Tag: オルタナティブ教育

289月

保育士は保育園を変えようとするんじゃなく、保育園から飛び出しちゃおう。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」などなど。

働いていて、幼稚園や保育園の方針に違和感を抱いている幼稚園教諭・保育士さんたちへ。

同僚や、園の経営者・園長らを変えなくちゃ、と使命感に駆られている人もいるかもしれません。

が、そういう方は、幼稚園・保育園から飛び出すべきです。

 

保育園から飛び出すべき2つの理由

私は保育・教育業界の人間ではなく、単なる2人の子どもの親で、単なるブロガーで、Webメディアのディレクターです。

でもだからこそ、マーケティングや、社会構造の観点から、「保育園から飛び出すべき」と断言できる理由が、明確に2つ見えます。

1つは、保育園は、変えようとしても、変わらない。問題の根本は、幼稚園や保育園にあるのではありません。

2つ目は、保育園を変えるのが正義とは限らない。絶対的な価値観など、存在しません。

 

そもそも教育とは、国の価値観によって作り上げられる

小学校から始まる義務教育、そして高校・大学と続く教育システムは、国が作り上げるものです。

国は、何の目的もなく、国民に教育機会を提供しているわけではありません。

国民の「学ぶ権利」ももちろんありますが、同時に、国が発展し、国民一人ひとりが豊かになるために、労働者や生産者の教育水準を引き上げる目的があるわけです。

国は、ある価値観に基づき、ある方法論を選択し、結果として現在の教育システムができあがっています。

もちろん、どういう教育が効率的なのかについては、様々に意見があるわけですが、ここではひとまず置いておきます。

 

幼稚園・保育園がおかしいとしたら、教育システム全体に問題がある

幼稚園は、一言で言えば、小学校入学の準備をするための機関です。

保育園は、そもそもは、事情があって育児に専念できない市民のための社会福祉ですが、どうせなら、親としては、小学校入学の準備をしてくれたほうが良いに決まっています。

小中高と続く、一般的な教育システムに乗っかる以外に、選択肢は事実上、存在していないからです。

幼稚園・保育園での教育方針が変だとすれば、原因は、小学校・中学校と続く教育システムにあります。

突き詰めていけば、国の価値観や方針に問題がある、という結論になります。

 

経営の観点からは間違っているとは言えない

幼稚園、保育園の経営者は、「小学校に入学して困らないように」とのニーズに応えているだけです。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」

これらが徹底されていればいるほど、経営や、マーケティング的には「正しい」のです。

我が子が、小学校・中学校でうまくやっていけなかったらどうしよう、と恐怖を抱く親は、少なくありません。

先ほど書いたとおり、ドロップアウトしてしまったら、落ちこぼれになってしまうと思い込んでいるからです。

(実際には、別の選択肢を選べばいいだけなんですが、現実問題としては、ごく一部の例外でしかない)

「小学校の入学準備をしますよ」とわかりやすく掲げ、実行している園と、そうでない園があったら、当然、前者のほうが、選ばれる率が高くなります。

 

末端で行動しても、効率が悪く、効果は限られる

そんなやり方は古い。時代にあっていない。子どもたちの自尊心が育たない。子どもたちを潰してしまう。

個人的には賛成です。

でも、国が起点となる教育システムの末端で、古きものを変革しようとしたところで、いったい何ができるでしょうか。

小学校以上の教育システム全体、つまり国の教育に対する価値観を変えない限り、問題の根本的な解決にはなりません。

いま目の前にいる子どもたちのケアも大切です。それはわかります。

が、あなたがそこからいなくなれば、同じ惨状が繰り返されるだけ。

だからこそ、おかしいと感じたら、さっさと飛び出してしまうべきなんです。

 

「おかしい」と直感する親子に、新しい選択肢を提供する

あなたが理想だと思う、新しい場を作りましょう。共感する人の手伝いでもいいでしょう。

「今の状況はおかしい」と直感している親や子どもに、新しい選択肢を提供するんです。

そうして育った子どもたちが、社会に出て生き生きとしていれば、世の中の人々は「あれ、なんかうらやましい」と思うようになります。

“例外” でしかなかった道が、単なる “選択肢の一つ” になっていきます。

 

「自分だけが正しい」と盲目になってはいけない

もう1つ、旧来的な価値観の幼稚園・保育園を変革しようとするのをおすすめしない理由は、それが絶対的に良いことだとは言えないからです。

何事もそうですが、絶対的な価値観など存在しません。

“殺人” も、時と場合によっては正当化されるし、支持する人がいます。たとえば、安楽死であり、死刑です。

旧来的な幼稚園・保育園にだって、「小学校に備える」という正当性があります。それを求める親も、少なくありません。

むしろあなたが別の価値観を持ち込むことで、混乱させてしまうかもしれない。

自分だけが正しいわけではありません。

だったら、自分の思うとおりに活動できる場所で、活動したほうがいい。

逃げるように思われるのが悔しいという人や、目の前の子どもを見捨てるようで踏み切れない、という方もいるかもしれません。

でも、あなたのその問題意識は、幼稚園・保育園の外に出てこそ、正当性が生まれ、本当の意味で価値のあるものになります。

 

「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能

最後に、今いる園こそが私の戦う場所だ、という保育士さんへ。

それも一つの選択です。でも、「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能、とだけは、理解してください。

まったく別の話題ですが、紛糾した安全保障法案に対し、デモが活発に活動していました。

法案にどのような意見を持ってもいいのだけれど、「絶対に止める」というスローガンには、私は眉をひそめました。

「絶対に止める」というスローガンからは、自分と違う価値観を持った、けっして少なくない人々への “敬意” が欠けているように思えてならなかったからです。

「私たちはこう思う」という意思表示はいい。どんどんやるべきです。

でも、正しいのは自分たちで、それ以外は間違っているから、自分たちの言うとおりにしろ、というのは、筋が通らない。

 

相手を理解し、尊重できてこそ、変革していける

彼らがやるべきは、戦争に行きたくないと叫ぶことではなく、不安があるのなら、(ルールに則って選ばれた)現政権が選択した安全保障の中身について、具体的な折衝をすることです。

まるで違った価値観の人間が存在すると認めたうえで、敬意を払い、妥協点を探ろうとするのでなければ、誰が聞く耳を持ってくれるでしょうか。

保育・教育についても同じです。

国のやり方は間違っている、園長のやり方は間違っている、と思い込んでいないでしょうか。

なぜ現在のやり方を選択しているのか、構造を学び、相手を理解し、尊重できてこそ、変革の手がかりを見つけられます。

249月

『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが凄くおもしろいので、絶対読んだほうがいいよ。

ペティ民子さんの『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが、すごくおもしろいです。

旦那さんと、4人の子どもを連れて、「家」も「子どもたちの学校」も離れて、車で放浪に出たんです。

特に、義務教育に疑問を感じている子育て中の親は、必見。

絶対に読んだほうがいいですよ。

 

13,000いいね!記事の著者、ペティ民子さん

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。という記事が、少し前に4万PVほど読まれました。約5,000いいね!。

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

実はこの記事を書くきっかけになったのは、記事内にもリンクがあるんですけど、

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと』という、ペティ民子さんの記事です。

これが、ふと気がついたら、13,000いいね!を越えていました。

多くの人に読まれるべき記事だと思っていたので、当然の結果だと思います。Twitterやはてブでは話題にならないのに、Facebookでバズったということで、届くべきところへ届いた、という感じですね。

いやー、良かった良かった(私が紹介したのがどんな影響だったかは分からないですけどね)。

 

『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが凄くおもしろい

実は、もう1シリーズ、読んでほしい記事があるんです。

ペティ民子さんは熊本県出身、米国在住、4人の男の子の子どもを持つ母親。旦那さんはアメリカ人です。

私は、ちょっとしたことからペティ民子さんとWeb上で知り合いました。すごく子育ての考え方や、価値観に、共感する部分が多いんですよね。

私にとっては、道なき道をゆく先駆者というか、先輩のような存在です。ペティ民子さんの子どもたちのほうが年長なので、我が家の子どもたちのこれからを考えるのに、すごく示唆をもらっているんです。

で、そのペティ民子さんが近頃なにをしていたかというと、自宅を手放して、車での放浪の旅ときています(今はサンディエゴにとりあえず落ち着いているとのこと)。

なにしろ、子どもたち4人を連れての旅。若者の冒険や、老夫婦の余暇とは訳が違うわけですよ。

この旅行記『子連れ貧乏のノマドライフは難しい』シリーズが、おもしろいのなんのって。

もともと私は旅行記が好きなのもあると思うんですけど、むさぼるように読んでしまいました。おすすめ。

ホームレス初日の気持ち in オレゴン

子連れ貧乏のノマドライフは難しい - 障害編

子連れ貧乏のノマドライフは難しい - ベイエリア編

子連れ貧乏のノマドライフは難しい - 南カリフォルニア編

以降は、記事の末尾にあるリンクをたどって、シリーズを読破できると思います。

ね、読み出したら止まらないでしょう?

やっぱり、実体験に勝るものはないというか。リアリティを感じられるルポはたまらないですよね。

しかも波乱&トラブルの連続で、「この先どうなるんだろう」というドキドキ感がたまらない、というオマケ付き。

家も定職も離れて、気ままな放浪の旅に出る。しかも、子どもたちと一緒に。

こんなシチュエーションにそそられるのは、私だけ?

198月

「子どもの頃もっと●●しておけばよかった」という人に足りないのは努力ではない。

「子どもの頃、もっと●●しておけばよかった」と言う人が、世の中には少なくないようです。

でも、このような方々は、仮に勉強や部活にもっと打ち込んでいたとしても、同じことを言っていたはずだ、と私は思います。

足りないのは、努力ではなく、自己肯定感だからです。

 

論点は「勉強をするか、しないか」ではない

現時点で、3,000いいね! 以上をいただいています。

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

必ずしも、肯定的な意見ばかりではありません。

実は、この話の論点は、「勉強をするか、しないか」ではありません。

当然ながら子どもは、多かれ少なかれ、勉強をするものです。

問題は、親が先回りして子どもに必要なものを勝手に決めてしまい、勉強を強制するかどうかです。

上記の記事を書くきっかけになった、ペティ民子さんからメールがきて、

時期がくればトイレトレーニングと同じように出来るようになるものを
時期がきてない子に一生懸命出来るようにさせようとする先生の苦労は
相当なものだと思います。

という文面に、なるほど的を射た表現だな、と感心しました。

どちらが正しいというわけではなく、“子どもが本来持つ能力を信用する” という考え方を肯定するか、否定的に捉えるか、という、価値観の違いなんでしょう。

 

そもそも「いま幸せです」と答えられる人が少ない

上記記事へのFacebookコメントで、

どんな質問をしたとしても、今幸せです、と答える人が少ないのでは?と思いました。

という見解を見かけました。

実はこれが、本質をついていると私は思います。

私はいま幸せです。あんまりこういうことを言うのは、自己啓発セミナーや宗教みたいで嫌なんですけど、断言できます。

人生に不可欠なものはすでに揃っていて、ストレスは皆無といっていい日常で、さらに予想のつかない未来にワクワクしています。

欲を言えば、もう少しお金があったほうが、行動範囲を広げられるので嬉しいですけど、でも際限のない欲だと割り切れます。

でも、人生をこんなふうにポジティブに捉えられている人って、すごく少ないんですよね。

 

私は我が子に「幸せです」と言い切れる大人になってほしい

経済的、社会的成功は、必ずしも幸福感と結びつきません。

お金持ちになっても、高い役職についても、満ち足りていると感じるかどうかは別問題です。

ここは完全にそれぞれの価値観なので、それぞれのポリシーに従えばいいのだと思いますが、私は我が子には、第一に、幸福を感じられる大人になってほしいと思っています。

経済的成功も、社会的成功も、あればもちろんいいけれど、それよりもなによりも、人生に満ち足りていることが重要だという考えです。

幸せですか? と尋ねられたら、幸せですよ、とさりげなく回答できる大人になってほしいんです。

 

「幸せです」と言い切るには、自己肯定感が必要

では、満ち足りた人生を送るために必要なものは何か、というと、自己肯定感です。

モノでも、お金でも、ステータスでもありません。

あるいは幼少期の努力や、何かに打ち込む経験でもありません(努力が自己肯定感の源泉になるケースもあるとは思いますが、短絡的に、努力=幸福、満ち足りた人生、というわけではないはずです)。

「幸せです」と言い切るために必要なのは、自己肯定感なんです。

もちろん、お金がなかったり、人間関係がうまくいかなければ、幸福とは思えないでしょう。

でも、自己肯定感さえあれば、芯が折れません。ギリギリのところで踏みとどまって、チャレンジを続けられます。

 

勉強を強制しつつ自己肯定感を育む方法はあるのか?

だから私は、勉強の強制に否定的です。

どうしても、子どもの感情を無視したり、個性を否定したり、枠にはめようとしたり、という行為に繋がってしまうと思うからです。

勉強を毛嫌いしているというより、自己肯定感を潰してしまうのが怖くて、勉強の強制なんかできない、というほうが近いですね。

勉強を強制しつつ、自己肯定感を育む方法があるのであれば、そのやり方もアリだと私は思います。

ただ私には、ほとんどムリゲーに思えるんですよ。

 

“ありのまま” でいればいい

私は、自分の親(特に母親)からもらった宝物に感謝しなければいけない、と常々思っています。

他人は他人。自分は自分。あなたは特別な存在なんだから、“ありのまま” でいればいい。

言葉だけでなく、態度でもそれを伝えてくれたから、私はこんなにも人生を楽しむことができるんだと思います。

私も我が子に、同じメッセージを伝えていきたいと思います。

 

子どもに勉強を強制しないやり方は、究極のスパルタ

蛇足ですけど、子どもに勉強を強制しないやり方が「ゆとり」だと思っている人がいるとしたら、これは、大間違いなんですよね。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

でも書きましたが、尋常でないくらいのスパルタです。

だって、なにもかもが自己責任なんですから。失敗しても、教育機関や教師のせいにはできない。

それから、学歴がなければやりたいことができない、充分にお金が稼げない、という見方は、(公務員など、ごく一部の職種になりたいケースを除けば)、都市伝説でしかないというのが、フリーランスとして生きている私の意見です。

フリーランスなんてただの下請け、と思っている人、多いみたいですね。

でも私は、嫌な仕事はすべて断って、やりたいことしかやっていないですよ。

自らの個性を知り、社会の中での居場所を見つけ、スキルをお金に換えるマーケティング感覚さえ見つけられれば、不自由しないだけのお金を稼ぎながら、世の中を自由に泳ぎ回れるんです。

158月

「子どものころ死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」という人に、会った経験がない。

とある知り合いが、「子どもに学校で良い成績を取らせようとするのが、一番してはいけない」と記事を書いていました。

好きなことで食べていける大人になるために必要なこと

一番してはいけないと思うのが、
子供が好きなことがあるのに、
「そんなことでは食べていけない」
といって、学校の勉強を一生懸命頑張らせて
良い成績を取るように促すこと。
ここに精力を出しはじめると
人生が狂ってくる。

これ、完全に同意なんですよね。

“勉強を頑張らせる” という子育ては、使い古されて限界が見えている方法論の一つでしかありません。

少なくとも、良い成績を取らせておけば、将来の不安が少なくなるという考え方には、なんの根拠もないと私は考えています。

 

勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い

むしろ、成績最優先の環境に置かれるために犠牲にしてしまう、その子の個性や、社会の多様性を広く見て回る経験や、無数の人々との出会いの機会、といったものが、大人になってからの幸福感を生む可能性の高い要素です。

私は、「子どものころ、死ぬほど勉強させられたから、いま幸せです」なんて人に、会った経験がありません。

みなさんは、いかがですか? 会った経験がありますか。

中には存在するのかもしれませんが、多数派ではないはずです。

つまり、「勉強を頑張らせて、我が子に幸せになってもらうのは、無茶苦茶ハードルが高い」というのが、客観的事実ではないでしょうか。

 

文字を書こうとしなかった5歳の娘

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5歳の娘のゆいが、急に、文字入りの手紙を書くようになりました。

それまでは、どんなに、ひらがなの書き方を教えようとしても、ちっとも学ぼうとしなかったんです。

本人の中には、「うまく書けないから、やりたくない」という思いがあったようです。

誰でも初めはうまく書けないわけで、とにかくやってみないことには始まらないのになー、と思いつつ、無理強いはしないでいました。

 

きっかけは、同年代の女の子からの手紙

きかっけは、同年代の女の子からもらった手紙でした。

ひらがなで、文章が書いてあったんです。

ゆいは、書けないけれど、読むことはできるので、それを(キャンプ中だったので)キャンピングベッドの下に持ち込んで、独り、まじまじと眺めていました。

家に帰ってから、幼児向けのひらがな練習帳で、なにやらひとりで遊んでいたので、ためしに「お手紙のお返事を書いてみたら?」と言ってみたんです。

そうしたら、A4の紙にハートをいっぱい書き、さらに相手の名前まで書きました。

まだ音と文字が一致していないので、どうやって書いたかというと、50音の積み木を、一つ一つ探してきたんです。

「ふ」「う」「か」と、積み木の文字を見ながら、(初めてにしては)上手に写して見せました。

 

人間、必要に迫られれば学ぶ

積み木を見て書くという方法は、100%ゆいのアイデアです。親は何も言っていません。

いや、驚きましたね。

人間、必要に迫られれば、学ぶんです。

そして、未熟であれば工夫して、見事にモノにしてみせる。

手紙は、iPhoneで撮影して、すぐにLINEで送りました。

「ありがとう♡ だいすき」という返事を見て、ゆいは自信がついたようで、今度は保育園の彼氏の名前を書き始めました。

「か」「ま」「だ」「り」「ゅ」「う」「せ」「い」と、フルネームで、かなり難易度は高いと思うんですが、投げ出さずによく書くんですよ。

 

本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番

実際、「本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番」という教育方針を貫く学校もあります。

サドベリースクールです。

授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

東京サドベリースクールのスタッフ・杉山まさるさんとの一問一答がおもしろいので、一部再掲します。

 
Q. 小学校時代を思い返してみると、彫刻刀セットだとか、裁縫セットだとか、みんな一律に買わされたのが、今になって思うと不思議です。サドベリースクールは正反対の考え方ですよね。

人はそれぞれ違います。興味を持つ対象も、どういうタイミングで学びたいと思うかもそれぞれ違うので、そのときに必要なことを本人が選んでいけばいい、という考え方です。

 
Q. これからの時代、現在の画一的な教育のあり方に疑問の声を挙げる人が増えてくるのではないかと感じているのですが、いかがでしょうか。

サドベリースクールは、すべての子に合う学校ではないと思っています。ただ、今ある一つの教育システムだけではなくて、いろいろな教育が近所にあって、あなたはシュタイナーなんだね、あなたはモンテッソーリなんだね、あなたは一般的な学校なんだね、みんな違うけどどれもOKだよね、というふうに、それぞれに合った教育を選択するのが当たり前な社会になれば、それが一番健全なのではないかな、とは思います。

 
Q. 「読み書き算数など、最低限の教育だけでもやったほうがいいのではないか」という意見もあると思いますが。

すべてこどもたちに任せています。本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。それ以外のタイミングでやらせようとすると、むしろ嫌いになってしまったり、「これが必要だ」と自分で考える力を奪ってしまう可能性がある、という考え方です。

 
Q. 一度も通常の小学校などに通った経験のない子の事例はありますか?

東京サドベリースクールは生まれてまだ5年、もうすぐ6年ですが、小学生からアメリカのサドベリースクールに通っていた15歳の女の子が在籍しています。読み書きや計算もできますし、敬語も使えます。マンガを読んでいるとわからない字が出てくるのでお父さんお母さんに聞いたり、スーパーやコンビニで買い物をするのに計算ができないと困るので学んだり。彼女は学ぶことにストレスがないですね。

 

サドベリースクールに通うことを決めた親子と出会う

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偶然なんですが、この夏の福井県滞在中に、サドベリースクールに通うことを決めた親子と知り合うことができました。

ゆいと、この少年(もう小学生で、ゆいよりはかなりお兄ちゃん)は、同じ部屋に足を踏み入れた瞬間から、なんの違和感もなく遊び始めました。

もう、子犬の兄妹か、と思うほどじゃれ合って、見ている親は唖然とするしかありませんでした。

人見知りしないとか、そういうレベルじゃないんですよ。

彼らはああやって、何の制約も抑圧も受けずに、興味の赴くまま、ものすごいスピードで世界を広げて行くんだな、と思わずにはいられませんでした。

 

人生の楽しみ方を知っている子に育てよう

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

火を見ると熱心に火遊びを始めるのが、子ども。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

水晶浜にて。きれいな海の波打ち際で、浮き輪で漂う。楽しみ方を本当によく知っている。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

やりたいことは、なんでもやってみるアグレッシブさを、大切に守ってあげたい。

もっとも、我が家の子育てがこれからどうなっていくのか、細かいことについては、まったく予想がつきません。

サドベリースクールに行くのか、小学校をぶっ壊すのか、海外へ行ってしまうのか。

親として、ただ一つだけ言えるのは、人生の楽しみ方を知っている子に育てよう、ということなんです。

ゆいは、たとえば、芝生があればとりあえず寝転んでみるし、川へ遊びに行けば浮き輪で流れてみるし、海へ行けば波打ち際で漂ってみるし、キャンプへ行けば星空を見ながら外で眠るし。

良いことばっかりじゃなくて、他人のオモチャや本でも平気で遊び出すので相手をびっくりさせてしまったり、店の陳列物を手当たり次第にいたずたしたり。

どっちにしても、あんた、ほんとに楽しそうねえ。(^^;;

こういう我が子の個性を、なるべく殺さないようにいきたいなーと、未熟な親ながら思っている次第です。

113月

[取材レポート]授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

一般財団法人『東京サドベリースクール』から招待を受けて、もうすぐ5歳になる娘と一緒に遊びに行ってきましたので、レポートします。

きっかけは、以前書いたこちらの記事。

子供にやりたいことだけをやらせる「サドベリースクール」についての私的まとめ

もともと私は、「もし子供たちが小学校に行きたくないって言い出したときのために、ほかの選択肢を用意しておこう。うっしっし」という考えでいました。

選択肢の一つとしてサドベリースクールの存在を知り、おもに自分自身の考えを整理するために書いた記事です。これが、東京サドベリースクール代表の杉山まさるさんの目に止まったそうで、メールをいただきました。

 

東京サドベリースクール概要

サドベリースクールの特徴については、上記のまとめ記事をご覧ください。

一言で表現すれば、こどもの自発性を最大限に尊重する学校です。

授業もカリキュラムもチャイムもなく、ひたすら自分自身の責任において「何をするか」「何をしないか」を決めます。

一般財団法人 東京サドベリースクール

東京サドベリースクールの理念は、

・あるがままの自分を信頼し選択することで自分の人生を生きる
・自由と社会性の調和

の2つです。これも、こどもたちも含めた皆で、じっくり時間をかけて話し合って、決めたそうです(サドベリーでは、こどもも大人と同等の一票の権利を持つ)。

個人的に、注目しておきたいのは後者です。サドベリースクールと言うと、こどもに我慢をさせない学校だと勘違いする方も少なからずいると思いますが、実際には自分たちで決めたルールを必ず守らなければいけません。なぜなら、

「サドベリーは自由ではありますが、自由だけで他の人のことを考えないのでは、自分勝手でしかない(杉山まさる)」

からです。コミュニティとしての調和を遵守しつつ、自分の好きなことを見つけて自由に行動できるのが、東京サドベリースクールということでした。

 

東京サドベリースクールの風景

突然、オーブントースターを持って2階に駆け上がった女の子たち。何事かと思ったらプラ板づくりを始めた。
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キッチンでは料理をする姿も。毎日のように料理をしているという彼女は18歳で、この春に卒業していくそう。
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音楽が好きでスクール内でコンサートを開催する子、小説を一日中書いている子など、それぞれに個性を磨いている。仮に1日中ゲームをやっていたとしても、誰も止めさせようとしないし、叱らない。
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率直な感想

サドベリースクールを、天国のような環境だと肯定的に捉える方も、少なからずいらっしゃると思います。

が、基本的には、「並みの神経の親では入学させられないだろうな」というのが率直な感想です。

たとえば、ゲームに何時間も夢中になっている子を見れば、「こんなことに時間を費やしているうちに、ふつうの小学校に行っている子は漢字を覚えたり、足し算・引き算のやり方を習っている」という現実が、少なからずのしかかってきます。

日本人ならば、ほとんど誰もが、同じ水準の教育を平等に受けてきた経験があるわけで、これは致し方ないところでしょう。

実際には、数時間の間に、ゲームをやっている子は入れ替わっていたし、十数人がいる中でゲームをやっていたのは数人でしかありませんでした。

何年もゲームだけやり続けるということは、絶対にありえません。

が、理屈を越えて「本当にこれでいいのか?」という感情がわき起こってしまうのが、一般的な感覚だと思います。

これが実際に東京サドベリースクールに足を踏み入れて、はじめて得られた実感です。それ以外は、個人的には、想定外だったり意外だったりした部分はありませんでした。

自分がやりたいことを自分で決めてやっている、異年齢の子たちのコミュニティで日々を過ごせるという価値は、他ではなかなか得られるものではなく、申し分がないと思いました。

 

娘の感想

もうすぐ5歳になる娘は、行く前から、

娘「学校に行くの始めて」ヾ(〃^∇^)ノわぁい♪

という感じで、到着して玄関に入った瞬間からくまなく家宅捜索を始め、あちこちいじり回していました。

生徒たちの輪に紛れ込む姿は、すでに3年間くらい通っているように違和感がなく、思わず苦笑してしまったくらいです。

いつもの保育園とどこが違ったか?を尋ねると、

娘「2階に行けるところ」(‘-‘*)エヘ

との回答で、幼児の言葉足らずを捕捉すると、自分の意志で好きなところへ行っていい、というところが、とてつもなく新鮮だったようです。

確かに、小中学校はもとより、保育園でさえ、みんなと同じ場所で、みんなと同じことをさせます。落ち着きがなく、みんなと同じことができないと、それがあたかも悪い事であるかのように考えてしまうのが一般的な日本の教育です。

ちなみに娘は帰り際に、ものすごーくグズりました。

外に出てバス停に向かう途中も、非常に怒っており、

「ゆいもあんなふうに生活したい!パパなんかもういいから!!」ヾ(*`Д´*)ノ”彡☆

と手がつけられない状態でした。

 

東京サドベリースクール・スタッフ杉山まさる|一問一答

最後に東京サドベリースクール・スタッフの杉山まさるさんとの雑談や対話の中から、心に残ったやりとりを、一問一答形式で紹介したいと思います。

 
Q. サドベリースクールのスタッフは、その性質上、小学校の教師のように授業の準備、宿題づくり、学級通信づくりなどはないと思いますが、どのように時間を使っていますか?

大きいのは、学校の維持に必要な作業です。メール対応、金銭面の管理、パワーポイントの資料作成、ホームページの管理、入学希望者への説明・面談。公立学校の教師は経営の心配をする必要はありませんが、東京サドベリースクールではすべて自分たちでやる必要があります。特にサドベリーのような学校は、色々なご不安があって、入学される方がそれほど多くはないので、難しさがあるのは事実です。

 
Q. 「サドベリースクールはこどもに我慢をさせない学校なのではないか」という誤解があるのではないでしょうか。

ときどき誤解はあります。実際には、けっこうこどもたちは我慢しています。東京サドベリースクールはみんなの場所なので、自分たちで決めたルールは守らなければいけないからです。ただし、理不尽な我慢はありません。たとえば欲しいものがあれば、自分で動いて、しかるべき行動と手続きがあれば、手に入れられる学校です。

 
Q. 小学校時代を思い返してみると、彫刻刀セットだとか、裁縫セットだとか、みんな一律に買わされたのが、今になって思うと不思議です。サドベリースクールは正反対の考え方ですよね。

人はそれぞれ違います。興味を持つ対象も、どういうタイミングで学びたいと思うかもそれぞれ違うので、そのときに必要なことを本人が選んでいけばいい、という考え方です。

 
Q. これからの時代、現在の画一的な教育のあり方に疑問の声を挙げる人が増えてくるのではないかと感じているのですが、いかがでしょうか。

サドベリースクールは、すべての子に合う学校ではないと思っています。ただ、今ある一つの教育システムだけではなくて、いろいろな教育が近所にあって、あなたはシュタイナーなんだね、あなたはモンテッソーリなんだね、あなたは一般的な学校なんだね、みんな違うけどどれもOKだよね、というふうに、それぞれに合った教育を選択するのが当たり前な社会になれば、それが一番健全なのではないかな、とは思います。

 
Q. サドベリースクールでは、こどもの自発性を尊重するわけですが、知らない事に対して興味は持てません。興味のきっかけの提供についてはどのような考え方ですか?

私たちでは、特になにもしていません。きっかけを提供しようとすると、「大人がさせたいこと」になってしまうからです。こどもがしたいことをさせるのがサドベリースクール。こどもさんの世界を広げるのは、スクールではなく、家庭の役割になります。

 
Q. 「読み書き算数など、最低限の教育だけでもやったほうがいいのではないか」という意見もあると思いますが。

すべてこどもたちに任せています。本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。それ以外のタイミングでやらせようとすると、むしろ嫌いになってしまったり、「これが必要だ」と自分で考える力を奪ってしまう可能性がある、という考え方です。

 
Q. 一度も通常の小学校などに通った経験のない子の事例はありますか?

東京サドベリースクールは生まれてまだ5年、もうすぐ6年ですが、小学生からアメリカのサドベリースクールに通っていた15歳の女の子が在籍しています。読み書きや計算もできますし、敬語も使えます。マンガを読んでいるとわからない字が出てくるのでお父さんお母さんに聞いたり、スーパーやコンビニで買い物をするのに計算ができないと困るので学んだり。彼女は学ぶことにストレスがないですね。

 
Q. サドベリースクールに通わせる際に親として難しいのはどんな点ですか?

こどもを信じていつまで待てるか?です。サドベリースクールは1年や2年通う場所ではなくて、10年通って成果が見えてくる場所です。極端に言えば、18歳になって足し算・引き算ができなくても待てるのかどうか。実際には足し算・引き算はみなできますけどね。

 
以上、一部ではありますが、杉山まさるさんの言葉を紹介しました。

もちろん、この一問一答は私が要約したものです。疑問に感じる点があったり、東京サドベリースクールに関心を持ったりした方は、ぜひ直接スクールまでお問い合わせください。

一般財団法人 東京サドベリースクール

見学のきっかけをくださった杉山さん、当日受け入れてくださった生徒のみなさん、楽しい経験をありがとうございました。娘ともども御礼申し上げます!

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