政治

412月

【選挙】マニフェストで投票先を決めるのは、いいカモでしかない

選挙公約・マニフェストは、「選挙前だから」と、マーケティング的に、有権者ウケする内容を並べているだけの、単なるリップサービスです。

政治家が悪い、という話ではありません。

単なる努力目標なのだから、なるべく選挙に有利になるように理想を掲げるのは、当然なんです。

選挙の直前になって、「この政党は自分の考えに近いな」なんて投票先を決めるのは、いいカモではないでしょうか。

選挙結果に納得している人は、問題ないと思います。

もし自分の投票に満足した経験がないのなら、改めたほうがいい結果につながる、と私は思います。

 

各政党の方向性さえ理解できれば十分

私はそもそも、細かい政策なんか、どうでもいいという考えです。

経済政策であれば、具体的にこういうことをしますと言われても、私には是非を正確に判断できません。

その領域を専門に勉強したり、強い興味があったり、という人でない限り、基本的にみな同じであるはずです。

だから、経済成長を推進するかわりに貧富の差を社会保障でカバーする社会を目指すのか、みんなで貧乏になるかわりに平等な社会を目指すのか、くらいの違いがわかれば充分だと思います。

言うまでもなく、ちょっとだけ政治に関心を向けていれば、特別なことをしなくても理解できる違いです。

 

政治に文句を言い続ける人たちの2つの特徴

私見ですが、細かな政策に、あれこれ意見を言う人には、大きく2種類います。

  1. 鼻先のニンジンが大好きな人
  2. 政治には正解があると思っている人

前者は、
「●党に投票すれば、毎月■万円もらえる政策をやってくれるそうだ。それはいいな」
というタイプ。

メリットのみに目がいって、どんなデメリットが発生するのか、考えない。

後者は、
「アベノミクスなんかうまくいくはずがない。バカじゃないのか」
というタイプ。

専門家でも評価が分かれる事柄なのに、自分にだけは正解が分かっていると思っている。

もちろん、このような反応が悪い、というわけではないんですよ。

でも、きっと、これらの方々の圧倒的大多数は、政治に不満を持って、いつまでも文句を言っているのではないかと思います。

基本的に、自分の思い通りになることは稀だからです。思い通りになったとして、運がいいだけです。

 

信頼できる人を国会に送り出して、腹を据えて結果を待つ

われわれ国民にできるのは、ただ一つだと私は思います。

信頼できる人を国会に送り出して、腹を据えて結果を待つこと。ときどき、必要性を感じれば、政治家に意見を直接伝えること。

※当然ながら、目の前の暮らしにくさだったり、生きにくさだったりを解決するためには、自ら行動する必要があるわけですが、ミクロな課題の解決は、いまや、国政の役割ではないという前提です

どうしたら国が良くなるのか、正解なんか誰にもわからない。

ならば、国を良くしようと働いてくれる人のうち、信頼できる誰かに、託すしかない。

託せないのなら、投票せずに諦めるか、自分が政治をやるしかない。

 

政策ではなく、信頼できる候補者を見極める

民主党政権を引き合いに出すのは、ちょっと卑怯かもしれませんが、選挙公約・マニフェストの多くは、実現されません。

自民党だって、個々の候補者はさまざまな政策を掲げていますが、努力はするものの、実現するかどうかは未知数です。

そのときどきの党内の力関係や、政治状況、公明党との関係などで、結果は変わってくるからです。

だから、我々がやるべきは、長い時間をかけて、選挙区の候補者の発信を見続けて、信頼できる人かどうかを見極めることです。

2年、3年と見ていれば、「この人は言うことがコロコロ変わっている」だとか、「自分の意見をちっとも言わないんだよなあ」だとか、判断できるようになります。

逆に、「党の方針に反しても、ダメなものはダメと貫く人だ」だとか、「しっかりした国家観、政権運営ビジョンを持っている」だとかも見えてきます。

 

選挙が決まったら、もう投票先も決まっているのが理想

私は実際にそうしています。

僕はこうして投票先を決めた。

私は今回も、神奈川2区で、官房長官に投票してきます。

自民党支持者ではありませんが、菅義偉支持者ではあります。時間をかけて、発言を見続けてきた結論です。

民主党の元職・三村和也さんが6区に鞍替えしましたが、2区から立候補したとしても、投票先は変わりませんでした。

直前になって政権公約・マニフェストと睨めっこしているみなさん。

「選挙が決まったら、もう投票先も決まっている」

そういう選挙に臨んでみませんか。今回はもう遅いですが、2年後や4年後に、またその時はきます。

2211月

なぜ選挙前から「自民党が勝つ」と判るのか説明する

第47回衆議院議員総選挙が行われることになりました。

結果は “自民党の勝利” でまず間違いないんですが、きっと、自民党支持者ではない方の中には、

「自分の周りに、自民党支持者がそんなに多いとは思えないのに、それはおかしい」

と感じる人もいると思うんですよ。

その違和感は、けっして間違っていません。

それでも、自民党大勝の結果が出ます。単純な算数です。

 

自民党の支持層は約4割

政治意識月例調査 – 2014年 | NHK放送文化研究所

上記の調査の、2014年の数値を、平均すると、各党の支持率はおおむね、

自民党 38.2%
民主党6.0%
公明党3.4%
共産党3.1%
維新の党1.2%

となります。それ以外の政党は、1%以下です。

自民党の支持層は、ざっくり4割だと覚えておいてください。

 

4 : 3 : 3の勢力図なら、4が完全勝利を収めるのが小選挙区制

衆議院選挙は、小選挙区比例代表並立制です。

が、大きな要素を占めるのは、うち300議席が決まる小選挙区制です(比例は180議席)。

小選挙区では、得票1位の議員だけが当選します。

たとえば、

候補者A 4万票(当選)
候補者B 3万票
候補者C 3万票

ならば、候補者Aだけが当選します。

ポイントは、候補者Aを支持しない票は、6万票になり、候補者Aの得票数を上回る、という事実です。

 

日本社会全体で見ると自民党支持層は多数派ではない

自民党は、もっとも多い4割の支持を集めているので、小選挙区制では、大勝します。

比例代表も、民主党ほかが1割以下の支持率しかない現状では、大差ないでしょう。

ところが、視点を変えて、自民党を支持しない人という括りで見ると、実は6割もいるわけです。

だから、「自分の周りに、自民党支持者がそんなに多いとは思えない」という感覚が生まれるんです。

インターネットの普及によって、気に入った情報だけを得ることができるようになり、タコツボ化が進んでいるので、よりそのような感覚は強くなります。

 

自民党を負けさせる方法

机上の空論でよければ、自民党を負けさせる方法もあります。

つまり、選挙でこうなればいいわけです。

候補者A 4万票
候補者B+候補者C 6万票(当選)

いわゆる、選挙協力というやつですね。

候補者Bと候補者Cの政党が話し合って、どちらかが立候補を見送れば、候補者Aに勝てます。

でもこれ、実際にはなかなか難しいですよね。

立候補を見送ったBまたはCは、選挙に出られないか、あるいはまったく別の土地での立候補を迫られるわけですから。

【追記】
私の地元である神奈川では、こんな感じです。そう上手くはいきません。
14神奈川衆院選:「神奈川はガチンコ」 民主と維新の調整土壇場で決裂 | カナロコ

 

2年前の総選挙では第3の選択肢として維新が浮上

前回、第46回衆議院総選挙の、得票数と、得票率データを、Wikipediaから借りてきました。

選挙結果

投票率は59.32%。過去最低でした。

今回の選挙も、同水準、もしかしたらもっと下がるかもしれませんね。自民党以外を選択する人にとって、魅力的な受け皿が存在しないからです。

2012年総選挙では、民主党にうんざりした有権者のうち、自民党に投票したくない人は、日本維新の会を選んだ人が多かったようです。

維新の比例代表の得票率は、民主党を上回って、自民党に次ぐ2位でした。

しかし今回、自民党以外に投票しようとしたとき、民主は相変わらずの体たらく、維新はゴタゴタ、みんなの党は勝手に消滅、という調子です。

投票率が下がり、公明党や共産党が相対的に得票率を伸ばし、特に比例代表で、躍進するのかもしれません。

 

比例代表では自民党「堅調」と予想

さて、自民党の数値に目を向けると、小選挙区で43.02%、比例代表で27.62%という得票率でした。

比例代表の数字が思いのほか低いのは、民主党政権以前をしっかり覚えている有権者が、自民党のカムバックに、懐疑的な目を向けていたからでしょう。

もう一つ、小政党が乱立している影響もあります。

比例代表は「死に票」が最も少ないシステムなので、小政党に投票する心理的ハードルが下がり、票が分散します。

今回の選挙も、小政党乱立状態ではありますが、維新は大幅減濃厚、みんなの党は消滅という状態。

相対的に浮上するのは、自民党、そして公明党と共産党以外にイメージできません。

あとは民主党がどこまで盛り返すか。逆にさらに沈没する可能性もあるんじゃないでしょうか。

まあ少なくとも、比例代表で自民党が議席を減らす可能性は、極めて低いのではないでしょうか。

 

小選挙区では自民党の大勝

小選挙区では、冒頭で説明した4 : 3 : 3の勢力構造をどうにかしない限り、自民党の大勝以外の結果は出ません。

実際は4 : 3 : 3どころか、政党支持率だけで見れば、4 : 0.6 : 0.3 : 0.3 : 0.1とか言う感じなんですから、個人で選挙が強い議員を除けば、ほとんど勝負にならないわけです。

野党の唯一の望みは無党派層ですが(こちらも約4割)、低投票率濃厚=彼らの大半は動かない、ということです。

候補者が多い選挙区ほど、自民党候補が当選する可能性が高まります。

野党としては、個人で選挙が強い候補者がいた場合に、いかに野党同士でつぶし合わない選挙協力が実現するかで、自民党の議席数をどれだけ減らせるか、という戦いなんじゃないでしょうか。

逆に、自民党と公明党の選挙協力は、もう、慣れたものなので、野党が頑張っても焼け石に水かもしれません。

 

では大選挙区にしたら天国なのか

こういう話をすると、「小選挙区はクソだ」論が必ず出てきます。

じゃあ、小選挙区をやめて、大選挙区(日本全国一区の比例代表のみ)にしたらどうなるんでしょうか。

前回、第46回衆議院総選挙のデータで、ちょっとやってみましょう。

自民党132議席
日本維新の会98議席
民主党77議席
公明党57議席
みんなの党42議席
共産党29議席
日本未来の党27議席
社民党11議席
ほか7議席

大まかですが、だいたいこんな感じでしょうか。

見た目は楽しそうですね。死に票も減りますし。

が、この状態で考えなければならないのは、必ず連立を組まなければ政権が成り立たないという事実です。

いったい、物事は前に進むんでしょうか。

また、小選挙区制の最大の利点であった政権選択が、事実上不可能になります。

どことどこが連立を組むかは、当選した議員たちが決めるからです。

民主党政権が嫌だから、と他党に投票したのに、民主党が政権に居座り続ける……なんて事態も充分にありえます。

「死に票」が少なくなっても、私たちの思い通りにはならないんですよね。一長一短。

結局のところ「国政選挙、政治で実現できることは、やはりほんの一部でしかないんだ」と、私たちは悟るべきなんでしょう。

47月

陰謀論以外で語ってほしい。目の前の問題をどう解決したらいいだろう?

自分の子どもが理屈の通じない相手に襲われたときに誰が助けるのか?

集団的自衛権の話は、実は、すごくシンプルだと私は思っています。

もちろん、陰謀論を持ち出さなければ、という条件付きですが。

そもそも、政府は、議論を始める前に、なんと言っていたでしょうか。

安倍総理を持ち出すと、アレルギー反応を示す人もいるかもしれないので、政府のスポークスマンたる、菅義偉官房長官の言葉で確認しましょうか。

集団的自衛権:国の平和と安全を守るために|すが義偉の「意志あれば道あり」 Powered by Ameba

総理は会見で、国民の命が危険にさらされている時に守ることができない事態が起きることを、二つの事例を挙げて説明しました。

一つは、紛争が起きた地域から、日本人を米国の艦船が救助、輸送している時に日本近海で攻撃を受けるというケースです。
現在は、日本自身が攻撃を受けていなければ、日本人を救助、輸送している米国の艦船を自衛隊は守ることができません。

もう一つは、アジア・アフリカなどで地域の平和や発展のために、活動している日本の若者や、国連の平和維持活動(PKO)をしている国連の要員が、突然武装集団に襲われるケースです。
現在は、現地で活動している自衛隊は、この日本人やPKOの要員を助けにいくことができません。

我々一人ひとりにとっては、自分の子どもが理屈の通じない相手に襲われたときに、誰が助けるんだろう? 成り行きに任せるの? 諦めるの? という話であるわけです。

“国” という枠組みの維持・発展を第一に考える立場からすれば、たとえば、尖閣諸島で中国がやたらちょっかい出してくるけど、どうするの? という話。

 

政府は一つの提案をした

集団的自衛権について議論するには、目の前にある、この問題を、じゃあどうするんだという課題に対して、回答が必要なんです。

政府は、一つの回答を提示しました。再び、官房長官の言葉を引用します。

今回、総理が示した基本的方向性は明確です。
我が国の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある時に、限定的に集団的自衛権の行使が許されるという考え方について、さらに研究を進めるというものです。
この考え方は、自国の平和と安全を維持するための必要最小限度の武力行使は許容されるという、従来の政府の基本的立場を踏まえたものです。

国民の生命や財産、国の安全を守るために、あらゆる事態に対処できるように切れ目なく法整備をする必要があると思います。
結果的には日米同盟を中心に抑止力を高めることによって、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなると考えます。

最後の一文が、結論ですね。

日米同盟を中心に抑止力を高めることによって、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなると考えます

 

国民の多くは、政府の提案に全面的に賛成しているわけではない

もちろんこれは、一つの提案にすぎません。

集団的自衛権の世論調査、各社で違い 選択肢数など影響:朝日新聞デジタル

各社の世論調査結果を総合的に見ると、国民の多くは、積極的に改憲したいと思っているわけではないし、現政権の提案に全面的に賛成というわけでもないようだ、とわかります。

政府の提案からは、(根拠はないけれど)どこか不穏な印象を受けます。「もっと平和的な、いいやり方はないんだろうか?」と感じている方は、きっと少なくないでしょう。

 

どこにも対案が見当たらない

中国の動き。独裁的な国の存在。テロリスト。

近年の世界情勢を見ていれば、危機感は覚えるわけで、どうにかする必要があるとは感じる。

でも、周囲を見渡しても、どうも対案が見つからないんですよ。

政府が出した「日米同盟を中心に抑止力を高めることによって、紛争が回避され、戦争に巻き込まれることがなくなる」という提案以外に、「なるほど」と思えるような、現実的な対案がない。

護憲派の多くは、陰謀論と感情論に覆い尽くされています。

「自分の子どもが理屈の通じない相手に襲われたときに、誰が助けんの?」という問題提起に対して、安倍は戦争がしたいんだ! とか言われてもね、そりゃ(゜Д゜)ポカーンなわけです。

今まで九条のおかげで平和だったから、このままがベスト、とか言われても、え?ニュース見てないの??としか感じないですよね。

 

陰謀論以外で語ってほしい。目の前の問題をどう解決したらいいだろう?

日本人の圧倒的大多数は、護憲派ではないし、積極改憲派でもありません。

ぶっちゃけ、世の中の中心的な立場は、「この問題は難しくてよくわからん」なんだと思います。外交や安全保障みたいな複雑すぎる問題に、唯一の正答は存在しないわけだから、当然です。

だから、現実的で、平和的な、よりよい提案があれば、耳を傾ける準備はできている。

にもかかわらず、陰謀論や感情論を持ち出して、自らコミュニケーションを放棄してしまうのは、愚策もいいところだと私は思います。たとえば、先般の都知事選、どんな結果になりましたか?

以下のような、いま目の前にある具体的な問題を、どうやって解決したらいいでしょうね?

細谷雄一の研究室から:集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定 – livedoor Blog(ブログ)

日本の自衛隊のPKOに参加する隊員は、助けを求めに来た目の前でレイプされている現地の少女を助けてることも、武装集団に襲われて助けを求めるNGOボランティアの人を助けることも、現行の内閣法制局が判断した憲法解釈ではできません。

(中略)

また侵略を受けて多くの犠牲者が出ている国に、医療品を提供することもできません。

(中略)

平和主義の精神は、今後も日本の安全保障の根幹に位置づけられるはずですし、そうするべきです。72年以降の硬直的な内閣法制局の憲法解釈を変更することで、上記のような場面で、より人道的な、そして国際協調主義的な対応が可能となるのです。これらを行わないことは、国際社会における利己主義であり、また人道主義への裏切りです。

これらをすべて無視して、今回の政府の抑制的な決定を見て、「これで立憲主義が死んだ」あるいは「これで日本は戦争のできる国になってしまう」」というのは、あまりにも短絡的ではないでしょうか。むしろ「死んだ」のは、現実の安全保障課題に真摯に向き合って、あるべき政策や法制度を考える姿勢や、苦しんでいる他国や、襲われ、レイプされ、助けを求める人々に手をさしのべるという当然ながらの国際社会における人道的な精神ではないでしょうか。

護憲派からの提案も、あるのであれば「ぜひ聞いてみたい」と思っている国民は、実は少なくないと思うんですよ。私もそうです。

ぜひ、陰謀論と感情論以外で、語ってほしいと思います。目の前の問題を、どう解決したらいいんでしょうか。

263月

「投票率が低い、無効票が多い」とばかり報道されるが、橋下38万票を上回ったのは過去20年で1度のみ

体調を崩していて今さらになってしまったんですけど、大阪市長選挙について一言。

 
私は神奈川県民なので、橋下徹氏に対して特別、プラスの評価も、マイナスの評価もしていません。

二重行政の解消や大阪都構想が悪いとは思わないし(それが正解かどうかはわからない、が、政治とは常にそういうもの)、一方でこれだけ反発が起きるということは問題もあるんでしょう。当事者でなければ実感できないこともあるには違いなく、プラスにせよマイナスにせよ、積極的に評価しようという気になれません。

だからこれは、蚊帳の外の人間が、数字だけを見た印象なのですが。

 

過去20年間・5回の選挙で、今回の橋下得票を上回っているのは1回だけ

橋下氏再選、投票率は最低 得票半減、無効13% 大阪市長選:朝日新聞デジタル

わざと朝日新聞を持ってきました。

大阪府知事選とのダブル選となった前回11年は75万票余りを獲得したが、今回は約38万票だった。有権者数に占める得票の割合は35・67%から17・85%と大幅に下落。無効票は過去最多の6万7506票(うち白票4万5098票)に上り、投票総数の13・53%を占めた。圧勝して都構想を進めようという戦略は、正当性に疑問符が付いた。

約38万票(正確には377,472票)を根拠に、「正当性に疑問符が付いた」と言っているんです。

確かに、前回の約75万票(750,813票)に比べれば、半減しています。

でも、前々回・平成19年(2007年)の大阪市長選挙で、前市長の平松邦夫さんは367,058票しか取っていないんですよ。

大阪市 大阪市選挙管理委員会 平成19年11月18日 執行 大阪市長選挙の開票結果

これ、言うまでもなく、今回の橋下徹氏の得票以下です。

あれれ、と思って遡ってみると、

大阪市 大阪市選挙管理委員会 市長選挙の記録(昭和22年~平成19年)

過去20年間・5回の選挙で、38万票を上回っているのって、1回しかないんですね(橋下氏自身の75万票は除く)。

※平成3年以前にまで遡ると、投票率そのものが上がっていく傾向が見られ、40万票を上回るようになります

朝日新聞の理屈で言えば、大阪市政は常に「正当性に疑問符が付く」状態だったようです。

というか、市長選挙なんて、どこもそんなものじゃないでしょうか。

 

38万人の信任は少ないのか?

各新聞も、見出しを見る限り(中身まで読んでいません、念のため)、投票率の低さだとか、無効票の多さばかりを話題にし、橋下市政は正当性を失ったとの論調のようです。

なぜ、“勝利確実で低投票率必至のこんな状況でも、約38万人もの多数が信任した” という事実に着目しないのか、不思議でなりません。

私は、38万人は、すごく多いと思いましたけど。

少なくとも、38万人の信任があって正当性がないなんて理屈は、過去の選挙結果を見る限り、意味不明としか言いようがないと思うのですが、いかがでしょうか。

 

関東から見ているとむしろ意外だが、橋下徹は根強く支持されている

投票率が低かったり、無効票が多かったりするのは、政党が有権者の意思表示の場を奪ったのだから当然で、何ら不思議なことではありません。

橋下市政に反対の人は、棄権するか、無効票を投じるしかないわけです。

どのみち、これで38万票も取れるようなら、政党が敵前逃亡をしようが、まともな選挙戦が行われようが、結果は変わらなかったでしょう。

2014年の大阪市長選挙が現しているのは、橋下徹氏は決して少なくない約38万票を獲得し、各政党は0票を獲得したという事実のみ。

関東から見ているとむしろ意外なんですが、橋下徹は依然として、大阪市民から根強く支持されているようです。

大阪市民の(相対的に)最も大きな声は、大阪都構想推進なんでしょう。

92月

“選挙が何よりも大切” という時代は終わった

東京都知事選挙が終わりました。この記事は、投開票前に書いているものなので、どんな結果になっているかはわかりません。ただ一つだけ想像できるのは、私たちの多くは、ある共通する思いを抱いているはずだということです。

モヤモヤする。どこか腑に落ちない。これで良かったのか。

落ち着いて考えると、異様ではないでしょうか。

日本の中心である東京都のリーダーが決まり、その手続きには何の不備もなく、結果も明白であるのにもかかわらず、なぜか我々は積極的に支持する気持ちになれないでいるんです。

何が原因なんでしょうか。候補者が悪かったんでしょうか。選挙制度がいけないんでしょうか。それとも我々の政治参加が不十分だから、的確な選択ができないでいる影響なんでしょうか。

 

有権者として責任を持とうとするほど無力感を覚える

これは、国政選挙や都道府県、私が住む横浜市のように、数百万人の中から代議士や首長を選ぶ選挙についての話です(東京23区の一部や、地方都市では、まだ選挙は有用なシステムである可能性があります)。

私はここ数年、自分自身の投票行動に自信が持てるように、かなり真剣に試行錯誤してきました。

僕はこうして投票先を決めた。

それなりに、成果はありました。政策は実現されるかわからない、そもそも物事が複雑になりすぎて正解がわからない、だから “人” で選ぶべきだ、と。

選挙区の議員のインターネット発信には常に目を通し、疑問があれば議員の事務所を訪問し、ときには駅頭に立っている議員に声を掛け、その感触を元に投票することで、おおよそ納得できたんです。

具体的には、

・国政(県政、市政etc.)にはどんな課題があり、
・どういう利害が衝突していて、
・どんな理由があって一方を優遇しなければならないのか?

をきちんと説明してくれる政治家を選ぶということ。

でも。

こうして有権者として政治に責任を持とうとすればするほど、「選挙(近代民主主義)って、全然ダメなシステムなんじゃないか」という疑念が首をもたげ、ついに頭から離れなくなり、今では確信に変わりました。

民主主義 – Wikipedia
イギリス首相を務めたウィンストン・チャーチルは「実際のところ、民主政治は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば、だが」と …

 

選挙で現実は変わる。が、けっして自分の思い通りにはならない

近代民主主義には様々な問題点があります。第一に、迂遠さです。確かに、私たちの社会は、選挙結果によって変わっていきます。

が、代議士を選び出し、議会に諮り、役所が計画し実行し、とやっていくうちに、私たち一人ひとりの思いは、いつの間にか消し飛んでしまっているように感じられます。

だから都知事選挙を終えた我々は、自問自答します。これで本当によかったのだろうか、私たちが選んだ人はしっかり仕事をしてくれるんだろうか、と。

第二に、最大公約数のまやかしです。あまりこのような区分は現実的ではないのですが、たとえば、右派と左派と中道の人が、3:3:4の割合で存在したとします。

選挙の結果、最も多い中道が政権を握ったとして、政権に不満を持つ人は、政権を支持する人よりも多くなります(右派+左派:中道=6:4)。

後述しますが、実際には我々の価値観は、この例とは比較にならないほど細分化されています。どんな結果が出たとしても、国民の大多数が不満を持つという致命的な構造欠陥を抱えています。

※例外は、郵政選挙や、反自民など、いわゆるシングルイシューで選挙ができた場合です。が、これは目的が達成されれば雲散霧消する一時的な結束にすぎないのは、今まさに私たちが実感しているとおりです

 

誰かにとっての利益は、誰かにとっての不利益になる

民主主義の最も大きな矛盾は、誰かの思うとおりにしようとすれば、必ず他の誰かが不満に感じるという点です。

たとえば共産党や社民党が「消費増税絶対阻止!」と訴える。よく見かける風景です。でも、選挙結果を受けてなお主張するのには、違和感があります。

国民が自民党政権を選択した現実があるのに、その自民党の政策を根本から覆そうとするのには、いったいどんな民主的根拠があるのか、と考えたことはないでしょうか。

もちろん、国会に少数派の意見を届けるという意味では、意義があります。が、実際に少数派の意見を通そうとする行為は、圧倒的大多数の正反対の意見があるという現実と、どう向き合えばいいんでしょうか。

行き過ぎた市民運動全般にも、同様の困難さを感じます。あなたちの主張はわかりました、でも僕らはそうは思わないんだけど……と感じる人は少なくないはずです。

※だから共産党や社民党がやるべきは、ちゃぶ台をひっくり返そうとすることではなく、議論のテーブルにつき、少数派が切り捨てられないように粘り強く交渉することだ、というのが私の意見です。そういうイメージが定着すれば、もっと支持が広がるはずなんですけど。社会保障を真剣に考え直すべき時期にきているのは間違いないので

偶然に多数派となれた一部の人は、こう思います。

自分はこうしたいんだ。反対の人がいるって? 民主主義で公平に決めたことだから知らないよ。

大多数を占める、さまざまな少数派の人は、こう思います。

いくら投票しても、ちっとも現実は変わらない。政治家が悪い。選挙制度が悪い。国民の意識が足りない。

 

問題が顕在化した理由は大義名分を共有できなくなったから

近代民主主義の問題点は、当然ながら昔から存在していました。ではなぜ、以前は大きな問題とは認識されなかったのに、現代では無視できなくなりつつあるんでしょうか。戦後と今で、いったいなにが違うのか。

端的に言えば、戦後は「欧米に追いつけ追い越せ」という一つの大義名分を共有できていた。多少の矛盾があっても、見ないふりができていた(あるいは黙殺されてきていた)んです。

このあたりは、佐々木俊尚さんの『レイヤー化する世界』が理解を助けてくれます。

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しかしながら日本は、一時、アメリカについで2位の経済大国にまで上り詰めました。ここまで豊かになれば、もはや、規模が違うアメリカを追い越せとは思わないわけです(相手が中国ならば追い越されるのは悔しいという気はしても)。

「欧米に追いつけ追い越せ」という大義名分は意味をなさなくなり、かわりに “自分らしく生きる” という価値観を最上位に置く人々が増え始めます。国家による社会保障を肯定的に考えればリベラリズム(私は現時点ではこちらに近い)、税金徴収・再分配にさえ否定的であればリバタリアニズムです。

 

豊かさと情報流通革新がクラスタ化を進行させる

もう一つ大きいのは、情報流通の革新です。2000年頃まで、個人間の情報伝達手段は手紙や電話しかなく、情報流路はマスメディアがほぼ独占していました。

しかし今や、インターネット(Google検索やSNS)が風穴をあけ、情報流路には無数の支流ができています。“自分らしく生きる” 派の我々は、「マスメディアが流す価値観は単なる選択肢の一つでしかない」と、容易に気がつきます。

腹の立つ価値観を無視し、居心地の良い場所を見つけようと流動します。ちょうど、ダムでせき止められていた水のようなものですね。ダムの壁面に無数の穴が空き、水は漏れだし、平行を求めてどこまでも流れていきます。

もはや、選挙という仕組みを使って、みんなで一つの価値観の容れ物に入ろうということが、不可能になったんです。

 

近代民主主義を疑わない限り、不満が蔓延する未来しかあり得ない

“自分らしく生きる” 派の登場と、インターネットの普及によって、価値観は細分化され、私たちは無数の小さなコミュニティを形成するようになります。

さきほど、左派・右派・中道という区分は現実的ではないと書きました。ざっとインターネットを眺め回しているだけでも、若者と年配者の対立があります。ひとくちに若者と言っても、10代と30代ではまったく価値観が異なります。50代と70代でも同様でしょう。

もう一つ大きいのが、“自分らしく生きる” 派と、“国を豊かにしよう” 派の断絶です。

“自分らしく生きる” 派である私は、正直なところ、日本を経済的に強くしようとか、国際競争力を持たせようという方向性に、いまいちピンときません。もちろん反対はしないし、国は豊かであるに越したことはないんですけど、何を犠牲にしても成し遂げなければならないとは感じません。

もちろん、どちらか一方だけでなく、両方が重要だという人もいる。というより、各自が自分なりのバランス感覚を持っているわけです。掛け合わせてみれば、膨大な分類の価値観が存在する事実が浮かび上がってきます。

価値観の細分化が進んだ社会では、最大公約数がほとんど何の意味もなさなくなります。先ほど示したとおり、選挙でどんな結果が出ようとも、必ず不満を持つ人の数が、納得する人の数を上回ってしまうからです。

今のやり方を疑わない限り、不満が蔓延する未来しかあり得ません。いや、すでに不満が蔓延する社会になっているのではないのでしょうか。

 

「投票率100%の社会が理想である」という幻想から脱却すべき

では、どうしたらいいのか。

私たちは「投票率100%の社会が理想である」という幻想から脱却すべきです。

もちろん、独裁を容認するのでなければ、選挙を切り捨てることはできません。が、みんなが選挙に行けば暮らしが良くなるというのは、あきらかな誤りです。もはや、私たちが最大公約数では納得することは、あり得ないんです。

大多数を占める、私たち様々な少数派の意見を反映させるのは、国政選挙や、知事選挙では不適当。選挙だけでは何も変わりません。これは論じてきたとおり構造的な問題であって、投票率を上げようが、選挙制度をちょっとばかり変えようが解決しません。

「諦めたら終わりだ」という意見は、思考停止であり、単なる根性論だと私は思います。構造を理解し、現実と向き合わなければ、そこから先には進めません。

え? 他にやりようがないんだから、効率が悪くても続けるしかない?

いや、選択肢がなければ、作ればいいんですよ。志のある人は、とっくの昔に政治に期待するのは止めて、自分の手で社会を動かしにかかっているじゃないですか。

我々は「選挙に行こう」と呼びかける代わりに、「ねえ、私と一緒に、乳児の親がコミュニケーションできる場を作らない? 核家族での子育ては孤独で投げ出したくなった、って、あなたも言っていたでしょう。できる範囲で、何とかしたいと思わない?」と呼びかけるべきなんです。

 

「老人たちに国を牛耳られてもいいのか?」という問い

選挙よりも身近な社会参加を優位に置くのであれば、私たちは「老人たちに国を牛耳られてもいいのか?」という問いに回答する必要があります。

あるいは、自分と価値観の異なる相手に、国政を任せられるか? とも言い換えられる。

YESと回答した人は、基本的に、現在の仕組みの延長で物事を考えることになります。私はどちらかというと、こちら派です。

NOと回答した人は、現代的な国家観からの脱却を目指すことになります。どうしても多数派のやり方に納得できなかったら、自分たちで国(あるいは行政単位)を作るしかないでしょう。

自分たちの主張を通そうとすれば、それでは嫌だと考える人が必ず出てきてしまう。考え方が同じ同士で寄り添って、それぞれの理想を目指すしか、ほかにやりようがありません。

これは極論に聞こえるかもしれませんが、たとえばアメリカ合衆国のような、連邦共和制国家をイメージしてください。アメリカのそれぞれの州は自治権を持っていて、それを権限の強い連邦政府が取りまとめる形です(州のような規模では大きすぎて合意形成が困難なのは同じなので、もっと細分化が必要だと思いますが)。

ただ、アメリカ合衆国成立時と異なり、現代にはインターネットが普及しています。アメリカ合衆国のような国の作り方は正解ではなくて、むしろ古い時代の遺物であるのは間違いがなく、今ならばどんな形が理想なのか、私にはわかりません。

 

国が大切か、個人の幸せが大切かで棲み分けが進む

私は、自分と価値観の異なる相手に国政を任せてもよい、という価値観です。そうせざるを得ないと思っています。

なぜなら、そもそも国と個人の利害が一致するがずないと考えるからです。

国は、国としてのアイデンティティを守り、国を維持し、国を発展させることを最優先に考える。個人の幸せも重要だけれども、国あっての個人、という考え方です。

でも “自分らしく生きる” 派の我々は、個人の幸せを犠牲にしてまで、国を豊かにしたいとは感じません。中には、別に領土問題なんかどうでもいい、国が弱くなったってかまわない、という人もいるでしょう。

だとしたら、国が何より大切で、国を豊かにしようと考える愛国者が国政を担い、“自分らしく生きる” ことを最上位に置く個人が手の届く範囲の社会を、自分の手で変えていく、と棲み分けが進んでいくはずです。

 

国政にただ一つ求めるのは「例外や少数派を排除しないこと」

私は、国という「枠」を大切に考える人たちが、国をどうしてくれようと、別に構わないと思っています。たとえ意見が違っても、受け入れ共存するのが民主主義だからです(その意味では私は、“選挙が何よりも大切” という価値観から脱却すべきと言いながらも、近代民主主義の呪縛から逃れられていないんでしょうね)。

ただ、一つだけ要求したいのは、例外や少数派を排除しない、多様性のある社会にしてほしいということです。

「国としてはこういう方向性で行きますが、嫌な人は別の道もあります。好きに選択してかまいません。ただ完璧に整備はできないので、個々で充実させてください」

現実問題として、価値観が細分化された社会における国家や行政のあり方は、こうでなければおさまりが付かないでしょう。常に「納得できる人」よりも「不満を持つ人」の数が上回り、政権は不安定になるからです。国家は衰退するしかなくなります。

もし愛国者たちがマイノリティを排除しようとするのなら、そのときは諦めるしかないと思っています。個人的には、日本を見限る選択も考えます。

元よりこれは選挙でコントロールできるようなことではない、という厳然たる事実が一つ。そして、私が「これが正しい」と思っていても、他人はまったく違うことを考えています。エゴで国をどうこうしようという気にはなりません。

 

“選挙が何よりも大切” という時代は終わった

“自分らしく生きる” 派の私たちは、勇気を持って言うべきです。「選挙が何よりも大切、という時代は終わったのだ」と。実は我々は、選挙なんかよりも確実で、格段に効率よく物事を変えていける手段を持っているんです。

これからの社会は、価値観の細分化により、役割分担が進んでいきます。私たちは、国・県・市町村・地域・個人活動など、自らが力を注ぐ意義の感じられる規模のコミュニティを中心にかかわり、それ以外にはあまり注意を払わなくなります。

そして様々なコミュニティは、力を注ぐ人たちだけが動かすものになります。国政は国という「枠」が大切だと思う人たちが動かし、地域やマイノリティ、セクター間の狭間の問題は、個人を重視する人たちが変えていきます。

私たちの身の回りにあるリアルな社会を、思ったとおりの方向に進めたいのなら、選挙なんかにこだわり過ぎずに、自分の手で動かしていけばいい。

例えば、港区議会議員の横尾俊成さん(フューチャーセンターつながりの知り合いです)などは、おそらく近い考え方で活動しています。

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蛇足ですが、東京都港区の人口は約20万人。現状、区議になるには1,000票あれば充分であるそうです。

このくらいの規模であれば、我々の価値観が細分化され、クラスタ化が進んでいても、まだ最大公約数に意味が出てくるのかもしれませんね。

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