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289月

保育士は保育園を変えようとするんじゃなく、保育園から飛び出しちゃおう。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」などなど。

働いていて、幼稚園や保育園の方針に違和感を抱いている幼稚園教諭・保育士さんたちへ。

同僚や、園の経営者・園長らを変えなくちゃ、と使命感に駆られている人もいるかもしれません。

が、そういう方は、幼稚園・保育園から飛び出すべきです。

 

保育園から飛び出すべき2つの理由

私は保育・教育業界の人間ではなく、単なる2人の子どもの親で、単なるブロガーで、Webメディアのディレクターです。

でもだからこそ、マーケティングや、社会構造の観点から、「保育園から飛び出すべき」と断言できる理由が、明確に2つ見えます。

1つは、保育園は、変えようとしても、変わらない。問題の根本は、幼稚園や保育園にあるのではありません。

2つ目は、保育園を変えるのが正義とは限らない。絶対的な価値観など、存在しません。

 

そもそも教育とは、国の価値観によって作り上げられる

小学校から始まる義務教育、そして高校・大学と続く教育システムは、国が作り上げるものです。

国は、何の目的もなく、国民に教育機会を提供しているわけではありません。

国民の「学ぶ権利」ももちろんありますが、同時に、国が発展し、国民一人ひとりが豊かになるために、労働者や生産者の教育水準を引き上げる目的があるわけです。

国は、ある価値観に基づき、ある方法論を選択し、結果として現在の教育システムができあがっています。

もちろん、どういう教育が効率的なのかについては、様々に意見があるわけですが、ここではひとまず置いておきます。

 

幼稚園・保育園がおかしいとしたら、教育システム全体に問題がある

幼稚園は、一言で言えば、小学校入学の準備をするための機関です。

保育園は、そもそもは、事情があって育児に専念できない市民のための社会福祉ですが、どうせなら、親としては、小学校入学の準備をしてくれたほうが良いに決まっています。

小中高と続く、一般的な教育システムに乗っかる以外に、選択肢は事実上、存在していないからです。

幼稚園・保育園での教育方針が変だとすれば、原因は、小学校・中学校と続く教育システムにあります。

突き詰めていけば、国の価値観や方針に問題がある、という結論になります。

 

経営の観点からは間違っているとは言えない

幼稚園、保育園の経営者は、「小学校に入学して困らないように」とのニーズに応えているだけです。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」

これらが徹底されていればいるほど、経営や、マーケティング的には「正しい」のです。

我が子が、小学校・中学校でうまくやっていけなかったらどうしよう、と恐怖を抱く親は、少なくありません。

先ほど書いたとおり、ドロップアウトしてしまったら、落ちこぼれになってしまうと思い込んでいるからです。

(実際には、別の選択肢を選べばいいだけなんですが、現実問題としては、ごく一部の例外でしかない)

「小学校の入学準備をしますよ」とわかりやすく掲げ、実行している園と、そうでない園があったら、当然、前者のほうが、選ばれる率が高くなります。

 

末端で行動しても、効率が悪く、効果は限られる

そんなやり方は古い。時代にあっていない。子どもたちの自尊心が育たない。子どもたちを潰してしまう。

個人的には賛成です。

でも、国が起点となる教育システムの末端で、古きものを変革しようとしたところで、いったい何ができるでしょうか。

小学校以上の教育システム全体、つまり国の教育に対する価値観を変えない限り、問題の根本的な解決にはなりません。

いま目の前にいる子どもたちのケアも大切です。それはわかります。

が、あなたがそこからいなくなれば、同じ惨状が繰り返されるだけ。

だからこそ、おかしいと感じたら、さっさと飛び出してしまうべきなんです。

 

「おかしい」と直感する親子に、新しい選択肢を提供する

あなたが理想だと思う、新しい場を作りましょう。共感する人の手伝いでもいいでしょう。

「今の状況はおかしい」と直感している親や子どもに、新しい選択肢を提供するんです。

そうして育った子どもたちが、社会に出て生き生きとしていれば、世の中の人々は「あれ、なんかうらやましい」と思うようになります。

“例外” でしかなかった道が、単なる “選択肢の一つ” になっていきます。

 

「自分だけが正しい」と盲目になってはいけない

もう1つ、旧来的な価値観の幼稚園・保育園を変革しようとするのをおすすめしない理由は、それが絶対的に良いことだとは言えないからです。

何事もそうですが、絶対的な価値観など存在しません。

“殺人” も、時と場合によっては正当化されるし、支持する人がいます。たとえば、安楽死であり、死刑です。

旧来的な幼稚園・保育園にだって、「小学校に備える」という正当性があります。それを求める親も、少なくありません。

むしろあなたが別の価値観を持ち込むことで、混乱させてしまうかもしれない。

自分だけが正しいわけではありません。

だったら、自分の思うとおりに活動できる場所で、活動したほうがいい。

逃げるように思われるのが悔しいという人や、目の前の子どもを見捨てるようで踏み切れない、という方もいるかもしれません。

でも、あなたのその問題意識は、幼稚園・保育園の外に出てこそ、正当性が生まれ、本当の意味で価値のあるものになります。

 

「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能

最後に、今いる園こそが私の戦う場所だ、という保育士さんへ。

それも一つの選択です。でも、「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能、とだけは、理解してください。

まったく別の話題ですが、紛糾した安全保障法案に対し、デモが活発に活動していました。

法案にどのような意見を持ってもいいのだけれど、「絶対に止める」というスローガンには、私は眉をひそめました。

「絶対に止める」というスローガンからは、自分と違う価値観を持った、けっして少なくない人々への “敬意” が欠けているように思えてならなかったからです。

「私たちはこう思う」という意思表示はいい。どんどんやるべきです。

でも、正しいのは自分たちで、それ以外は間違っているから、自分たちの言うとおりにしろ、というのは、筋が通らない。

 

相手を理解し、尊重できてこそ、変革していける

彼らがやるべきは、戦争に行きたくないと叫ぶことではなく、不安があるのなら、(ルールに則って選ばれた)現政権が選択した安全保障の中身について、具体的な折衝をすることです。

まるで違った価値観の人間が存在すると認めたうえで、敬意を払い、妥協点を探ろうとするのでなければ、誰が聞く耳を持ってくれるでしょうか。

保育・教育についても同じです。

国のやり方は間違っている、園長のやり方は間違っている、と思い込んでいないでしょうか。

なぜ現在のやり方を選択しているのか、構造を学び、相手を理解し、尊重できてこそ、変革の手がかりを見つけられます。

307月

『「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの』長田安司 書評

扇動的なタイトルが目を引く本書は、議論の起点として価値を見出せる本です。しかしながら、非常に評価の難しい本でもあります。

「0〜2歳の子供たちが、保育園に入りたくて待機しているなどという現実は全くありません」という指摘には、これ以上ないほどの納得感があります。利用者本位のサービスといいながら、その実は、親にとっての利便性しか考えられていない、というわけです。

一方で、著者の長田安司氏の、自らの正しさを信じて疑わないようにすら思える物言いには、身構えてしまう瞬間があります。意見の異なる人物や団体を名指しで批判しているのも、大声に対して怒鳴り返している印象が拭えず、個人的には建設的でないように思えました。

多くの方の意見が聞きたい本であるのは間違いありません。


※Kindle版もあります

 

親のニーズのみに応えてサービスが提供される危険性

『「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの』に書かれた長田安司氏の主張は、以下の引用に集約されると考えます。

 子供は生活や活動を通して成長し、発達していくものです。保育園は、単に子供を預かる場所ではありません。保育園には子供たち同士の人間的関わりがあり、同時に成長していく場としての大切な生活があるのです。しかし、現在のビジネス保育では、その視点が欠けているように思えてなりません。保育を時間とお金だけで計算していないでしょうか。ビジネスが応えようとしているのは、親や会社のニーズであって、子供たちのニーズではないと思われます。

 子供たちの視点に立ってみると、非常に単純なことなのですが、本質が見えてきます。0〜2歳の子供たちが、保育園に入りたくて待機しているなどという現実は全くありません。お母さんと一緒にいたいに決まっています。子供が夜の8時に、保育園にいたいなどと思うわけがありません。早くお家に帰りたいに決まっているのです。

 こうした根本的な問題について、保育ビジネスの方々や経済学者の方々がお考えになっているか、問いたいと思います。
『「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの』長田安司 P.170

これは単純明快な指摘です。

「早くお家に帰りたいに決まっている」という決め付け方は、反感を生みやすいかもしれません。私も読んでいて違和感を覚えました。

が、基本的には事実だと思います。もし違うという方は、こどもに直接尋ねてみればいいでしょう。1歳半にもなれば、YES or NOの意思表示ができるようになります。3歳になれば明確な言葉で語ってくれます。「おうちにいるのがいい? 保育園にいるのがいい?」と聞いてみてください。

同時に、親の親としての成長にも言及しています。

 親は、子供を育てることによってはじめて親として育っていきます。0歳の子を持った親は、親としては0歳です。子供が一人前に育っていくまで、親は親としての役割を果たさなくてはなりません。それが、私たち人類が何万年にも渡ってつないできた生き方です。

 そして、親は子育てをすることによって一人前の人間として成長していくのです。その機会は失ってはいけないものです。正にこのことが、マイケル・サンデル教授のいう「保育サービスが商品となることによって、何か大切なものが失われる」の意味するところなのです。
『「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの』長田安司 P.169〜P.170

上から目線で、カチンとくる書き方ではありますが、「親は子育てをすることによって一人前の人間として成長していく」のも、子育て中の実感から事実と断言できます。

これらが無視されれば、子供の成長に問題が出て、日本社会に悪い影響を与える結果になるはずだ、と長田安司氏は主張します。

 

溝が深まるような言説には疑問も

非常に重要な指摘であると感じます。

しかしながら個人的に残念なのが、力に対して力で反撃しようと試みているように見える点です。『北風と太陽』のイソップ寓話で言えば、北風のアプローチなのです。

実は上記1つ目の引用、「こうした根本的な問題について、保育ビジネスの方々や経済学者の方々がお考えになっているか、問いたいと思います。」の直後には、こうした文が続きます。

 こうした根本的な問題について、保育ビジネスの方々や経済学者の方々がお考えになっているか、問いたいと思います。例に出して大変申し訳ないのですが、他の企業にも大きな影響を与え、国も全面的に支援している企業保育所の代表として「JPホールディングス」の保育について、問題提起をさせていただきます。

 この問題提起は、便利な駅ナカ保育園を推進するJR東日本、小田急電鉄、京王電鉄などの鉄道会社、これから保育事業に参入しようとしている第一生命や損保会社、すでに参入を始めているニチイ学館、小学館、ベネッセ、アート引越センター、そして病児保育を推進しているNPOフローレンスなどの企業保育サービスが、事業内容こそ違うものの、子育て・保育・教育に関して共通して持っている問題として考えていただきたいと思います。
『「便利な」保育園が奪う本当はもっと大切なもの』長田安司 P.170〜P.171

以下、文章量を割いて、JPホールディングス・山口代表の考えが利用者のニーズ本位であり、問題のあるものであると、ときにアンフェアな印象すら与える理屈で言及していきます。

率直な印象として、このやり方では、企業系保育事業者は聞く耳を持たないでしょう。長田氏の本意がどこにあるのかはわかりません。議論を巻き起こす目的であればこれでいいという解釈もできます。しかし、自らこれほど溝を深くしてしまっては、対話によって議論を深め、将来的に手を取り合って活動していく、という道を閉ざすようにも思えます。

 

“こども視点” の重要性の指摘には共感できる

0〜2歳、3歳くらいまでのこどもの発達について言及している第1章、第2章は、個人的にはとても共感できる内容でした。

子育てを最優先に生活している我が家でも、私や妻が子供と接している時間は約6時間に対し、子供が保育園で活動している時間は約7時間と、半々程度か、保育園の時間のほうがやや長くなっています(睡眠時間中をのぞく)。

これが例えば、親が子供と接する時間が2時間になり、子供が保育園で活動する時間が10時間以上となれば、子供にとって大きな試練になるだろうと簡単に想像できます。3歳児神話や、愛着障害を持ち出すまでもなく、「そこまでして働かなきゃいけないのかな……」と、世の中のあり方に違和感を覚える人は少なくないはずです。

私は、3歳児神話や、愛着障害については、専門家ではないので、詳しいことはわかりません。ただ、日々こどもたちと接している中で、家庭と保育園が半々程度であれば、 “親の仕事” と、“こどもたちが一緒にいたいという気持ち” のバランスをなんとか取れるかなと感じています(もちろん、家庭によって、こどもの性質によって、バランスは異なるはずです)。

それも、これなら絶対に安心というわけではなく、定期的に「保育園に行きたくない」という気持ちが生まれていないか、こどもたちに確認しています。もし「保育園に行きたくない」と言い出した場合は、すぐにでも休ませるつもりです。そのために仕事を変えました(もっとも、友達と喧嘩したり、好きな保育士に怒られたりしたことが原因のケースが多いですけどね。その場合は、言い分を聞いて、解消のヒントを示すと、元気に保育園に向かいます)。

0〜3歳がこどもにとって重要な時期であるというのは事実でしょう。私自身そうですが、日常生活に流されていると、我が子が保育園でどんな気持ちで過ごしているのかを考えないようにしたり、都合よく解釈してしまいがちです。ちょっと立ち止まって、我が子の気持ちと向き合うきっかけとして読むのもいいかもしれません。


※Kindle版もあります

227月

【後編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “一人では変えられない社会も、それぞれが自分事として取り組めばいつかシフトチェンジする”

【前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”』はこちら。

【前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”

——前編までの話を整理すると、保育園をつくること自体は、預けたいという人が預ける権利を保障する観点からは普通のこと。

ただ、待機児童を解消すると同時に、“こどもの人権” という考え方を中心に据えて、社会を作りかえていく必要があると。

原因は社会システムでもあるし、企業の仕組みや姿勢でもあるし、日本人一人ひとりの考え方でもあります。

一筋縄では行かないですよね。

どのようなアプローチをすれば解決できますか。

 

こどもを理解しないまま社会システムやサービス・商品が作られている

小笠原:わたしたちは、「こども」という存在をどれくらい知っているのでしょうか?

実は、知っているようで知らないのではないでしょうか。

親も企業も行政も、無意識に大人から見たこども像をもとに子育てをしたり、社会を作ろうとしている気がします。

私はいつも子ども達をよく観察し、「本当にこどもたちにとっていい社会、環境、サービス、商品とは?」と問いかけるようにしています。

“こどもについてもっと知ってほしい!” と思い、まず2012年の7月から始めたのがasobi基地です。

保育園や幼稚園を越えて、どんな家族でも集まれる場所で、親が我が子を知ることができます。

もちろん、こどもにとっても、自由に主体的に遊べて、自分の好きな活動を見つけられるように設計しています。

大人もこどもも、どちらにとっても良いことがある場所です。

asobi基地へ来ると、親はこどもを信じて “見守る” “サポートする” というルールがあります。

さらに、保育やこども精神科医等のこどもに関わるプロもいるので、

「○○ちゃんは××が好きですねー」

ということを、その場で親御さんと一緒に現場を見ながら話せるんです。

保育園だとお迎え時に話はできても、残念ながらその瞬間のこどもの表情などまでは共有できません。

「asobi基地は、家ほど親子の距離が近くなく、保育園ほど遠くなく、ちょうどいい距離感」

と、利用してくださる親御さんに言ってもらえて、asobi基地のような“親子が気軽に集まれるコミュニティ”は、やはり大事なんだなと自信になりました。

——よくわかります。

毎日一緒にいるはずの我が子なのに、asobi基地へ行くと、「絵の具遊びがこんなに好きだったんだ」とか、意外な嗜好だったり特技だったりに気づきますからね。

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大人がこどもを知り、こどもと一緒に成長していくasobi基地

小笠原:asobi基地のスタッフにも、それぞれがこどもを持つ前から、「こどもって何なのか」を知ってほしいと思っています。

だからうちのスタッフは保育士だけではなく、大学生や会社員、デザイナー、ライター、妊婦さん、ママ&こども、アーティスト、小学校の先生など、さまざまな人がいます。

保育士にも、自分の所属する保育園だけではない様々な家族や、保育士に出会って、世界を広げていってもらい、レベルの向上につなげてほしいなと。

“大人”も“こども”も関係なく、どんな立場や職業の人も、同じ人間として繋がって、一緒に成長していくのがasobi基地です。

そんな場所が、どんな規模でもいいので、保育園ごとに、地域ごとに、街ごとにあるといいなと思っています。

今現在の子育てにおいては、ありのままのこどもを知り、気軽に相談しながら、こども達と向き合っていける。

これから生まれてくるこども達やその家族においては、妊娠前からこども達と関わることができ、専門家や先輩ママ・パパがいる。

このようなサポートがあれば、安心して子育てできる社会につながっていくと思っています。

こどもたちが本来の力を発揮できる場! asobi基地@代々木公園レポート

 

“その人だからこそできること” を生み出すChild Future Session

小笠原:企業や行政を動かす取り組みとして『Child Future Session(チャイルドフューチャーセッション)』も立ち上げています。

いま企業と一緒に活動を始めて、こどもや家族の実の姿などを伝える必要性を感じています。

なぜなら、こどもや家族の実際の姿を知らないまま、サービスやプロダクトが生まれていると感じるからです。

例えば、とある会社の社長がフューチャーセッションに参加したとして、本当の意味でのこどもたちの視点や立場を知るとします。

会社に帰って、今までと違った視点で既存のサービスを改良したり、新しいサービスやワークショップやプロダクトを生みだしたり、というシナリオを期待しています。

私は、私が持つバックグラウンドだからこそできることがあります。

同じく、それぞれの分野や立場で積み重ねてきた人たちが、こども視点を得ることで、“その人だからこそできること”が出てくるんです。

社会ってそうやって成り立っているのだと思っています。

わたし一人では変えられませんが、それぞれのフィールドの人たちが気づいて、自分事として物事を動かしていけば、ビジネスや行政がいつかシフトチェンジすると感じます。

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便利さの追求だけでなく「こどもにとって」も汲み取るべき

小笠原:例えば、オムツについて。どっちがいい悪いではなくて、布オムツと紙オムツの違いを考えたことはありますか?

いろいろな視点があると思います。

布オムツの特徴としては、快・不快を感じやすい、換えてもらう回数が多い、親に肌を触ってもらう回数が多いなどがあります。

一方、紙オムツのいいところは、尿を吸収してくれるので夜も快適に眠れる、おもらしの不快感がない、生活に集中できるなどです。

そのほか、どっちもたくさんのいいところと、そうではないところがあります。

人間の発達に必要なコミュニケーションに着目すると、布おむつを使えば不快を感じる回数が増え、同時に「おむつ換えようね〜」「気持ちよくなったね~」という大人とのコミュニケーションも増えるわけです。

はたして、こどもの心の発達という軸で考えたら、どうでしょうか?

紙オムツを使うなと言うつもりはありません。

私もこどもが生まれたら使うと思いますし。

しかし、便利さの追及という視点だけが進み、こどもにとって大切なことは何か?

という問題提起がおろそかになると、こどもが育つ上でいちばん大事なものを奪ってしまう可能性があると知ってもらいたいなと感じます。

アタッチメント・コミュニケーション力に差が出る可能性がある、というところを見るならば、例えば紙オムツのパッケージに、

「排泄していなくても、30分ごとにチェックしよう!」

「声をかけよう!」

など、大人都合だけではなく、子どもの立場・成長についても、しっかり記載してほしいと考えています。

それが、大人とこどもの権利の真の平等だと思うんです。

親が悪いわけではないんです。

そもそも、社会に「大人都合になっていない? 本当に子どものことを考えてる?」といったテーマでの対話の場や情報提供がないのが原因なのですから。

便利だからそれでいい、だけでなく、こどもの視点でフォローをきちんとする必要があると思います。

7つのテーマが羽ばたく!『子ども達にいい社会をつくるためのChild Future Session vol.4』レポート | FutureCenterNEWS JAPAN

 

企業への積極的アプローチも

——つい先日、2013年6月に、共闘仲間の小竹めぐみさんと『合同会社こどもみらい探求社』を立ち上げましたよね。

これも企業へのアプローチだと聞いているんですけど、どんな取り組みか簡単に教えてもらえますか?

小笠原:企業を動かすもう一つのアプローチとして、合同会社こどもみらい探求社も立ち上げました。

これは、セッションで出てきたサービスや仕組みを具体化したり、セッション以外でも企業と協力して持続可能な子育て環境づくりをしていくという目的の取り組みです。

保育士としての視点を活かし、社会をイノベーションしていきます。

こどもみらい探求社 | 子ども達にとって本当にいい未来を探求し続ける

 

こどもたちの立場で真剣に議論したい

——では、最後にひと言お願いします。

小笠原:「保育園を増やしてほしい!」「あそこの地域にはできているのに、何でうちの地域には……」と声を上げるのもいいと思います。

でも、今、現実を変えるには、どういうプロセスで取り組み、誰を動かす必要があるのか。

こどもの成長は毎日の積み重ねが大事で、止まることはありません。

要求したからといってすぐに変わるような簡単なことではない。

言ってすぐ変わるのなら、asobi基地のような活動をせずに、私だってそうしています。(笑)

「こどもにとって何がいいか?」を軸に考えたら、違う選択肢も出てくるかもしれません。

引っ越しする、働き方を変える。

そうやって考えることがまずは大事だと思うんです。

それぞれの家庭に優先順位があり、もちろん大人達の考えもありますが、住む地域、働き方、こどもを持つ選択をしたのは自分たち。

人のせいにはできませんよね。

それも、忘れてはいけないことだと思います。

こどもは環境を選べませんから。

もちろん、“こどもの権利” とだけ主張したら、親が潰れてしまいます。

逆に親の権利ばかりだったら、こどもが潰れてしまう。

「こども」と「親」という関係性だけでなく、「保育園」「子育て支援施設」「子育てサービス」等、社会の子育て支援とのバランスが大事です。

そんな社会の仕組みの中に、asobi基地やChild Future Session、こどもみらい探求社を置くことで、家庭と社会とを円滑に繋げていければと思っています。

社会的弱者とされているハンディキャップのある人たち、お年寄り、女性。

そんな議論は年々増えてきているように感じます。

ところがこどもについては、なかなか議論されていない、忘れられている気がしてなりません。

こどもは未熟で、できないことがあります。

こどもだから仕方ないではなく、どうやって未来の担い手となるこども達を社会としてサポートしていくか。

保育園もひとつあるけれど、本当に保育園だけでいいのか。

これらのことを、いろいろな立場、職業の人と真剣に議論したいですね。

——具体的にアイデアはありますか?

小笠原:この記事をベースに、保育士と、保育園を利用するお父さんお母さんと、行政、企業の方たちを集めて、待機児童問題や保育園について、こども達にとって作りたい社会について、話がしたいですね。

文句を言いあうのではなくて、代替案などを出しながら話し合い、しっかりとみんなで協力して、形にして具体的に未来を変えていけるように。

これから日本の「こども観」はどこに向かうべきなのか? 

今こそ、日本のこども観を考え、どんな国を作っていくのか、どんなこども達を育てていきたいのかを真剣に考えるべきだと思います。

——いいですね。

ひとつの保育園の保育士と利用者が顔を突き合わせるのでは、場合によっては角が立つかもしれません。

が、同じ目的のために様々な人が集まって、普段お互いが感じていることをシェアしあえば、いい場になると思います。

ぜひやりましょう!

 
【小笠原舞さんと議論・意見交換したい方はこちらまで!】

mai_ogasawara2小笠原 舞(おがさわら まい)

Twitter – @maiogasawara

Facebook – mai.ogasawara.79

asobi基地 – Facebookページ

【反響への総括記事を書きました】
ステークホルダーの結集こそが次なるステップ|6,000いいね!の小笠原舞さんインタビュー記事への反響を振り返る

227月

【前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”

待機児童は減ったほうがいいに決まっている。

ワークライフスタイルの自由は保証されるべきだ。

だが、昨今の風潮にあえて異を唱え、課題解決に取り組んでいるイノベーターがいる。

現役の保育士で、なおかつ「保育士という立場だけでは変えられないことがある」と、asobi基地を展開する小笠原舞さんだ。

子どもに関わる深刻な課題が山積する中で、待機児童問題の解消だけを極端に推し進めれば、社会が壊れてしまうと彼女は言う。

徹底した現場主義の彼女には、いったい何が見えているのか。インタビューした。

mai_ogasawara2小笠原 舞(おがさわら まい)
 1984年生まれ。企業に就職後、保育現場へ。保育士を務めるかたわら、こどもたちのより良い未来を目指して、こども未来プロデューサーとして活動を始める。
 2012年夏より始めた子育て支援コミュニティ『asobi基地』は、多くの人々に支持され、いまやほぼ毎週末イベントを開催。
 2013年6月には、フリーランス保育士の小竹めぐみと共に『合同会社こどもみらい探求社』を立ち上げるなど、常に新しいチャレンジをし続けている。

(6月、渋谷区桜丘のLENNONにて)

——小笠原舞さんは先日、前・横浜市長である中田宏代議士の『待機児童ゼロに向けて ~横浜方式の横展開をやってはならない』という記事を見て、Facebookで「とにかく、こども達の心のことやこどもの権利のことを誰か書いて!」と言っていたんですよね。

これは中田宏代議士の個別の記事がどうのというより、待機児童問題を語る社会やメディア全般に違和感を抱いていたと。

それ以前にも何度か、違和感を語る投稿をしていましたよね。

インタビューのきっかけとなったFacebook投稿。

インタビューのきっかけとなったFacebook投稿。

僕は横浜市で4歳と1歳を保育園に入れながら子育てをしているせいもあって、実感するんですけど、確かに世の中は横浜市の待機児童ゼロを目指せだとか、いかに減らすかしか議論していない印象を受けます。

小笠原舞さんの意見というか、目の付け所は、世の中の大多数にとってユニークだと思ったので、話を聞きたいと手をあげました。

思う存分語ってください!

 

このままでは “こどもたちの心” が危ない

小笠原:保育士として東京都の研修に参加したとき、保育総論を担当している行政の方が「待機児童がゼロに近づきました、これだけ減らしました」という話をしていました。

待機児童をゼロにすることで出てくる課題はないのか? という疑問を持ちました。

もちろん、困っている人がいるので、待機児童を減らすのは大切だと思っていますし、保育園をつくるなとは全く思っていません。

たくさんの同世代の友達がいるから社会性や協調性を育めたり、一人っ子でも違う年齢の子とふれあえたり、家庭とは違う力をつけられたり、集団生活ならではの大きなメリットがあるのもわかっています。

でも、今の日本社会は、

「ハコだけつくって、保育士をとりあえず集めて、待機児童率が下がりました」

「数つくって、数さばきました」

と効率化に偏っているように見えます。

保育園を作ることがゴールではなく、1回オープンすれば、答えもなく終わりのないこども達との長い人生の旅が始まるんです。

保育士たちと、待機児童問題について話すと、みんなが口を揃えて言うのは、こども達の心がこのままでは危ない、日本の未来は危ないということです。

 

なぜ女性の権利は議論されるのに、こどもの “親と一緒にいたい” という気持ちは議論されないのか

小笠原:先日も新聞に 「女性の社会進出で経済力アップ」とあり、働く女性の就労支援の視点のみで書かれていました。

経済回復には女性の就労が必要だというシナリオなのはわかるのですが、こども側の視点が1つも書かれていなくて、不平等だと思ったんです。

働く女性の支援と、待機児童問題 “しか” 報道されていない。

でも、そもそも、こども達の視点という考え方に気づいていない大人が多いのだろうと思っています。

自分もこどもだったことがあるから、こどものことをわかっている “つもり” になっているだけなんじゃないかって。

こどもの心の成長について勉強したり、こどもに関わったりする機会ってとっても少ないと思いませんか?

だから、こども達の人権・権利という視点にさえ、たどり着かないんだと思うんです。

自分のこどもだけど、こどもも一人の人間。

大人と同じく心や権利がある。

そう考えると、仕事と子育てという親のバランスの支援だけでなく、親と離れて保育園に通うという大きなチャレンジをしているこどもの気持ちのサポートだとか、こどもの “親と一緒にいたい” という気持ちをどうフォローしていくのかだとか、こども側の課題にも触れていかないと、こどもも一人の人間なのにフェアじゃないと思うんです。

こどもについて考える機会がなく、こどもを知らないがために、結果として未来の日本を創っていくこどもたちの心が病んでしまったとか、愛着障害・愛情不足による自己肯定観の損失などの深刻な問題が生まれてしまったとか、全員でないにせよ、問題もあります。

“気づいてない” ということが、日本の一番大きな課題だと思うんです。

2013年5月4日のasobi基地@代々木公園より。

2013年5月4日のasobi基地@代々木公園より。

 

夫婦で遊びにいくために保育園を利用、こどもが涙を見せるケースも

——日本は子どもの権利条約を批准しているはずなのに、“こどもの人権” って、なかなか耳慣れないですよね。

理屈ではわかるんだけど意識はされていないシロモノになっている感覚があります。

つまり、大人の都合ばかりで、「こどもたちにとってどうなのか?」という視点が不足しているのではという指摘。

実際、保育現場にいて、どんな問題を実感してますか?

小笠原:例えば(東京都独自の)認証保育園は、どんな理由でも預けられるんですよね。

夫婦の時間や余暇の時間も親子関係・家族関係において大切ですし、それも子育て・家族支援であるので必要だと思っています。

ただ、親の支援があるのと同じくらい、こども側の気持ちも考えてみてほしいなと思うんです。

一緒にお出かけするのかと思って家を出てきたら、到着したのは保育園。

さらに、平日と違ってメンバーが違ったり、人が少なかったりするものだから、不安になり、泣いてしまう。

保育園は何のための場所なんだろう?

誰のための場所なんだろう?

保育園がたくさん増えていくならば、この問いをもっと考えていかなければいけないと思っています。

東京都が、親の私用での保育利用を認めるのならば、その分、こどもとの関わり方など育児において大切なポイントの講座を受けられるなど、こどもの権利側のフォローもしてほしい。

大人の権利の支援があるならば、同じようにこどもの権利の支援があるべきで、それで初めて、大人もこどもも権利が平等だということだと思うんです。

“多様性” という言葉を耳にする機会が増えましたが、とっても違和感があります。

こどもの権利について保障されてはじめて、本当の意味で多様性社会になるんだと思っています。

まずは自分の身の回りで実現しようと、asobi基地では 「大人もこどもも平等な場所」というキャッチフレーズを付けて、大人とこどもの権利をフラットにとらえる文化をつくろうとしています。

 

時代が変わったのなら、保育園の位置づけを整理しなおすべき

小笠原:国がそもそも、保育園や幼児教育に関してどういう考えを持ち、戦略を練っているのかが、伝わってこないんですよ。

予算的にも、他の先進国に比べて低いですしね。

こどもたちが今後の日本をつくるわけだから、幼児期の大事な時期について、もっと議論したり、予算をつけてもらったり、重点が置かれてもいいんじゃないかと。

保育園はもともと、戦争や貧困などの時代背景によって必要不可欠な施設として、社会福祉施設としてつくられたものです。

でも現在では社会の事情が変わり、女性が働くための支援としての意味合いが強くなっています。

「社会福祉」としての保育園のままでいいのか、という疑問もあります。

時代が変わったのなら、保育園の位置づけも整理しないといけないのではないでしょうか。

東京都では認証保育園がメインになりつつあって、これから株式会社が参入してくるとなると、もっと “サービス” としての保育が進む可能性が高まります。

保育のサービス化が100%悪いという訳ではもちろんありません。

が、保育園ってそもそもなんなのか? どういうときに使っていいのか? 使うときのルールはあるのか? について、こどもたちの現状の課題を踏まえたうえでの議論がないまま、保育園の数だけが増えていくのは疑問です。

 

保育=サービスという意識が強まれば “こどもたちの気持ち” が置き去りに

小笠原:働くのはOK、こどもは預かるからと保育園がどんどん立って、どうぞ働いてくださいで終わりになってしまったら、こどもの気持ちは置き去りだと思いませんか?

多様性を認める社会、人権のフェアはどうなってしまうのでしょうか?

大人たちの都合を考えると同時に、こどもたちの都合も考えるべきです。

保育園に預けるメリットはたくさんありますが、同時にデメリットもあるわけです。

大人たちのフォロー次第でどちらにも転びます。

保育園側が、預かる際にこどもへの声のか掛け方や気持ちの受け止め方などフォローの仕方を説明したり、保育園利用を考えている人に、こどもについて知る勉強会受講を母子手帳配布時に伝え、実施したりするような仕組みが作りたいんです。

サービスとしての保育が提供される代わりに、何が奪われ、どうやって補えばいいのかを伝えていく必要があると思います。

2012年11月に視察へ行ったトロントでは、有志の看護師さんたちが無料の研修「Nobody’s perfect」というプログラムを提供していました。

学びの場を多く作るように、国として取り組んでいます。

最後の選択は個人であるとしても、「知れる場がある」「学べる場が利用しやすい形である」というように、誰でも平等に機会が得られる仕組みがトロントにはありました。

完璧な親も子もいませんが、大人の意識によって、こどもの育つ環境がいくらでも変わってしまうのですから。

2013年3月9日のasobi基地@新豊洲カーニバルより。

2013年3月9日のasobi基地@新豊洲カーニバルより。

 

ときには「メンタルぎりぎり」に心をすり減らす体験もする保育士の仕事

——今回の話をする上で、読み手の方々とひとつ共有しておきたいと思うのは、保育士の仕事の大変さについてです。

僕自身、保育園を利用していて、保育士さんには頭があがらない。

こどもが転んでちょっと擦りむいた程度でも平身低頭で謝られるんです。

そんなの、こどもなら年中。

外から見ていても、気づかいが尋常じゃない。

うちの子たちが通う保育園に、この春に新しく1歳児と0歳児が15人くらい入園してきてました。

みんな入園当初は、突然親に置いていかれて、号泣するんですよね。

すると、もともと通園していて慣れているはずの子たちも、もらい泣きしちゃう。凄まじい状況だなぁと。

小笠原:そうですね。3年前に、今いる園が開園したときのことを、今でも鮮明に思い出します。

0歳から5歳まで40人くらいの新入園児がいました。

1か月間くらいは様々な学年のこども達が「ママー」と1日中泣いていました。

とっても懐かしいなぁと今では思うことができますが、本当に当時は大変で、結構メンタルぎりぎりでしたね。

仕事と言えども、こんなに泣くのに引き離して大丈夫か、と複雑な気持ちで過ごしました。

場所や人に慣れていない=大きすぎる不安。

すぐ帰れるように靴下を脱がない子、連絡帳を持って帰りたいと泣いている子、眠いのに安心できず眠れないけど眠くて泣いている子。

それぞれが不安をいろんな形で表現している状態でした。

今ではその子たちも、とってもたくましく育っていて、1人で寝つける子がほとんどになりました。

今は、笑って話ができますが、あの時の光景は一生忘れられないと思います。

「ああ、いくら頑張っても、そりゃママにはかなわないよなー」って体に染みました。

だから、その日限りで実施するasobi基地では「託児」はやっていません。

 

繊細な気配りと、高度なスキルが要求される保育現場

小笠原:0~2歳は人として生きるために生物学的に必要な発達がほとんど。

子どもたちの世界を広げていくのと同時に、歩行、食事、トイレに行くなどのサポートが中心となってきます。

1歳半くらいから少しずつ言葉でコミュニケーションが取れるようになりますが、噛みつきが増えてくるので、起こらないように注意してこども達を見ることも重要です。

3歳をこえると、今度は複雑な心の発達の段階へ入ります。

とても大事な時期だからこそ、喧嘩ひとつの仲裁や、自立への支援の仕方など、保育士のひと声や関わり方が大きく影響していくので、すごく気をつかいます。

朝から夜まで12時間など、眠っている時間を除けば親よりも長く一緒にいるわけで、プレッシャーがあります。

その分、感動や嬉しさも大きいですけどね。

こども達自身の成長のサポートと同時に、親御さんとどれだけ連携して一緒にこどもを育てて行けるのかが、大きな鍵を握ります。

毎日の送迎時や連絡帳、保護者面談などでよくコミュニケーションを取り合い、信頼してもらえるようにする。

悩みの相談につながり、一緒に課題を解決するパートナーとなっていけます。

本当に色々なことを考えて、親にもこどもにも言葉を選び、伝えています。

「保育士に必要なことは?」と聞かれたら、間違いなく “コミュニケーション能力の高さ” と “観察力” だと言いますね。

まあ、大変な仕事ですが、その分、毎日積み重なっていく人間の成長を見られるので、すごくいい仕事ですよ。

 

保育園を急激に増やせば保育士の質が低下する?

——僕は横浜市在住です。待機児童ゼロのおかげで、確かに保育園には入れやすくなりました。

いまは徒歩で30分はかかる場所まで、自転車で通っているんですが、近くにも保育園ができたんですよ。

でも、保育園を変える気にはなれないんです。なぜなら、いま通っている保育園の、経験とノウハウ、時間の積み重ねによって裏打ちされた安心感や、行き届いている感が半端ではないから。

個人的な実感ですが、ポッと新しくできた保育園にこどもを預けるなんて、親としても、入園するこどもにとっても、怖すぎるんですよ。

数だけ増やしても、保育士どうすんのと。

預けている側の感覚からしても無理があるだろうと感じるんですけど、現場からはどうですか?

小笠原:活動を通して、いろいろな保育園で働く保育士に会いますが、みんなが何かしら矛盾を抱えながら保育をしているなと感じています。

安倍総理は横スライドで「横浜でできたんだから全国でできる」なんて言うんですけど、保育士の質や、保育園の社会的位置づけに対しての意識がどう変化していくのか、とても心配です。

私個人の意見としては、親は親にしかできない役割を認識した上で、仕事をし、保育園に預けてほしいと思っています。

保育士はこどもたちと一緒に過ごす時間が長いので、信頼関係は結べます。

が、一番大切な、人間の核となる部分の成長に関しては、ママやパパに勝れない部分があるんです。

保育園をどんどんつくるならば、親が発達心理学を勉強したり、愛着形成について知ったりできる機会を同時につくらないといけないなと。

人間がどういうふうに心を獲得していくのかという過程は、保育士だけでは担えません。

1人の人間を育てるって簡単じゃないんです。家庭と保育園とが、お互いを尊敬しあい、役割を分担し、助け合えたとき、こどもがより良く育っていくと思っています。

2013年6月30日のasobi基地 親子で楽器探求の旅 vol.2より。

2013年6月30日のasobi基地 親子で楽器探求の旅 vol.2より。

 

こどもたちを見ていて涙が出そうになることがある

小笠原:私たち保育士は、子育てのサポートはできても親にはなれないので、すごくもどかしいんです。

私たちが抱っこしても、「ママがいい!ママに会いたい」って涙を流す。

ママのほうがいいよね、そりゃってなるわけで。

こども達はそのうち泣き止んでくれますが、本当の心の奥底を想像すると、いろいろと考えてしまいます。

今日はいつもより頑張ってるんだなとか、最近寂しいのかなとか、話したいことや訴えたいことがあるけどうまく言えないのかなとか。

自分の感情をうまく言葉にするのは難しい作業です。

でも、こどもを近くで見ている分、彼らのいろんな感情表出に出会い、それがこども達の心の声の訴えに聞こえることがあります。

なんだか涙が出そうになることがあるんです。

 

家庭と保育園のコミュニケーションが重要

でも、だからと言ってお父さんお母さんを責めるわけではありません。

だって、お仕事しなければ違う問題が出てきますからね。

大事なのはやはり、保育園と家庭とのコミュニケーションです。

例えば、最近どうですか?という何気ない会話から、「ちょっと忙しくてイライラしがちで……」とでも言ってもらえれば、こどもの訴えの理由がわかり、一緒に解決方法を考えられます。

「じゃあ週末に、2時間だけでも、この子と二人っきりで仕事から完全に抜ける時間を作ってみるのはいかがですか?」などと言えるんです。

ママやパパも「あ!」と何かに気づき、ぱっと表情が明るくなり、実際に行動してもらえたり、こども達が明るく変わったりということが多々あります。

親子の気持ちって、本当に直接伝播するのですよね。

保育士としては、忙しい中で、仕事と育児をする親御さんたちには、本当に頭が下がりますね。

大事なのは時間ではなく、密度だったり、「ごめんね」ではなく「仕事させてくれてありがとう」「お互いの時間と世界を楽しもうね!」という気持ちだったりだと思います。

加えて、自分自身に向き合う素直さが大事だと感じます。

親も保育士も。

いま目の前にいるこどもを見て、どうするかを一緒に建設的に考えていくことが、こども達の心の成長に一番いいと思っています。

 

保育園だけでは子育てはできない

小笠原:私は、今のままの政策で進んだ結果がとっても怖いんです。

「もっと働け!」と国に言われ、保育園がボンボンできる。

こどもを一人の人間として考えたり、思いやったりする時間と場所がなくなり、人間が育つ上で一番大事な要素が抜けていってしまうのではないかという恐怖があります。

私がこどもを育てる上で大事にしたいと思うのは、親と子の両方の心のバランスです。

大人と子どもがお互いに納得して保育園に行っていたり、親が子育て生活を楽しめていたり。

なんでもないことだと思うかもしれませんが、本当に大きいんです。

バランスが取れているこどもって、どこへ行っても遊べたり、世界を冒険できたりします。

発達心理学では “心の安全基地” という言葉が出てくるのですが、これができていると「何をしても自分は大丈夫」「ここにいていいんだ」という心の土台ができて、バランスを取りながらチャレンジできるケースが増えてきます。

自立という人間の大きな目標に向かっていけるのです。

“心の安全基地” をつくることが、人間が生きる上で一番大切です。

安定できるかどうかが、チャレンジ精神や自己肯定感につながるからです。

心の安定には、親や家族が一番大きな影響力を持っています。

こどもが生まれてしまえば、誰でも親という立場を得られます。

が、子どもの育て方の完全マニュアルや正解はありません。

親自身が子どもを見て、向き合い、軸を決めていく。親自身が世界を広げていけば、こどもの世界や可能性も広がります。

親も、こどもと一緒に成長していかないといけませんよね。これは保育士も同じですが。

 

こどもたちの心へ目を向けなければ日本が崩壊する

さらに、子育ては世代を超えて連鎖していきます。

自分が親から受けた子育てしか知らないわけですから、されて嫌だったことを反面教師にしようと思わない限り、無意識に次へ伝わっていってしまうんです。

負の連鎖を防ぐこともとても重要です。

また、親になる二人(夫と妻)が、自分の親がしていた子育てを思い返し、次の家族をつくっていくために、二人の子育て観をすり合わせて行く作業も、とっても大事ですよね。

人生を共にするパートナーであり、ひとりの人間を育てる一番近いチームメイトなのですから。

こどもを取り巻く問題が多い今の世の中です。

いじめや不登校など、心の問題がこれだけ増えている印象があるのには、理由があるのではないでしょうか?

子どもたちからのサインだとさえ思います。

「こども達の心を育てる」ことに重点を置いて、保育政策や子育て支援を形作っていけば、もっと幸せな子ども達、親たち、家族が増えていき、少子化に歯止めがかかると思っています。

今のままだと、いつか裏目に出るんじゃないかなと思っています。

例えば20年後、今のこどもたちが社会に出たときに、みんなの心が育っていなかったら「日本が崩壊してしまう」と危機感を持っています。

 

 
【後編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “一人では変えられない社会も、それぞれが自分事として取り組めばいつかシフトチェンジする”』はこちら。イノベーター保育士・小笠原舞が挑む具体的解決策を聞いています。

【後編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “一人では変えられない社会も、それぞれが自分事として取り組めばいつかシフトチェンジする”

 

 
【小笠原舞さんと議論・意見交換したい方はこちらまで!】

mai_ogasawara2小笠原 舞(おがさわら まい)

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202月

園児の発熱問題|「感染するからさっさと帰宅させろ」という心の余裕のなさは社会環境が生み出している

子供の発熱と保育園の問題は関心が高いですねー! FacebookやTwitterはもちろん、はてなブックマークでも意外なほど建設的な意見がもらえたので、ちょっとびっくりしました。

37.4℃を超えたら一律で子供を帰宅させる保育園。クレームをつける親はモンスター?

 

 
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何度で帰宅させるかは保育園によって対応が違う

色々と反応をいただいて、まず「ああ、そうなのか」と思ったのが、保育園ごとの対応の違いです。

我が家が通う保育園は37.4℃を超えたらお迎え要請がきて帰宅となりますが、中には38℃を超えないとお迎え要請が来ない保育園もあるそうです。

ここの点に関しては、保育施設を運営している会社に勤めているある方が、

確か、法律(ガイドライン)では、38度を超える場合は病児保育になるため、看護師が常駐し、換気や隔離の設備が必要になります。ですので、コストを考えると、どこも38度が現実的に保育施設で預かる限界になると思います。

と教えてくださいました。

37.5℃〜38℃はグレーゾーンで、各保育園によって対応が異なるようです。

 

換気・隔離設備があれば感染は防げる

確かに園内感染については、先の記事で言及できなかった部分だと思います。

ちょっと熱が高いくらいなら預かってよ、とは言っても、体調を崩しているのなら体内でウイルスが増殖している可能性があります。他の園児に感染させてしまう恐れが高まるわけで、他の子の親から見れば、「うちの子に感染させる前に帰宅させてよ」という意見が出てきてもおかしくありません。

いただいた意見の中に、「保育設備を整えても園児同士の感染を防げない」というものがちらほらありました。が、実際には設備を整えれば対応できます。これは僕も指摘されて調べて知ったので、とても勉強になりました。

38℃を超える病児保育の場合は、上記のとおり、換気・隔離施設と看護師が必要となるようです。

おそらく、37.5℃以上で様子を見てくれるという保育園でも、体調が悪い子は別室で休める(小学校の保健室みたいな)ような施設上の余裕があるのではないでしょうか。そう考えると我が家が通っている保育園には、物理的に保健室を用意できる余裕がないように思います。だから37.5℃ですみやかに帰宅させているのかもしれません。

また、中には看護師が常駐していて、体調を崩していても様子を見てくれる私立認可保育園もあるそうです。出張に出ているとか、物理的にどうしてもお迎えに行けない場合は重宝するでしょうね。

 

「感染したら困るからさっさと帰宅させろ」という心の余裕のなさは社会環境が生み出している

今回いただいた反応を大別すると、「そうなんだよねー。どうしたもんか」と実感を中心とする共感と、「感染するから当然だろ」的な批判的意見になるのかなーと思います。後はちらほら、建設的な提言をしている方もいらっしゃいました。

これってそのまま社会の構図に当てはまります。困っている当事者がいて、子育てに無関心・無理解な大衆がいて、課題解決のために奔走している極一部の人がいる、という。

僕は育児を割とストレスなく楽しめているんですけど、それはなぜかと考えると、(常識的にはかなり無茶をして)生活を育児に最適化しているので、外的要因をあまり気にしないで済むからです。子供が風邪を引いても大して困らないんです。収入は減りますけど、会社員のように組織に迷惑を掛けることはないので、めちゃくちゃ気が楽です。

だからこそ「感染したら困るからさっさと帰宅させろ」という意見は、目にしてはじめて「ああ、そういう人もいるだろうな」と思いました。むしろ、子供は風邪をひきまくって強くなるもんでしょ(4歳の娘で実証済み)、くらいに思ってます。まあ、論理的に説明できないんで、大きな声ではいいませんけど。笑

「感染したら困るからさっさと帰宅させろ」という心の余裕のなさは、社会環境が生み出しています。子供が発熱することが物理的、精神的な負担になるような社会なんですよね。しかも、保育園にクレームをつけなければいけないくらい追い込まれている。

僕はまだ「だからこうすればいい」という解答を持つ段階じゃないんですが、ただ今回いろいろ意見をいただいて、設備を充実させれば解決する問題ではないということはよくわかりました。保育環境の整備と共に、社会全体も動かさないといけない。

例えば育児中の親の仕事環境を変えるには、何よりも経営者が育児の負荷を正しく理解する必要がありますよね。ところが残念ながら、説明してわかってもらえるもんじゃない、という実感があります。『ノマド』というワードが話題になって新しいワークスタイルに注目が集まったように、子育てに人々が関心を持つように仕掛けていかなきゃいけないんだろうな、と考えています。

育児Men’sじゃ、ちょっと弱いですよね。もっと魅力的に見える方法がないかな。

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