113月

3.11に振り返りたい翻弄される六ヶ所村と核燃料サイクル


青森県上北郡六ヶ所村とは……


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下北半島の付け根の辺りにある。冬は、地を這うような吹雪が、何日も続く。遅い春が来ると、『やませ』が吹いて、霧が立ち込める。

ホーム – 六ヶ所村 Official Web Site

厳しい冬。日照時間不足。冷害。お世辞にも恵まれているとはいえない自然環境のせいで、根菜以外の農作物は、ほとんど育たない。人口は約1万1000人。徐々に減り続けている。

このような土地柄、核燃料サイクル施設の受け入れが選択肢として浮上したのもやむなしと考えられる。なお、受け入れ決定までには、村民を二分しての長い対立があった。下の書籍に詳しい。

現状では、村内に反対派はごく少数と言われる(震災前の情報による)。再処理工場稼働反対等の運動があるときも、村外の人間が引率しているようだ。核燃料サイクル施設の恩恵は、主に電源三法交付金で、20年間で約300億円。村税も年間60億円ほどの収入がある。生活がかかっているのだから、当然だろう。

 

核燃料サイクル

日本は核燃料となるウランを、オーストラリアやカナダ等から輸入して、原子力発電を行っている。震災以前、原子力発電で賄っている電力は、日本全体の三割から四割だった。

ウランを原子力発電で燃やすと、《使用済み核燃料》に変わる。放射性廃棄物、つまり、核のゴミだ。核燃料サイクルとは、ゴミであるはずの《使用済み核燃料》を、「リサイクルしよう」という構想。理論上、実に97%もの大部分を、再利用できると言われる。

 

核燃料サイクルの仕組み

肝となるのが、リサイクルの課程で取り出せる、プルトニウムだ。プルトニウムは、高速増殖炉での発電に使用する計画になっている。高速増殖炉には、「消費した以上のプルトニウムを生成する」という特性がある。核燃料サイクルが実現すれば、日本は「数千年はエネルギーに困らない」とさえ、言われている。

 

核燃料サイクルの問題点

高速増殖炉は研究中の技術で、実用化にはほど遠い。実験炉『もんじゅ』ではトラブルが続出している。2010年には、重さ3.3トンの炉内中継装置が原子炉容器内に落下するという致命的事故を起こし、再稼働の目処はついていない。

この問題については、『世界』2011年3月号に掲載の、元京都大学原子炉実験所講師・小林圭三『もんじゅ破綻 もはや廃炉しかない』に詳しい。

六ヶ所村の核燃料サイクル施設の肝となる、再処理工場も、当初は二〇〇五年に稼働する予定だったものが、トラブルが多発し、未だに試験運転中であり、実用化の目処はついていない。改修費用は嵩み、建設予算7000億円のはずが、既に2兆円以上が投入されている。

六ヶ所再処理工場 – Wikipedia

 

日本の原子力行政と、翻弄される六ヶ所村

東日本大震災を経て、日本の原子力発電所は全て停止しています。徐々に再稼働が行われる可能性はありますが、新設が困難を極める現状を見れば、原発は40〜50年で廃炉となるわけで、基本的に日本の原子力行政の命運は尽きたと見る人が多いのではないでしょうか。

仮に原発が更新されたとしても、核燃料サイクルの要である高速増殖炉は頓挫していて、当初は1990年代前半としていた実用化目標は延びに延び、現在は公式見解で「2050年頃から商業ベースでの導入を目指す」という有り様です。

どんどん遠くに逃げていく|河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり
2050年頃から商業ベースでの導入を目指す …

とするならば、どのみち六ヶ所村の核燃料再処理工場は不要となります。

 

六ヶ所村民の存在を忘れずに議論していきたい

今回、3.11に六ヶ所村を取り上げたのは、原子力行政に翻弄されてきたマイノリティの存在を意識するきっかけになればと考えたからです。

実は震災以前に訳あって六ヶ所村について調べる機会がありました。「金が欲しくて核燃料サイクル施設を受け入れたんだろ」と批判するのはあまりに想像力に欠けている、というのが正直な感想です。

少なくとも上記で紹介した『六ヶ所「核燃」村長選―村民は“選択”をしたのか』にあるとおり、受け入れが決まるまでには熾烈な反対運動があったのは事実です。

また、国からは「国策のエネルギー事業であり、資源問題が解決すれば日本中の人々ためになる」と言われてきたのですから、それを引き受ける選択を批判できないと私は思います。今でこそ核燃料サイクルは荒唐無稽であると実証されつつありますが、当時は国の利益だからと誇りを持って引き受けようとした人たちがたくさんいたはずです。

現状、どのように好意的に解釈しても、六ヶ所村の核燃料サイクル施設が必要だという結論を出すのは難しいと思います。これは事実として受け入れるべきです。

しかしながら一方で、核燃料サイクル施設がなくなれば、好きで受け入れたわけではない(現実問題として他に選択肢がなかった)六ヶ所村民の生活は大きなダメージを受けます。これは個人的な意見ですが、六ヶ所村が好きで、そこに住み続けたいという人がいる限り、六ヶ所村民が捨て置かれるべきではありません。

例えば河野太郎衆議院議員も、

国の政策にきちんとコミットしてくれた地域に対しては、その後、国の政策が変わっても、その地域に対する国のコミットをしっかり守るということを伝えなければならない。

青森視察 – ごまめの歯ぎしり

と発言しています。

 

 

いま何を思いますか?

岩手で神職をしている友人が、「被災地を意識しなくなるより、震災を受けて大きく変容したはずの価値観を忘れつつあるほうが問題では」と提起していました。

あのときの“非日常”、簡単に思い返せますよね。

みなさんは六ヶ所村や、核燃料サイクル、原子力行政について、いま何を思いますか?

仮に原発が更新されたり、核燃料サイクルが完成したりしたとしても、使用済み核燃料、いわゆる「核のゴミ」の最終処分場を引き受けようとする自治体は存在しません。忘れようと思っても、問題は山積しているのが現実です。

 

※こちら、動画のドキュメンタリー映画です。原子力行政とは直接関係がありませんが、マイノリティに目を向けるきっかけとなりました。人生で五指に入る大きな影響を受けた映像作品です。

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