Tag: 子育ての社会問題

275月

こどもをハーネスで繋ぐのはあり?|アリだけど、同時に手も繋げばいいと思うよ。

こどもをハーネスで繋ぐなんて、ありえない?

危険防止や迷子防止のために、こどもにハーネスを付けるケースについて、あなたはどう思いますか?

ただいま5歳と2歳半の子育て中である私は、これは簡単に答が出ると思っていて、「ハーネスを使ってもいいけれど、あくまで緊急時の保険なんだから、普段は(ハーネスを付けたまま)手を繋いで散歩すればいい」と考えています。

 

犬じゃねーんだから vs 命の危険を考えれば背に腹はかえられないだろ

フジテレビ『とくダネ!』でこども用セーフティハーネスについて特集されたようです。

とくダネで放送した迷子ひも(ハーネス)特集に賛否両論。みんなのツイートまとめ – NAVER まとめ

大雑把に言えば、犬じゃねーんだから vs 命の危険を考えれば背に腹はかえられないだろということだと思うんですが。

犬を3匹・20年くらい飼っていた私としては、「犬じゃねーんだから」という感覚はすごくわかります。妻も同様です。

が、こっちの立場の方の場合、じゃあ犬みたいなペットがこの世に存在しなかったらどうなのか、それでも拒否反応が生まれるのか、と考えなくては、ただの感情論だと思うんですよね。

逆に、危険防止派の人は、なぜ感情的な批判があるのか、理由を考えなくてはいけないと思うんですよ。危険を防げるかわりに、トレードオフで失うものはないのか、と。

 

ハーネスで防げる危険は極めて限定的

いちおう、気になる点を潰しておきたいと思うんですけど、どんなにフェアな視点で見ても、私は個人的には、ハーネスを利用する気にはなりません。なぜなら、ハーネスで防げる危険って、極めて限定的だからです。

ハーネスを付けていても、目を離してしまえば、(自動車には轢かれないかもしれないけど)自転車には轢かれます。これ、子育て当事者なら、わかりますよね。歩道を歩いているだけで死ねるのが、こどもなんですよ。

一方、目を離さないのであれば、ハーネスはそもそも必要ないわけです(もちろん、障害や病気など個別の事情があるケースは除く)。

怒鳴ろうが、言うことをきかないのであれば担ぎ上げようが、危ないものは危ないんだ、と根気よく伝ていく。ここは親として何より優先すべきところで、削ってしまうのはうまくないと思うんですよね(詳細な理由は後述します)。

また、その方が早くから街中の危険を覚えてくれるし、危ないと言えば止まってくれるようになるので、長期的に見てもベターなんじゃないかと。

「危ない!」とか言ってハーネスを引っ張るのが常態化しているほうが、怪我させる可能性が高まるんじゃねーの、という感覚です。まあ人それぞれでしょうが、私は安全に使える自信がないですね……。

 

ハーネス使ってもいいけど、手も繋げばいい

いろいろな考え方があるので、万が一、百万が一に備えて、ハーネスを使うんだ、という親がいてもいいと思うんですよ。

ただ、その場合に問題になるのは、これですよね。

犬じゃねーんだから。

親、サボってんじゃねーの。

たとえば、誰がどう見ても危険な場所を、どうしても歩かなくてはいけないケースなら、そんなに拒否反応も出ないと思うんです。

同じく、衝動性が強い子で、見ているほうがハラハラするようなケースなんかも。

ただ、「ハーネスなんてあるんだ、じゃあ繋いどけ」くらいに気軽に考えている(ように見える)親が、少なからずいるのも事実で。

だからハーネスなんか撲滅しろというのは極論だとは思うんですけど、ただ「楽している(ように見える)」という見方に一理あるとも思うんですよ。

つまり、ハーネスはあくまでも緊急時用の道具なんだから、何でもない普段から紐だけ持って歩くのを止めればいいだけだと思うんですよ。

ハーネスを付けたままで、たとえば手を繋いで散歩すればいい。公園で遊んでいるのなら、こどもと視線の高さを合わせて、こどもが見ているものを、親も一緒になって見て、遊べばいい。

 

こどもたちと手を繋いで歩くのって、すごく幸せ

つい昨日も、ちょっと駅前まで用事を済ませに出かけて、5歳の娘と、2歳半の息子と、手を繋いで歩きました。

ただ手を繋いで歩いているだけなのに、楽しいというか、幸せというか、すっごく満ち足りた気分になるんですよね。

5歳の娘は、もう手を繋がなくても平気なので、いい迷惑そうでしたけど。

2歳半の息子は、親と手を繋いで歩くという行為そのものが楽しいようで、飛び跳ねたり、寄り道をしたり、ウキウキでした。

こんなふうに、こどもたちの成長を実感できる時間こそが、子育ての最大の醍醐味だと私は思うんです。

もちろん、スキンシップだったり、親と子が互いに意識を向け合う時間は、(共働き家庭のようなケースでは)多ければ多いほどいいわけですし。

ハーネスを使うことで、もし見失ってしまうケースがあるのだとしたら、もったいないな、と思います。

なかなかうまく言語化できる人は多くないと思うんですけど、「こどもにハーネスをつける=親が楽をしている」への反感って、本質は「貴重な時間なのに何してんのオマエ!」ということなんですよ。

 

こどもとちゃんと向き合っている自信があれば、ハーネスは使える

だからね、

こういう意見は、ちょっと筋違いだと私は思います。

私も含め、楽している(ように見える)ケースに否定的なのは、単に、こどもと向き合ってるの? くらいの意味なんです。

実際、こどもとしっかり向き合ってる自信がある方は、何を言われようと気にならないと思いますし。

私としては、

・ハーネスを使うのはOK
・ただハーネスは緊急時の保険なんだから、普段はハーネスはないと思ってこどもと接する

これで問題ないんじゃないかなと思います。

まさに今、子育て当事者となっているお父さん、お母さん。こどもをハーネスに繋ぐことについて、どう思いますか?

183月

「こども21時でスマホ禁止」では絶対に問題は解決しない

だから私は、“義務教育だけが正解” だと過信・盲信できないのだと思いました。

責任を押し付け合って、こどものためにベストを尽くさないように見える教育現場で、自分のこどもに育ってほしいと思う親なんか、いるんでしょうか?

 

愛知県刈谷市の「こども21時でスマホ禁止」概要

愛知県刈谷市の全小中学校で、生徒・児童による夜21時以降のスマートフォン・携帯電話の利用が禁止されることになりました。

子ども21時でスマホ禁止、刈谷市が大胆な試み。LINE既読スルー問題、保護者責任を校長が明かす – Engadget Japanese

現在生徒らのコミュニケーションにおいて、LINEやメールのメッセージにすぐに返答をしなければ、翌日学校で「無視した」「スルーした」などと、攻められるそうです。大橋校長は「ごく普通の子どもの中には、無視やスルーが嫌で常にスマートフォンを身近なところに置いている子がいます。そこまでやりたくないのにって子どももいるんです。そうした子どもたちに、21時以降は親にスマホを取り上げられるから、と言い訳ができる状況を作りたいんです」と述べています。

スマートフォンやSNS特有の問題から生徒・児童を守るため、というのが建前のようです。

 

生徒や児童にとってベストだとは思わない

上記『Engadget Japanese』のライターHiromu Tsuda氏は、

もしかするとこの取り組み、生徒や児童にとって良い結果になるのかもしれません。

と書いています。

対処療法としては、ベターな結果になる可能性はあるかもしれません。私はまだ小学生のこどもがいる当事者ではないので(上の子が再来年に小学生になる)、想像力を上手く働かせられません。

が、ベストな結果には絶対にならない事実だけは、はっきりとわかります。なぜなら、問題の本質を見て見ないフリしているからです。

すなわち、「こども21時でスマホ禁止」は、花粉症による炎症を、強力な薬で押さえ込もうとしているだけでしかありません。

花粉症の人は、本当は、副作用で眠気が出たり、倦怠感が出たりするような薬を飲み続けたいのではなく、花粉症を根治したいんです。

花粉症で言えば、アレルギー体質そのものを解消できるかどうかが、問題の本質です。

 

これはスマホの問題でなく、家庭と教育現場のすれ違いの問題

「こども21時でスマホ禁止」の問題の本質は、校長の言葉に集約されています。

「保護者は自分で子どものために契約しておきながら、トラブルがあれば問題を学校に持ち込みます。子どもに持たせるために契約したのは保護者でありながら学校にです。これでは責任の所在が本末転倒です」

『Engadget Japanese』の記事が正確であると仮定すれば、「こども21時でスマホ禁止」は、家庭に責任を持たせる目的で生まれたことになります。

これを見て「もっともな言い分だ」という意見は、私にはよくわかりません。

親と教育現場が責任を擦り付け合っているだけでしかないからです。これはスマホの利用法の問題でなく、家庭と教育現場の関係性の問題です。本質は大人同士の責任の押し付け合いの問題でしかありません。

私は率直に「こどもを育てる責任はどこに存在しているんだろうか」と感じました。こんなふうに責任を擦り付け合うなかで、こどもを育てたいと思う親なんかいるんでしょうか。

スマホやLINEの問題は、家庭が悪いのでしょうか。それとも、教師や教育現場が悪いのでしょうか。

答は明確で、どちらも悪くないんです。

家庭は家庭で、教師は教師で、置かれた状況で精一杯に取り組んでいるはずです。

でも、それでもどうしてもうまくいかずに、「義務教育なんだから学校でやれ」「ここからこっちは家庭の責任だろ」と軋轢が生まれてしまっています。

 

問題が解決しないのは関係ができていないから

互いにうまくいっていないのであれば、助け合えばいいのに、罵り合ってしまうのはなぜか。

家庭と教育現場の間に壁があるからです。コミュニケーション不足と言い換えてもいい。

ダイアローグ、ワールドカフェ、あるいはフューチャーセッションといった方法論があります。

行政でも企業でもそうですが、なにか物事を前に進めようとするときに足かせになるのは、実は外的要因というよりも、利害関係者同士の冷えきった関係や無関心です。

Aさんの技術力と、Bさんの調整力があれば、物事は100倍早く前進するのに、別々に活動する。そして当然のごとく、Aさんは調整がうまくいかず、Bさんは技術不足で、遅々として進まない。

なぜ足りない要素を補おうとしないのか。しかも、同じ志を持っていて、同じ活動をしている他人が存在するとわかっているのに。

単に、人間関係がない、昔からそうしている、テリトリーが違う(縄張り意識が邪魔をする)。酷いときはプライドといった程度のバカげた理由なんです。

 

地域に開かれた学校を目指す、町田市の小学校の事例

ではどうすればいいか。同じ志を持った人を一か所に集めて、対話を重ねて、お互いの内に秘めた思いを知り合う。信頼関係を築く。

これだけで、嘘のようにすべてが好転します。

教育をより良くしよう、こどもたちを大切に育てよう、という思いでは、家庭も教育現場も実は同じ。コミュニケーションがとれれば、「なんだ、ぼくもそう思っていたんだよ。じゃあ一緒にやろうよ。こうしたらいいんじゃない?」という空気が生まれるからです。

実際に、そういう試みがなされている例があります。

「子ども× I’m OK!」in Child Future Session Week レポート | FutureCenterNEWS JAPAN

「子ども× I’m OK!」では、町田市の小学校の先生と、地域の人々が集まって、こどもが自己肯定感を持つためにはどうしたらいいのか?というテーマで対話がなされました。

 

家庭と教育現場が一丸となれば問題は解決したも同じ

主催の中村美央さん(小学校の先生)は近い将来、このような対話をクラスの保護者の方たちとしたい、と言っていました。

これは、同職業の方からも「勇気がある」と驚きの声が上がっていたほどで、対話によって育まれる空気、生まれる成果を知っていてこそです。

たとえば会社の同僚でも、一見近寄りがたい人だけど飲み会で同席したら印象が変わった、というケースは珍しくないはずです。互いに理解しあっていれば、モンスターペアレントだ、問題教師だ、と罵り合うケースは間違いなく激減します。

さらに、なにか問題や課題が発生したときには、家庭と教育現場が一丸となって、解決策を考えていく。

スマホの利用法で問題が発生したのなら、一方的に「こうしてください」と押し付けるのでなく、家庭と学校の事情や、お互いの考えを共有しつつ、一緒に対応方法を考えていく。

家庭も教育現場も、互いに責任を引き受け合う形で、学校をつくっていく。

 

理想が明確でなければ複雑な問題は解決できない

もちろんこれは理想です。

でも、理想を明確にしなければ、このように根が深い問題は、根本的な解決が不可能なのもまた事実。延々と不満を募らせながら、互いに責任を擦り付け合う道しか残されていません。

私が義務教育以外のオルタナティブ教育に魅力を感じるのは、単に画一的な教育ではないという魅力の他に、教育者も家庭も「こどもを育てる」に本気で取り組んでいる雰囲気を感じるからなのだと、ふと気づきました。

どうでもいいような理由で、こどもたちを二の次にしてしまう義務教育なら、こっちから願い下げです。

102月

こどもをたくさん育てる家族ほど偉い

育児は、乳幼児が1人増えるごとに、大変さが二次関数的に増す。一人を100とすれば、二人は200、三人なら400という具合に。

これで、一人ずつ増えるならまだしも、二人目かと思ったら実は双子で、一気に三人に増えてしまった、なんて事態になったら、さらに倍で800だ。

三つ子が生まれた日には、もはやその大変さが想像できない。授乳、どうすんだろ。おっぱいは二つしかないのに!

こどもをたくさん作る人は偉い!

 

2歳の息子と二人きりでお風呂に入って、楽チンだなぁと思ったある日

我が家には、春に5歳になる娘と、2歳の息子がいます。いつもお風呂は、三人で一緒に入っています。

先日、娘が日中お昼寝をしないで頑張って、夕飯を食べた直後に眠くなってしまったことがありました。

まぁ1日くらい風呂に入らなくても死なないし、と思って寝かしつけて(というか、ほぼ勝手に寝てしまった)、息子と二人だけでお風呂に入ったんです。

すると、楽なんですよ。

身体を洗ってあげるとか、物理的な負担はそこまで変わらないんですけど、どういうわけか、めちゃくちゃ楽チン。

 

一人増えれば二次関数的に大変さが増す

理由を考えてみると、たぶん、「気配りが一人分でいい」という差異だと思うんです。

息子と二人なら、息子だけに気を向けていればいい。

でも、娘と息子と両方いれば、二人に注意を向けていないといけない。

そもそも、まず風呂場に連れて行くまでが難関になるわけです。

一人なら抱っこして連れていけばいい。が、活発に動き回る2人を搔っさらうのは不可能に近い。いっぺんに抱っこできないことはないけれど、それはこどもたちが抱っこに同意している場合のみ。

一人を抱えて脱衣所に連れて行っても、もう一人を探しにいくうちに脱衣所から逃亡してしまう。何の罰ゲームだ。楽しいけどw

やっとこさ服を脱がして、風呂場に行ったら行ったで、放っておけばすぐに大げんかを始める。

やれ子供用プールにお湯を張ってくれだとか、おもちゃを取ってくれだとか要求があり、先に身体を洗ってしまおうと思ったら浴槽に飛び込んでいる。

気が休まる暇がない、とはまさにこのことでしょう。

 

二人と三人の壁はもっと高い

こどもを一人だけ育てて「子育てたいへん」とか、言っちゃいけないと思うんですよ。

もちろん、二人ごときで「自分のほうが大変」と主張する気はないんですけど、一人は超絶楽です。間違いなく。子育て初級という感じ。

二人は中級で、三人は……上級どころか、いきなり地獄級になると思うんですよね。パズドラ風に言えば。そのうち二人が双子だったりしたら、超地獄級です。

実際、二人であれば、大変なりになんとかやれています。が、これが三人になったらと思うと、様々に物理的な制約が出てくるのが目に見えているんですよ。

たとえば、自転車に乗せられない(我が家の場合、保育園の送迎に必要)。乳児ならベビーカーが超巨大になる。車を(チャイルドシート3つ乗せるために)3列シートに買い替えないといけない。

そもそも、買い物に行って、親の一方が両手に荷物を持っている状態で、こどもたちが「抱っこ!」と言い出しただけで詰んでしまうわけですよ。

※ちなみに、一番上の子が小学生になれば遥かに楽になるだろうし、小学校高学年になれば立派に面倒も見てくれるだろうから、問題は乳幼児の頭数なんだと思います

 

でもね、たぶん幸福感も二次関数的に増える

だから三人目は考えられない、かと言うと、それがそうでもないんですよね。

なぜなら、たった二人でも、姉弟で仲良く遊んでいるのを見ると、なんともほんわかした気持ちになるんです。

それぞれにまったく違った個性があって、成長するごとにどんどん “できること” が増えていく。

これが三人になったら、どれくらい楽しいだろうかと想像するんです。

三人目がほしいよね、というのは、夫婦間でも一致しています。

でも、乳児が家族に加われば、大量の時間を費やすことになり、フリーである私の仕事がかなり厳しくなります。

おまけに、金銭的に余裕がない状態では、旅行したり、アウトドアを楽しんだり、という行動に制約が生まれそうだとも予測できます。いま目の間に二人のこどもがいるのを見ると、彼らのためにじっくり時間を使ってあげたいと感じるんです。

もし、宝くじでも当選すれば、すぐにでも三人目の子づくりに励むんですけどねえ。誰か宝くじの当選金だけください(またか)。

物理的負担、金銭的負担のどちらの観点からしても、こどもをたくさん作る人は偉い、と、そういう結論になっちゃいますよね。

ほんと偉いなぁ。

62月

虐待なんてほんの紙一重。どの家庭にでも起こりうる

乳幼児の虐待を、滅多にない特殊な出来事だと考えていませんか?

私は、乳幼児の子育てを経験した親の大多数が、「自分が虐待しなかったのは運が良かった」「虐待が起きるかどうかは紙一重で、どの家庭にでも起こりうる」と実感しているはずだと考えています。

 

金子・八塩夫婦の子育てスタンスに親近感

日経DUALにこんな記事があがっておりました。

金子達仁 子どもを揺さぶり、怒鳴りたくなった日 | トラの子、育ててます。 | 日経DUAL

スポーツライターの金子達仁さんが、奥さんの八塩圭子さんと交代で、子育てについて連載しています。

八塩さんは連載内で小笠原舞さんインタビュー記事言及してくださった過去があり、縁あって連載をちょくちょく読んでいるんですが、金子・八塩夫婦の子育てスタンスには、すごく共感しています。

“「育休3年、万歳」と言って何が悪い!?” という八塩さんの声もそうですし、上記の記事の「子育て頑張りますので、仕事、しなくてもいいでしょうか」という金子さんにも、いや僕もまったく同じ考えです、と声を大にして言いたいです。

仕事しないんでいいんなら、僕もしたくない! こどもたちが中学生になるくらいまでは、こどもたち最優先でいたいと、かなり本気で思っています。

誰か宝くじの当選金だけください。

 

衝撃のタイトルだが、誰にでも訪れる「魔が通る」瞬間

前段の記事タイトル『子どもを揺さぶり、怒鳴りたくなった日』は、かなり過激なタイトルです。

なぜなら、衝動的にこどもを揺さぶれば、殺してしまうかもしれないからです。

揺さぶられっ子症候群 – Wikipedia

ある程度に体が成長した児童では、多少揺すられた程度では、反射的に体をこわばらせるため、そう簡単に怪我をすることはないが、同じことを首が据わっておらず頭蓋骨も隙間の多い新生児で行うと、眼底出血や頭蓋内出血(クモ膜下出血など)・脳挫傷を伴う致命的な怪我を負わせかねない。また身体の組織が成長途上で柔らかく力も弱い幼児でも、過度に揺すられると程度の差こそあれ問題となる場合もあるとみなされる。

揺さぶられっ子症候群では、脳や神経に対して回復不能なダメージがあった場合、運動機能的な障害や発達障害、あるいは最悪の場合では死に至る危険性があることも示されており、こと新生児や乳幼児に対する扱いに注意が呼びかけられている。

金子達仁さんは、こう書いています。

抱っこする。泣きやまない。揺らしてみる。効果なし。そうだ、これならば、と「高い高い」をやってみる。号泣にターボが掛かる。仕事は全く手に着かない。途方に暮れて、暮れまくって……そうこうしているうち、ビックリするような感情が自分の中から込み上げてきた。

「てんめえ泣きやまねえと頭ぐらんぐらんに揺さぶって脳髄かき出したるぞ、このクソボケーーーーっ!」

泣きやまないことなら何回もあった。かわいいな、としか思わなかった。泣き始めると大急ぎでビデオを回したことさえあった。

ただ、それはヨメがいるときだった。

虎蔵(仮)からすると、いつも通りに泣いているだけだったのだろう。だが、一人でそれに対処しなければならないわたしは、いつもと同じようには全く受け止められなかった。途方に暮れて、うろたえて、しかもそれを自分一人で処理しなければならなくなったわたしの中からは、自分でもびっくりするぐらい凶暴な衝動が込み上げてきたのである。

金子達仁 子どもを揺さぶり、怒鳴りたくなった日 | トラの子、育ててます。 | 日経DUAL

これを読んで、「親失格だ」と批判的に捉えるか、「そうなんだよね、わかるわかる」と共感するかは、乳児の子育てを経験しているかどうかで分かれるはずです。

あくまでも経験が重要で、単にこどもがいるだけではダメ。育児に当事者として関わっていなければ、わからない感覚です。

※蛇足ですけど、この感覚を共有できている夫婦は、産後クライシスにならなかったか、大した問題ではなかったはずです

 

虐待はどの家庭にでも起こりうる

我が家では、乳児の虐待死のニュースを見かけるたびに、夫婦でだいたいこんな話をします。

「虐待なんてほんの紙一重。どの家庭にでも起こりうるよね」

これには、我が家で同じことが起きなくて運が良かったという安堵と、ちょっとした掛け違いで虐待が起こってしまう現実へのある種の諦めと、とはいえどうにかならなかったんだろうかというモヤモヤが、ないまぜになっています。

人間、過剰なストレスと抱えると、こどもへの愛情とは別次元のところで、魔が通る瞬間があります。

たとえばこれは、人間は睡眠不足に陥ると、身体機能が低下する科学的事実と同じ。人間であれば避けられない影響で、愛情があるとかないとか、根性論でどうにかなるものではないわけです。

 

なぜか一人で相対していると追いつめられる

途方に暮れて、うろたえて、しかもそれを自分一人で処理しなければならなくなったわたしの中からは、自分でもびっくりするぐらい凶暴な衝動が込み上げてきたのである。

先ほどの引用ですけど、これ本当によくわかります。

特に一人目のこどもだと、「どうにかして泣き止ませなければいけない」と強迫観念に駆られるんです。

乳児の号泣には、明確な理由がある場合もありますし、他人には理解できない要因で泣いている場合もあります。

うちの娘は、夕方にお風呂から出てしばらくすると、なぜか号泣しました。これ、なにをやっても泣き止まず、放っておくしかないんです。

夫婦や親戚、友人など、誰か他人といれば「困ったねー」なんて言えるんですけど、一人だとこれは、得体の知れない過剰なストレスになってしまう。

自分でも気づかないうちに、精神的に追いつめられて、とんでもない情動がこみ上げてきてしまうんですよね。

 

夫婦で投げ出しあいたい

一人目のこどもである娘が生まれたとき、我が家は核家族で暮らしていました。

子育てをしたくて、残業の少ない仕事に転職してはいたのですが、それでも、家に乳児と二人きりで残された妻の憔悴ぶりは、想定を遥かに越えていました。

仕事をいったん辞めました。

このままじゃ、僕らはこどもを殺してしまうかもしれない。

冗談抜きで、そう感じたんですよね。

妻は「家で一人になるのがすごく嫌だった」と当時を述懐しています。余裕を持って向き合えた二人目の子の経験も踏まえて、やはり一人で抱え込まないことが重要だと感じます。

二人目で精神的に余裕があっても、やっぱり泣き止まなくてイライラすることはありました。そういうときは、限度を越えたら投げ出しました。妻に「ちょっと代わって」と。もちろん逆パターンもありました。

相方に頼れないのであれば、頼れる他人やコミュニティを見つけておくことが重要なんじゃないかと、今となっては強く思いますね。

1811月

スマホ子守りの危険性を啓発する意味はある

ITリテラシーが高い層が反発するのは、当然かもしれません。が、情報や知識が不足しているせいでスマホの悪影響に考えが及ばない層は、確かに存在します。スマホの危険性の啓発を、イロモノとして切り捨ててしまうのには、反対です。

 
山本一郎さんが、3人の子育てをする立場から、スマホ子守りを擁護する記事を書いています。

「スマホde子守」の是非(山本 一郎) – 個人 – Yahoo!ニュース

乳幼児にスマホを与えて夢中になると、親とのコミュニケーションが減り、あやす機会が乏しくなる弊害があるのは仕方がないとして、親の立場で申しますと「交流などどうでもいいからとりあえず静かにしていて欲しい」とか「あとで存分に遊んでやるのはいいから、いまは大人しくしてろ」などという機会が発生したとき、強い味方になるのはスマホアプリやyoutube動画などです。

僕自身もすごく納得できる内容でした。

実際、我が家でも、4歳と2歳のこどもたちはiPhoneやiPadを使いこなしています。

昨日も、蕎麦屋での昼食の最中に、2歳の息子が眠くてどうにもならなくなり、ぎゃーと泣き始めました。椅子を自らずり落ちて、床に寝転んで、泣きわめく。

服が汚れるのは気にしないのでいいとしても、飲食店なもので、お店や周囲の客に迷惑なわけです。

本人はもう、眠気がMAXで半狂乱になっていて、優しく話しかけようが、抱っこしようが、もうどうにもならない。蕎麦なので、長く見積もってもあと10分だけ座っていてくれればいいんですけど、その10分がひねり出せない。

そこでiPhoneの登場です。「じゃあiPhoneを見る?」と聞いたら、鼻水ダラダラでひっくひっく言いながらも、なんとか椅子についてくれました。

昔なら、肩身の狭い思いをしながら無理やり完食するか、もったいないけれど食べるのを諦めて店の外に出て、寝かしつけなければならない場面です。

 

知らないせいでスマホの悪影響に考えが及ばない層は存在する

一方で、スマホ子守りの危険性を啓発する意味はあると思っています。

なぜなら、スマホ子守りを現実的かつ合理的に使いこなせている人ばかりではないからです。

例えば、自分がスマホをいじりたいからという理由で、こどもにゲームをさせる親は存在します。

これは、知り合いの保育士のコミュニティから伝え漏れてくる実情を聞けば、親が悪いというより、情報や知識が不足しているせいで、子供に何らかの悪影響になる可能性に、まったく気づいていないケースが多いそうです。

もう一つ、我が家では、特に4歳の娘には、「スマートフォンをやってもいいけれど、やるべきことはしっかりやりなさい」とルールを作る必要が出てきています。

放っておくと、スマホに夢中になって人の話を聞かなかったり、誰かが帰ってきても「お帰りなさい」を言わなかったり、「歯を磨いて」「出かけるからトイレに行って」と言っても動かなかったり、という兆候が見え始めていました。

昔なら「ファミコンは1時間まで」みたいな話ですけど、スマホは空き時間に手軽にできてしまうので、切り替えを覚えてもらえないと、人としていろいろ危険です。

このあたりも、「これじゃまずい」と気づく親はいいとしても、違和感を覚えない親も少なからずいるでしょう。

ある程度ITリテラシーがあるような層が「日本小児科医会は何言ってんだ」「うちは適正に使わせている」と反発するのは当然かもしれません。

が、スマホが子供に悪影響を与えるリスクに気づかない層へ啓発する意義は、確かに存在します。スマホの危険性の啓発を、イロモノとして切り捨ててしまうのは、危険だと思います。

 

スマホ子守りをやるならやるで、親は覚悟するしかない

ITリテラシーが高い層が、「我が家はスマホ子守りを使いこなしている」と主張しながらも、こうした啓発に反発してしまうのは、スマホ子守りに肩身の狭い思いをしているか、「本当に乳幼児にスマホを使わせて大丈夫なのか?」と自信が無いからです。

もし自信があれば、自分が批判されているとは感じないはずです。

前者は、世代が違えば理解されないのは当然なので、ある程度は諦めるしかないかもしれません。が、後者については、親はもっと胸を張っていいと思います。

乳幼児期からスマホに触れさせれば、それが合理的であったとしても、失われるものは当然あるでしょう。

一方で、スマホに触れていたからこそ、私たち親世代とは違った世の中への適応の仕方をする面もあります。

それが総合的に見て良いのか悪いのかは、もちろん育ってみなければわかりません。が、だからと言って旧弊的な考え方で子育てをするのは、個人的には好きではありません。

時代は移り変わります。世の中の変化を恐れずに、勇気を持って、しっかり覚悟をしつつ、スマホを使って子育てをすればいいのだと思います。

もちろん、前例がないわけですから、慎重ではあるべきです。スマホが普及したのはここ数年です。僕自身、登山中に現在位置を確認するように、しばしば立ち止まって「本当にこれで大丈夫なのか」を見極めながら、問題は修正しつつやっていけたらと考えています。

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