はやりがいや社風で選ぶな。ワーク&ライフスタイルを基準に選べ!

とりあえず夢中で働いてみたり、こどもが生まれてからは生活のために働いてみたり、と紆余曲折はありましたが、結果として “作家みたいなワークライフスタイル” にたどり着いています。

正直、狙っていたわけではないので、振り返ってみると驚きます。「自分がどうしたいのか」を意識できていなければ、こうはならなかったでしょう。

 

広く社会を見渡して、世の中の多様性を知る

学生のあなたが、自分にあった生き方を想像できないのは、当然です。

基本的に、小学校、中学校、高校、大学と、教育現場には、社会との接点がほとんどありません。教育現場は、社会の荒波から守られなければならないので、これは「悪」ではありません。

ただ、度が過ぎているんです。

社会科見学や、学生アルバイト程度では、社会の極めて限られた一部分しか知れません。

【課題に気づいて、優れた取り組みをしている現場もあります】
学生を立派な社会人に育てあげている大学は存在するよ。

結果として、仕事=よくわからないけど大変で、毎日疲れて、嫌だけど生活するためにやらなくちゃいけないもの、という印象しか持てないハメになる。

こんな状況で、自分が社会の中でどう生きていけばいいのかを、想像できるはずがないんです。

もしあなたが、小さい頃から広く社会を見られる環境に育っていて、「自分はこうしたい」という思いがすでにあるのなら、幸運です。

圧倒的大多数の学生はいま、途方に暮れているでしょう。

でも、心配はいりません。大学を卒業して社会に出てから、広く世の中を見渡していけばいいんです。

世の中には様々な生き方をしている人が存在します。

 

さまざまな可能性を消していき、自分の “玉” を見つける

たくさんの可能性を知ることで、相対的に自分に合っているものと、そうでないものが見えてきます。

だから躊躇することなく、おもしろそうと感じた存在、魅力的に見える対象に突撃してください。

僕は作家になりたいと思っていたので、企業に就職するのではなく、小説を書き続けながら校正のアルバイトを始めました。それくらい自由に発想していいと思います。

いちばんの遠回りは、「あのときこうしていれば良かったかも……」という後悔です。

人間、体験しなければ割り切れないものです。

割り切れない、とネガティブな表現をしているのは、人生の大半は可能性を消していく作業だからです。

こどもの頃は、宇宙飛行士になりたいだとか、総理大臣になりたいだとか、自由に宣言できます。

が、現実には、環境であったり、自分自身の能力であったり、運であったりを無視することはできません。徐々に「これは無理だ」「あれも無理だ」と悟っていきます。

可能性が消えていくのは、別に不幸ではありません。なぜなら、そうやって磨き上げていくことで、本当に自分らしい “玉” が自身の内側にはっきりと現れてくるようになるからです。

あれもダメ、これもダメ……やっぱり自分にはこれしかないな!

明確に意識できたとき、恐れるものは何もなくなります。無敵です。

 

何事もモノになるまで10年かかるのが普通

若干20歳という史上2位の若さで第130回芥川賞を受賞した、小説家の金原ひとみさんは、実は12歳から小説を書いていたそうです。

父(金原瑞人:翻訳家・児童文学研究家)が法政大学で開講していた小説創作ゼミに、中学3年生で参加するなど、小説を学ぶ環境も申し分なかった。

「20歳で芥川賞受賞」とだけ聞くと、天才と言いたくなりますけど、実際は約8年もの積み重ねがあったわけです。

趣味でも、スポーツでも、仕事でも、なんでもそうですが、モノになるまでには、約10年かかるのが普通です。

学生のあなたが今、得意としている何かがあるとすれば、それは1年2年で身についたものではなく、幼少期からそれらが身につく環境にいたからでしょう。

「自分がどうしたいのか」をしっかり意識し、広く社会や世の中を知り、積極的に可能性を潰していって、自分の “玉” を見つける。

天職に出会うまでには、5年や10年はかかります。

焦る必要はありません。

自分の欲求に素直に、大学卒業後の未来を考えてください。

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