49月

クリエイター必見。「風立ちぬ」だけじゃないポール・ヴァレリーの突き刺さりまくる名言集


引退表明した宮崎駿監督の、最後の長編映画『風立ちぬ』。この “風立ちぬ” という言葉は、ポール・ヴァレリーの詩の一節を、堀辰雄が訳したものと紹介されています。

この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名の小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は“風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公“二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。

http://kazetachinu.jp/message.html

ところでこのポール・ヴァレリーですが、ただの詩人ではありません。「20世紀最大の知性」とさえ称する人がいるのをご存じでしょうか。

僕は、学生時代にゆいいつ尊敬していた美学の鬼才・谷川渥教授を通じて、ヴァレリーの存在を知りました。

中でも『ヴァレリー・セレクション 上』に収蔵されている「言わないでおいたこと」という警句集が、とんでもなく素晴らしいんです。

何となく思っていたんだけどうまく言えないでいた、というようなことが、見事な手際で言語化されています。


 
 
 
 
 

 とても偉大な芸術とは、模倣されることが公認され、それに値し、それに耐えられる芸術だ。そして模倣によってこわされることなく、価値が下がることもなく、また逆に模倣したものがその芸術によってこわされることも価値が下がることもない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 新しさ。新しさをねらう気持ち。
 新しさというのは、例の興奮性の毒物のひとつであって、最後にはどんな栄養物より必要になってくる。いったん毒物がわたしたちを支配すると、その量をつねに増やさなければならず、死なないまでも、致死的な量にいたらしめる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 もっぱら新しさを好むことは、批評精神の一種の退化を示す、というのも作品の新しさを判断することぐらい簡単なことはないからだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 自分の作品をながめる作者のまなざし。
 あるときはアヒルを孵(かえ)した白鳥、あるときは白鳥を孵したアヒル。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 詩人の偉大さは、精神がかすかにかいま見たものを、自分のことばでしっかりとつかまえるところだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 インスピレーションというものはひとつの仮説であって、作者を観察者の役回りにおとしめる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 飾った文体。文体を飾ること。
 本当に文体を飾ることのできる人とは、裸の明確な文体が可能な人だけだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 仕事をしている人は自分に向かってこう言う。もっと強く、もっと賢く、もっと幸せになりたい——「このわたし自身」よりも。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 偉大な人というのは、自分の去ったあと、他の人々を途方に暮れさせる人のことだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 もっとも偉大な人とは、自分自身の判断を思いっきり信じられた人たちのこと、——もっとも馬鹿な人も同じだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 人が気晴らしに書いたものを、他の人が緊張と情熱をもって読む。
 人が緊張と情熱をもって書いたものを、他の人が気晴らしに読む。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 かつて一度も自分を神々のたぐいに近づけようとしたことのない人は人間以下である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 もっとも激しくもっとも抑えがたい憎しみは、わたしたちが自らなりたいと望むような人たちに向かう。そしてこの状態が当の相手に密着していればいるほど、憎しみは鋭くなる。他人がほしがって財産とか名とを手にいれようというのだから、これは一種の窃盗である。だれかが自分の理想と思う肉体とか頭脳とか才能を所有しようとするのは一種の暗殺だ。その人は自分の理想が幻想ではなく、自分の場所が占拠されていると一目で悟らされるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 親友。
 本当の親友になるには、同じ程度のつつしみ深さをもつ者同士でなければならない。それ以外のもの、性格とか教養とか趣味はあまり重要ではない。
 本当の親しさはお互いの廉恥心と口の堅さのうえになり立っている。
だからこそその親しさが、信じられないような自由を許すのであって、この二つ以外のことは何を言ってもいいのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 馬鹿な人たちは、ふざけることはまじめさが書けていることで、駄じゃれを言うと答えになっていないと考える。
 どうして彼らはそう信じ込んでいるのか?
 それはその方が彼らの得になるからだ。それが彼らの存続基盤であって、彼らの存在がかかっているのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 わたしたちには実に明瞭に見えているのに、表現するのがとてもむずかしいものは、いつだってそれを表現する努力を自分に課す値打ちがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 知性をともなわない直感はまぐれにすぎない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 非常に危険な状態とは、自分は分かっていると信じること。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 自殺が許されるのは、完全に幸福な人だけだ。
 
 
 
 
 
※以上『ヴァレリー・セレクション 上』「言わないでおいたこと」より一部を引用

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