195月
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【子育て】“成功” は無数の失敗の中にこそある

「我が子に、自信をつけてもらいたいから、成功する体験をさせたい」

ちらほら耳に挟みます。

お父さん、お母さん、いかがでしょうか。

成功体験が、幼児や児童にとって、重要なのは、私もその通りだと思います。

が、よくよく耳を傾けてみると、「我が子に、失敗をさせたくない」との主旨であるケースもある様子。

成功だけを体験させても、あまり意味がないんじゃないかな、と、少しモヤモヤします。

なぜなら、社会に出れば自明ですけれど、成功とは、多くの場合、無数の「失敗」や「敗北」の中にあるものだから。

社会に出れば、自分の資質や、能力の、劣った部分が、嫌でも目に入ってきます。

実力があっても、運が悪くて失敗するケースも、少なくない。

挫折しないために、重要なのは、失敗や敗北をものともせずに、無数の “挑戦” ができるかどうかです。

 

失敗を自分の無能さのせいにしない “自己肯定感” こそ重要

言い換えれば、失敗の原因を、自分の無能さのせいにしない、強固な “自己肯定感” こそが、満ち足りた毎日を保障してくれる、大切な要素だと思うんです。

こう考える理由は、幸いにも私自身が、自己肯定感の強い人間に育ててもらっている事実があるから。

実際に、ほとんど不満のない日々を送っているんですよ。

多少、嫌なことや、落ち込むことがあっても、瞬時に切り替えられる……というか、さっさと忘れて、好きなことや楽しいことに没頭しながら、毎日を生きています。

外側からどう見えているかわかりませんが、私は、高校を中退したり、個人事業主になってから丸1年以上稼げない時期があったり、さまざまな失敗&敗北をしてきました。

でも、当時、うまくいかないのは、自分に合ったやり方を見つけられていないだけ、と考えていました。

実際がどうであれ、「自分がダメな人間だからうまくいかないのだ」とは、一切考えなかったので、不幸を感じる場面も、ほとんどなかったように記憶しています。

 

“失敗してもなにも問題ない” という確信が、自己肯定感を育てていく

私の自己肯定感が強いのは、親の教育方針の他に、もちろん、「他の人にできないことが、なぜか自分にはできる」という、小さな成功体験の積み重ねがあったからです。

一方で、徒競走で勝てないとか、成績が一定以上に上がらないとか、様々な場面で、自分の限界を感じてきてもいました。

ただ、失敗や敗北に直面しても、ネガティブに自分自身を責めるようなことはなかったんですよね。

人間、得手不得手があるわけだから、わざわざ、苦手にかかずらう必要はないわけです。

失敗したり、敗北したりしたときの、折り合いの付け方を、すでに学んでいたのだと思います。

我が子に失敗させたくないからと、成功できることばかりをやらせていると、「失敗」や「敗北」とのつきあい方がわからないまま、育っていく結果になります。

小学校、中学校、高等学校と、カテゴリが上がるほど、自分の限界や、無能さに直面する可能性が高まるわけですが、もし、受け入れ方がわからなかったとしたら、かなり苦しい経験になるはずです。

 

苦手を克服するか、さっさと逃げるか

ところで、“自己肯定感” を考えるうえで、「失敗」や「敗北」と、どう向き合うか?という問題があります。

1つは、うまくいかなくても根気強く取り組み、苦手を克服しようという方針。

もう1つは、うまくいかなかったら、さっさと放り出して、得意なことだけをやる、という方針。

もちろん、どちらが正しいというわけではなく、価値観の違いです。

個人的な話をすると、私ははっきり、後者の「さっさと逃げる」の考え方が好きなんですよね。

 

成長のスピードを重視する理由

理由は、得意を伸ばすほうが、成長の速度が速いから。もう、圧倒的です。

うまくいかなくても根気強く取り組み、苦手を克服するのに、3年掛かるとしましょう。

一方で、うまくいかないことはさっさと投げ捨て、得意の中で通用するものを見つけるのは、たった3ヶ月で済みます。

なぜ、このスピード感を重視するかというと、現代は、物事の移り変わりが速いからです。

郵便や電話は、何十年ものあいだ、通信の中心的手段でした。

でも、2000年頃にインターネットが普及すると、あっという間にEメールが取って代わり、今や若い世代はEメールすら使わず、LINEなどメッセンジャーを使っています。

私が仕事にしているメディア運営や、Webライティングも、3年前に正解だったやり方が、現在では誤りになっているケースすら出てきているんです。

ひとつのことに3年も掛けていたら、置いていかれてしまう危機感が、私の中にあります。

 

「苦手をやりたがるかどうか」問題

それから、もう1つ無視できないのは、本人が、苦手なことをやりたがるか?という、大きな問題です。

本人がやりたがらないとしたら、本人の意向を無視して、苦手なことに取り組ませる形になってしまう。

もちろん、本人が、必要な取り組みだと理解して、納得のうえで苦手を克服しようとするのであれば、問題はないんですけどね。

「あなたのためだから」「いいからやりなさい、そのうちわかるから」

……みたいな、子どもにとって、苦痛にしかならないような事態は、避けたいところです。

62月
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Q. 子どもが習い事を何もやりたがりません A. 待ってあげましょう。一歩を踏み出す準備ができれば、ぐんぐん上達しますから!

子ども本人の心の準備ができる前に、習い事を無理にやらせないほうがいい、と私は考えています。

もちろん、

「本人が不安を感じていても、放り込んでしまえば、子どもは環境に適応し、成長する」

という考え方もあり、一理あるでしょう。

また、やってみたら楽しかった、というケースも、なきにしもあらず。

勇気が足りないなら、親が世界を広げてあげる手助けをするのも、一つの考え方です。

一気に3レベル合格して、メダルがもらえるとわかり、目がキラキラ!

一気に3レベル合格して、メダルがもらえるとわかり、目がキラキラ!

が、子どもに「やらされている」感がある場合は、

  • 続かない
  • 無理に続けさせると、習い事の対象を、嫌いになってしまう
  • なかなか上達しない

などの、大きな問題が出てきます。

 

気分が乗らないのではなく、一歩を踏み出す準備ができていない

hikidasu-08小中学生ならばまだしも、幼児の場合、習い事をやりたがらない理由は、親から離れて未知のコミュニティへ入っていく、心の準備ができていないからであるケースが、圧倒的に多いように思います。

表面上は、「気分が乗らない」「興味がない」「別にいい」という反応を示す子も、いるかもしれません。

でも本当は、「気分が乗らない」のではなく、楽しそうではあるけれど、それ以上に、親から離れるのが、心細いのではないでしょうか。

(一人ひとり、個性も、発達の度合いも違うので、じっくり、我が子の心の内と、向き合ってみてください)

子どもが、心細く感じるのには、必ず理由があります。

必要充分なだけ、自己肯定感が育っていなかったり、心の安全基地ができあがっていなかったりしているからです。

つまり、勇気を持って、世界を広げて行く準備が整っていない状態です。

 

大人に置き換えてみる

私たち大人も、自信がなければ、なかなか行動に移せないものです。

たとえば、デザインの知識がまったくないのに、「あなたが東京オリンピックのエンブレムを作りなさい」と言われたら、誰でも尻込みします。

大人の場合は、それでも、積み重ねてきた経験があるので、じゃあ予算の範囲内で、しっかりデザインできる人を探して、依頼するという手はどうだろう、と考えることができます。

トラブルが多発したり、失敗してしまったりしても、自己肯定感があれば、乗り越えていけます。

 

が、子どもはどうでしょうか。

この世に生まれてまだ数年であるわけですから、未知に遭遇したときに、立ち戻る「核」がありません。

どんな状況に陥っても大丈夫、という、自己肯定感も、育ちきっていません。

「本人が不安を感じていても、放り込んでしまえば、子どもは環境に適応し、成長する」

というのは、大人はサラッと考えてしまいがちですが、子ども目線になってみると、かなりの無理難題であるケースが、実は少なくないのです。

 

驚きの成長を見せた、4歳の息子の話

ただ、これは子育ての価値観の問題で、厳しいから悪い、というわけではありません。

重要なのは、成長の上で、どれほどの利点があるのか、という点。

私は、自分の子どもたちを見ていて、「厳しくしても、実は、大したメリットがないのでは……」と考えるに至っています。

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【雪育】子どものスキー&スノボがぐんぐん上達!「舞子スノーリゾート」厳選キッズスクール3つ【受講レポ】

 

先日、舞子スノーリゾートの取材へ行ってきました。

子どもたちに、キッズスクールを受講してもらい、記事にしているのですが、4歳の息子の上達ぶりに、本当に驚かされました。

昨シーズンの初体験を含め、トータルで5時間ほどしかスキー練習をしていないのに、ゲレンデに出る一歩手前まで、一気に進級してしまったんです。

(自分の意志で止まる、までマスター。あとは旋回ができれば、専用エリアでの練習でなく、ゲレンデへ出られる)

 

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実は、昨シーズンも同じスクールを受講しています。

ところが、直前に「やっぱりやりたくない」とゴネて、なんとか参加はできたのですが、ロクに上達しませんでした。

今回、あきらかに違ったのは、本人の “意欲” です。

取材に行く前から、「スノボがやりたい」「スキーもやりたい」「姉ちゃんだけじゃなく、自分もやりたい!」と、やる気が漲っていて、目を見張るばかりでした。

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実際、現地でも、自分から「あれがやりたい」「これがやりたい」と要求するアグレッシブさ。

なんと、リフトに乗って、ゲレンデに連れていってもらっちゃう始末(実は、この時点で、スキー経験は、昨シーズンの2時間のみ、という状態)。

外国人の敏腕インストラクターにエスコートしてもらって、楽しく滑り降りてきたようです。

 

習い事を一切やりたがらなかった息子

もともと、4歳の息子は、習い事を一切やりたがりませんでした。

姉(6歳)は小さいころから、あれもやりたい、これもやりたい、と、どんどん世界を広げていく性質だったのもあり、親としては、内心、かなりやきもきしました。

4歳の息子は、姉が、体操教室とスイミング教室を楽しんでいる2時間、ずっと私と遊んでいました。

プールやる? 体操は? 他になにかやりたいものある? と尋ねても、頑なに「いい」「やらない」と拒否するばかり。

 

状況が変わったのが、舞子スノーリゾート取材の、ほんの1ヶ月前くらいでしょうか。

姉が通っていた体操&スイミング教室が、施設の老朽化で閉鎖することになり、移籍先を探し始めました。

ダメ元で、4歳の息子にも「新しいプールだったら、やる?」と聞いたところ、「やる」との返答。

意外だったので、思わず「え?」と聞き返してしまいました。

特になにか日常の中で、習い事をする自信がつく、きっかけがあったようには、見えませんでした。

 

「本当に本人の意志?」見極めは慎重に

難しいのは、親の期待を感じて、空気を読んでしまう子もいる事実です。

4歳の息子も、場の空気を読んだり、(保育園での出来事など)本当の気持ちをなかなか表に出さなかったり、というケースが日常の中で多々あります。

「やりたい」と言い出しても、すぐに真には受けないようにしています。

妻に伝えたところ、「えっ、本当?」と驚き、自分で息子に尋ねて、反応を確かめていたほど。

スイミング教室の体験の予約を入れても、まだ夫婦で半信半疑。

体験教室に向かう車中で、ずいぶん楽しみにしている様子を見て、「本当にやりたかったんだね(^^;;」と確信が持てたくらいです。

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ともかく、このタイミングを境に、4歳の息子は、「やる気」「意欲」を、前面に出すようになりました。

舞子スノーリゾートでの、驚きの上達ぶりは、先ほど触れたとおりです。

 

意欲がなければ上達しない

思い返してみると、やはり、子どもが自ら「やりたい」と思っているものは、恐ろしく上達が早いです。

4歳の息子の場合、運動系でゆいいつ、やりたがったのは、ストライダー(ペダルのない、子ども用の小さな自転車)です。

あっという間に、もの凄い速さで駆け回れるようになり、急坂も物ともせず、グイグイ登っていきます(だから足腰は頑強ですし、運動会の徒競走では1位です)。

いっぽう、普通の自転車は、からっきしやる気がなく、ほとんど上達しません。

ストライダーで走れるのだから、バランスを取るのは、それほど難しくないはずなんですけど、まったくダメ。

6歳の姉も、大好きな鉄棒は、放っておいてもどんどん上達し、年中クラスで逆上がり、年長クラスに上がる頃には、後ろ回り(空中逆上がり)すら、余裕でできるようになりました。

その昔、鉄棒がうまくできなくて、ぎゃあぎゃあ文句を言うものだから、

「だったら、やめたら?」

と言ったくらいで、頑張らせたことは一切ないのですが、本人がやりたくてやっていることは、すぐにできるようになります。

 

本人の「意欲」から出発するのが大切な理由

その他、特筆すべきなのは、6歳の娘の場合、遊びや運動だけでなく、勉強も、「楽しい」「やりたい」と取り組んでいる状況でしょうか。

私は子どもの頃、勉強をやりたいと思った記憶など、一切ありません。

だから本当に驚くのですが、なぜか娘は、勉強がしたくてしかたがないようです。

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100%自分の意志で、英会話教室と、学研教室(国語と算数)に通っています。

宿題も、一度始めると、脇目も振らずに夢中でやっており、よほど楽しいようです。

(あまりに習い事が多く、さらにピアノか、チアリーディングか、ストリートダンスか、新体操をやるというので、なにか辞めたらとアドバイスするんですが、どれも辞めたがりません……)

 

こうなると頭に浮かぶのは、子どもが、自らの意志で、やりたいことだけに取り組む「サドベリースクール」です。

 

[取材レポート]授業のない学校『東京サドベリースクール』へ娘と遊びに行ってきました。

 

以前、取材したとき、いくつかインタビューをしたのですが、

 

Q. 「読み書き算数など、最低限の教育だけでもやったほうがいいのではないか」という意見もあると思いますが。

すべてこどもたちに任せています。本人がやりたいと思ったり、学ぶ必要があると感じたときに学ぶのが一番だという考えです。それ以外のタイミングでやらせようとすると、むしろ嫌いになってしまったり、「これが必要だ」と自分で考える力を奪ってしまう可能性がある、という考え方です。

Q. 一度も通常の小学校などに通った経験のない子の事例はありますか?

東京サドベリースクールは生まれてまだ5年、もうすぐ6年ですが、小学生からアメリカのサドベリースクールに通っていた15歳の女の子が在籍しています。読み書きや計算もできますし、敬語も使えます。マンガを読んでいるとわからない字が出てくるのでお父さんお母さんに聞いたり、スーパーやコンビニで買い物をするのに計算ができないと困るので学んだり。彼女は学ぶことにストレスがないですね。

 

サドベリースクールには、「本人に意欲があるときが、取り組むベストのタイミングである」という哲学があります。

我が子たちの、「意欲」と「上達ぶり」のかかわりを目にすると、私もまったく同感です。

しかも、いったん心の準備さえできてしまえば、チャレンジしたり、学んだりすることに、ストレスがなく、どんどん新しいことを吸収し、世界を広げていけます。

国語や算数だって、自ら夢中になってやるくらいです。

 

受け止めてあげることは「甘やかす」とは言わない

「いつまでも親から離れられないのでは、将来が心配。」

「もう大きいんだから、甘やかす必要はない。」

私も、4歳の息子に関しては、やきもきさせられた親の一人なので、気持ちはわかります。

が、子ども本人に意欲がないのに、頑張らせたり、無理にやらせたりしたときに、何が得られて、何を失うのか。

私は、4歳の息子に、無理に習い事をやらせなくて、本当に良かったと感じています。

心が成長し、準備ができれば、自ずから羽ばたいていき、スタートの多少の遅れなど、あっという間に取り戻すのですから。

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では、自己肯定感を育てたり、心の安全基地を構築したりするには、どうしたらいいのでしょうか。

しっかり受け止めてあげることです。

お父さんお母さんと遊びたいと言えば、遊んであげる。

実際、4歳の息子が、お姉ちゃんの習い事を待っている2時間、なにをしていたか。

父である私と、ストライダーでのおでかけをしたり、お買い物をしたり、公園で遊んだり。

普段、姉がいてはできない、親を独り占めすることでした。

ありのままを受け止めてあげることは、「甘やかす」とは言いません。

子どもが、勇気を持って、世界を広げて行く準備をするためには、必要なことだと、私は思います。

2712月
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【構図の考え方】6歳女児カメラマンが教える、素敵な写真を撮影するためのコツ

子どもの思考は、固定観念に縛られていないので、意外と核心を突くケースがあります。

知識も経験もないから、と軽視していると、大の大人が驚かされることも。

我が家では、6歳の娘に、デジタル一眼レフカメラを買い与えて、2ヶ月になります。

構図の取り方が、まるでお手本のように理想的であるケースが多いので、尋ねたところ、意図して撮影している事実がわかりました。

6歳の子どもの言葉から、三分割構図と、日の丸構図の使い分けのコツを紹介します。

 

6歳が「三分割構図」を多用するので理由を聞いてみた

さっそくですが、こちらの写真をご覧ください。
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6歳の娘のゆいが、車のなかで、横に座っている弟を撮影した写真です。

多少、ピントを合わせる位置が甘いですが、被写界深度がかなり浅い設定なので(ピントを意識する特訓で、常にf/1.8で撮影)、まあ良く撮れているかと思います。

ゆいが撮影する写真は、この写真のように、被写体が中央に来ないケースが多いです。

例:八景島シーパラダイス 東京ディズニーシー

実はこれ、理想的な三分割構図になっています。
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ぴったり、三分割の交点に、弟の眉間がきていて、驚きます。

最初は偶然かと思っていたのですが、あまりに三分割構図で撮影する割合が高いので、本人に尋ねたところ、意図しているとわかりました。

私「ねえこれ、なんで、えいとくんを真ん中にしなかったの?」

ゆい「んー、だって、そのほうがイイと思ったから!」

私「そっか、端っこにしたほうが、素敵だと思ったんだ」

ゆい「うん」

 

日の丸構図にも使いどころがある

一方で、こちら。被写体がど真ん中の、典型的な日の丸構図です。
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日の丸構図だけども、躍動感や、迫力が伝わってきます。ヒレの一部が、少しだけ見切れているのが、絶妙です。

※これもピントの位置が甘いですが、水族館はガラス越しの撮影になってピント合わせが難しいのと、ペンギンの動きがもの凄く速い事実を考えれば、6歳にしては上出来すぎます

 
私「じゃあ、こっちのペンギンさんの写真は? なんで真ん中なの?」

ゆい「これはねー、ゆいじゃないと撮影できない写真なの」

私「どうして?」

ゆい「特別なときにだけ、真ん中にしてあげるんだよ」

 
!!!!!

 

三分割構図と日の丸構図の使い分け

いやーこれは、一本取られた。

三分割構図と、日の丸構図の使い分けを、これ以上ないというくらい的確に説明しているなぁと。

 
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※ゆい撮影

三分割構図は、「造形美」の考え方がベースにある、バランス重視の構図です。

背景の中に、被写体をバランス良く配置したい場合には、とても頼りになります。

 
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※ゆい撮影。猫ちゃんが微妙に中心からズレてますが、まあご愛敬。意図はわかるかと思います

一方、中央に視点が集中する日の丸構図は、被写体に迫力があったり、魅力的であったりする場合に、強味を発揮します。

被写体次第な面が強いですが、インパクトは随一になります。

 

直感に素直に撮影できる、子どもの強味

私は基本、ゆいには自由に撮影させています。

いま教えているのは、オートフォーカスの使い方、ピントの合わせ方のみ。

(単焦点レンズ「AF-S NIKKOR 35mm 1:1.8G」で、f/1.8固定で撮影させているので、ピントの位置がズレていると、被写体がボケボケになって、ピントがどういうものなのか6歳でもよくわかる。また、フルサイズ換算50mmの標準画角が身につき、ズームできないので「近くで撮影」「遠くから撮影」の違いもわかるようになるなど、一石二鳥)

細かいことは一切言わず、「素敵だと思ったものを撮ってごらん」「素敵な写真を撮ってね」とだけ言っています。

たぶん、ファインダーからはみ出しちゃいけないとか、被写体をきっちり写さなきゃとか、“ちゃんと撮らなければいけない” という凝り固まった意識がない。

だから、直感に素直に「こうしたほうがバランスが良い」「こうしたほうが素敵」と、撮影できるんでしょう。

技術的なことは何も教えていないのは、私自身が一番良く知っているので、本当に驚かされます。

みなさんも、6歳の子どもの言葉を、参考にしてみてはいかがでしょうか。

 

使用カメラなど:幼児に軽量デジイチは以外とアリかもしれない

蛇足ですが、ゆいに買い与えたカメラは、Nikon「D3300」

Amazon.co.jp: Nikon デジタル一眼レフカメラ D3300 18-55 VR IIレンズキット レッド D3300LKRD: カメラ

フルサイズよりも撮像素子サイズの小さい、APS-Cフォーマットですが、立派なデジタル一眼レフカメラです。

なぜ、幼児にデジイチを使わせようかと思ったかというと、英才教育をしようと思ったとか、そんな高尚な理由ではなく、単に利便性&コストパフォーマンスの面で、ベストだったからです。

ミーラレスのようにもっと軽量小型なカメラもありますが、実は、幼児には、小さすぎるんですよね。

見た目が安っぽいのもあって、すぐに落っことしたり、紛失したりするな、と(iPadや3DSより小さいもんね……)。

でも、D3300くらい存在感があれば「大切にしなきゃ」という意識が働くし、なにより持ち手があって、しっかり握れるので、撮影時に安定します。

Nikon D3300|しっかりとしたグリップがあるほうが、幼児には扱いやすい

Nikon D3300|しっかりとしたグリップがあるほうが、幼児には扱いやすい

本体460g + レンズ200gで、合計660g。6歳女子でも、持ち歩いて撮影ができる重量です。

だんだんカメラマンが板についてきた、ゆい。

Posted by 寄金 佳一 on 2015年12月26日

コンデジより、オートフォーカスも速く、正確です。大人よりも、判断力や反射神経に劣る幼児には、これかなり大事。

あとはまあ、私の使用カメラがNikonなので、レンズを使い回せるという利点も。

2〜3万出してコンデジを買って、ドブに捨てるくらいなら、10年は使い続けられる、品質の確かなデジタル一眼レフカメラを買ってしまったほうがいいな、というのが、私の判断でした。

参考までに!

1111月
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「資生堂ショック」3つの論点と、資生堂ブランド戦略の誤算

資生堂は、キャリア志向の女性を応援し、社員自らが実践しつつ、先進的なライフスタイルを提案してきた企業です。

しかしながら、私たち現代人の価値観の多様化にともない、資生堂が提案する「先進的なライフスタイル」は、一部には共感を呼んでも、その他には理解されにくくなってきています。

“「美しい生活文化の創造」を企業理念に掲げ、自分らしく生きたいと願う人々の幸せの実現に貢献し続ける” というビジョンを掲げる資生堂ですが、「自分らしく生きたいと願う」のは、キャリア志向の女性だけとは限りません。

「資生堂ショック」は、日本社会の変化を読み違えた、あるいはキャリア志向に馴染まない層を戦略的に考慮した情報発信を行えなかった、資生堂の誤算により生み出されている一面があります。

 

「資生堂ショック」の内容まとめ

育児休暇や短時間勤務などをいち早く導入してきた、と言われる資生堂。

子育て中の女性社員にも、平等なシフトやノルマを与える改革を打ち出し、議論を呼んでいます。

“資生堂ショック” 改革のねらいとは|特集まるごと|NHKニュース おはよう日本

対象は、全国のデパートやスーパーなどに入っている、資生堂の化粧品売り場で働く、美容部員と呼ばれる女性社員たち。

資生堂ジャパン 営業統括部 新岡浩三営業部長
「過去の習慣的に、育児時間(短時間勤務)取得者は早番、暗黙のルールがあった。
いちばん忙しい時間に1人足りないということが発生していた。
そういう時間にいないことが(販売の)機会喪失につながっていたのではないか。
そこについては悩んでいた。」

販売の現場では、子育てをしていない美容部員に遅番・土日勤務の負担が集中。
こうした社員からは「不公平だ」「プライベートの時間がない」などの声が続出するようになりました。
経営陣は制度運用の見直しを迫られたのです。

“資生堂ショック” 改革のねらいとは|特集まるごと|NHKニュース おはよう日本

結果として、短時間勤務の利用者でも、1ヶ月間あたり、

・土日8日のうち、2日間
・遅番10日間

の勤務を基本とし、会社が決定する、という仕組みを導入しました。

 

論点1「企業組織のあり方」/極めて合理的かつ現実的な制度改革

NHK記事にまとまっていますが、資生堂の美容部員には、

1. 売上の低下
2. 繁忙期の人手不足
3. 社員の不満増加

という課題があり、経営陣、および現場でマネジメントする立場の人間からすれば、なにかしら対策を打つ必要がありました。

私も会社員時代には、管理職の経験がありますが、組織論や、経営の観点からすると、今回の「短時間勤務の利用者でも、1ヶ月あたり土日2日間・遅番10日間勤務」改革は、極めて合理的かつ、現実的な改革に見えます。

詳しくは、国保さん(経営学)の解説が参考になります。

資生堂ショックと言われていますが、これを読むと、資生堂は十分配慮していると感じました。「夫や家族の協力は得られるかなどを聞き取ってシフトを決める」「協力者がいない場合はベビーシッターの補助を出す」とか。これを機会に「妻が子育てをやって当たり…

Posted by 国保 祥子 on 2015年11月9日

 

「時短は成長に繋がる経験機会をほぼ永久に失う」については補足が必要だと思います。

国保さんの執筆記事から引用しますが、

時短制度の利用者が増えているにも拘わらず、時短制度利用者とフルタイム勤務者との業務配分と評価、どのように業務のフォローをするのか、労働時間の違う従業員がいるときの情報共有の方法など、管理上のノウハウはまだまだ確立されていません。その結果、管理者は誰がやってもあたりさわりがない業務、責任範囲の小さい業務を時短制度利用者に割り当てる傾向があり、これを「マミートラック」と呼びます。これは決して嫌がらせではなく配慮の結果である場合も少なくないのですが、いったんマミートラックにのった女性は適切な業務経験を積むことが出来なくなって成長機会を失ってしまうため、その以降の能力開発やキャリア形成が難しくなります。

【講座】第5回(全5回)女性が管理職になりたがらないほんとうの理由(5/5) – 経営プロ

成長は、質の高い経験によってのみ可能です。

ところが、時短勤務者には、いくつかの理由から、当たり障りのない仕事が回される傾向があります。

結果、成長の機会を得られず、上司も重要な仕事を与えにくくなり、負のスパイラルに陥っていきます。

 

「不公平」との声が上がるのは現実問題として仕方がない

また、「子育て中の女性だけに優しく、それ以外の人材に負担を強いる制度は、若い世代の離職を進める」という指摘も、現実問題としてその通りでしょう。

特に資生堂の美容部員からは、実際に「不公平」との声が上がっているわけです。

もちろん「子育ての負担を理解していない」「こういう人は、自分が子育てする番になって、途方に暮れるんだろうね」という意見にも、一理あるでしょう。

が、自らが経験するか、間近で見ない限り、子育てに必要な労力は、正確に見積もれません。

私も、最初の子どもが生まれてみて、妻の負担の大きさに驚き、「これじゃ全然話にならない……」と仕事をやめ、結果として個人事業主になった身なので、実感するところです。

 

目の前の問題を解決するための合理的改革

この改革により、

1. 繁忙期の人手不足の解消
2. ともなう、販売の機会喪失の改善
3. 社員の不公平感の解消
4. 時短利用者の成長機会喪失の回避
5. 子育ての労力を実感をもって理解できない世代の不満解消

などの課題解消が実現できます。

経営状況、限られたリソース、社会環境……などなど、いま置かれている状況の、目の前にある課題を解決する手段としては、合理的な改革と言えそうです。

 

論点2「価値観の多様化による分断」/“働きたい人だけが働ける” 時代の到来

もう1つ知っておく必要があるのは、資生堂はキャリア志向の女性を中心に応援してきた企業である、という事実です。

以前、資生堂主催『2023年 日本の男性の未来 フューチャーセッション』を取材した経験があり、そのときにも実感しました。

正確には「キャリア志向の女性」ではなく、

私たち資生堂は、「美しい生活文化の創造」を企業理念に掲げ、自分らしく生きたいと願う人々の幸せの実現に貢献し続けることで、サステナブルな企業価値の向上をめざしており、

トップが語るビジョン – 100年先も輝き続ける資生堂をつくる

「自分らしく生きたいと願う人々」の「幸せの実現」に、“美” で貢献していくのが資生堂です。

つまり、「家」にすべてを捧げる前時代的な女性像ではなく、社会の中で、一人の人間として、仕事も家庭も諦めることなく、いきいきと活躍したい…と願うような層をお客としている企業であるわけです。

 

子育て中でも平等に成長機会を提供し、成果を出すチャンスを与える

しかも、顧客を応援するだけでなく、資生堂の社員自らが実践し、先進的なライフスタイルを提案してきました。

(だからこそ、育児休暇や短時間勤務などを、いち早く導入することができた)

つまり、今回の改革は、資生堂が考える「キャリア志向の女性の幸せの実現」のために、必要な措置だった、と読めます。

国保さんが指摘するように、時短勤務は、成長機会を奪われますし、成果も出しにくくなるのが一般的であるようです。

この事実を知らないと、「子育て中の女性社員にも、平等なシフトやノルマを与える」という改革は、改革というより改悪に見えます。

が、実際には改悪ではなく、キャリア志向の女性たちにとっては、「子育て中でも平等に成長機会を提供し、成果を出すチャンスを与える」というポジティブなもの。

そして、それを無理なく実現するための環境整備をサポートをしよう、という試みです。

 

資生堂に共感できない層が少なからず存在する

それでは、なぜ反感が生まれるのでしょうか。

答はシンプルで、資生堂が提案する新しいライフスタイルに、あなたが馴染まないからです。

「仕事も家庭も両立して、バリバリのキャリアウーマンとして社会で活躍する」という志向は、価値観の多様化が進み、定着した現代社会においては、一部の女性の希望でしかありません。

国保さんが言及しているとおり、資生堂は、改革を着実に押し進めるために「夫や家族の協力は得られるかなどを聞き取ってシフトを決める」「協力者がいない場合はベビーシッターの補助を出す」などの配慮をしています。

が、一方で「こうした働き方ができない人は、資生堂の美容部員は務まりません」という明確な意思表示とも読めます。

「夫や家族の協力は得られるかなどを聞き取ってシフトを決める」というのは、「協力が得られない人は土日勤務や遅番を免除する」ということでは、恐らくないでしょう。せいぜい、いつなら出勤できるか、調整する程度。改革の理由として、時短勤務に対する不公平感を挙げているわけで、「夫や家族の協力が得られない人は免除」というやり方では、解決しません。夫や家族の協力が得られないのであれば、ベビーシッターや、地域サービスを使って対応しなさい、ということであるはずです。

資生堂の事例は、独自の社風に基づいた、少々極端なケースかもしれません。

しかしながら、私たちは、本当にさまざまな価値観を持ち、それぞれ異なるモチベーションで、生きています。

企業としては、すべての人にとって働きやすい環境を整えるのは、不可能です。

何かしらの価値観に基づいて、制度を設計し、社員を動かしていかなければなりません。

この企業で働けるのは、この企業の価値観に共感し、働きたいと思う人だけ。うわべだけでなく、ワークスタイル、ライフスタイルが完全一致していないとやっていけない。

そんな時代が到来しつつあるのだと感じました。

 

論点3「企業&ブランドイメージ」/馴染まない層を考慮した情報発信を行えなかった誤算

今回、資生堂の誤算は、「自分らしく生きる=キャリア志向」と短絡的すぎた点ではないでしょうか。

前述のとおり、資生堂は本来、「自分らしく生きたいと願う人々の幸せの実現に貢献し続ける」企業です。

しかしながら、「自分らしく生きる」とは、キャリア志向だけを指すのではないはず。

専業主婦や、“子ども最優先” の女性にだって、自分の生き方を誇りに思う人は存在します。

 

「自分らしさ」の多様化が進む現代

実はインターネットが一般家庭に普及し出しはじめる2000年ごろまでは、情報流通は “太い一本の幹” でした。

このマスメディアがすべてを握っていた時代、「“女性は家庭を守るもの” という古くさい価値観から脱却する」という大きな目標を、大勢の女性が共有できていたはずです。

資生堂は、この女性たちの多くに支持されてきました。

ところが、インターネットが普及し、情報の流れに無数の支流が生まれると、我々は「自分らしさ」を追求し始めます。

人と同じであるということは大した意味をもたなくなり、それぞれが、思うままに、多様な価値観を持つに至ります。

資生堂が今回の改革で示したような、バリバリのキャリア志向は、もはや「無数にある価値観の中の一つ」でしかなくなっています。

今回、「もう資生堂商品は買いたくない」と感じているあなたは、20年前はどうかわかりませんが、今や、資生堂のお客さんではないのでしょう。

 

ブランド強化のはずが、大きな誤算

資生堂の経営陣や、PR担当は、今回の改革は、きっとプラスになると踏んだはずです。

より資生堂らしさを打ち出すことができ、ブランド強化に繋がるはずだ、と。だからこそ取材&報道が実現したのでしょう。

しかしながら、予想外の拡散の仕方をして、たとえば記事タイトルだけ見て誤解する人も生まれる状況になりました。

すると、メインターゲット以外の層を、いたずらに刺激する結果になりました。

あらゆる情報、あらゆる商品が飽和する時代に、「唯一無二のブランドイメージ」は最大の武器。

しかしながら、いくら尖っているほうが良いとは言っても、「わかる人だけわかればいい」は最大の愚策。

なんとなく資生堂の商品も買っていた、という人が、気に入らないから資生堂の商品は買わない、となりかねません。

今回の報道がきかっけで、メインターゲット以外を排除する結果になってしまうとしたら、さすがに資生堂の本意ではないはず。

改革で提案した新しいライフスタイルに馴染まない層を、戦略的に考慮した情報発信を行えなかった点は、大きな誤算となりました。

NHKの記事には「役員が制度に甘えるなと警告」「甘え」「権利だけ主張」など、刺激的な文言が並びます。

さすがにこれは、いくら言葉を尽くして説明したところで、多くが誤解するでしょう。

 
*****
 
最後に、ごくごく個人的な感想を。

時短勤務者を「不公平だ」と妬む社員の存在は、それが事実だとしても、具体的に示してはいけなかったのでは。

美容部員の中の人たちの人間的醜さが見えてしまった、あるいは想像させるような露出の仕方は、いちばん印象に残りました。

資生堂って、社員同士で足を引っ張り合う、その程度の企業風土なのね、と。

あくまでもイメージ、印象論の話で、実際にどうなのかはわからないですが。

289月
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保育士は保育園を変えようとするんじゃなく、保育園から飛び出しちゃおう。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」などなど。

働いていて、幼稚園や保育園の方針に違和感を抱いている幼稚園教諭・保育士さんたちへ。

同僚や、園の経営者・園長らを変えなくちゃ、と使命感に駆られている人もいるかもしれません。

が、そういう方は、幼稚園・保育園から飛び出すべきです。

 

保育園から飛び出すべき2つの理由

私は保育・教育業界の人間ではなく、単なる2人の子どもの親で、単なるブロガーで、Webメディアのディレクターです。

でもだからこそ、マーケティングや、社会構造の観点から、「保育園から飛び出すべき」と断言できる理由が、明確に2つ見えます。

1つは、保育園は、変えようとしても、変わらない。問題の根本は、幼稚園や保育園にあるのではありません。

2つ目は、保育園を変えるのが正義とは限らない。絶対的な価値観など、存在しません。

 

そもそも教育とは、国の価値観によって作り上げられる

小学校から始まる義務教育、そして高校・大学と続く教育システムは、国が作り上げるものです。

国は、何の目的もなく、国民に教育機会を提供しているわけではありません。

国民の「学ぶ権利」ももちろんありますが、同時に、国が発展し、国民一人ひとりが豊かになるために、労働者や生産者の教育水準を引き上げる目的があるわけです。

国は、ある価値観に基づき、ある方法論を選択し、結果として現在の教育システムができあがっています。

もちろん、どういう教育が効率的なのかについては、様々に意見があるわけですが、ここではひとまず置いておきます。

 

幼稚園・保育園がおかしいとしたら、教育システム全体に問題がある

幼稚園は、一言で言えば、小学校入学の準備をするための機関です。

保育園は、そもそもは、事情があって育児に専念できない市民のための社会福祉ですが、どうせなら、親としては、小学校入学の準備をしてくれたほうが良いに決まっています。

小中高と続く、一般的な教育システムに乗っかる以外に、選択肢は事実上、存在していないからです。

幼稚園・保育園での教育方針が変だとすれば、原因は、小学校・中学校と続く教育システムにあります。

突き詰めていけば、国の価値観や方針に問題がある、という結論になります。

 

経営の観点からは間違っているとは言えない

幼稚園、保育園の経営者は、「小学校に入学して困らないように」とのニーズに応えているだけです。

「子ども一人ひとりの個性や、発達の度合いに関係なく、全員に同じ水準を求める」「みんなと一緒でなければならない」「ときには怒鳴ってでもやらせようとする」

これらが徹底されていればいるほど、経営や、マーケティング的には「正しい」のです。

我が子が、小学校・中学校でうまくやっていけなかったらどうしよう、と恐怖を抱く親は、少なくありません。

先ほど書いたとおり、ドロップアウトしてしまったら、落ちこぼれになってしまうと思い込んでいるからです。

(実際には、別の選択肢を選べばいいだけなんですが、現実問題としては、ごく一部の例外でしかない)

「小学校の入学準備をしますよ」とわかりやすく掲げ、実行している園と、そうでない園があったら、当然、前者のほうが、選ばれる率が高くなります。

 

末端で行動しても、効率が悪く、効果は限られる

そんなやり方は古い。時代にあっていない。子どもたちの自尊心が育たない。子どもたちを潰してしまう。

個人的には賛成です。

でも、国が起点となる教育システムの末端で、古きものを変革しようとしたところで、いったい何ができるでしょうか。

小学校以上の教育システム全体、つまり国の教育に対する価値観を変えない限り、問題の根本的な解決にはなりません。

いま目の前にいる子どもたちのケアも大切です。それはわかります。

が、あなたがそこからいなくなれば、同じ惨状が繰り返されるだけ。

だからこそ、おかしいと感じたら、さっさと飛び出してしまうべきなんです。

 

「おかしい」と直感する親子に、新しい選択肢を提供する

あなたが理想だと思う、新しい場を作りましょう。共感する人の手伝いでもいいでしょう。

「今の状況はおかしい」と直感している親や子どもに、新しい選択肢を提供するんです。

そうして育った子どもたちが、社会に出て生き生きとしていれば、世の中の人々は「あれ、なんかうらやましい」と思うようになります。

“例外” でしかなかった道が、単なる “選択肢の一つ” になっていきます。

 

「自分だけが正しい」と盲目になってはいけない

もう1つ、旧来的な価値観の幼稚園・保育園を変革しようとするのをおすすめしない理由は、それが絶対的に良いことだとは言えないからです。

何事もそうですが、絶対的な価値観など存在しません。

“殺人” も、時と場合によっては正当化されるし、支持する人がいます。たとえば、安楽死であり、死刑です。

旧来的な幼稚園・保育園にだって、「小学校に備える」という正当性があります。それを求める親も、少なくありません。

むしろあなたが別の価値観を持ち込むことで、混乱させてしまうかもしれない。

自分だけが正しいわけではありません。

だったら、自分の思うとおりに活動できる場所で、活動したほうがいい。

逃げるように思われるのが悔しいという人や、目の前の子どもを見捨てるようで踏み切れない、という方もいるかもしれません。

でも、あなたのその問題意識は、幼稚園・保育園の外に出てこそ、正当性が生まれ、本当の意味で価値のあるものになります。

 

「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能

最後に、今いる園こそが私の戦う場所だ、という保育士さんへ。

それも一つの選択です。でも、「相手が間違っている」という姿勢でいる限り、相手を変えるのは不可能、とだけは、理解してください。

まったく別の話題ですが、紛糾した安全保障法案に対し、デモが活発に活動していました。

法案にどのような意見を持ってもいいのだけれど、「絶対に止める」というスローガンには、私は眉をひそめました。

「絶対に止める」というスローガンからは、自分と違う価値観を持った、けっして少なくない人々への “敬意” が欠けているように思えてならなかったからです。

「私たちはこう思う」という意思表示はいい。どんどんやるべきです。

でも、正しいのは自分たちで、それ以外は間違っているから、自分たちの言うとおりにしろ、というのは、筋が通らない。

 

相手を理解し、尊重できてこそ、変革していける

彼らがやるべきは、戦争に行きたくないと叫ぶことではなく、不安があるのなら、(ルールに則って選ばれた)現政権が選択した安全保障の中身について、具体的な折衝をすることです。

まるで違った価値観の人間が存在すると認めたうえで、敬意を払い、妥協点を探ろうとするのでなければ、誰が聞く耳を持ってくれるでしょうか。

保育・教育についても同じです。

国のやり方は間違っている、園長のやり方は間違っている、と思い込んでいないでしょうか。

なぜ現在のやり方を選択しているのか、構造を学び、相手を理解し、尊重できてこそ、変革の手がかりを見つけられます。

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