新しい働き方

73月

学生が10年後に成功できる2つのモデル

10年後の日本社会がどうなっているか、僕には想像できません。言われているように厳しいかもしれないし、メタンハイドレートで資源国家になっているかもしれません。一つ確かなのは、高齢化が進み、少子化が解決する兆しは見えず、「何の変化も無い」という状況はありえないということです。

10年後に成功するためにはどうしたらいいか? 10年後に求められるスキルが分からないなりに考えれば、正真正銘のプロフェッショナル(Genuine professional)になるか、他に無い価値を提供できる少数派のプロフェッショナル(Minority professional)になるか、という結論が見えてきます。

 

モデル1 業界で上位数%のプロになる

フリーエージェントとして活動するようになって、2つのことを実感しています。1つは、徐々に社会の変化が追いついてきて、フリーで働くハードルが下がってきたこと。もう1つは、とは言えお金をもらうためには明確な強味が必要だという事実です。

ちょうど家入一真さんが、プロとアマの境界が無くなるという問題提起をしていましたけど、

家入一真さん@hbkrの「プロとアマの違いなんてなくなるという話 」 – Togetter

これは事実、そのとおりになるでしょう。

僕は、それだけに止まらないと思っています。価値を提供する側がどんどん増えれば、そのうち飽和します。プロが食えなくなるだけでなく、アマはもっと食えなくなるんです。

淘汰が進み、最低限の生活ができるくらいの報酬が貰えるかどうかは、結局のところスキル次第になるだろうと思っています。

頼れるのは、他のプロと差別化できるだけの明確な強味だけです。Jリーグで言えば、J2クラスでは厳しく、J1の強豪チームのレギュラーか日本代表クラスの実力があって、はじめて成功が保証されるはずです。

 

モデル2 自分だけの強味を持ったプロになる

僕は器用貧乏なタイプで、大抵のことはコツを掴んで、そこそこできてしまいます。でも、例えば小説家やギタリストにはなれませんでした。

業界で上位数%のプロになるのは、僕には無理です。僕だけでなく、圧倒的大多数の人々は、努力だけでは補えない才能の差を実感し、Genuine professionalになる道を諦めるでしょう。

それでも僕が最低限の報酬を得られているのは、珍しい(競合が少ない)強味を持っているからです。

「人生を文章化するだけで生活できる」という選択肢

スキルの中でも比較的マシなライティングと、Webマーケティングを組み合わせて、「ヒットする記事を通常よりも高確率で量産できる」という強味です。それだけでなく、ほとんど悪食とも言える器用貧乏&多趣味を活かして、様々な題材を記事にできます。

ブログを書けば月間10万PV程度はそれほど苦労せずに確保できますし、PVが欲しいメディアへ寄稿してそれなりの成果を出すこともできます。

 

自分だけの強味を持つには「点と点をつなげる」

僕が競合の少ない強味を持てたのは、まったくの偶然でした。

好きだったり、興味を持ってのめり込んだ数々が偶然に繋がって、はっきりとした強味になりました。またそのスキルが社会で求められていたのも、偶然でしかありません。きっと5年前だったら、僕のタイプでは報酬を得るのは難しかったでしょう。

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式での有名なスピーチの一部、「点と点をつなげる」。正にこのとおりにできあがった、偶然の産物なのです。

「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳  :日本経済新聞
本日は自分が生きてきた経験から、3つの話をさせてください。たいしたことではない。たった3つです。まずは、点と点をつなげる、ということです。

 

心から楽しめること、本気で打ち込めることだけに全力を注ぐ

自分だけの強味を持ったプロになるための方法は、「点」に全力を注いで生きることです。それが何の役に立つとか、将来どう活かせるとか、そんな無駄を考える必要はありません。なぜなら、繰り返しますが、10年後に求められるスキルなんて予測できるはずもないからです。

自分が心から楽しめること、本気で打ち込めることだけを全力でやって、自分なりに極めてしまう。そして10年経ったら、周囲を見渡す。求めているスキルが今とは大きく変化している中で、自分にしかできないことを探せばいい。

人それぞれの価値観や興味関心に基づいた、様々な経験や知識を組み合わせれば、自分にしか提供できない珍しい(競合が少ない)強味が必ず生まれているはずです。

 

自分の性質にあった道を選ぼう

Genuine professionalになるためには、職人気質と才能が必要です。Minority professionalになるためには、強い探究心と、ある種の楽観的性格が必要でしょう。自分に向いていなければ、これらの道が困難なのは言うまでもありません。

一方で、運良く成長・安定分野の大企業に就職し、組織内でキャリアアップしていく道もあります。どんな世の中になったとしても、企業が壊滅するとは思えません。大企業ならどこでもいいとまでは言えなくなったのは、昨今の状況を見れば明らかですけど、それでも一定の選択肢として残るのは当然です。

自分で成功できるか否かをコントロールするのは不可能です。そうでない意見の方もいるかもしれませんが、社会の変化が激しい昨今、僕は個人がコントロールできる範疇を超えているとはっきり思います。ならば将来の心配をするのは余計だと思いませんか?

自分にできることに精一杯打ち込むのがベスト。

成功の確率を高める方法があるとしたら、これ以外に無いのではないでしょうか。今までそうでしたし、これからもずっと、僕はこの心構えで生きていきます。

182月

「人生を文章化するだけで生活できる」という選択肢

こんにちは。寄金です。僕はけっこう長い間、自分の「スキル」や「特性」の活かし方を見つけられないまま生きてきました。

ベンチャー企業で仕事をすれば入社1ヶ月で中間管理職をやらせてもらえる程度の能力はあるようです。

ただ、長所と同じくらい、いやきっとそれを遙かに凌駕する短所もありました。

中でも致命的だったのは、「社会の仕組みの中でスキルを活かす」という視点が絶望的に欠けていた点です。

まるで、ホームランをかっ飛ばすパワーがあるのに知らん顔して卓球やってました、みたいな。そのパワーをその競技でどう活かすんだよアホめ、みたいな。

ようやく最近になって、ブログ及びライティングをベースに活動していくという方向性を見出せたかな、と思っています。

ふらふらしていた時期もあったし(特に大学卒業後数年)、日の目を見なかったチャレンジもたくさんしたし(特に震災後、フリーになってから)、遠回りもたくさんして、無数の可能性を消していって、やっと贅肉がそぎ落とされた結論にたどり着きつつあります。

 

一般的な職業ライターのイメージとは違う?

振り返ってみると子供の頃から読書家だったみたいですし、学生時代からはずっと文章を書き続けてきました。作家になるという目標のもと、1日3時間以上の執筆を3年間くらい続けていた経験もあります。

そんな環境にいれば、職業ライターという選択肢は、それほど突飛なものじゃないですよね。

ただ、いわゆるライターは嫌だなと思っていました。なぜなら、雇用主や所属する組織のオーダーに100%応えるのがプロのライターだと思っていたからです。伝統的な意味では、この解釈は間違っていないはずです。

僕の今の状況は、知らない誰かに自己紹介するとすれば、ライター以外の何者でもないはずです。ブログのみで生活しているわけではないのでブロガーと名乗るのもおかしいし。

でも、僕が想像していたライター像とはまったく違うものでした。

 

自分の人生、経験、興味関心、問題意識を文章化しているだけ

いま書いている文章は、誰かのオーダーで書いているものは一切ありません。Handmade Future !の記事はもちろん、外部寄稿も含めて、「こんな記事が書きたい」という意志が先にあります。

例えば『Handmade Future !』で公開している情報発信ノウハウは、ナイスな取り組みがもっと人々の元へ届くようになってほしいという強い思いがあって、その中で自分ができること(ノウハウの発信)をやっているだけです。

ライフハック系記事は、主に自分で実践していて役立ったことを文章化しているだけですし、子育てや政治関係のエントリもそのときどきに感じた内容を文章化しているだけです。

また、外部寄稿しているディズニー系ライフハックなんかになると、もはや趣味(ランドの年パス持ちです)をそのまま文章に起こしているだけ、という、正真正銘「こんなんで仕事でいいの?」という有り様です。

 

社会の仕組みが追いついてきた感

個人的には、けっこう昔から、ディズニー系ライフハックでお金をもらったっていいと感じていました。なぜなら、必ず誰かしらにとって役立つ情報だという確信があるからです。

インターネットが普及して、第一フェーズではコンテンツの無料化が進みましたけど、昨今はマネタイズもノウハウが蓄積されつつあります。

ただ、個人ブログでやるのなら充分に現実味がありますが、それで企業がお金(しかも、それなりに納得できる金額)を払うようになってきつつあるのは、さすがに隔世の感があります。

※Lancersとか見ると、1記事100円とかゴミみたいな依頼もありますけど、僕が言っているのはそういう話じゃありませんよ。1日1記事書けば、最低でもサラリーマンの月給程度にはなる報酬がもらえるという話です

ライターは好みの要素をコンテンツ化して、メディア側はそのコンテンツが必要であれば、供給してもらう代わりに適正な報酬を支払う。

まったく正常な仕組みだと思いますけど、そういう環境が整いつつあるんですね。

ブログ及びライティングをベースとする活動が成り立つのは、こんなふうに時代が追いついてきたという運もあるのかなと思っています。

 

止まったら死んでしまうマグロ! ライター2.0

僕にとっての武器は文章以外に考えられないな、と思うのは、例えばブログならば月間10万人前後に読んでもらえるからです。

外部への寄稿も含めれば、いったいどれほど多くの人に何かしらの影響を与えられているのか、ちょっとわかりません。

一つの考えを、一万人に伝えられるなんて、一般人である僕には他の方法を考えつけません。

そんな中で見えてきた理想は、人生をそのまま文章化していくライター2.0です。

僕は文章だけを書いているつもりはないんですよね。むしろ面白そうなところへ積極的に頭を突っ込み、口車に乗って気軽にチャレンジし、趣味やレジャーは全力で楽しみたい。

何かしら活動して得た経験や感じたことを栄養素として文章を生みだし、報酬すらも得ていくライター2.0。止まったら死んでしまうマグロ的な。

これは間違いなく向き不向きがあるんですが、どうも僕にはぴったりなようです。

はやく基盤を安定させて、子育て支援も、フューチャーセンターも、学生の応援も、いろいろなことに足を突っ込みたくて仕方ありません。その上で、それらを全部報酬に繋げていきます。

まとまりも結論もなく勢いだけで書きましたが、「こんな生き方も成り立ちつつあるよ」と、何かの参考にしていただければ幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

一点だけ追記。Webマーケティングの知見がなければ、このやり方で収益を得るのは難しいですよね。なぜなら、世の中の人々がどんな情報を求めているのかを的確に判断してコンテンツ化できなければ、ただ趣味を書き散らすだけのブログで終わってしまうからです。ライター2.0にはWebマーケティングスキルが必須なようです
82月

17,200時間、地球約17周の無駄について。

往復2時間の通勤を年間200日、22歳から65歳まで続けたら、17,200時間。40年ちょっと働いて、うち2年間に相当する時間は、通勤のためだけに費やされる。

仮に片道40kmだとしたら、688,000kmの移動距離。

数千万人が地球を約17周するエネルギーって、いったいどれほどのものなんだろう。人間は、本当にこんなに移動しなきゃいけないんだろうか。

真剣に「変だ」と思わない?


 

移動しないのが最も省エネ

よく妻が「セールだから買い物に行こうよ」と言うので、何を? と問うと、特に買う物が決まっているわけじゃない。

だから僕は、「安いものを買うより、何も買わないほうが安く済むよ」と言う。

もちろん、妻の気持ちはわかるんですけどね。ただ、我が家の場合、好きなものを好きなだけ買える富裕層ではないので、買ってしまったら何かを我慢しなければならなくなる。

もっといいお金の使い方があるんじゃないの? という問いかけなんです。

同じような話は、世の中にいくらでもある。

車メーカーは燃費の良さや排出ガスの少なさを競ってるけど、車が一切なくなるほうが遙かに環境にいいし、年間4,000〜5,000人も事故死している人の命が救われる。

省エネ家電を使うより、電気を使わないのが最も効果の高い節電。

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また、もっとも地球環境に優しいのは人間が存在しない状態だ。

人類の存在を否定しないのなら、人間が活動しないのがもっともエコ。

生命を維持するのに充分なだけの栄養を摂取して、寝て過ごす。アクティビティはすべてバーチャルリアリティで……つまり、映画『マトリックス』のような世界が、最高に効率がいい。

 

通勤は本当に必要な労力なのか?

非現実的な提案をしよう、というわけじゃないんです。

もちろんこれはトレードオフの問題。車が一切なくなればいいと言ったって、現実問題として車がなければ「健康で文化的な最低限度の生活」が難しいケースがある。自動車メーカーや関連会社の雇用が失われる問題もある。

電気を使わないと言ったって限度がある。冷蔵庫や洗濯機が使えなかったら、真剣に困る。

移動についても、例えば東北復興のために新幹線で頻繁に被災地入りするのは必要な労力。

お金や物資を投じて当面の生活を助けるフェーズは終わり、被災地そのものが自立してやっていけるように、組織作りや事業のノウハウを持った人的資源を投入する段階に入っているから。

人が行かなきゃ解決できない課題が山積している。

問いかけるべきは、

今あなたがやっていることは、17,200時間、地球約17周の労力をかけるだけの価値があるんですか?

もっと有意義な(あるいは、満足できる)時間とエネルギーの使い方は無いんですか?

人は、社会で生きるのに一所懸命になっていると、宇宙の広大さを忘れてしまう。

同じように「自分は地球を17周している途中なんだ」という境遇も忘れてしまう。違和感がなくなってしまう。

でもいい加減に、真剣に考えませんか。

 

きっかけさえあれば変えられる

かく言う僕は、東日本大震災を機にフリーエージェントになって、「通勤」という概念を消した。

でも正直に言って、通勤が嫌でフリーエージェントになったわけじゃない。

「いつか通勤なんか止めてやるぜ」とは思っていたものの、それだけを理由にフリーエージェントになる決断はできなかった。そんなことを妻に言ったら蹴飛ばされるだろう。

何を犠牲にしても、子育てがしたかった。これだけは絶対に譲れなかった。

子供とすごす時間を確保するための選択肢として、僕にはフリーエージェントという道しか残されていなかった。

いま、労働時間は平均して10時間前後。一つ屋根の下8人分の夕飯も用意している。子供とすごす時間がどこから捻出されているのかと考えると、それはまるまる通勤の時間だ。

完全な裁量労働にして、通勤時間を削減する以外に、僕には方法がなかった。

僕は子育てがきっかけだった。今はどうにもしようがなくても、何かしらきっかけさえあれば、誰でも現状は変えられる。

「仕事をしているからそれは無理」ではなく、「こうしなきゃいけないから仕事はどうしよう?」と考えられるかどうか。

きっかけが訪れたときにゼロベースで柔軟な発想ができるように、今か今かとチャンスをうかがい、爪を研いでおこう。



81月

子育て中の両親には「仕事量半分」で働ける権利を。

こんにちは。寄金です。僕には3歳と1歳の子供がいます。子供たちが大好きです。

ざっとライフサイクルを書いておくと、朝は4時〜5時に起床します。

できる限り、外部サイトへの寄稿記事や、ブログ記事を書き、6時過ぎに妻と子供たちを起こします。

みんなで朝食を食べ、保育園と仕事へ送り出し、また作業を再開します。

外出の用事がなければ、17時くらいには仕事を中断して、夕飯の準備に取りかかります。

実は我が家は8人と4匹の大家族なんですが、全員分を作ります。

妻が子供たちを保育園から連れて帰ってくるのが18時半。

夕飯を食べ、子供たちを風呂に入れ、寝かし付けながらそのまま一緒に眠ってしまいます。

就寝は21時〜22時くらいですね。

睡眠不足には弱いので、6時間は眠れるように調整して、翌朝4時〜5時に起床という感じです。

 

朝4時起床〜21時就寝で、子供最優先に生活している理由

なぜこんな生活をしているかというと、第一に、やりたいから。

好きこのんでやっているという面が一番強いです。

第二に、幼少期はその子の人生のある一部分を決めてしまうから。

自分自身を振り返っても(ま、記憶があるわけじゃないですけど)、小さい頃に目一杯甘えられてこそ、立派に自立できるんじゃないだろうかと思っています。

少なくとも小学校に入るくらいまで、できれば中学校へ行くまでは、子供たち最優先でいたい。

 

「共働き」かつ「フルタイム勤務」は、子供を犠牲にしなければ成り立たない

第三に、こうでもしなきゃ、共働きでは物理的に無理があるから。

我が家の場合、妻が実家の自営業の手伝いをする必要があるので、仮に僕の年収が3,000万円だったとしても、共働きになります。

共働きの場合、フルタイムで正社員として働きながら子育てなんて、不可能ですよ。

無理矢理やっている人はいますが、それは泣く泣く犠牲を払って成り立たせているだけです。

例えば現在、うちの子供たちは21時過ぎには就寝しています。

朝6時過ぎ起床を考えると、睡眠時間8時間以上を確保するためにギリギリのラインです。

が、これは妻と子供たちが18時半に帰宅した時点で、夕飯の支度がととのっているから可能です。

もし僕が東京で働く正社員で、残業と通勤時間を含め帰宅が21時頃だったとしたら、妻は一人で夕飯の支度に取りかかることになります。

どんなに頑張っても30分以上はかかり、食べ終えたときには20時を過ぎているはずです。

これでは、子供たちを風呂に入れている間に21時は回ってしまいます。

ついでに言うと、夕方の子供たちは眠かったり、お腹が空いていたりして機嫌が良くありません。

特に1歳の下の子は、僕が炒め物など夕飯の仕上げをしていると、足にかじりついて泣きわめきます。

これじゃあ危なくて炊事ができないし、泣き叫ばれるのはかなりのストレスです。

多少は何か食べ物をあげるんですけど、あんまりあげ過ぎると夕飯を食べなくなるんで、たくさんはあげられません。

こんな状況の中で、一人で夕飯の支度をするのは、すさまじい負担。

イライラして怒鳴り散らす事態になるか、子供たちに我慢させるか(泣いても無視していれば、泣かなくなります。サイレント・ベビーですね)。

どちらにしても、子供が受ける影響を考えれば、好ましい状態じゃないですよね。

 

精神論では何も解決しない

子育ての経験のない方は「そんなん子育てしていたら当たり前だろ」と言うかもしれません。

が、これは精神論で何とかなる問題じゃない。

例えば妻は、今年の抱負で「できる限り子供たち怒らないようにしたい」とブログに書いていました。

怒りたくて怒っているんじゃないんです。

うちの妻は、先ほど触れたとおり実家の自営業の手伝いをしていて、割と働き方に自由があります。

それでも疲労とストレスで、常にギリギリの状態にあって、感情のコントロールが限界を超えてしまうケースが多々ある。

僕は「親はそれくらいできて(できなくてもやって)当然」というスタンスでいますけど、(僕も含め)現実問題としてどうにもならないことがあるわけです。

精神的な強さだったり、積み重ねてきた経験であったりは、もうその時点で持っているものでやるしかないわけです。

昨今、親が子供を放置したり、虐待したりして殺してしまう事件が報道されます。

そのたびに世間は強烈にバッシングするわけですが、僕も妻も、環境によっては誰にでもあり得るよね、と思ってます。

特に一人目の子供が3歳になるくらいまでは、未知の体験の連続で、信じられないくらいのストレスでした。

新生児の頃はとくに、なんで泣くのかわからない、どうしていいのかわからない、おまけに極度の寝不足(昼夜問わず、約3時間ごとに授乳)と、極限にまで追い詰められます。

親だからやって当然、は心構えとしてはその通りです。

が、「子育てはそういうものだから」「昔からそうだから」の一言で困難な状態を放置するのは、思考停止以外のなにものでもない、というのが持論です。

社会の仕組みとして改善できるのであれば、改善すればいいんです。

 

子育て中の両親に、労働時間を半分にできる権利を。

現実問題として無理じゃん、という意見は当然出てくるんですが、ここではいったん置いておきます。

重要なのは、どんなに現実離れしていてもいいから、理想の状態を思い描くこと。

なぜなら、制約の中でどうこうしようと足掻いても、いい案は生まれてこないからです。

もし、理想像が魅力的なものなら、賛同する人が集まります。

人が集まれば、じゃあどうやって高いハードルをクリアして行こうかと、行動に繋げられます。

物事を動かす何かのきっかけになるかもしれません。

僕は、子供をだっこしてゆっくり会話する時間を確保するために、子育て中の両親には、仕事量を半分にできる権利を与えるべきだと思います。

理由は書いてきたとおり、子供を犠牲にしなければ仕事と子育ての両立は不可能だからです。

半分の労働時間で得た収入では足りない分は、(上限を決めて)補助すれば、最低限の生活も確保できます。

財源は悩ましいところですが、ひとまず置いておきます。

 

みなさんはどう思いますか?

少なくとも、現在の「子育てと仕事の両立」は、何かしらの犠牲の上に成り立っている事実は、疑う余地がありません。

その犠牲を許容できる人、できない人と、様々な価値観があるわけですが、犠牲を少なくできるとしたら、その方向性に反対する人は少ないはずです。

問題は方法ですよね。

どうやって無理なく両立させるのか。

どんなブレイクスルーが必要なのか。

例えば、子供が生まれてから10年間、仕事の面では何かしら妥協するとします。

僕の案は労働時間半分ですが、これは雇用主にとっては労働力が中途半端に減るわけで、頭の痛い問題になるのは想像に難くありません。

だとしたら、10年間一切仕事をしないという方法もあるかもしれません。

ただ、この場合、再就職が高いハードルになりますし、一切仕事をしなくなるとスキルも劣化します。

みなさんはどう思いますか? 子育てに後悔しないために、どんな働き方がしたいですか? TwitterやFacebookで、ぜひ意見を聞かせてください!

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