家入一真・都知事選出馬について| “焼け野原” の向こう側にあるもの。


政治には人並みに関心を持っているつもりの私ですが、正直なところ、今回の都知事選からは目を背けたくなっています。

私は都民ではなく、隣の神奈川県民なので、実際に他人事ではあるのですが、「他人事で良かった」という気すらしてしまうんですよね。もし、当事者だったとしたら、投票先に悩んだ挙げ句、棄権していたかもしれない。

なぜ、(副知事時代から)ここ10年 5・6年の東京を支えた、最も有能な都知事が、都政のうえでは何の瑕疵もないまま、辞める事態になってしまったのか。

都民は、こんなどうしようもない選挙に臨むくらいなら、猪瀬直樹を辞めさせるなと運動をするべきだったんじゃないのか、とまあ、お隣の神奈川県民ながら思うんです。

猪瀬さんが、お金の問題をしっかり説明できなかったのは、だから痛恨でした。仕方ないですね。

 

選挙後、インターネット空間は焼け野原になる

都知事選にあたり、様々な人が、色々な意見を表明しています。

私がざっと見渡した限りでは、今回は東浩紀さんの意見にシンパシーを感じました。思いの根本にあるものは全く違うはずなんですけど、ただ結論は似ているように思うんです。

インターネット上の一部で話題になっているのが、家入一真さんの都知事選出馬です。立候補を賞賛したり、歓迎したりする声を、たくさん耳にしました。

ただこれは、若い世代を中心に、「選挙だとか政治だとかは、自分には場違いだ」と思っていたところに、よく知っている、やはり場違いな人が出てきたので、ちょっと興奮して、神輿を担いでいるだけなんですよね(家入さん本人も、それを自覚している)。

でも、祭りが終われば、あの高揚感はいったいなんだったんだろうか、というほどの静寂が訪れて、そこにあるのはいつもと変わらぬ、寂れた公園なんです。

いや、単に静寂が戻って来るだけだったら、まだいい。

たぶん、都知事選のあと、家入一真さんを熱狂的に支持した(一部の)インターネット空間は、焼け野原になります。

あれだけ盛り上がったのに、結局は何の意味もなかった、これしか票が取れなかった、という絶望感。猫じゃらし一本残らないでしょう。

 

家入一真は選挙に勝とうとしていない

たとえば、こんなグラフを作成している方がいました。

これを見て、妄想たくましく、盛り上がる人はいるでしょうね。

でも、ちょっと立ち止まってみてください。たぶんあなたの家族に、家入一真を知っている人はいないんじゃないでしょうか。

イケダハヤトさんは、自分のことを知っているのは日本中で1,000人に1人くらいだ(から炎上を恐れずに発言するべきだ)と言っていますが、これは感覚値としてそんなに間違っていないだろうと思います。

家入さんが、仮にイケダハヤトさんより10倍有名だとしても、100人に1人です。彼を知っている人が1人いたら、知らない人が99人いるんです。

もし、本気で人口ピラミッドを活かそうとするのなら、家入一真さんが真っ先にやるべきなのは、マスメディアへの露出であり、知名度を高める作業です。

が、家入さんに、そんな気はないでしょう。

そもそも、短期決戦の都知事選では、のんきに知名度を高めているような余裕はないわけです。元から知名度が高い候補を擁立して、人気投票合戦を制する。これが仕組み上の王道にならざるを得ない。

圧倒的大多数の家入一真を知らない人が、家入一真をどう見るか。常識を知らず、場違いな、キワモノの泡沫候補以外の何者でもない。

得票数は、過去の投票結果を見る限り、5桁が現実的な目標で、せいいっぱい背伸びをして6桁を目指すと言ったところでしょうか。

平成24年 東京都知事選挙 開票結果

平成19年 東京都知事選挙 開票結果

仮に6桁(10万票)に届いたとして、得票率はおおよそ2%前後です。

 

落選にともなうマイナスを軽視するべきでない

前回の参議院選挙で、佐々木俊尚さんをはじめ、インフルエンサーが投票を呼びかけたのにもかかわらず、鈴木寛氏は落選しました。インターネット空間では、これ以上はなかなか考えられない規模のキャンペーンだった印象を受けたのにもかかわらず、です。

インターネットは、選挙で現実を動かすには、無力。

だからと言って、家入一真さんの立候補が無意味だとは思わないんですよ。

たぶん彼がやろうとしているのは、小さいけれど無数に聞こえてくる声に応える、ということ。その声が、中二病の延長であったり、無知蒙昧の極みであったとしても、問題ではない。

出馬に何か具体的な意味があるとか、物事を実際に動かせるのかとか、一切考えていないに違いないと思います。

彼の行動によって、政治という空間にも居場所を得るということを、身体的に理解する人が出て来るわけです。

なぜぼくが家入一真を応援するのか? – トークのイチロー就活日誌

だからこそ家入一真の都知事選出馬には意味がある、という意見もあるでしょう。

が、同時に、落選にともなうマイナスを軽視するべきでもないとも思うんです。

盛り上がれば盛り上がるほど、「当落にかかわらず出馬した意味があった」と口では言っていても、“結局、自分たちの投票は政治には何の影響も与えられなかった” という事実は、重くのしかかります。

必ず。

絶対に。

家入一真が出馬し、たくさんの人を巻き込んだからこそ、本当の意味で政治に絶望する人が続出するんです。

 

焼け野原から “本物” が芽吹くかもしれない

そして、私はそれでいいと思っています。だって、近代民主主義は限界なんだから。

インターネットが世界にあまねく浸透したからといって、家入一真のようなカリスマが登場したからといって、その程度の変化で修復できてしまうような、簡単な話ではない。

近代民主主義の次はどうするんだ、と、そういう根本的な話をしなきゃいけない。

心ある人は、とっくの昔に政治に期待するのをやめ、自分なりの関わり方で、物事を前に進めようとしているわけです。

だから、焼け野原でいいと思う。

いったん灰燼に帰してこそ、太陽が差し込む余地が生まれ、今まで人目に触れることがなかった雑草が芽吹くはず。

政治のせいにしても、無駄だ。

絶対数は少ないかもしれないけれど、焼け野が原からそんな「気づき」が芽生えたとき、家入一真の都知事選出馬も成功だったと言えるのかもしれない、と、複雑な気持ちを抱きつつ、お隣の県から見ているところです。

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