保育士は保育園を変えようとするんじゃなく、保育園から飛び出しちゃおう。


「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」などなど。

働いていて、幼稚園や保育園の方針に違和感を抱いている幼稚園教諭・保育士さんたちへ。

同僚や、園の経営者・園長らを変えなくちゃ、と使命感に駆られている人もいるかもしれません。

が、そういう方は、幼稚園・保育園から飛び出すべきです。

 

保育園から飛び出すべき2つの理由

私は保育・教育業界の人間ではなく、単なる2人の子どもの親で、単なるブロガーで、Webメディアのディレクターです。

でもだからこそ、マーケティングや、社会構造の観点から、「保育園から飛び出すべき」と断言できる理由が、明確に2つ見えます。

1つは、保育園は、変えようとしても、変わらない。問題の根本は、幼稚園や保育園にあるのではありません。

2つ目は、保育園を変えるのが正義とは限らない。絶対的な価値観など、存在しません。

 

そもそも教育とは、国の価値観によって作り上げられる

小学校から始まる義務教育、そして高校・大学と続く教育システムは、国が作り上げるものです。

国は、何の目的もなく、国民に教育機会を提供しているわけではありません。

国民の「学ぶ権利」ももちろんありますが、同時に、国が発展し、国民一人ひとりが豊かになるために、労働者や生産者の教育水準を引き上げる目的があるわけです。

国は、ある価値観に基づき、ある方法論を選択し、結果として現在の教育システムができあがっています。

もちろん、どういう教育が効率的なのかについては、様々に意見があるわけですが、ここではひとまず置いておきます。

 

幼稚園・保育園がおかしいとしたら、教育システム全体に問題がある

幼稚園は、一言で言えば、小学校入学の準備をするための機関です。

保育園は、そもそもは、事情があって育児に専念できない市民のための社会福祉ですが、どうせなら、親としては、小学校入学の準備をしてくれたほうが良いに決まっています。

小中高と続く、一般的な教育システムに乗っかる以外に、選択肢は事実上、存在していないからです。

幼稚園・保育園での教育方針が変だとすれば、原因は、小学校・中学校と続く教育システムにあります。

突き詰めていけば、国の価値観や方針に問題がある、という結論になります。

 

経営の観点からは間違っているとは言えない

幼稚園、保育園の経営者は、「小学校に入学して困らないように」とのニーズに応えているだけです。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」

これらが徹底されていればいるほど、経営や、マーケティング的には「正しい」のです。

我が子が、小学校・中学校でうまくやっていけなかったらどうしよう、と恐怖を抱く親は、少なくありません。

先ほど書いたとおり、ドロップアウトしてしまったら、落ちこぼれになってしまうと思い込んでいるからです。

(実際には、別の選択肢を選べばいいだけなんですが、現実問題としては、ごく一部の例外でしかない)

「小学校の入学準備をしますよ」とわかりやすく掲げ、実行している園と、そうでない園があったら、当然、前者のほうが、選ばれる率が高くなります。

 

末端で行動しても、効率が悪く、効果は限られる

そんなやり方は古い。時代にあっていない。子どもたちの自尊心が育たない。子どもたちを潰してしまう。

個人的には賛成です。

でも、国が起点となる教育システムの末端で、古きものを変革しようとしたところで、いったい何ができるでしょうか。

小学校以上の教育システム全体、つまり国の教育に対する価値観を変えない限り、問題の根本的な解決にはなりません。

いま目の前にいる子どもたちのケアも大切です。それはわかります。

が、あなたがそこからいなくなれば、同じ惨状が繰り返されるだけ。

だからこそ、おかしいと感じたら、さっさと飛び出してしまうべきなんです。

 

「おかしい」と直感する親子に、新しい選択肢を提供する

あなたが理想だと思う、新しい場を作りましょう。共感する人の手伝いでもいいでしょう。

「今の状況はおかしい」と直感している親や子どもに、新しい選択肢を提供するんです。

そうして育った子どもたちが、社会に出て生き生きとしていれば、世の中の人々は「あれ、なんかうらやましい」と思うようになります。

“例外” でしかなかった道が、単なる “選択肢の一つ” になっていきます。

 

「自分だけが正しい」と盲目になってはいけない

もう1つ、旧来的な価値観の幼稚園・保育園を変革しようとするのをおすすめしない理由は、それが絶対的に良いことだとは言えないからです。

何事もそうですが、絶対的な価値観など存在しません。

“殺人” も、時と場合によっては正当化されるし、支持する人がいます。たとえば、安楽死であり、死刑です。

旧来的な幼稚園・保育園にだって、「小学校に備える」という正当性があります。それを求める親も、少なくありません。

むしろあなたが別の価値観を持ち込むことで、混乱させてしまうかもしれない。

自分だけが正しいわけではありません。

だったら、自分の思うとおりに活動できる場所で、活動したほうがいい。

逃げるように思われるのが悔しいという人や、目の前の子どもを見捨てるようで踏み切れない、という方もいるかもしれません。

でも、あなたのその問題意識は、幼稚園・保育園の外に出てこそ、正当性が生まれ、本当の意味で価値のあるものになります。

 

「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能

最後に、今いる園こそが私の戦う場所だ、という保育士さんへ。

それも一つの選択です。でも、「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能、とだけは、理解してください。

まったく別の話題ですが、紛糾した安全保障法案に対し、デモが活発に活動していました。

法案にどのような意見を持ってもいいのだけれど、「絶対に止める」というスローガンには、私は眉をひそめました。

「絶対に止める」というスローガンからは、自分と違う価値観を持った、けっして少なくない人々への “敬意” が欠けているように思えてならなかったからです。

「私たちはこう思う」という意思表示はいい。どんどんやるべきです。

でも、正しいのは自分たちで、それ以外は間違っているから、自分たちの言うとおりにしろ、というのは、筋が通らない。

 

相手を理解し、尊重できてこそ、変革していける

彼らがやるべきは、戦争に行きたくないと叫ぶことではなく、不安があるのなら、(ルールに則って選ばれた)現政権が選択した安全保障の中身について、具体的な折衝をすることです。

まるで違った価値観の人間が存在すると認めたうえで、敬意を払い、妥協点を探ろうとするのでなければ、誰が聞く耳を持ってくれるでしょうか。

保育・教育についても同じです。

国のやり方は間違っている、園長のやり方は間違っている、と思い込んでいないでしょうか。

なぜ現在のやり方を選択しているのか、構造を学び、相手を理解し、尊重できてこそ、変革の手がかりを見つけられます。

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