ソーシャルイノベーション

252月

子供にダメと言ったらダメ!? asobi基地 × co-ba KIDS vol.2に行ってきたよ!

 
家で子供を遊ばせていると、どうしても「ダメ!」って言っちゃいますよね。もちろん、危険な行為なら仕方ないんですが……ん? ちょっと待って。それって、冷静に考えると、親であるアナタの都合じゃないですか?

掃除や後片付けが面倒だったり、いまやっている作業を中断したくなかったりするから、つい「ダメ」「やめさない」と言ってしまうんですよね。4歳と1歳の子育てをしている僕もしょっちゅうです。

ただでさえ時間に追われる育児なので、現実問題として仕方がない部分はあるのだと思います。でも、たまには「ダメ!」が存在しない世界で子供を遊ばせてあげたいと思いませんか?

僕が見つけたのは小笠原舞さん、小澤いぶきさん、吉岡ゆうみさんが始めた『asobi基地』。ここは、子供たちが、本来持っているチカラをのびのび発揮できる場所。我が家は3回目の参加です。

※画像をクリックすると、横幅1280サイズで見られます!

コワーキングスペースの草分け『co-ba Library』がasobi基地に!

コワーキングスペースの草分け『co-ba Library』がasobi基地に!

「ゆり」ちゃんと「ゆい」ちゃん。名前が似てる! とさっそく盛り上がる

「ゆり」ちゃんと「ゆい」ちゃん。名前が似てる! とさっそく盛り上がる

熱心に工作中。「●●を作りましょう」と指示を与えなくても遊べるのが子供

熱心に工作中。「●●を作りましょう」と指示を与えなくても遊べるのが子供

凝ったオモチャは一つもない。何の変哲もないものから遊びを作り出すのは子供の才能

凝ったオモチャは一つもない。何の変哲もないものから遊びを作り出すのは子供の才能

楽器は子供たちに大人気。入れ替わり立ち替わり大はしゃぎ

楽器は子供たちに大人気。入れ替わり立ち替わり大はしゃぎ

鏡の中の世界を発見!

鏡の中の世界を発見!

かなりの賑わい。大人も子供ものびのび過ごす

かなりの賑わい。大人も子供ものびのび過ごす

ハイハットにカラフルな洗濯ばさみ。意外な組み合わせだ(^^;)

ハイハットにカラフルな洗濯ばさみ。意外な組み合わせだ(^^;)

宴もたけなわ。みんな思い思いに遊びに没頭

宴もたけなわ。みんな思い思いに遊びに没頭

猫ちゃん!

猫ちゃん!

箱入り娘!?

箱入り娘!?

いえいえ、電車ごっこです!

いえいえ、電車ごっこです!

よっこらしょ〜。

よっこらしょ〜。

いつも娘は帰り道に興奮冷めやらず「楽しかった!」と言うんですが、今回は「今度はどんなasobi基地だろうね〜」と言っていました。もう次に行く気まんまんです。(^_-)☆

そう、asobi基地には形がありません。様々にコラボレーションして各地で展開されつつあります。

<3月>
〇asobi基地 パパ・ママ会
2013.3.3(日)11:00~13:00
場所:daylight kitchen
イベントページ
http://www.facebook.com/events/458461824221069/

〇新豊洲カーニバル(雪で遊べる日)
日時:2013.3.9(土)10(日) 10:00~17:00
場所:ワイルドマジック(新豊洲駅近く)
http://wildmagic.jp/

◯キラきゃり『ワーキング・ペアレンツサミットvol.1』
日時:2013.3.10(日)13:00~17:00
場所:品川 コクヨエコライブオフィス
イベントページ
http://www.facebook.com/events/349477451816632/

◯JBLバスケ x asobi基地(トヨタ自動車vsレバンガ北海道)
日時:2013.3.23(土)16:00~ 
場所:代々木第二体育館
※午前中も催しがあれば、asobi基地は午前中からあります!
チケットはこちらから!
http://t-basket.pia.jp/event.do?eventCd=1302674

【満員】
◯親子で食材探求の旅 asobi基地 x Share the Kichen
日時:2013.3.31(日)11:00~15:00
場所:墨田区立中和小学校 家庭科室
イベントページ
http://www.facebook.com/events/538882416133779/

<4月>
◯JBLバスケ x asobi基地 
トヨタ自動車アルバルク セミファイナル
日時:2013.4.7(日)15:00~予定
場所:代々木第二体育館
※セミファイナルに進んだ場合のみ

◯asobi基地@港区家庭支援センター
日時:2013.4.13(土)10:00~16:00
場所:港区家庭支援センター
http://www.city.minato.tokyo.jp/kosodatesien/kodomo/kodomo/shienshisetsu/15/03.html

〇子育ち井戸端会議 オトナノセナカ x asobi基地
日時:2013.4.14(日)14:00~17:00
場所:ボヌールドサクラ
http://bonheur-de-sakura.jp/

◯asobi基地@ビーナスフォート
日時:2013.4.20(土)
場所:ビーナスフォート内ダンススタジオ
http://www.venusfort.co.jp/

◯JBLバスケ x asobi基地 
トヨタ自動車アルバルク ファイナル
日時:2013.4.21(日)15:00~予定
場所:代々木第二体育館
※ファイナルに進んだ場合のみ

◯asobi基地@町田にある小学校
日時:2013.4.27(土)11:00~17:00予定
場所:町田にある小学校 体育館

〇asobi基地@代々木公園
日時:2013.5.4(土)、5(日)11:00~16:00予定
場所:代々木公園内

〇親子で楽器探求の旅 asobi基地音楽部企画
日時:2013.5.19(土)12:30~14:00
場所:ライブハウス 代官山LOOP
http://www.live-loop.com/

都合の合う日に参加してみてはいかがでしょうか? おすすめですよ〜!

asobi基地Facebookページ

asobi基地の小笠原舞さん、小澤いぶきさんの活動については、こちらの記事もどうぞ。

トロント子育て支援視察報告会|『asobi基地』小笠原舞さん、小澤いぶきさん

311月

フューチャーセンターは被災地、地方、そして日本社会を救うよ。

今日はフューチャーセンターについてお話します!

この、耳慣れない、けれど何か期待させるもののある(人によっては、うさん臭く感じさせる?)システムの名称を、みなさんは知っていますか?

 

フューチャーセンターとは、システム(仕組み)の名称

「センター」という語感から誤解しがちなのですが、フューチャーセンターとは、施設(ハコ)の名前ではないし、手法の呼び方でもありません。

例えば『学校』と『塾』の違いを考えてください。勉強を教えるという観点では、両者は共通するものです。また手法(教え方)を考えても、両者に決定的な違いがあるわけではありません。教師には教師の、塾の講師には塾の講師のプライドがあるとは思いますが、ノウハウさえあれば、学校の先生が塾の講師の手法で教えることだってできるはずです。

フューチャーセンターも、何かしらの社会的課題を解決するという観点では、共通する取り組みはたくさんあります。そこで行われていることも、ダイアログであり、ワールドカフェであり、ファシリテーションであり、格別新しいものではないと僕は思っています。

それでも、学校と塾は決定的に違います。学校は教育のシステムであり、塾は一般的に勉強(成績向上)のためのシステムです。例えば、成績優秀な生徒が多くても、同時に人間性や社会性に問題のある生徒も多かったら、良い学校とは言われないでしょう。しかし塾の多くは、生徒の人間性の教育まで求められることはありません。同じようにフューチャーセンターも、他とは明らかに違うシステムです。

僕はFutureCenterNEWS JAPANを運営していて、フューチャーセンター界隈の方々と話したり、取材したりする機会があります。「今までのシステムだとどれも足りないという部分があった。フューチャーセンターに出会って、これだ! と思った」という声を複数から聞いています。

今までの仕組みの欠点を補いつつ、いいとこ取りしたようなシステムと言えるのだと思います。

ペレンツ・ワークスタイル・ジャパンが主催した、レゴを使って子どもの未来キャリアをプロトタイピングする、一風変わったセッション。フューチャーセンターは、場の方向性さえ適正であれば、手法にはとらわれない。

ペレンツ・ワークスタイル・ジャパンが主催した、レゴを使って子どもの未来キャリアをプロトタイピングする、一風変わったセッション。フューチャーセンターは、場の方向性さえ適正であれば、手法にはとらわれない。

 

フューチャーセンターにしたい! という意志があれば、その「場」はフューチャーセンターに

フューチャーセンターとは何なのか。この問いに答えるのは、実はかなり困難です。大雑把な概念はWikipediaの記述や、第一人者の野村恭彦さんの解説を参考にしてもらうとして、説明してきたとおり、手法で他のシステムと区別するのは難しいからです。

一方で、「この場をフューチャーセンターにしたい!」という意志があれば、その「場」はフューチャーセンターになります。

例えば、静岡県立大学でフューチャーセンターをディレクションしている国保祥子先生は、それまでもゼミの中で類似の取り組みはしてきたのに、敢えてフューチャーセンターを立ち上げた理由を「意識付けのため」と説明してくれました。

フューチャーセンターに欠かせない要素として、「討論でなく、全ての人が年齢や立場や職業に関係なく対話する」「現時点の結論でなく、未来志向(未来にどうありたいか)を最優先にする」が挙げられます。

が、私たちは現時点での最適解を出す一般的な会議やミーティングに慣れきっています。そこで敢えてフューチャーセンターを掲げることによって、参加する人々の意識を切り替える必要があるわけです。

つまり、未来志向をベースとした中立的な場を創りたいという意志さえあれば、そこでなされる内容がどうであれ、フューチャーセンターを名乗る資格があるのです。

静岡県立大学経営情報学部国保ゼミにて定期開催しているフューチャーセンターの様子。「ならでは」の居心地の良さがあり、大学型フューチャーセンターの代表格。

静岡県立大学経営情報学部国保ゼミにて定期開催しているフューチャーセンターの様子。「ならでは」の居心地の良さがあり、大学型フューチャーセンターの代表格。

 

利害関係者の力を結集する

現時点での日本において、フューチャーセンターが最も真価を発揮できているのは、被災地だと思っています。

例えば、福島県南相馬市には、被災地で先駆けて『みんな未来センター』ができました。南相馬市では、放射線問題が解決する兆しが一向に見えず、多くの人々は下を向きがちという状況です。そんな中、一部のイノベーター魂を持った人々が立ち上がり、年齢も職業も関係なく夜な夜な『みんな未来センター』に集っては、南相馬の未来について話し合い、一つずつ物事を前に進めています。

このように、抜き差しならない課題があり、それを解決したいという強い思いを持った人々がいれば、フューチャーセンターは今までに無いシステムとして、最大限に機能を発揮できるのです。

フューチャーセンターの優れた特性として、「ステークホルダーの拡大」が挙げられます。南相馬市でも、どうにかしなきゃと立ち上がった個人やNPOはいました。しかしながら、個々ではできることに限界があります。協力を呼び掛けても、縄張り意識もあり、なかなか有機的な繋がりには発展していきません。

フューチャーセンターで議論ではなく対話を重視する一つの理由は、お互いの思いを共有できるからです。「町の未来を創りたいという思いは一緒だ」と気づき、驚くほどのスピードで協力関係が出来上がっていきます。

例えば、アイデアマンの誰かがイベントを企画した。でも人手が足りない。地元の人々に参加してもらうために、誰に協力を仰いだらいいのかわからない。広報が苦手。こうした山積する課題に対して、「町の未来を創る」という共通する思いの元に、協力を積極的に申し出たり、どうしたらより良くできるかを共に考えたりする関係に進化していくのです。

福島県南相馬市の『みんな未来センター』。被災地でのフューチャーセンターの先駆け。

福島県南相馬市の『みんな未来センター』。被災地でのフューチャーセンターの先駆け。

 

フューチャーセンターは日本社会を救う可能性を秘めている

やろう! と手を挙げた個人を支え合えるフューチャーセンターは、被災地だけで必要とされるシステムではありません。日本社会の再生に大きな役割を果たす可能性があります。

誰もが認識しているとおり、日本社会は過渡期です。経済成長を前提とした社会システムが限界に達し、あちこちに歪みが現れています。国や行政も大きな方針転換が必要でしょうが、一方で、国単位、行政単位では、細かい全てに目を届ききらせることは物理的に不可能ですよね。

ニッチな分野の課題、セクター間の狭間の課題、マイノリティな人々が抱える課題などを解決しようと立ち上がっているのは、個人であり、NPOです。ソーシャル(社会貢献)の文脈が今までにないような盛り上がりを見せているのは、こうしたニーズの高まりが背景にあります。

しかし、南相馬市の例のとおり、個人やNPO単体では、できることに限りがあります。共通する目的のもとに結集し、互いの強味を活かし合えるような関係性ができれば、ソーシャルイノベーションは圧倒的に加速します。ステークホルダーを拡大していくためのシステムとして、今のところフューチャーセンターに勝る候補は存在しないようです。

 

フューチャーセンターのすすめ

みなさん、いかがでしょうか? もし関心を持ったら、身近で行われるフューチャーセッションに足を運んでみてください。

「これだ!」と直感する人もいるでしょうし、自分には合わないと思う人もいるでしょう。

でも、それでいいのだと思います。

参加資格は、「課題に関心があること」ただ一点。誰もが参加できるオープンな場です。

一人でもステークホルダーが増えてくれれば嬉しいですね。

※フューチャーセッション開催情報は、FutureCenterNEWS JAPANにて情報収集し、発信しています。よろしければご活用ください。

 

まとめ

  • フューチャーセンターは施設や手法でなく、システム(仕組み)の名称
  • 未来志向をベースとした中立的な場を創りたいという意志さえあれば、そこはフューチャーセンターを名乗る資格がある
  • 年齢、立場、職業に関係なく、様々な人々がオープンに集う
  • 現時点での最適解を求める議論でなく、「未来志向」で「対話」を行う
  • 課題があり、それを解決したいという強い思いを持った個人がいなければ、フューチャーセンターは機能しない
  • 対話を重ね、お互いの思いを共有することで、共通の目的の元に様々なステークホルダーが結束できる
  • フューチャーセンターが機能すれば、ソーシャルイノベーション(社会変革)のスピードが速まる
181月

寄付文化が必要とされる本当の理由

みなさんは、なぜ寄付をする必要があるのだと思いますか?

「それが善い行いだから」が回答では、あまりに胡散臭いと感じませんか?

慈善活動が目的なら、他にいくらでも方法があります。そこでわざわざ、お金を出すように呼び掛けるのは、何か裏があるんじゃないか……と勘繰りたくなる人も多いんじゃないでしょうか。大抵は、私たちにとって見ず知らずの団体が募っているケースが多いので、寄付したお金が何に使われるのか心配になるケースも少なくありません。

 

東日本大震災時、普段は寄付をしない人たちが寄付したのはなぜか?

震災直後、多くの人が被災者のために寄付をしましたよね。大半が、普段は寄付をしない人だったはずです。

なぜ、いつもは寄付をしないのに、東日本大震災のときにはこぞって寄付をしたんでしょうか?

お金の用途が不透明という意味では、むしろ日常の寄付よりも条件が悪かったように思います。実際、寄付した方の多くは、自分のお金が何に使われたのか把握していないはずです。

少なくとも「それが善い行いだから」という理由で寄付した方は、そう多くはなかったと思われます。

 

助けたい、応援したいという純粋な気持ちのあらわれ

僕自身の当時を振り返ると、強烈な印象として残っているのは「被災者や被災地のために、自分にも何かできないか」という思いです。

助けたい、応援したいという気持ちがあり、じゃあ不足しているだろうものを寄付しよう——被災者が必要とする物と、自分が提供できる物を考えたときに、食料だったり、暖房器具だったり、燃料だったり、あるいはお金であったりしたわけです。

 

各自治体はもちろん、企業や著名人も寄付を募った

東日本大震災直後、各自治体はもちろん、企業や著名人も寄付を募ったのは記憶に新しい。

 

寄付がなければ、国や行政がすべて再分配

寄付の意義を浮かび上がらせるために、もし寄付という行為が禁止されていたら、どう対処されたのかを考えてみたいと思います。

寄付が存在しなければ、物資の調達から資金の投下まで、被災地の復興は、すべて国や行政が行うことになります。国や行政の資金源は、もちろん税金です。国や行政がいったん国民からお金を預かり、それを(私たち個々ではなく)国や行政の判断で、再分配する結果になります。

 

制度上は公平である一方、現場のニーズを的確に汲めない恐れ

国や行政をまとめる政治家や首長は、選挙で選ばれています。国や行政が再分配するのは一見、公平なように見えます。

しかしながら、致命的な問題を抱えてもいます。細かいところへ目が届かず、現場のニーズを的確に汲めない恐れがある点です。

実際、被災地では、避難所ごとの格差が問題になりました。ある避難所には充分すぎるほど物資が届くのに、ある避難所では満足に食べることさえできない。南相馬市の桜井市長が、YouTubeで窮状を訴えたのを覚えている方もいるんじゃないでしょうか。

南相馬市長ユーチューブで「SOS」 「兵糧攻め状況だ」に世界から反響 (1/2) : J-CASTニュース
だからこそ、NPOや、阪神大震災時の経験がある個人がボランティアで入り込んで、「ここには食料が必要、ここには人手が必要、お金はあっちへ回してほしい」というように、情報や物資の不均衡を是正しようという動きがありました。

もちろんボランティアも「人手」や「ノウハウ」の寄付です。国や行政の力だけでは、被災者はもっと苦しい目に遭っていた可能性があります。また、分配すべき物資や資金があったからこそ、彼らのディレクションの意味があったのも言うまでもありません。

もし国や行政が全権を握っていたら、「こっちに必要です」と誰かが言っても、「いや、予算が足りないから」と返されてしまえば終わってしまいます。

震災直後という緊急事態であれば、国や行政も「予算が足りない」と返すケースは少ないかもしれまん。が、緊急性が薄れてくれば、そうはいきません。極端に言えば、利益誘導がうまい現場は得をし、国や行政にコネクションがない現場は放っておかれる結果になるはずです。

 

オリンピックの強化費に国費を投入するのは不公平、という考え方

では、いったん震災の話題から離れます。もう少し日常的な例で、スポーツの寄付について見てみたいと思います。

山内代議士が、オリンピック選手の強化に国費を投入することに反対の論陣を張っている。

もっともな意見だと思う。
オリンピックの強化費に国費を投入するということは、柔道には強化費を出すのに剣道には強化費が出ない、テコンドーには国費投入があるのに空手には国費投入がない、卓球には強化費が出るのにソフトボールには強化費が出ないということだ。

スポーツの振興は大切だし、国民がオリンピックでの日本選手の活躍を望んでいるのも事実だろう。しかし、だからといって政府が公費を投入して選手を強化するのはおかしいのではないか。
むしろ、国民がスポーツ振興のために寄付をしたら税金面での優遇が受けられるような制度にしておいて、どのスポーツにいくらお金がまわるかは、国民にお任せをするべきだろう。

河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしり』より

 

また、オリンピックの種目になっているスポーツにお金をかけるのは、オリンピック種目以外のスポーツとの公平性の問題もあると思います。オリンピック種目の柔道は強化に補助金がたくさん出て、剣道や弓道には補助金はつかない、というと何となく不公平な気がします。スポーツ振興全般にお金をかけることは問題ないとしても、オリンピック種目だけを特別視することには疑問を感じます。

山内康一ブログ「蟷螂の斧」より

例えば、自分が応援しているプロ野球チームや、Jリーグチームが、資金難で消滅してしまうとなったら、どうでしょうか? 芸術でも、音楽でも、サブカルチャーでも、自分が本当に好きな対象が、本当に切羽詰まってお金を必要としているとわかれば、望んで寄付するはずです。

一方で、国がスポーツに(私たち国民の税金である)お金を投じるのは、何か釈然としないものが残ります。オリンピック種目であれば、まあ大目に見てもいいかな、という人は少なくないと思いますが、例えばプロ野球チームに税金が投入されれば、間違いなく非難囂々です。「応援している人がお金を出せばいいじゃないか、私は野球には興味がない」と思いますよね。

もちろん、お金を投じる基準もよくわかりません。野球には税金を使うのに、サッカーには税金を使わないとしたら、何かしらの利益誘導があったと勘繰るのが普通でしょう。

だったら、国に納める税金はなるべく減らして、その分を自分が応援するスポーツやカルチャーに寄付したほうがいいと思いませんか? 河野太郎議員や、山内康一議員の主張を要約すれば、寄付しやすいように税制を整えましょう、ということです。

個人的には、応援したい人がお金を出す方向性に、どんどんシフトしていくべきだと思います。応援する人のいない競技を税金で助ける必要性があるようには思いません。もちろん競技をやる側は、面白い競技を見せ、競技以外の場でもファンを獲得する努力をし、「お金が必要だ」と明確に発信する必要がありますが、それが健全な姿ではないでしょうか。

 

寄付とは、必要なところへ資源を届けるシステム

いよいよまとめに入りたいと思います。

震災時の例からは、二つの結論が見えてきました。一つは、寄付やボランティアがあったからこそ、国や行政の手が回らない部分を補えたという事実。もう一つは、もし寄付がなかったとしたら、利益誘導ができるか次第で、恩恵に預かれるかどうかが決まる問題点です。

スポーツの例では「応援したい人がお金を出すべきではないか」との問いを立てました。税金を投入すれば、やはり震災の例と同じように、利益誘導が大きな問題点となります。

もうお気づきだと思いますが、寄付とは、お金を必要としているところへお金を届ける仕組みです。しかも自分が応援したい、支援したいと思った対象に、ダイレクトに届けられる点で、国や行政を経由させない決定的なメリットがあります。

 

寄付文化が根付けばソーシャルイノベーションが圧倒的に加速する

寄付の多くは社会貢献の文脈で語られるケースが多いわけですが、これは間違いではないにせよ、ミスリードだなと思います。

善いことだから必要なんですよ、じゃ、誰もお金を出しませんよね。

経済成長を前提とした旧来的社会システムが限界に達し、日本社会のあちこちに歪みが現れているのは、誰もが認めるところだと思います。とても国や行政だけでは対処できず、個人やNPOの役割は大きく増しています。

ところが問題なのは、何かに取り組むためにはお金が必要だということです。

日本に寄付文化が必要な理由は、お金を必要としているところへ、お金を届けるためです。国や行政や大企業では手が届かない、ローカルな課題であったり、セクター間の狭間の課題であったり、マイノリティな課題に取り組むために、資金が必要なんです。

「やります!」と手をあげた個人を、気軽に応援できる社会になったら、ソーシャルイノベーションは圧倒的に加速するに違いありません。

151月

トロント子育て支援視察報告会|『asobi基地』小笠原舞さん、小澤いぶきさん

『asobi基地』を主宰する小笠原舞さんと小澤いぶきさんによる、子育て支援先進都市カナダ・トロントの視察報告会へ行ってきました。

トロントは移民が多い都市で、多様性を尊重した子育て・家族サポートシステムが充実しています。示唆に富んでいてとてもおもしろかったので、紹介したいと思います。

 

『asobi基地』について

asobi基地は、保育士の小笠原舞さん、こども精神科医の小澤いぶきさん、子育てアドバイザーのよしおかゆうみさんの3人が始めた、子育て支援システムです。

僕は今までに2回、家族みんなで遊びに行っているんですけど、その特徴は何と言っても、子どもの個性を尊重し、子どもそれぞれが持っている力を、のびのび発揮できるような「場」づくりをしているところ。うちの子どもたちは毎回、大喜びして遊んでます。

例えば大人は、子どもが新聞紙をちぎって遊び出すと「散らかるからやめなさい」と制止します。親はただでさえ時間が無いのに、後片付け・掃除という仕事が増えるわけで、僕も経験がありますけど、余裕がないとイライラしちゃうんですよね。

でも、新聞紙なんかで遊べるなんて、冷静に考えると子どもって凄くないですか?

自宅では、こんなことをやらせようという発想にはまずなりません。(^^;) 写真/asobi基地Facebookページより

大人からすれば、ただ文字が書いてあるだけの薄紙の束。それを子どもは想像力を膨らませて「雪」や「お化け」や「洋服」に見立てて、遊びを作りだしてしまうんです。つまり「新聞紙なんか」で遊ぶのを止めさせるのは、子どもが持つあらゆる可能性を殺してしまうことに繋がりかねないわけですね。

asobi基地へ行くと、そこにあるのは段ボールであり、紙コップであり、画用紙であり……と、すべてが遊びの素材。4つの素敵なルールを共有しながら、子どもはもちろん思う存分に遊び、大人はそんな我が子を見てたくさんの発見をするんです。

asobi基地4つのルール

  1. ここはオトナもコドモも全ての人が平等です
  2. (ダメ!)等の否定する言葉は禁止!
  3. 何か言う前にオトナもコドモと同じ目線になり、やってみる
  4. 自分の価値観を押し付けずフェアに対応する

asobi基地Facebookページ
https://www.facebook.com/asobikichi

 

クラウドファンディングで支援を募り、本場トロントを視察

asobi基地のモデルは、カナダの子育て家庭支援システム『ファミリーリソースセンター』。書籍などで知り、昨年(2012年)7月にasobi基地を始めたものの、小笠原舞さんはそろそろ現地を視察しておきたいとの思いが強くなったそうです。

せっかくだから、自分たちだけで行って終わりにするのではなく、多くの人に伝えられたらと、クラウドファンディングで支援者を募りました。今回の視察報告会は、支援者の方々に成果を報告する場でもあったわけですね。

大人も子どもも平等でいられる場「asobi基地」(小笠原舞) – READYFOR?

 

 

 

子育て支援先進都市・トロントの特徴

トロントは、カナダの中でも子育て支援において先進都市なのだそうです。

具体的には、子ども持つ家庭をサポートシステム(子育て支援というより、家庭支援)が充実していたり、移民やひとり暮らしの人が孤立しないように、お互いにサポートしあえる仕組みが作られていたりする特徴があります。

また、カナダ政府も幼児保育に重点を置き、所得の多寡にかかわらずサービスが受けられるように、補助金を多くかけて仕組みを作っています(この点、日本は先進国の中でかなり低い水準とのこと)。さらに、子どもの人権に対する意識が高く、「子どもの人権を守るために、どういう仕組みをつくればいいか?」という考え方が徹底されています。

加えて印象的だったのが、フリージェンダーのトイレの話でした。日本では、トイレと言えば(障害者用トイレ等を除き)男女別が当然です。ですが、トロントでは多様な人種が住んでいるだけでなく、地区によっては同性愛者の家庭も少なくない。例えば男親が2人いて子どもは養子、という家もあるんですね。そこで性別に関係なく入れるトイレがあると。

フリー・ジェンダー・ウォシュルーム 写真/asobi基地Facebookページより

 

街中に子どもを連れたお父さんがたくさん

15時くらいになると、父親が保育園や小学校へ子どもを迎えに行ったり、一緒に手を繋いで歩いていたり、という光景がたくさん見られたそうです。びっくりしました、と小笠原舞さんは言っていました。

日本のフルタイム勤務システムではあり得ないですから、もっともですよね。

どういう勤務体系になっているのか、気になるところ 写真/asobi基地Facebookページより

 

ソーシャルワーカーの存在感

日本にもソーシャルワーカーはいますが、高齢者が多い印象があったり、それほど主導権を握って何かを動かしていく感じではありません。

トロントでは、家庭支援はもちろん、何か新しい取り組みを始めるとなれば、常に出てくるのはソーシャルワーカー。ソーシャルワーカーが街づくりをしていく、というような雰囲気があったそうです。

しかも、働き盛りで、意識の高い人が、しっかり勉強してソーシャルワーカーになっている。「ソーシャルワーカーにならなければ社会を変えられないから」という考えなのだそうです。

 

小笠原舞さん(保育士)から見たトロント

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報告をする小笠原舞さん

多様性をどう育てるか?

保育士である小笠原舞さんは、トロント視察を通じて、「子どもの多様性をどう育てるか?」に常に目が向いていたとのこと。

トロントでは、単にスローガンを掲げるだけでなく、「多様性」というテーマをしっかり教育プログラムにまで落とし込んでいます。例えば、小学校の廊下に、自分の髪の色や目の色を表を作って掲示してあったり、保育施設には様々な人種の家族写真を必ず張らなければいけないと決められていたり、遊び道具の人形も白人・黒人様々あったりします。

肌の色や髪の色が様々な人形たち。日本ではまず見られない光景 写真/asobi基地Facebookページより

つまり、多様性を「教える」というよりは、日常の中で多様性を当然のものとして受け入れられるように考えられているわけですね。

 

子どもそれぞれがやりたいことをできる環境

そして何と言っても、asobi基地のモデルになった、「子どもそれぞれが、やりたいことをできる環境」があります。

水遊び、楽器遊び、お絵かき、絵本を読む……などなど。

画材コーナー。●●を描きなさい、と言わずとも、子どもたちは自由に遊ぶ 写真/asobi基地Facebookページより

 

誰もが子育てについて学べる権利がある

完璧な親なんていない、という考え方のもと、無料で受けられる『Nobody’s Perfect』 というプログラムがあります。看護師が資格を取り、ボランティアで子どもを持つ親に教えているそうです。

『Nobody’s Perfect』日本語版の冊子を見せてもらったんですけど、これがなかなか興味深いものでした。繰り返し出てくるのは、「自分だけで解決しようとせず、周囲を頼ってください」ということ。これは核家族化が極まっている日本の都市部でも言えることですね(ただ、地域コミュニティが機能していなかったり、社会システムが整っていないので、現実的ではないのが実情かもしれません)。

一方で、「完璧な親はいない」というより、「あんたはわからないに決まってるんだから」と、まるで出来の悪い子どもに教え諭すような雰囲気があり、個人的には読んでいて意外にカチンときました(^^;) ただ、書かれている内容は、確かにはじめて子どもを持った親は知らない可能性が高い大切な情報が多かったので、単に伝え方の問題ですね。カナダの文化では、これでベターなのかもしれません。

 

ペアレントブックセンター

ペアレントブックセンターの様子 写真/asobi基地Facebookページより

トロントには、子育て家庭や教育者のための本屋さんがあります。小笠原舞さんは、このペアレントブックセンターを日本にもつくりたいとのこと。ここで一番というくらい買い物してしまった、と笑っていました。

例えば、兄弟が生まれたお兄ちゃんお姉ちゃんが読む本のコーナーだったり、ADHDの子どもを教える先生のための本のコーナーだったり、父親のための本のコーナーだったり、とても充実しています。しかもコンシェルジュがいて、必要な本を探し出してくれる。

個人的にもこれは大賛成。本当にプロフェッショナルなコンシェルジュがいれば、需要もあるし、話題にもなるでしょうね。

 

小澤いぶきさん(こども精神科医)から見たトロント

トロントはどんな人でも生きていける社会

普段、虐待児や発達障害児及びその家族と関わることの多い、こども精神科医の小澤いぶきさんは「トロントは多様性を受け入れる都市」だと感じたそうです。移民や同性愛者など、本当に様々な人が住んでいるなかで、どんな人でも生きていける社会になっていると。

また、政治でも子育てでもなんでも自分事に捉え、例えば学校と親、学校と子育て支援機関が対立したりせず、共助が自然になされていること。それから、子どものライフステージを支える意識があり、(例えば日本では小中高大とそれぞれが分断されがちだが)今かかわっている先にも子どもの人生があるという事実をきちんと考え、ネットワークがすごく上手にできている印象を受けたと語っていました。

 

厳しすぎると感じるほど、子どもの権利が守られている

「子どもには、その子の人生があって、生きていく権利がある」という考え方が、きちんと制度として浸透しているそうです。それは小澤いぶきさんの感覚でも「厳しすぎるな」と感じるほど。

例えば、13歳未満の子どもが一人で留守番をしたり、外を出歩いたりしたら、それだけで育児放棄と見なされます。あるいはちょっと手をあげただけでも、身体的虐待と見なされます。即座に警察に通報され、トロントの人々もそれが当然という意識でいるようです。

さらに、通報された家庭には、子どもと親にソーシャルワーカーがついて、どうしたら家庭がうまくいくのか、導いていくそうです。

日本でも、法律の上では子どもの権利は規定されていますが、外部はほとんど手を出せない(あるいは、明らかに行き過ぎているケースを除けば、自由を尊重して、出さない)のが実情ですよね。ましてやソーシャルワーカーが家庭のあり方をあれこれ指摘して、改善するよう主導するなんて、まったく考えられません。

 

「あなたは一人じゃない、相談できる人がいる」というメッセージに溢れている

子ども自身が「自分の権利が侵害されているんじゃないか」と疑問を抱いたときに、相談できるアドボカシー・オフィスがあるそうです。子どもの駆け込み寺、という発想は、あまり日本にはなさそうですよね。

また、養護施設出身などの場合、社会への適応が遅れる傾向があるそうですが、25歳になるまでは社会への適応を丁寧にサポートしてくれる施設もあるそうです。

アドボカシー・オフィス 写真/asobi基地Facebookページ

アドボカシー・オフィス 写真/asobi基地Facebookページ

 

どんな子にも居場所を

日本では、発達障害だったり、個性が強すぎたり、保育園や学校に適応しにくい子がいたときに、みんなと同じようにやっていくという意識が主流です。「みんなと同じ」から外れてしまうと、居場所がなくなってしまいます。支援学校や支援学級はあるんですが、そこへ行くのがあまり良いことではないと捉える風潮があるのが実情です。

ところが、小澤いぶきさんが、トロントのファミリリソースセンターへ行き、「障害を持ったお子さんはどうしているんですか」と尋ねると、みなが口を揃えて、質問自体がナンセンスだ、どんな人でも孤立しないように居場所を作っていくのが自分たちの仕事だ、と返答したそうです。

 

自立ではなく自律、の子育て・家族支援

自立とは、自分の力で生きていくこと。一方の自律は、自ら選んで、納得して生きていくこと。トロントでは、自律のための子育て・家族支援がなされていると小澤いぶきさんは言います。

保育園からして、教育者はチェックリストをつくり、子どもの長所と短所を把握するよう徹底されています。評価をするためではなくて、親はもちろん、子ども自身が自分の強味と弱みを知るため。

強味ならば、社会の中でどう活かしていけばいいのか考え、弱味ならば今は何をするべきなのか考え、大人からの押しつけではなく、子ども自身が納得して行動できるような仕組みになっているんですね。

 

どうやって日本社会に取り込んでいくか?

とても興味深い様々な事例と、大きな課題を感じた報告会でした。

小澤いぶきさんも言っていたんですが、トロントは移民社会であるがゆえに、バラバラにならないことが大切です。だからこそ、制度にまで徹底して落とし込む必要があったし、また実現できたのではないかと感じます。

一方で、歴史的にはアイヌや琉球、渡来人との混交があったとはいえ、感覚的には単一民族である日本人からすると、トロントのやり方は「厳しすぎる」「あまりに窮屈」と感じる人が多いはずです。高圧的ですらあると、個人的には思います。

少なくとも、トロントのやり方を単純にコピーするだけでは、うまくいくはずがありませんよね。

日本では、震災が起きても略奪が起きません。世界から称賛された国民性は、多くの人が誇りに思っているはずです。例えば、この協調性は、「個性」よりも「みなと同じ」をよしとする日本人の感性の賜かもしれないわけです。

日本社会の良さとは何なのか? 本当に変えるべきは何なのか? 変えて得られるものと、失うものは何なのか?

しっかり見極めないといけないな、と僕は思いました。「自律」の考え方をはじめ、うらやましく感じる事例もたくさんあったので、うまく日本社会に取り込んでいく方法を考えていきたいと思います!

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